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第21話
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テラ人の戦争の歴史を鑑みて、テラ連邦議会は『一星系一政府』の原則を貫き、各星系に批准させている。それでも火種に事欠かないのがテラ人で、このリューラでも多分に洩れず思想的主張の違いから星系を真っ二つにして人々は相争ったのだという。
「――そこで使われたのがBC兵器だった」
「バイオ・ケミカル兵器か。それで?」
「地上は汚染され、逃れる先は海しかなくなった。当時はカルチャーダウンもしてなくて科学も最高のレヴェルにあった。人々は海洋で暮らすにふさわしい形を手に入れて海に逃れた」
「人魚は人工的なものだったのか……」
だが海に逃れなかった人々もいた。彼らは人と戦うことをやめて環境と戦うことにしたのだ。しかしそれは厳しすぎる道のりだった。
戦火とBC兵器での汚染で何もかもを失くし、けれど戦略的に重要な宙域でもないためにテラ連邦議会からの援助も受けられず斬り捨てられた。
「そんな彼らが一から始めるために選んだのが、カルチャーダウンしての再出発だった」
「なるほどな」
「でも彼らはそれだけでは済ませなかった――」
地上の人々は先人たちの負の遺産に苦しみながらも、この星を再生させることに成功した。だが平和が戻ってくると争いも戻ってきてしまった。
海に逃れて安穏と暮らしてきた海洋性人種たちに対しての憎しみが破裂したのだ。
戦いは完全に一方的だった。戦う術を失くした海洋性人種たちは激減する。
「――その辺りでまだ食糧難だった地上民の間に『敵を食べる』っていう行為が生まれたらしいんだけど、公的記録に残ることでもないし、ハッキリしたことは分かってないのが現状」
ここに暮らしている者たち自身にも、もう人魚食の由来は分からないらしい。
「そういやAD世紀の大昔には、強い奴の躰を食ってその強さを自分のものにする、とかいう風習も一部にはあったってTVで視たことがあるな」
「まあ、似てるのかもね。プリミティヴって言っちゃえばそこまでだけど、宗教絡みの儀式なんかだと倫理を説いても歯が立たないことだってあるし」
「で、海と地上の関係はどうなったんだ?」
結局は海洋性人種たちが停戦を申し入れ、地上民は彼らを自らの下層人種として扱う取り決めをし、争いは収まった。だがそれは同時に海洋性人種たちの哀しい歴史の始まりだとも云えた。何せ自分たちが食われるという風習までは戦火とともに消えなかったからだ。
「人魚は乱獲された。でも残り一万人を切って、これは拙いってことになった」
「絶滅は拙いって、テラ連邦議会からの物言いでもついたのかよ?」
「そうじゃなくて『重要な食文化が廃れると拙い』ってことらしいよ」
「ふ……ん、それで?」
「完全な人魚の供給管理体制が敷かれた……これが現在の状況だよ」
ベッドに腰掛けたハイファは足をぶらぶらさせながら、セイレーナ島からの航行中に読んだ資料をバディに語り終え、何だかすっきりした気分になっていた。
話を聞き終えてシドは立つと洗面所から水のコップを持ってきてハイファに手渡す。
「AD世紀末期のクジラみてぇな扱いだな。にしても人魚の肉も高級品ってことか」
「まあ、そうかもね。僕が人魚を食べさせられた宿も、この星にしたら結構グレード高かったし。でもそっか、貴族が自ら管理してるとは思わなかったよ」
水で喉を潤すハイファにシドは珍しく肩を竦めた。
「まだそいつも推論でしかねぇんだぞ。けど、ジェフにでも訊けばすぐに割れるだろうな」
「じゃあ今日はここまでにしようよ。眠らないとワープラグを引きずっちゃう」
同意してシドは二人の愛銃をベッドのヘッドボードの棚に置いた。コップをデスクに置いてランプの火を消したハイファは戻ってくるとベッドにダイヴする。マットレスはやや硬く、中身は藁か何かのようだった。二人で少し目の荒い毛布を被る。
ランプを消しても薄明るいと思ったら丁度横になって見上げた位置に小さな天窓があり、星明かりが差し込んでいるのが見えた。
いつものように左腕の腕枕を貰ったハイファはご満悦でシドの温かい胸に寄り添う。シドはハイファを抱き締めて指で長い後ろ髪を梳いた。
目を瞑った二人は数秒と経たないうちに深い眠りに引き込まれていく。
◇◇◇◇
カーテンを閉めることも忘れて眠ってしまい、シドは眩い光に切れ長の目を眇めた。胸の上に載ったハイファのリモータを見ると七時で、たっぷり八時間以上も寝てしまった計算だ。
なるべく静かにハイファの腕を除けてベッドから滑り降りようとしたが、まさか気付かれない訳もなく、寝返りを打ったハイファがくぐもった声を出した。
「ん……何時?」
「七時だ。まだ早い、寝てていいぞ」
「やだ、起きる――」
言って上体を起こしたのはいいが、そこでピタリと動きを止めている様子はタマのようだ。ここが高度文明圏なら濃いコーヒーの一杯でも淹れてやるのだが、それもままならない。仕方なくシドは窓を開けて新鮮な空気を入れることにする。
「うわ、こいつは今日も暑くなるぞ」
戦争前のウェザコントローラが残って稼働しているとは思えないが、くっきりとした空の青には雲の一片もない。舞い込んでくる風は、ほのかな潮の香りと光の熱を孕んでいた。
ふと目下を見下ろすと大通りに面したドロップスの宿屋の前には荷馬車が駐められ、野菜や卵にミルクか何かの大きな缶、かごに入った肉や魚までが荷台に載っていた。それらの食材を荷馬車の主人とジェフが店に運び入れている。
どうやら朝食も期待できそうだ。シドは目覚めの一本を吸いながら暫し眺め続けた。荷馬車の馬は思っていたより大きくて、だが大人しく用が済むのを待っている。
眺めるのに飽きて煙草を消すと、その頃にはハイファも起きてベッドに座っていた。
「シド、貴方寝ぐせがハリネズミみたいだよ」
「んあ、そうか。それより朝メシは何時からだ?」
「さあ。降りていけば何か食べさせて貰えるんじゃない?」
顔を洗って寝ぐせを直し、ゆっくり着替えて執銃すると二人は部屋を出て階段を一階まで降りた。だがやはりまだ早すぎたらしい。食堂ではジェフが食材を運んでいる。
「おはようございます」
「おはよう、ジェフ」
「ああ、おはよう。若いのに早起きは感心だが、ちょっと待ってくれるかの」
そこでシドとハイファはジェフを手伝い、野菜を運び始めた。ジェフの指示で仕舞う場所をあれこれと変えながら三人で立ち働くと十五分もしないうちに綺麗に片付く。
「お客さんに手伝わせてすまんの、これでも飲んで待ってて貰っていいかね」
カウンターから出されたのは大きなカップがふたつで紅茶のいい香りがした。有難くシドが受け取り椅子に座って煙草と濃い紅茶を味わう。
「――そこで使われたのがBC兵器だった」
「バイオ・ケミカル兵器か。それで?」
「地上は汚染され、逃れる先は海しかなくなった。当時はカルチャーダウンもしてなくて科学も最高のレヴェルにあった。人々は海洋で暮らすにふさわしい形を手に入れて海に逃れた」
「人魚は人工的なものだったのか……」
だが海に逃れなかった人々もいた。彼らは人と戦うことをやめて環境と戦うことにしたのだ。しかしそれは厳しすぎる道のりだった。
戦火とBC兵器での汚染で何もかもを失くし、けれど戦略的に重要な宙域でもないためにテラ連邦議会からの援助も受けられず斬り捨てられた。
「そんな彼らが一から始めるために選んだのが、カルチャーダウンしての再出発だった」
「なるほどな」
「でも彼らはそれだけでは済ませなかった――」
地上の人々は先人たちの負の遺産に苦しみながらも、この星を再生させることに成功した。だが平和が戻ってくると争いも戻ってきてしまった。
海に逃れて安穏と暮らしてきた海洋性人種たちに対しての憎しみが破裂したのだ。
戦いは完全に一方的だった。戦う術を失くした海洋性人種たちは激減する。
「――その辺りでまだ食糧難だった地上民の間に『敵を食べる』っていう行為が生まれたらしいんだけど、公的記録に残ることでもないし、ハッキリしたことは分かってないのが現状」
ここに暮らしている者たち自身にも、もう人魚食の由来は分からないらしい。
「そういやAD世紀の大昔には、強い奴の躰を食ってその強さを自分のものにする、とかいう風習も一部にはあったってTVで視たことがあるな」
「まあ、似てるのかもね。プリミティヴって言っちゃえばそこまでだけど、宗教絡みの儀式なんかだと倫理を説いても歯が立たないことだってあるし」
「で、海と地上の関係はどうなったんだ?」
結局は海洋性人種たちが停戦を申し入れ、地上民は彼らを自らの下層人種として扱う取り決めをし、争いは収まった。だがそれは同時に海洋性人種たちの哀しい歴史の始まりだとも云えた。何せ自分たちが食われるという風習までは戦火とともに消えなかったからだ。
「人魚は乱獲された。でも残り一万人を切って、これは拙いってことになった」
「絶滅は拙いって、テラ連邦議会からの物言いでもついたのかよ?」
「そうじゃなくて『重要な食文化が廃れると拙い』ってことらしいよ」
「ふ……ん、それで?」
「完全な人魚の供給管理体制が敷かれた……これが現在の状況だよ」
ベッドに腰掛けたハイファは足をぶらぶらさせながら、セイレーナ島からの航行中に読んだ資料をバディに語り終え、何だかすっきりした気分になっていた。
話を聞き終えてシドは立つと洗面所から水のコップを持ってきてハイファに手渡す。
「AD世紀末期のクジラみてぇな扱いだな。にしても人魚の肉も高級品ってことか」
「まあ、そうかもね。僕が人魚を食べさせられた宿も、この星にしたら結構グレード高かったし。でもそっか、貴族が自ら管理してるとは思わなかったよ」
水で喉を潤すハイファにシドは珍しく肩を竦めた。
「まだそいつも推論でしかねぇんだぞ。けど、ジェフにでも訊けばすぐに割れるだろうな」
「じゃあ今日はここまでにしようよ。眠らないとワープラグを引きずっちゃう」
同意してシドは二人の愛銃をベッドのヘッドボードの棚に置いた。コップをデスクに置いてランプの火を消したハイファは戻ってくるとベッドにダイヴする。マットレスはやや硬く、中身は藁か何かのようだった。二人で少し目の荒い毛布を被る。
ランプを消しても薄明るいと思ったら丁度横になって見上げた位置に小さな天窓があり、星明かりが差し込んでいるのが見えた。
いつものように左腕の腕枕を貰ったハイファはご満悦でシドの温かい胸に寄り添う。シドはハイファを抱き締めて指で長い後ろ髪を梳いた。
目を瞑った二人は数秒と経たないうちに深い眠りに引き込まれていく。
◇◇◇◇
カーテンを閉めることも忘れて眠ってしまい、シドは眩い光に切れ長の目を眇めた。胸の上に載ったハイファのリモータを見ると七時で、たっぷり八時間以上も寝てしまった計算だ。
なるべく静かにハイファの腕を除けてベッドから滑り降りようとしたが、まさか気付かれない訳もなく、寝返りを打ったハイファがくぐもった声を出した。
「ん……何時?」
「七時だ。まだ早い、寝てていいぞ」
「やだ、起きる――」
言って上体を起こしたのはいいが、そこでピタリと動きを止めている様子はタマのようだ。ここが高度文明圏なら濃いコーヒーの一杯でも淹れてやるのだが、それもままならない。仕方なくシドは窓を開けて新鮮な空気を入れることにする。
「うわ、こいつは今日も暑くなるぞ」
戦争前のウェザコントローラが残って稼働しているとは思えないが、くっきりとした空の青には雲の一片もない。舞い込んでくる風は、ほのかな潮の香りと光の熱を孕んでいた。
ふと目下を見下ろすと大通りに面したドロップスの宿屋の前には荷馬車が駐められ、野菜や卵にミルクか何かの大きな缶、かごに入った肉や魚までが荷台に載っていた。それらの食材を荷馬車の主人とジェフが店に運び入れている。
どうやら朝食も期待できそうだ。シドは目覚めの一本を吸いながら暫し眺め続けた。荷馬車の馬は思っていたより大きくて、だが大人しく用が済むのを待っている。
眺めるのに飽きて煙草を消すと、その頃にはハイファも起きてベッドに座っていた。
「シド、貴方寝ぐせがハリネズミみたいだよ」
「んあ、そうか。それより朝メシは何時からだ?」
「さあ。降りていけば何か食べさせて貰えるんじゃない?」
顔を洗って寝ぐせを直し、ゆっくり着替えて執銃すると二人は部屋を出て階段を一階まで降りた。だがやはりまだ早すぎたらしい。食堂ではジェフが食材を運んでいる。
「おはようございます」
「おはよう、ジェフ」
「ああ、おはよう。若いのに早起きは感心だが、ちょっと待ってくれるかの」
そこでシドとハイファはジェフを手伝い、野菜を運び始めた。ジェフの指示で仕舞う場所をあれこれと変えながら三人で立ち働くと十五分もしないうちに綺麗に片付く。
「お客さんに手伝わせてすまんの、これでも飲んで待ってて貰っていいかね」
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