葉桜

志賀雅基

文字の大きさ
12 / 41

第12話

しおりを挟む
 冷蔵庫からペットボトルを出してくる間に紫堂は超速で着替えを終えていた。普段から他人に肌を晒したがらない男だが秋人にまで隠すのをみると、まだ傷痕が腫れているのは確実だ。
 とにかく普通の怪我ではなく内視鏡手術の痕なのだ、こんな素人治療でいい筈がない。明日は何を置いても病院につれて行こうと決める。

 ふにゃふにゃした男をもう一台のベッドに追いやった。秋人自身の寝場所がなくなると紫堂は文句を垂れたが、秋人は取り合うことなく痩せた男を殆ど横抱きにして移動させるとシーツと毛布の間に挟み込む。威勢がいいのは口だけで、すぐに紫堂は寝入った。

 自分の着替えを手にすると、シャワーを浴びるために寝室を出る。

 秋人はアルコールに強い方だが、ふと見るとボトル半分を空けてしまっていて、だがまるで効いていない理由は何なのかと考えながら、紫堂の乾いた唇の感触を思い出した。

 紫堂は他人に触れられるのを極端に嫌う。例外はホシの捕縛と、秋人が触れるときだけだ。理由は知っている。幼い頃から思春期にかけて実の母親と義理の父親から受けた性的虐待によるPTSD、心的外傷後ストレス障害である。

 それだけでなく実の両親の家系が精神的に不安定なもので、確実にその血を受け継いでいるという厄介な二重苦を背負っていた。

 だからといって秋人は紫堂を同情の目で見ない。故に紫堂は秋人に心を許すのかも知れなかった。

◇◇◇◇

 ジャケットを買いに少々遠いショッピングモールに足を伸ばしたのは歩いて十分の場所に篠宮総合病院があるからだった。紫堂は面倒臭がるだけで病院嫌いではない。

 職業特権で受付を経ずに救急外来で傷を診て貰う。血液検査で異常は発見されず、熱も下がっていたので消毒とガーゼの貼り替えだけで事は済んだ。元より毎日消毒に通うほど刑事が殊勝だとは思われていない。一週間後に抜糸に来いと言われて釈放パイされる。

 病院から出て気持ち良く晴れた中を歩き始めると、ジーンズに綿のシャツと真新しいオフホワイトのジャケットを身に着けた紫堂は、昨夜高熱を出した怪我人には見えない。見目麗しくも爽やかな青年だ。
 一方の秋人はコットンパンツに綿のシャツ、こちらも新品のカーキのジャケットで足取りもしなやかだが、二日連続の睡眠不足と飲み過ぎで切れ長の目はどんより曇って赤かった。紫堂のせいでもない、自分が勝手に焼いたおせっかいだ。

 とにかくジャケットも買ってしまい、何となく二人とも左の懐に執銃していたが、こんなものが必要になるシチュエーションなど全く思いつかず、ただ重たく邪魔なばかりである。

「大体、こんなの誰が用意したんだよ?」
「それはあの署長連中だろう?」
「紫堂、お前って射撃はどうだっけか?」
「ごく普通。秋人には遠く及ばないよ」

「秘密を知ったが最後、二人でロシアンルーレットでもやらかせとかか?」
「オートマチックで? 消されるほどの秘密は知りたくないなあ」

 暢気に喋りながらも二人は今後の方策を決めかねていた。本部長怨恨説で該当者を調べるにしても実際もう少し条件を絞り込まないと手を付けられないのは分かっていた。
 組対が帳場入りしている点からヤクザ関係を洗いたかったが、それこそ紫堂と二人で頑張っても帳場の人海戦術には敵わない。
 素直に聞き込みに応じるような相手ではないのだ。

 そう考えて秋人は思いついた。自分たちが行確していた赤馬学生だ。今なら帳場の敷鑑担当もあらかたの聞き込みを終えているだろう。帳場要員と鉢合わせる可能性は低い。

「三沢大学の経済学部、行くぞ」
「爆散したお坊ちゃんねえ。ホシは城島健一が赤馬だったのを知ってたのかな?」
「分からん。偶然城島を誘ったのかも知れんし、最悪ホシは他の学生にもセムテックスをバラ撒いている可能性もある。その辺りを探れればいいんだがな」
「最悪の事態でも、せめて城島より常識的科学力があるのを探れたらいいね」

 私立三沢大学は篠宮市内にあった。タクシーで三十分、緑の多いエリアに大学の建物が複数見えてくる。レンガの門柱に青銅の看板で『三沢大学』とあり、そこに横付けしてタクシーを降りた。門衛はいたが誰も学生証など見せていなかったので、受令機を外した二人もしれっとした顔で門扉をくぐる。

 植樹の新緑に目を眇めながら建物群の方に向かって進んだ。
 すると今どき珍しくもスピーカでがなり立てている学生の集団がいた。

 政府の安保関連法案がどうとか、自衛隊の海外派遣がこうとか、ありきたりといえば悪いが力の入った左翼ともいえない主張に耳を貸している学生は殆どいない。だが警察思考で秋人は反体制を標榜する学生たちを注視し足を止める。

 すると教員に見えない秋人と紫堂を学生と勘違いしたのか、彼らの中から代表者らしき一人の女子学生が出てきた。女子学生は長い黒髪を素っ気なくひとつに束ねているが、化粧気もないのに結構な美人である。
 女性は初見の二人を数秒見つめたのち、セオリー通りに指紋の付着を嫌い手袋をした手でビラを一枚ずつ配って言った。

「我々の主張に賛同して貰えるのなら、ここに書いてある場所に来て」

 硬い声で言われ二人はビラに目を落とす。ビラには今日の日付と十九時半、大学近くの『エターナル』という喫茶店への地図が書かれていた。
 結局ビラを貰っただけで二人は一言も喋らずにその場をあとにする。建物が密集している方に再び歩き出し、辺りの学生を捕まえて経済学部の場所を訊いた。経済学部棟は茶色いタイル張りの五階建てだった。

 学生事務所で経済学部三回生の城島の実家や現住所等を再確認し、交友関係を探るべく常套として城島が取っていた講義のスケジュールを訊いた。帳場要員が一通り調べていったあとだったようで、男性事務員はすぐにプリントアウトしたものを手渡してくれた。

 幸いあと十分ほどでマクロ経済学なる講義が終わる時間だった。

 プリントに印字されていた三階の教室前に待機して講義が終わるなり足を踏み入れ案外少なかった学生たちに手帳を見せて暫し留まって貰う。
 ニュースでも詳しくは語られなかった城島の末路を、どうやってか知っていた学生たちは一様に暗い顔つきをしたが、二度目であろう聴取には快く応じてくれた。

 だが周囲が語る城島健一は、ごく普通の大学生だった。

 いや、友人も多く、躰も健康で特別にストレスを溜めていたように感じられず、大学の単位もそれなりに取れていて、実家の建設会社も経営順調で将来の心配もないときては、普通どころか極めて恵まれた人物といえるだろう。

 だからといって恵まれない者が犯罪に走るとはいえないのが現代だ。何不自由なく育って過不足ない生活を営んでいても、本人ですら不明瞭な動機で殺人まで犯してしまう者もいる。逆にどんなに過酷な過去を経てきて、今現在すら苦しめられていてもやらない者はやらないのだ。

 捜査用の微笑み仮面を被った紫堂の白い横顔を秋人はチラリと見る。

 とにかくこの聞き込みで分かったのは、誰もが城島の放火など寝耳に水だったことと、城島以外に爆薬や信管にリードなどを受け取った感触がないことだけだった。
 学生たちに礼を言って教室を出るなり秋人の腹が鳴った。腕時計を見ると十二時半で、学部棟を出て目についた学生食堂で昼食を摂ることにする。

 若い男女の溢れる食堂で適当なものをトレイに並べた。秋人は紫堂のトレイを見て自分のトレイに鶏唐揚げを追加する。蛋白質を積極的に食わせないと傷も治らない。

 カネを払い、がやがやと賑やかな中で空いたテーブルを探し当て着席した。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

母の下着 タンスと洗濯籠の秘密

MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。 颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。 物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。 しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。 センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。 これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。 どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

還暦の性 若い彼との恋愛模様

MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。 そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。 その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。 全7話

処理中です...