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第10話
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「で、お勉強タイムはご飯のあと、先、どっち?」
「今のうちに済ませちまおうぜ」
「ラジャー」
寝そべったままハイファはリモータ操作してアプリの十四インチホロスクリーンを起動させ、別室から送られてきた資料を映し出した。
「じゃあ、ここから。ユトリア星系は約二十五世紀前に双子惑星の第二惑星エターナと第三惑星グリーナのふたつをテラフォーミングして入植を開始、そのあと多星系で同時多発的に起こった第二次主権闘争で星系政府が主権を獲得、現在に至ると」
「向かってるのは第二惑星エターナ、全星に渡って季候は亜熱帯か」
「吹雪とかじゃなくてよかったね」
「人間シャーベットとか勘弁だよな」
「んで『嘆きの果実』の所有者エマ=ルクシュは第二惑星エターナにある星系首都のタリアに在住。宝飾デザイナーだって」
「ふうん。でも本人が宝石じゃらじゃらってんじゃねぇだろ。何でデザイナー如きが八十億も持ってんだよ?」
「それはこっちに書いてあるよ。夫であるハロルド=ローゼンバーグの死に際して遺品として受け取ったんだって。わあ、ここでもローゼンバーグだってサ」
テラ標準歴で約一年前にエマ=ルクシュはローゼンバーグ財閥当主のハロルドと結婚した。だがその結婚は順風満帆とは行かなかったようである。それもその筈、ローゼンバーグはユトリア星系でも突出した大財閥だ。
そんな王族の如き家系の当主が一介のデザイナーなどとあっさり結婚してしまったのだから周囲は揉めに揉め、荒れに荒れたらしい。
そしてまだ騒動が収まりきらないうちにエマを不幸が襲った。BELの事故でハロルド=ローゼンバーグが急死してしまったのである。
「本当ならエマ=ローゼンバーグは当主としても立てる身、だけど周囲がそれを許さなかったんだね。遺品の『嘆きの果実』を手切れ金代わりに渡されて、はい、サヨウナラだよ」
「籍まで抜かれて、そいつは酷いな」
「でもまあ、僕らの知らない金額の世界だし色々あるんじゃない?」
自ら薄愛主義者を標榜する別室員はサラリと言って、ホロスクリーンの表示を切り替えた。
「これが『嘆きの果実』だよ。実物は百億クレジット以上とも言われてる」
「へえ、こいつが、なあ」
油絵にしては全体的に淡く明るい色づかいで葡萄か何かを収穫する人々が描かれている。人物はかなり小さめの女性が三人のみ、人物画というより風景画に近い。画風は写実的で青い草の香りや高空に遊ぶ小鳥の鳴き声まで聞こえてきそうだった。
だからといってこれが百億の価値とはシドの常識を越えている。
「大きさはどのくらいだ?」
「P8号だから、四十センチ前後かな」
「うわ、一センチ角で六百万クレジット以上かよ」
「そういう換算する人も珍しいよね。貴方、交渉して何センチか買ってみたら?」
これでもシドは結構な財産家なのだ。以前に別室任務でたまたま手に入れた宝クジ三枚がストライク大炸裂、一等前後賞を見事に射止め、平刑事が一生掛かっても稼ぎきれない額が降ってきたのであった。その巨額はテラ連邦直轄銀行で殆ど手つかずのまま眠っている。
それでもイヴェントストライカに刑事は天職で、辞めるつもりは一切ない。
「絵なんて食えねぇモンに興味はねぇよ」
「色気がないなあ。で、リオ=エッジワースは千五百年前にリガテ星系第四惑星バイナスが輩出した知る人ぞ知る画家。全ての絵が星系内での紛争中に描かれたことと、本人も軍人だったことで生前は一枚も売れるような状況じゃなかったらしいね」
「趣味の日曜画家ってとこか」
「戦争中の軍人に日曜があるかはともかく、そう言っても差し支えないみたいだよ」
「ふうん。俺も未来のために絵でも描いておくかな」
「じゃあ僕をモデルにして描いてよ」
「バカ言え、俺がお前のハダカを誰かに見せるとでも思ってんのか?」
「別に脱がさなくてもいいじゃない」
僅かに赤くなったハイファはリモータ操作、ホロスクリーンをプツリと切った。
「そういや何で一週間だけ護るのか書いてなかったな」
「そうだね。『今から一週間で盗む』って犯行声明でも届いたのかも」
既にハイファは本気で考えるのを放棄している様子だ。シドも異様に寝心地のいいシートに埋もれているうちにどうでもよくなり、一枚の毛布を二人で被ると惰眠を貪った。
そのうちに声を掛けられて目を覚ますと艦内食のサーヴィスのワゴンが回ってきていた。シドは起き上がり寝ぐせを撫でつけながらハイファに手を貸して起こす。
かなりボリュームのあるランチを有難く頂いてしまうと、哀しいかな中毒患者はそわそわし始める。ポーカーフェイスながら情けない挙動にハイファが笑い、コーヒーをサーヴィスしてくれた美人CAに喫煙場所の有無を訊いた。
「シド、良かったね。お手洗いの向こうに喫煙ルームがあるってサ」
「何だ、最初から言ってくれればいいのによ」
文句を言いつつも勿論、率先して移動だ。全部で三十もないシートの間の通路を進みトイレの前を通過して喫煙ルームに辿り着く。そこは本星の自室の寝室くらいの広さしかなかったが置かれたソファに先客はたった一人で、シドとハイファも悠々とソファを確保して足を組んだ。
そしてシドが見上げるとホロインフォメーションが、
《お煙草は一航行お一人様二本まで、一本につき三百クレジットの環境税徴収にご協力をお願い致します》
と、表示しながら中空に漂っていた。通常の宙艦なら喫煙コーナー自体がないか、あっても環境税は五十クレジットまでがせいぜいである。
「くそう、人の足元見やがって!」
「こんな小さな艦で喫煙できる方が奇跡だよ。節煙、節煙」
それでもシドはムッとしつつ煙草を咥えてオイルライターで火を点けた。熱だか煙だかを感知して、これも宙を浮いていた灰皿がふわりと近寄ってくる。リモータリンクで三百クレジットを支払うと灰皿のフタがパカリと口を開けた。
指が焦げそうなくらいフィルタぎりぎりまで一本を吸ってシドは腰を上げる。二本は吸わない。億というカネを眠らせていても平刑事の耐乏根性は健在だった。
「今のうちに済ませちまおうぜ」
「ラジャー」
寝そべったままハイファはリモータ操作してアプリの十四インチホロスクリーンを起動させ、別室から送られてきた資料を映し出した。
「じゃあ、ここから。ユトリア星系は約二十五世紀前に双子惑星の第二惑星エターナと第三惑星グリーナのふたつをテラフォーミングして入植を開始、そのあと多星系で同時多発的に起こった第二次主権闘争で星系政府が主権を獲得、現在に至ると」
「向かってるのは第二惑星エターナ、全星に渡って季候は亜熱帯か」
「吹雪とかじゃなくてよかったね」
「人間シャーベットとか勘弁だよな」
「んで『嘆きの果実』の所有者エマ=ルクシュは第二惑星エターナにある星系首都のタリアに在住。宝飾デザイナーだって」
「ふうん。でも本人が宝石じゃらじゃらってんじゃねぇだろ。何でデザイナー如きが八十億も持ってんだよ?」
「それはこっちに書いてあるよ。夫であるハロルド=ローゼンバーグの死に際して遺品として受け取ったんだって。わあ、ここでもローゼンバーグだってサ」
テラ標準歴で約一年前にエマ=ルクシュはローゼンバーグ財閥当主のハロルドと結婚した。だがその結婚は順風満帆とは行かなかったようである。それもその筈、ローゼンバーグはユトリア星系でも突出した大財閥だ。
そんな王族の如き家系の当主が一介のデザイナーなどとあっさり結婚してしまったのだから周囲は揉めに揉め、荒れに荒れたらしい。
そしてまだ騒動が収まりきらないうちにエマを不幸が襲った。BELの事故でハロルド=ローゼンバーグが急死してしまったのである。
「本当ならエマ=ローゼンバーグは当主としても立てる身、だけど周囲がそれを許さなかったんだね。遺品の『嘆きの果実』を手切れ金代わりに渡されて、はい、サヨウナラだよ」
「籍まで抜かれて、そいつは酷いな」
「でもまあ、僕らの知らない金額の世界だし色々あるんじゃない?」
自ら薄愛主義者を標榜する別室員はサラリと言って、ホロスクリーンの表示を切り替えた。
「これが『嘆きの果実』だよ。実物は百億クレジット以上とも言われてる」
「へえ、こいつが、なあ」
油絵にしては全体的に淡く明るい色づかいで葡萄か何かを収穫する人々が描かれている。人物はかなり小さめの女性が三人のみ、人物画というより風景画に近い。画風は写実的で青い草の香りや高空に遊ぶ小鳥の鳴き声まで聞こえてきそうだった。
だからといってこれが百億の価値とはシドの常識を越えている。
「大きさはどのくらいだ?」
「P8号だから、四十センチ前後かな」
「うわ、一センチ角で六百万クレジット以上かよ」
「そういう換算する人も珍しいよね。貴方、交渉して何センチか買ってみたら?」
これでもシドは結構な財産家なのだ。以前に別室任務でたまたま手に入れた宝クジ三枚がストライク大炸裂、一等前後賞を見事に射止め、平刑事が一生掛かっても稼ぎきれない額が降ってきたのであった。その巨額はテラ連邦直轄銀行で殆ど手つかずのまま眠っている。
それでもイヴェントストライカに刑事は天職で、辞めるつもりは一切ない。
「絵なんて食えねぇモンに興味はねぇよ」
「色気がないなあ。で、リオ=エッジワースは千五百年前にリガテ星系第四惑星バイナスが輩出した知る人ぞ知る画家。全ての絵が星系内での紛争中に描かれたことと、本人も軍人だったことで生前は一枚も売れるような状況じゃなかったらしいね」
「趣味の日曜画家ってとこか」
「戦争中の軍人に日曜があるかはともかく、そう言っても差し支えないみたいだよ」
「ふうん。俺も未来のために絵でも描いておくかな」
「じゃあ僕をモデルにして描いてよ」
「バカ言え、俺がお前のハダカを誰かに見せるとでも思ってんのか?」
「別に脱がさなくてもいいじゃない」
僅かに赤くなったハイファはリモータ操作、ホロスクリーンをプツリと切った。
「そういや何で一週間だけ護るのか書いてなかったな」
「そうだね。『今から一週間で盗む』って犯行声明でも届いたのかも」
既にハイファは本気で考えるのを放棄している様子だ。シドも異様に寝心地のいいシートに埋もれているうちにどうでもよくなり、一枚の毛布を二人で被ると惰眠を貪った。
そのうちに声を掛けられて目を覚ますと艦内食のサーヴィスのワゴンが回ってきていた。シドは起き上がり寝ぐせを撫でつけながらハイファに手を貸して起こす。
かなりボリュームのあるランチを有難く頂いてしまうと、哀しいかな中毒患者はそわそわし始める。ポーカーフェイスながら情けない挙動にハイファが笑い、コーヒーをサーヴィスしてくれた美人CAに喫煙場所の有無を訊いた。
「シド、良かったね。お手洗いの向こうに喫煙ルームがあるってサ」
「何だ、最初から言ってくれればいいのによ」
文句を言いつつも勿論、率先して移動だ。全部で三十もないシートの間の通路を進みトイレの前を通過して喫煙ルームに辿り着く。そこは本星の自室の寝室くらいの広さしかなかったが置かれたソファに先客はたった一人で、シドとハイファも悠々とソファを確保して足を組んだ。
そしてシドが見上げるとホロインフォメーションが、
《お煙草は一航行お一人様二本まで、一本につき三百クレジットの環境税徴収にご協力をお願い致します》
と、表示しながら中空に漂っていた。通常の宙艦なら喫煙コーナー自体がないか、あっても環境税は五十クレジットまでがせいぜいである。
「くそう、人の足元見やがって!」
「こんな小さな艦で喫煙できる方が奇跡だよ。節煙、節煙」
それでもシドはムッとしつつ煙草を咥えてオイルライターで火を点けた。熱だか煙だかを感知して、これも宙を浮いていた灰皿がふわりと近寄ってくる。リモータリンクで三百クレジットを支払うと灰皿のフタがパカリと口を開けた。
指が焦げそうなくらいフィルタぎりぎりまで一本を吸ってシドは腰を上げる。二本は吸わない。億というカネを眠らせていても平刑事の耐乏根性は健在だった。
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