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第18話
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二人は新たに出てきた東栄会の名に顔を見合わせた。
「ふうん、東栄会か。水野組直参だった園田会長が殺られて今現在、水野の組長から盃を貰った奴が一人もいない状態、つまり形の上では水野と切れてるからな」
「水野組の二次団体ではあるけど立場的には宙ぶらりんだからね。お蔭で帳場にタレ込んで水野に掛かったガサにも東栄会は引っ掛からなかったんだっけ?」
「ああ。新会長が就いたばかりのゴタゴタ中で組対も刺激したくなかったんだろう」
「でもそうなると赤馬学生の実家繋がりの横田組組長と東栄会の新会長は、水野組の若頭の地位を争うライバルってことだよね?」
「そうだな。赤馬学生は組同士の小競り合いの巻き添えになった可能性もある」
二人が暢気に喋っている間に宇野はスーツを濡らしたまま、あたふたとミルキィを出て行ってしまう。小爆発を起こした紫堂はすっきりした顔つきで伝票を手にした。
「あっ、しまった。コーヒー代までおごらされちゃったよ」
「そういう問題じゃねぇだろ。人前で抜くなよな」
「抜かなかったからいいだろう、僕だってそこまでイカレてるつもりはないからね。なあんて、あと三秒あの目で秋人を見てたら自信がなかったけど」
「……お前な」
天井を仰いだ秋人は『俺はお前の何なんだ?』という過去何度目かの疑問を呑み込む。答えを求めて笑い飛ばされるのも癪だった。溜息をつくと立ち上がる。
「捜二と組対には例の収賄警視正殿に探りを入れて貰おうぜ」
暴力団に与するような総会屋崩れなら犯歴がある可能性が高いが、名前も判明しない今の状況ではA号照会もできない。そこにきて詐欺や汚職などの知能犯専門セクションの捜査二課は総会屋や周辺人物に関しても膨大な資料を持っている筈である。
茶代を払って外に出ると執拗に茶色いブロックばかり歩きたがる紫堂を急がせた。運良くタクシーを捕まえて乗り込むと同時に雨が降り始める。秋人は「東栄会事務所まで」と告げた。真浜市内のヤクザ事務所と聞いてドライバーは緊張し、紫堂は怪訝な顔をする。
「カチコミでもするのか?」
「バカ。一度拝見しておくだけだ」
チンピラにも見えないが、それなりに胆の据わった態度の客二人にドライバーはルームミラーでチラチラと視線を向けている。だがタクシーは順調に走ってバイパスに乗り、篠宮市を迂回し真浜市内に入って駅近くの繁華街にある東栄会事務所に辿り着いた。
東栄会の本家は真浜市内でも郊外にあるが、事務所は自らのシマを監視するようにスナックやクラブなどの夜専門の店舗が密集した中心地にあった。
雑居ビル群に囲まれた、これも細長い十二階建てのビル一階には黒地に金文字で『東栄会』と書かれた看板が堂々と掲げられ、軒には監視カメラが三台も据え付けられている。
今でこそ会長の園田が殺られて若頭が新会長に立ったばかりだが、元はこの辺りの最大手である天下の水野組組長から盃を受けた直参で若頭だったのだ。
つまり水野組の跡目を継ぐこともあり得た訳で、新会長が園田と同じ地位を望んで上納金をかき集めているというのも頷ける話だった。おまけに横田組というライバルもいるのだ。総会屋崩れというのは目の付け所かも知れなかった。
「ヤクザもカネで地位を買う時代なんだな」
「世知辛いよねえ、盃一杯のために目の色変えてシノギに走らざるを得ないんだからさ。それも実行部隊は下っ端のチンピラばっかりで幹部は金勘定だよ」
「この業界にいるとチンピラになる奴はなる奴で理由が解らんでもないけどな。家庭が荒れてたとか、ぶっちゃけ『ここ』が足らねぇとかさ。……けど水野も水野だぜ。ナンバー2を殺られて命取り合戦を始めるでもねぇし」
「新川も『若いのも最近は簡単に熱くならない』って言ってたっけ」
「幾ら足らねぇ奴でも空気読めりゃ熱くもならねぇよ。まあ、チャカぶちかましたくても、奴らにもホシが分からねぇのかも知れねぇし」
「水野の内部抗争の可能性もあるしね。単に園田は粛清されただけかも知れないよ」
まるきり他人事のように言った二人は、すぐにビルを眺めるのに飽きる。
何をしにきたのか秋人自身にも分からなくなったが、そのままゆっくりと東栄会事務所を通り過ぎると、タクシーのドライバーがあからさまにホッとしたのが気配で分かった。改めて秋人が「県警本部まで」と言うと、謎が氷解したらしくドライバーは笑顔になる。
雨は激しくなったがスムーズに県警本部庁舎に辿り着いた。
四階の第五倉庫に戻るなり秋人は警電で収賄野郎の友永参事官に、東栄会及びそれにまつわる総会屋崩れの資料を要求した。これで順次情報が入ってくる筈である。
待つ間も遊んでいない。篠宮署の帳場に探りを入れ、元・辰明会や白尾組に横田組の幹部などのA号照会をしては資料を読み耽る。お蔭でこの周辺の暴力団事情についてかなりの知識を得たが、どうにもセムテックスでの恐喝には近づかない。
一方で紫堂は天気が悪化したせいで躁も随分と引っ込んでしまったらしく、時折資料を手に取っては、ぼんやりと眺めてそこらに放り出すというのを繰り返していた。
「雨は嫌だなあ」
「ん、ああ、低気圧か。気分が悪ければ、そっちのソファで寝てろ」
「そういう種類の気分の悪さじゃない。思い出したくないことばかり思い出すから」
「リアルに過去が蘇る追体験、フラッシュバックってヤツか」
「シャブ中みたいだろう? けどあんたがそこまで知ってるとはね」
「悪いがこれでも相棒でな。見てりゃ分かる。あとは本屋で立ち読み。実際、初めてお前の躁に付き合ったときはビビったからな」
「そっか。でもフラッシュバックは躁鬱の症状じゃなくて、PTSDの方らしいよ。CーPTSD、Cは複雑性だっけ。長期に渡る反復性の原因に依る……何だっけ、別にいいか」
曇って殆ど外は見えないのに、怠そうに呟いた紫堂は窓を眺めて煙草を吹かしている。
この男がどういった目に遭いながら生き延びてきたのか詳細までは聞いたこともなかったが、現場を這いずり回る刑事を何年もやっていたら、虐待や性的虐待というのがどんなものか多少は理解できた。
その色素の薄い瞳に映るのは、曇った窓ガラスではないのだろう。
虐待されてなお大人になった人間を生き残った者と呼ぶという。
もどかしげに紫堂が何かを言葉にしたがっているのは解っていた。だが敢えて秋人は促すこともせず聞く態勢も取らない。終わらない過去について自ら話せば聞いてやるが、そうでなければ結局は紫堂自身の問題である。
本当の意味で生き延びて本来の自分を取り戻し人生を謳歌するには自分で乗り越えるか、最低でも自分から手を伸ばして差し出された手を掴み、這い上がらなければならないのだ。
サバイバーを脱し、そう主張する必要のなくなった人間を成長した者というのだ。
室内には雪でも降ったように紫堂のバラ撒いたFAX用紙が散乱していた。後片付けくらいは自分でさせようと思い、秋人はクリアファイルをデスク上に滑らせた。煙草を消した紫堂は素直に紙切れを拾い集めだす。
そこでまたFAXが入って、見ると東栄会と総会屋崩れの資料だった。
クリアファイルを放り出した紫堂と一緒に読み始める。
「東栄会の新会長は岸谷誠一。こいつがかき集めた総会屋崩れが三人で吉本達夫に黒沢孝則と三田篤志。三人共に中小企業相手に小金稼ぎをしてたが、二年前の斉藤精密工業に絡む仕手戦に利用されるだけされて現在は殆ど破産状態だったと」
「岸谷に拾われるまでは食品製造業を中心にまとわりついてたんだね」
「強請りに近いことをやらかして、一時は三人とも勾留されてるな」
「けど証拠不十分で釈放になってる。まあ、使い走りに丁度いい小悪党だよ」
「チンピラより潰しが利きそうだな。お前のプロファイリングに嵌ったってことか」
「カネ回りのいい間にブツを手に入れて寝かせていたのかも。当たってみるのか?」
「ああ。まずは奴らが最近取り付いてた菓子メーカーからだ」
だが秋人が電話をかけた菓子メーカーの対応は非常に宜しくなかった。強請りに近い所業に堪りかねて警察に案件を持ち込んだ菓子メーカーだったが、それまでは総会屋崩れと馴れ合っていたのだ。
粘ってみたが担当者とはどうしてもアポが取れず結局は私人としてなら会ってもいいという渉外課長を捕まえるのがやっとだった。
面倒事をさっさと終わらせたいらしく、約束は本日十九時に江前市駅前のホテル最上階にあるコーヒーラウンジだ。
秋人も手伝って室内を片付けると十八時三十分に第五倉庫をロックし、紫堂の状態も鑑みてタクシーでホテルに向かう。コーヒーラウンジに着いたのは十八時五十五分だった。
「ふうん、東栄会か。水野組直参だった園田会長が殺られて今現在、水野の組長から盃を貰った奴が一人もいない状態、つまり形の上では水野と切れてるからな」
「水野組の二次団体ではあるけど立場的には宙ぶらりんだからね。お蔭で帳場にタレ込んで水野に掛かったガサにも東栄会は引っ掛からなかったんだっけ?」
「ああ。新会長が就いたばかりのゴタゴタ中で組対も刺激したくなかったんだろう」
「でもそうなると赤馬学生の実家繋がりの横田組組長と東栄会の新会長は、水野組の若頭の地位を争うライバルってことだよね?」
「そうだな。赤馬学生は組同士の小競り合いの巻き添えになった可能性もある」
二人が暢気に喋っている間に宇野はスーツを濡らしたまま、あたふたとミルキィを出て行ってしまう。小爆発を起こした紫堂はすっきりした顔つきで伝票を手にした。
「あっ、しまった。コーヒー代までおごらされちゃったよ」
「そういう問題じゃねぇだろ。人前で抜くなよな」
「抜かなかったからいいだろう、僕だってそこまでイカレてるつもりはないからね。なあんて、あと三秒あの目で秋人を見てたら自信がなかったけど」
「……お前な」
天井を仰いだ秋人は『俺はお前の何なんだ?』という過去何度目かの疑問を呑み込む。答えを求めて笑い飛ばされるのも癪だった。溜息をつくと立ち上がる。
「捜二と組対には例の収賄警視正殿に探りを入れて貰おうぜ」
暴力団に与するような総会屋崩れなら犯歴がある可能性が高いが、名前も判明しない今の状況ではA号照会もできない。そこにきて詐欺や汚職などの知能犯専門セクションの捜査二課は総会屋や周辺人物に関しても膨大な資料を持っている筈である。
茶代を払って外に出ると執拗に茶色いブロックばかり歩きたがる紫堂を急がせた。運良くタクシーを捕まえて乗り込むと同時に雨が降り始める。秋人は「東栄会事務所まで」と告げた。真浜市内のヤクザ事務所と聞いてドライバーは緊張し、紫堂は怪訝な顔をする。
「カチコミでもするのか?」
「バカ。一度拝見しておくだけだ」
チンピラにも見えないが、それなりに胆の据わった態度の客二人にドライバーはルームミラーでチラチラと視線を向けている。だがタクシーは順調に走ってバイパスに乗り、篠宮市を迂回し真浜市内に入って駅近くの繁華街にある東栄会事務所に辿り着いた。
東栄会の本家は真浜市内でも郊外にあるが、事務所は自らのシマを監視するようにスナックやクラブなどの夜専門の店舗が密集した中心地にあった。
雑居ビル群に囲まれた、これも細長い十二階建てのビル一階には黒地に金文字で『東栄会』と書かれた看板が堂々と掲げられ、軒には監視カメラが三台も据え付けられている。
今でこそ会長の園田が殺られて若頭が新会長に立ったばかりだが、元はこの辺りの最大手である天下の水野組組長から盃を受けた直参で若頭だったのだ。
つまり水野組の跡目を継ぐこともあり得た訳で、新会長が園田と同じ地位を望んで上納金をかき集めているというのも頷ける話だった。おまけに横田組というライバルもいるのだ。総会屋崩れというのは目の付け所かも知れなかった。
「ヤクザもカネで地位を買う時代なんだな」
「世知辛いよねえ、盃一杯のために目の色変えてシノギに走らざるを得ないんだからさ。それも実行部隊は下っ端のチンピラばっかりで幹部は金勘定だよ」
「この業界にいるとチンピラになる奴はなる奴で理由が解らんでもないけどな。家庭が荒れてたとか、ぶっちゃけ『ここ』が足らねぇとかさ。……けど水野も水野だぜ。ナンバー2を殺られて命取り合戦を始めるでもねぇし」
「新川も『若いのも最近は簡単に熱くならない』って言ってたっけ」
「幾ら足らねぇ奴でも空気読めりゃ熱くもならねぇよ。まあ、チャカぶちかましたくても、奴らにもホシが分からねぇのかも知れねぇし」
「水野の内部抗争の可能性もあるしね。単に園田は粛清されただけかも知れないよ」
まるきり他人事のように言った二人は、すぐにビルを眺めるのに飽きる。
何をしにきたのか秋人自身にも分からなくなったが、そのままゆっくりと東栄会事務所を通り過ぎると、タクシーのドライバーがあからさまにホッとしたのが気配で分かった。改めて秋人が「県警本部まで」と言うと、謎が氷解したらしくドライバーは笑顔になる。
雨は激しくなったがスムーズに県警本部庁舎に辿り着いた。
四階の第五倉庫に戻るなり秋人は警電で収賄野郎の友永参事官に、東栄会及びそれにまつわる総会屋崩れの資料を要求した。これで順次情報が入ってくる筈である。
待つ間も遊んでいない。篠宮署の帳場に探りを入れ、元・辰明会や白尾組に横田組の幹部などのA号照会をしては資料を読み耽る。お蔭でこの周辺の暴力団事情についてかなりの知識を得たが、どうにもセムテックスでの恐喝には近づかない。
一方で紫堂は天気が悪化したせいで躁も随分と引っ込んでしまったらしく、時折資料を手に取っては、ぼんやりと眺めてそこらに放り出すというのを繰り返していた。
「雨は嫌だなあ」
「ん、ああ、低気圧か。気分が悪ければ、そっちのソファで寝てろ」
「そういう種類の気分の悪さじゃない。思い出したくないことばかり思い出すから」
「リアルに過去が蘇る追体験、フラッシュバックってヤツか」
「シャブ中みたいだろう? けどあんたがそこまで知ってるとはね」
「悪いがこれでも相棒でな。見てりゃ分かる。あとは本屋で立ち読み。実際、初めてお前の躁に付き合ったときはビビったからな」
「そっか。でもフラッシュバックは躁鬱の症状じゃなくて、PTSDの方らしいよ。CーPTSD、Cは複雑性だっけ。長期に渡る反復性の原因に依る……何だっけ、別にいいか」
曇って殆ど外は見えないのに、怠そうに呟いた紫堂は窓を眺めて煙草を吹かしている。
この男がどういった目に遭いながら生き延びてきたのか詳細までは聞いたこともなかったが、現場を這いずり回る刑事を何年もやっていたら、虐待や性的虐待というのがどんなものか多少は理解できた。
その色素の薄い瞳に映るのは、曇った窓ガラスではないのだろう。
虐待されてなお大人になった人間を生き残った者と呼ぶという。
もどかしげに紫堂が何かを言葉にしたがっているのは解っていた。だが敢えて秋人は促すこともせず聞く態勢も取らない。終わらない過去について自ら話せば聞いてやるが、そうでなければ結局は紫堂自身の問題である。
本当の意味で生き延びて本来の自分を取り戻し人生を謳歌するには自分で乗り越えるか、最低でも自分から手を伸ばして差し出された手を掴み、這い上がらなければならないのだ。
サバイバーを脱し、そう主張する必要のなくなった人間を成長した者というのだ。
室内には雪でも降ったように紫堂のバラ撒いたFAX用紙が散乱していた。後片付けくらいは自分でさせようと思い、秋人はクリアファイルをデスク上に滑らせた。煙草を消した紫堂は素直に紙切れを拾い集めだす。
そこでまたFAXが入って、見ると東栄会と総会屋崩れの資料だった。
クリアファイルを放り出した紫堂と一緒に読み始める。
「東栄会の新会長は岸谷誠一。こいつがかき集めた総会屋崩れが三人で吉本達夫に黒沢孝則と三田篤志。三人共に中小企業相手に小金稼ぎをしてたが、二年前の斉藤精密工業に絡む仕手戦に利用されるだけされて現在は殆ど破産状態だったと」
「岸谷に拾われるまでは食品製造業を中心にまとわりついてたんだね」
「強請りに近いことをやらかして、一時は三人とも勾留されてるな」
「けど証拠不十分で釈放になってる。まあ、使い走りに丁度いい小悪党だよ」
「チンピラより潰しが利きそうだな。お前のプロファイリングに嵌ったってことか」
「カネ回りのいい間にブツを手に入れて寝かせていたのかも。当たってみるのか?」
「ああ。まずは奴らが最近取り付いてた菓子メーカーからだ」
だが秋人が電話をかけた菓子メーカーの対応は非常に宜しくなかった。強請りに近い所業に堪りかねて警察に案件を持ち込んだ菓子メーカーだったが、それまでは総会屋崩れと馴れ合っていたのだ。
粘ってみたが担当者とはどうしてもアポが取れず結局は私人としてなら会ってもいいという渉外課長を捕まえるのがやっとだった。
面倒事をさっさと終わらせたいらしく、約束は本日十九時に江前市駅前のホテル最上階にあるコーヒーラウンジだ。
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