葉桜

志賀雅基

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第13話

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 秋人が差し出した唐揚げを箸で摘みつつ、その左手を見て紫堂が何気なく訊く。

「秋人、あんた、手首は大丈夫なのか?」
「お前の胸の穴ほど痛くねぇから心配するな」
「あんたは痛くても鉄面皮だから分からないんだよね」
「内面はセンシティヴだぞ。神経はタンポポの綿毛並みだ」
「ふうん、最近のタンポポが金属ワイア製だとは知らなかったよ」

 食事中に仕事の話をするのは必要最低限というのが二人の不文律なので、ここは馬鹿話をしながら食事を愉しんだ。最近の学生は舌が肥えているのか結構旨かった。

 学食を出ると二人は喫煙タイムである。だがこれには苦労した。昨今は何処も禁煙で喫煙所を探し回り彷徨うことになったのだ。
 やっと見つけた喫煙所はキャンパスでも一番奥の建物の先で真新しい看板一枚きりが立つ屋根もない木陰だった。

 雨が降ったらどうするのかと思いながら、秋人は傍にあった飲料の自販機で微糖の缶コーヒーを二本手に入れる。一本を紫堂に手渡して、眉間に不機嫌を溜めた秋人は唸った。

「くそう、どいつもこいつも優良納税者様を犯罪者扱いしやがって!」
「増税の一途だしねえ。本気であんたがやめるなら僕も付き合うけど」
「ふん。世界で最後の喫煙者になっても吸ってやるぜ」
「ご立派だな。まあ張り込みに便利だし僕も依存体質だし、この程度許されるよね」

 のんびりとした口調ながら紫堂が何を言いたいのか秋人には理解できた。

 警察官になるときには間違いなく調査が入る。三親等内に犯罪者がいる場合や特定思想への傾倒に精神病歴などが発覚すれば、まず警察官にはなれない。
 だが雪村紫堂は精神科にかかった日には間違いなく病名のつく身である。ただ両親も同じく病気ではあったが、たまたま専門医に診せなかったために記録が残らず紫堂も調査で引っ掛からなかったのだ。

 本人も自覚していて上手く隠しおおせているが、秋人と組む前に誰とも合わなかった本当の理由がそれだった。おまけに幼い頃から思春期に至るまでの長い間、義理の父と紫堂以上に病状の厳しかった実の母から手酷い性的虐待と様々な暴力的虐待を受けている。

 お蔭で何かに寄り掛かりたい、もういい加減に楽になりたい、依存したいという思いと、誰にも拾われないなら自分で拾うというプライドの高さが同居して、ある種の歪な精神を形成していた。

 今でもたびたび過去がクリアに蘇る、いわゆるフラッシュバックが起きるほど重度のPTSDを背負った上に、予期も制御も不可能な躁状態と鬱状態を繰り返す双極性障害なる、古くは躁鬱病と呼ばれた精神病を患っているのを秋人は紫堂本人の口から聞いた。

『あんたでなけりゃ、こんなことは言わない。『僕の不名誉』とは思ってないが他人が聞いて愉しい話じゃないのは僕にも分かるから。けど『僕は僕に自信が持てなくなる時がある』。だから付き合っていく上で話しておかないとフェアじゃない』

 そんな風に切り出した紫堂の話は選択問題だった。

 本当なら通院に服薬が必要な精神病患者と、あんたはバディを組むことができるのかと訊いてきた。一生治る見込みもない精神障害者とこれから数年間も付き合えるのか。
 病院に行って病名がバレたらサツカンを辞めさせられる、あんたはこんなバディを信頼できるのかと、紫堂は素面で秋人に迫った。

 異動してきた当日、課長命令で『組め』と言われたその晩のことだった。
 アパートの窓に何か当たる音に気付き、開けると紫堂が向かいの窓にいたのだ。

 全てを話して紫堂は秋人をじっと見た。だがそのときの秋人は白い顔の何処にも特異点を見つけられず、逆光でもはっきり分かる美貌と色素の薄い瞳にただ見とれた。
 互いに見つめ合ったのち、秋人は逆に紫堂に訊いてみた。

『……あのさ、今まで俺の他にもそういう話はしたのか?』
『していない。『上』に報告されても困るから』
『それ、変じゃねぇか? だって今までも組んだ奴はいるんだろ。大体、俺だってチクるかも知れねぇぞ。まだ会って八時間、信用するには早すぎるだろうが』

『変じゃない。最初から誰とも組むつもりはなかったから、こんなことを言うには及ばなかった。それにあんたはチクらないね』
『何故分かる、そんなこと。判断も早すぎると思うんだがな』
『じゃあこう言えばいいかな、チクられても構わないって。博打に出たくなるくらい僕はあんたが欲しくなった。それだけだ』

 まるで愛の告白でもされたような気分で秋人は紫堂を見返した。だが紫堂は言葉の選び方を間違ったような素振りは見せず、秋人の伸ばした右手を暫し見つめ、頬に硬さを残しながらも、やけに嬉しそうに笑ってその手をしっかりと握ったのだった。

 あの笑顔のお蔭で秋人はあれからずっと紫堂がゲイかどうか聞きそびれたままだ。
 だが喩え紫堂がゲイでも現状維持さえできるのなら、秋人は何も構わなかった。

 しかし二年が経過して、今はそんな心配など無用と悟っている。紫堂の心の傷は根深くて、どうやらセクシャルな行為は受けつけないどころか恐怖の対象らしく、そういった欲望を憎み蔑んでさえいるようなのだ。

 半年ほど前、紫堂に対してあからさまに色目を使っていた他係の巡査長が隙を狙い冗談めかして紫堂の肩に手を置いたことがある。そのとき紫堂は終始微笑んだまま、その手を払い除けるなり巡査長に右ストレートを見舞ったのだった。
 慌てて秋人が制止したが、笑いながらも紫堂の顔色は悪く、身は明らかに怯えて震えていた。

 コーヒーを飲みながら煙草を二本ずつ吸った。穏やかな午後の日差しに木々の葉擦れが満ちて眠たいような日和である。秋人が大欠伸する一方で、外回りが多い割に肌の白い男は三本目を吸うかどうか迷っているようだ。

「お前、胸の穴から煙が吹き出さねぇか?」
「そう心配しなくていい。ちゃんと塞がってる」
「心配なのはお前がぶっ倒れたあとの俺自身だ。担ぐにも片手がこれだからな」

「ギプスはいつ外れるって?」
「今でもいいが、どうやったら外れるのかが分からん」
「そういう人間のためのギプスなんじゃないかな?」

 ボーッと木洩れ日を愉しんだのち秋人はポケットからビラを出してみる。夜になって活動を活発にする店なら昼間は開いていないか、活発でない活動をしているかだ。

「左翼の報復の可能性もあるってことで情報収集か?」
「一応な。それこそ公安が張ってるかも知れんが向こうも密行だ。文句は言わんさ」
「公安が張るほど力の入った左翼にも見えなかったけどね」

 喫茶店『エターナル』は大学から歩いて七、八分だった。まずは店の周囲をぐるりと巡ってみる。建坪は小さく裏口がひとつある標準的な喫茶店だ。空の酒瓶がケースで積んであるところを見ると夜はバーになるのかも知れない。
 公安らしき人間の姿は見当たらず、納得して表に回ると普通に客としてドアから足を踏み入れた。

 ドアを開けると内側に下げられたベルがカランと鳴って客を知らせる。カウンターの背後に酒瓶が並んでいて予想が裏付けられた。客はテーブル席に学生らしい男女が二組、それぞれカップやグラスを前に喋っている。彼らが反体制学生かどうかは分からない。

 一瞥したが店内にも公安めいた人物は存在しなかった。
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