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第38話
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旅客艦ならワープの間隔も四十分ほど開けるが貨物艦ビブロス号は二十分置きにワープ、一時間でパライバ星系第三惑星アジュルの第一宙港だ。躰にも負担が掛かる。こんなことなら素直に旅客艦のチケットを取ればよかったとハイファは思ったが今更だった。
熱のあるシドのやや荒い息づかいを聞きながらもハイファは口を閉ざし続けた。そのうちにシドは眠ってしまったらしくハイファのソフトスーツの肩に重みが掛かる。体調不良の上に無理を重ねて疲れきっている筈だった。だが今は重みが酷く切ない。
熱い涙が止まらなかった。どうして自分だけがこんな想いをしているのだろう。
愛し人の身勝手さに腹が立って仕方なかった。やるせない想いを抱えたまま二回目のワープをこなす。途端にハイファはワープの弊害で軽い頭痛と怠さを感じた。自分でさえこれなのだから無理を押したシドはもっとつらいだろうと思うも、意地でも顔は見なかった。
なのにシドの体温が異常に上がっているのが伝わってきて、そればかりを意識する。
パライバ星系は第三惑星アジュルと第四惑星スピネルがテラフォーミングされ人が住んでいる。アジュルの自転周期は二十七時間四十八分十六秒、第一宙港のある星系首都セピオ標準時では現在十六時すぎだった。ハイファは艦内に流れる電波を捉え、リモータにテラ標準時と並べて表示する。
その動きでシドも目覚めたようで肩の重みがすっと離れていった。
数少ない乗客の最後尾にシドは並ぶ。ハイファはその後ろについた。
エアロックを抜けるとリムジンコイルに乗り込んで宙港メインビルに運ばれた。通関をクリアしてロビーに出たシドはエレベーターホールへと向かう。上りエレベーターに乗り込むと二十階で降りた。スカイチューブで繋がれた宙港ホテルに移動する。
スライドロードから降りてすぐ目の前が宙港ホテルの有人フロントだ。首を傾げてみせたシドを一瞥もせずハイファはフロントに申し出る。
「喫煙、ツインで一室、お願いします」
「お待ち下さい……四十五階、四五〇七号室になりますが宜しいでしょうか」
シングル二室にしなかったのは事態を停滞させないためのハイファの意地だった。
二人ともにリモータにキィロックコードを流して貰いエレベーターに乗った。そこでハイファは約一時間ぶりにバディの顔をチラリと見た。酷い顔色で額に汗まで浮かんでいた。
だが言うべき言葉も見つからないまま、四五〇七号室に到着する。
室内は宙港ホテルということもあり、華美ではないが清潔で機能的な印象だった。
真っ先にシドとハイファは窓に近寄り遮光ブラインドを上げる。透明樹脂を通して思っていた通りの景色を眺めた。さほど遠くない所に碧い海が望めたのだ。
一日の長いここでまだ恒星パライバは傾きを知らず、燦々と降り注がれる陽に穏やかな波頭が白く輝いている。幾隻かの船も見えた。くっきりと丸い水平線までが拝めてハイファは束の間、美しくも明るい光景に見入る。
暫しそうして穏やかな風景を愉しんだのち、ポツリとシドが洩らした。
「……すまん」
「『すまん』で済むなら僕も貴方も要らないよ」
「殴って気が済むなら、殴ってくれ。本当に悪かった」
「そこまで言うなら本当に一発くらい、覚悟はできてるよね?」
「ああ。思い切りやってくれて……ゴフッ! ゲホゲホゲホ、ゴホッ!」
殴られるかと思いきや、頭を押し下げられると同時に腹に入ったのは膝蹴りだった。油断しきったところへ一発、シドは吐き戻しそうになるのを堪え、涙を滲ませながら咳き込んだ。そのままハイファはすたすたと部屋を出て行ってしまう。
「ハイファ……ちょ、待てって……ゴホゲホ、ハイファ!」
慌ててシドはあとを追い、エレベーターホールで追い付いた。乗り込んでハイファは五十八階建ての最上階のボタンを押す。涙目のシドをひきつれてハイファは最上階のレストラン街を巡り、小綺麗なカフェテリアのオートドアをくぐった。
ここでも窓に面したオーシャンビューの喫煙カウンター席を選び、二人は電子メニュー表を眺めるとクレジットと引き替えにドリンクを注文する。ハイファはオレンジティー、シドはアイスコーヒーにした。
ハイファが海を愉しみながらのティータイムにしたのは必要以上に煮詰まるのを避けてのことだった。殆ど子供並みの相手に合わせていては埒が明かない。我慢に我慢を重ねてでもハイファの側が大人になるしかないのである。
運ばれてきたドリンクのストローに口をつけてからハイファは言った。
「もう一度だけ訊かせて。僕は要らない?」
「要らない訳ねぇだろ。俺のバディはお前にしか務まらねぇんだからさ」
「単なる職務上のバディでいたければ、それでも――」
「――嫌だ。お前なしの人生なんか考えられねぇよ」
「なら、どうして僕を置いて行こうとしたのサ?」
「必ず来るって分かってたからだ。事実、お前はここにいる……なあ、許してくれよ」
「……」
「なあ、ハイファ?」
もう甘え声に切り替えた敵をどうしてやろうかとハイファは考えに耽った。そうして暫し互いに黙り込んでいると背後のテーブル席で交わされる三人の男の会話が耳に入ってくる。
「――ああ、今回は水槽三つということだ」
「三つ、十五体か。手に余るかも知れんな」
「手に余るって、あんた、全部かっ攫う気なのか?」
「引く手あまたの人魚だ、流行っているうちにせいぜい稼がせて貰うさ」
「ふん、引き渡しの手筈はいつも通りだ。上がりはちゃんと振り込んでくれ」
「『種の保存委員会』の副委員長ともあろうお方が、これだもんな」
「大きな声で言うんじゃない。それよりミナセ号でいいんだな?」
思わずハイファはシドを見た。シドも鋭くハイファを見返す。ハイファが背後に向けてリモータをこっそりと操作し、三人の男のポラを撮って別室資料と照合させた。
「一人ヒットしたよ。『種の保存委員会』の二人いる副委員長の片割れ、サイラス=ワット」
「へえ、やってくれるじゃねぇか」
「にしても、すんごいストライクだよねえ」
このためにイヴェントストライカは急遽パライバ星系にやってきたのかとハイファは妙に納得して笑顔になる。悔しい想いをさせられたのも全てはこのためだったのだ……。
無理矢理ながらハイファは自分を騙してでも、そう思い込むことにした。見つめ返す切れ長の黒い目は煌めき、ハイファ好みの刑事の目をしていて胸がドキリと高鳴る。
熱のあるシドのやや荒い息づかいを聞きながらもハイファは口を閉ざし続けた。そのうちにシドは眠ってしまったらしくハイファのソフトスーツの肩に重みが掛かる。体調不良の上に無理を重ねて疲れきっている筈だった。だが今は重みが酷く切ない。
熱い涙が止まらなかった。どうして自分だけがこんな想いをしているのだろう。
愛し人の身勝手さに腹が立って仕方なかった。やるせない想いを抱えたまま二回目のワープをこなす。途端にハイファはワープの弊害で軽い頭痛と怠さを感じた。自分でさえこれなのだから無理を押したシドはもっとつらいだろうと思うも、意地でも顔は見なかった。
なのにシドの体温が異常に上がっているのが伝わってきて、そればかりを意識する。
パライバ星系は第三惑星アジュルと第四惑星スピネルがテラフォーミングされ人が住んでいる。アジュルの自転周期は二十七時間四十八分十六秒、第一宙港のある星系首都セピオ標準時では現在十六時すぎだった。ハイファは艦内に流れる電波を捉え、リモータにテラ標準時と並べて表示する。
その動きでシドも目覚めたようで肩の重みがすっと離れていった。
数少ない乗客の最後尾にシドは並ぶ。ハイファはその後ろについた。
エアロックを抜けるとリムジンコイルに乗り込んで宙港メインビルに運ばれた。通関をクリアしてロビーに出たシドはエレベーターホールへと向かう。上りエレベーターに乗り込むと二十階で降りた。スカイチューブで繋がれた宙港ホテルに移動する。
スライドロードから降りてすぐ目の前が宙港ホテルの有人フロントだ。首を傾げてみせたシドを一瞥もせずハイファはフロントに申し出る。
「喫煙、ツインで一室、お願いします」
「お待ち下さい……四十五階、四五〇七号室になりますが宜しいでしょうか」
シングル二室にしなかったのは事態を停滞させないためのハイファの意地だった。
二人ともにリモータにキィロックコードを流して貰いエレベーターに乗った。そこでハイファは約一時間ぶりにバディの顔をチラリと見た。酷い顔色で額に汗まで浮かんでいた。
だが言うべき言葉も見つからないまま、四五〇七号室に到着する。
室内は宙港ホテルということもあり、華美ではないが清潔で機能的な印象だった。
真っ先にシドとハイファは窓に近寄り遮光ブラインドを上げる。透明樹脂を通して思っていた通りの景色を眺めた。さほど遠くない所に碧い海が望めたのだ。
一日の長いここでまだ恒星パライバは傾きを知らず、燦々と降り注がれる陽に穏やかな波頭が白く輝いている。幾隻かの船も見えた。くっきりと丸い水平線までが拝めてハイファは束の間、美しくも明るい光景に見入る。
暫しそうして穏やかな風景を愉しんだのち、ポツリとシドが洩らした。
「……すまん」
「『すまん』で済むなら僕も貴方も要らないよ」
「殴って気が済むなら、殴ってくれ。本当に悪かった」
「そこまで言うなら本当に一発くらい、覚悟はできてるよね?」
「ああ。思い切りやってくれて……ゴフッ! ゲホゲホゲホ、ゴホッ!」
殴られるかと思いきや、頭を押し下げられると同時に腹に入ったのは膝蹴りだった。油断しきったところへ一発、シドは吐き戻しそうになるのを堪え、涙を滲ませながら咳き込んだ。そのままハイファはすたすたと部屋を出て行ってしまう。
「ハイファ……ちょ、待てって……ゴホゲホ、ハイファ!」
慌ててシドはあとを追い、エレベーターホールで追い付いた。乗り込んでハイファは五十八階建ての最上階のボタンを押す。涙目のシドをひきつれてハイファは最上階のレストラン街を巡り、小綺麗なカフェテリアのオートドアをくぐった。
ここでも窓に面したオーシャンビューの喫煙カウンター席を選び、二人は電子メニュー表を眺めるとクレジットと引き替えにドリンクを注文する。ハイファはオレンジティー、シドはアイスコーヒーにした。
ハイファが海を愉しみながらのティータイムにしたのは必要以上に煮詰まるのを避けてのことだった。殆ど子供並みの相手に合わせていては埒が明かない。我慢に我慢を重ねてでもハイファの側が大人になるしかないのである。
運ばれてきたドリンクのストローに口をつけてからハイファは言った。
「もう一度だけ訊かせて。僕は要らない?」
「要らない訳ねぇだろ。俺のバディはお前にしか務まらねぇんだからさ」
「単なる職務上のバディでいたければ、それでも――」
「――嫌だ。お前なしの人生なんか考えられねぇよ」
「なら、どうして僕を置いて行こうとしたのサ?」
「必ず来るって分かってたからだ。事実、お前はここにいる……なあ、許してくれよ」
「……」
「なあ、ハイファ?」
もう甘え声に切り替えた敵をどうしてやろうかとハイファは考えに耽った。そうして暫し互いに黙り込んでいると背後のテーブル席で交わされる三人の男の会話が耳に入ってくる。
「――ああ、今回は水槽三つということだ」
「三つ、十五体か。手に余るかも知れんな」
「手に余るって、あんた、全部かっ攫う気なのか?」
「引く手あまたの人魚だ、流行っているうちにせいぜい稼がせて貰うさ」
「ふん、引き渡しの手筈はいつも通りだ。上がりはちゃんと振り込んでくれ」
「『種の保存委員会』の副委員長ともあろうお方が、これだもんな」
「大きな声で言うんじゃない。それよりミナセ号でいいんだな?」
思わずハイファはシドを見た。シドも鋭くハイファを見返す。ハイファが背後に向けてリモータをこっそりと操作し、三人の男のポラを撮って別室資料と照合させた。
「一人ヒットしたよ。『種の保存委員会』の二人いる副委員長の片割れ、サイラス=ワット」
「へえ、やってくれるじゃねぇか」
「にしても、すんごいストライクだよねえ」
このためにイヴェントストライカは急遽パライバ星系にやってきたのかとハイファは妙に納得して笑顔になる。悔しい想いをさせられたのも全てはこのためだったのだ……。
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