希望の果実~楽園17~

志賀雅基

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第19話

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「このビルは中が街じゃなくて、一棟全部がホテルなんだってサ」
「ふうん、観光客向けか。部屋が空いてるといいな」

 ハイファがタクシー代を精算するとドアは外からドアマンが開けてくれる。出るなり蒸し暑い空気に三人は包まれた。湖の傍という立地のせいか、かなり湿度が高い。

 ホテルマンの掲げるリモータチェッカをクリアし、回転するオートドアからロビーに足を踏み入れる。ここも森の続きのように、あちこちに濃い緑の観葉植物が配置され、高い天井から下がったプロペラがエアコンの利いた空気をかき回して、南国情緒を漂わせていた。

 フロントで口を利くのはいつもハイファの役目だ。

「シングル一室と喫煙ダブル一室、できれば部屋はなるべく近くで空いてますか?」
「お待ち下さい……二〇一一号室のシングルと二〇一五号室のセミダブルなら空きがございますが、宜しいでしょうか?」

 エマの手前、シドは『セミダブル』という単語に内心照れて目を泳がせたが、表面上はポーカーフェイスを装って、リモータにキィロックコードを受ける。

 ポーターの案内で二十階の部屋に辿り着くと、シドはエマに自分たちが同行しない限りは絶対に部屋から出ないよう念を押し、黒のパンツスーツ姿が二〇一一号室に消えてロックが掛かるのを見届けてから、ハイファと共に二〇一五号室に入った。

 二〇一五号室はエマの部屋からふたつ開けて隣、中は意外な広さで、ペールオレンジの壁紙に調度がオークでまとめられた、南国情緒を感じさせながらも落ち着いた空間だった。
 ベッドに端末付きデスク、ソファセットに飲料ディスペンサーもついている。ハイファと一緒にバスルームまで覗いたが、ここも広くて清潔、申し分ない。

 そして大きく取られた窓はレイクビューで、波の輝く湖が堪能できた。

「すごーい、本当に旅行にきたみたいだね」
「な、きてよかったろ?」
「……うん」

 嬉しげなハイファの微笑みを壊したくはなかったが、仕方ない。

「でも、宙港から尾行つけられてるの、知ってたか?」

 弾かれたようにハイファはシドを見返した。気付いていなかったようだ。

「それって、調別?」
「いや、たぶん違うな。毛色が違うからこそ、お前が気付かなかったんだろう」
「じゃあローゼンバーグかな?」

「分からん。分からんが素人臭かった。だからエマとトリプルルームにするまでもねぇと思ったんだが、お前も注意しといてくれ。素人は却って何をやらかすか読めねぇからな」
「そっか、了解。……何か飲む?」

 飲料ディスペンサーを目顔で差したハイファに首を横に振る。

「ふあーあ、昼寝でもするかな。ハイファお前、エマと散歩にでも行ってこいよ」

 そう言ってシドは担いだままだったショルダーバッグをソファに放り出した。

「ちょっと、シド。百億が入ってるんだからね」
「あ、そうか。すまん」

 言いつつ対衝撃ジャケットを脱ぐと、それも投げ出してセミダブルのベッドに倒れ込む。ヒップホルスタの銃すら外さず、もう欠伸を噛み殺すだけで精一杯で、毛布も被らず目を瞑る。

「えーっ、シド、本当に寝ちゃうの?」
「あー、少しだけな」

 また膨れっ面になったハイファに悪いと思いつつも、シドはもう動けなかった。ベッドにハイファも乗ってくる気配がして、やばいぞコレはと思った次の瞬間、上に乗っかられてシドは思わず全身を跳ねさせた。

「痛っ……くっ!」
「シド、貴方もしかして……?」
「ハイファ、止せ……ゲホッ、ゴホッ!」

 払おうとしたハイファの手を払いきれず、綿のシャツのボタンをもどかしく開けられた。自分の胸にふたつのどす黒い痕を目にしたシドは堪えきれずに更に咳き込む。

「ゴホッ、ゴホッ……ゲホッ!」

 咳き込んで鋭い痛みが躰を突き抜けた。慌てて口を押さえようとしたが間に合わず、シドは鮮血を吐く。見ていたハイファの方が蒼白となってシドに縋りついた。
 自分の吐いた大量の血を目に映したのを最後にシドの意識は呼吸困難で暗転した。

◇◇◇◇

「全く、大したやせ我慢だよね!」

 目を覚ますなり尖った声が降ってきて、シドは胸に響かぬようそっと溜息をつく。見下ろすと毛布から出して投げ出された左腕には点滴がセットされている。痛み止めか何かだろう。壁紙がペールオレンジで、ここは元のホテルの部屋だと分かった。

 寝具も清潔なものと取り替えられ、胸には透明の固定帯が巻かれ固められている。
 ベッドの傍には椅子に腰掛けたハイファがいて手で長めの前髪を嬲られた。

「で、何だって?」
「右第四第五肋骨の骨折だってサ。肺は圧迫されただけで穴は空いてなかったよ」
「そうか。再生槽入りじゃなくてラッキィだったぜ」
「ラッキィも何も、骨繋ぐ手術までしといて再生槽に入れようとしたら暴れる患者がいたからね。おまけに入院も拒否なんてありえないよ!」

「そうポンポン言うなって」
「言いたくもなるよ、体調の良し悪しすら分からないバディに背中を預けられるとでも思ってんの?」

 それを言われると弱いのも確かでシドは素直に謝る。

「すまん、悪かった」
「そうだよ、隠していいことと悪いことの区別くらいつけてよね!」

 尖った口調とは裏腹に前髪を嬲る指先は優しく、想いが流れ込んでくるようだった。
 その口調も次には柔らかなものに変わる。

「フォーティーファイヴを二発、あんな超至近距離で撃たれたのも見てたのに、バディのクセして気が付かなかったなんて……ごめんね」
「いや、お前は何も悪くねぇさ。俺の方こそビビらせて、本当に悪かったな」

「ううん、そんな……貴方は悪くないよ」
「エマには言ったのか?」
「当然。行動も自重して貰いたいしね。……シド」
「ん、どうした?」

 見上げるとハイファは泣くのを堪えるように鼻の頭を赤くしていて、愛しさがシドの胸に湧き起こる。我慢できずに身を起こすと、ハイファが甲斐甲斐しく背に枕をふたつ押し込んでくれた。そのままふわりと抱き締められる。その仕草に胸が焦げるような錯覚を抱いた。

「ハイファ……俺、今、メチャメチャお前が欲しい」
「僕も貴方が……でも、今はだめ」
「だめ、か?」

 逸らされた若草色の瞳が情欲を溜めて酷く色っぽく、シドは右手を伸ばしてハイファのドレスシャツの襟をなぞった。するすると走らせた指で、襟元から覗いた白い肌に触れる。

「なあ、ハイファ……だめ、か?」

 甘く切なく響く低い声にハイファは身を震わせ、堪らなくなったようにシドの毛布を剥がした。身に着けているのは下衣のみ、そのコットンパンツの上からでも分かるくらいにシドは躰の中心を大きく成長させている。ハイファはそれを愛しげに撫で、ベルトを緩めた。

「いい、貴方は動いちゃだめだからね」
「分かった……あっ、く――」
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