葉桜

志賀雅基

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第32話

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 こめかみから流れる血を拭いつつ、秋人は第五倉庫に駆け込んだ。
 そこで急いで調べ物をする。その間にスイッチを入れてあった基幹系の無線機が騒がしくなった。真浜署の特捜本部要員がマリーナ近くの空きアパートで弾傷を負った男性の遺体を発見したようだ。おそらく秋人を撃ったスナイパーだろう。

 男性の遺体は死後かなりの時間が経過しており、秋人に撃たれてからそれほど経たずにひっそりと死んだらしい。死因は失血で足のつくような所持品は皆無。本気のプロらしく衣服のタグまで切り取られているという徹底ぶりである。残された身元割り手段は歯形だけという状態だ。

 それを耳にして秋人は佐々木警視長を叩くことも考えたが、やはり遠回りしているヒマはないと思い直す。スナイパーが生きていれば別だが、佐々木が死体と本ボシの関係を語るとは思えない。そう考えて余計なことを思考から追い払った。

 調べ物を終えると洗面所で血だけ洗い流し、第五倉庫を飛び出して県警本部をあとにする。大通りでタクシーを捕まえて乗り込むと、「都内まで」と告げた。

 刻一刻と思考を加熱させながらも警察庁にいきなり乗り込んで長官との面会が叶うなどとは考えていない。僅かなりとも可能性があるのは夜だろう。公用車から降りて自宅の玄関に入るまでの隙を突くしかない。そのために住所を調べてきたのだ。

 都内に入ると適当なネットカフェの前でタクシーを降り入店して少々作業をする。
 やるべきことを終え、今度は電車を乗り継いで寺本英悟の自宅に向かった。

 寺本は東京タワーに近い東麻布に屋敷を構えていた。同居人はいない。妻は数年前にガンで他界し、息子と娘は英国留学中である。使用人くらいはいても影響はないだろう。携帯の地図を眺めながらスムーズに辿り着いた。

 だが巨大な日本家屋の周囲には数分おきに警邏のバイクが巡回していた。たった三十分ほどの間に職務質問バンカケされること二回。警察手帳で乗り切ったが同業者といえども他県の所轄署員に対し、警邏の巡査たちの目は不審さを露わにしていた。

 それでも諦める訳にはいかない。あとで問題になろうが懲戒を食らおうが紫堂の命には代えられないのだ。夕方まで一旦撤退することも考えたが、暢気に茶を飲んでいる気分にはなれなかった。十七時までは寺本の屋敷から少し離れてうろつく。

 十七時半から本格的に張り込んだ。警邏のパターンを読んで、なるべくかち合わないよう移動しながら待つ。だが長時間に渡れば所轄署に招待されるのが目に見えていた。過去にはサッチョウ長官を撃ったとサツカンに疑いが掛かった例もあるのだ。

 引っ張られないよう気を張り詰めつつ、今夜は永田町での料亭会合がないことを祈りながら焦りをねじ伏せ張り込み続けた。

 自分に可能なことをしながらも、ただ待っていると余計な考えばかりが浮かんだ。敵の目的は脅しではない。あの襲撃方法からして間違いなく口封じだ。劇場効果を狙った秋人の殺害は失敗し、紫堂だけでも行方不明という形で始末するのだろう。

 果たして今、この瞬間に紫堂は生きているのか。既に冷たい海に沈んでいるかも知れない。それとも暗い土の下かも知れなかった。だがどんな形であっても自分は紫堂を捜し出して取り戻す。あんなに淋しがりのあいつを放ってなどおけない。

 何としてでも見つけて抱き締めてやらなければ――。

 腕時計を見ると本格的に張り込み始めて四時間が経過しようとしていた。たぶん料亭会合だ。けれど今日がだめなら明日などと悠長なことは言っていられない。
 煙草の一本も吸わずにじっと身を潜める。

 やがて一台のセダンが道の向こうからライトを灯してやってきた。近づいて減速しライトもスモールになった。もう秋人もセダンが黒塗りの公用車だと見取っている。
 黒塗りが門扉の前で停止して後部ドアが開いた。タイミングを逃さず引き抜いたヴァーテックを手に駆け寄り、寺本の顎の下に銃口を突っ込む。

「知っているだろうが俺は夕月秋人だ。雪村紫堂の居場所を訊きにきた」

 低い声と外灯に煌めく切れ長の目に本気度を悟ったか、寺本は吸い込んだ息を止めた。次には喉を震わせて酒臭い息を吐き、ドライバーに通報は不要だと告げる。
 やはり料亭会合をしてきたらしい寺本英悟は幸いSPも同伴していなかった。

 公用車を帰した寺本に秋人は屋敷内へ招き入れられる。客間で秋人は再び迫った。

「明日の朝刊の一面を自分の顔で飾りたくなければ、雪村紫堂の居場所を教えろ」
「単身乗り込んだ勇気は認めよう。だがそれは蛮勇というものだ。きみも雪村と同じく行方不明になりたいのかね?」

「俺が特定の時間に解除しなければ、俺の知るあらゆるサツカンとメディア各社にあんたの悪行を記したメールが届くことになる。それでもいいなら攫ってみるといい」
「ほう、勢いだけかと思えば意外と知恵も回るとみえる。しかしそうなれば本庁のサイバー犯罪対策課に『警察庁長官を陥れる悪戯メール』の捜査を命じるだけだ」

「ふん。俺がそんなジョークをやらかす人間かどうかは皆が知っている。何なら賭けてみるか、サッチョウ長官の地位を?」

 寺本英悟の目が揺れ動いていた。秋人は更に低い声で続ける。

「末端の現場を舐めるな。地面を這うようにしてたった今も現場は捜査を続けているんだ。学生のミンチを顕微鏡で選り分けて爆破のホシの痕跡を追い、腐った死体になったスナイパーを調べ上げて身元割りに当たっているサツカンが大勢いるぞ。自分の仕事に誇りを持ち、喩え警察内部であろうと斬り込むのも辞さない奴らが大勢な。奴らは必ずあんたに辿り着くぜ? 元・本庁捜一課長さんよ」

 大柄な寺本は秋人を見返して白髪交じりの頭を振り、薄い笑いを浮かべて言った。

徳瀬とくせ島という、国が管理する普段は無人の離島がある。時折企業が研修などで使用するが、その島を本日から二日間、水野組が企業舎弟名で借り受けたという情報は得ている。……いや、これは独り言だがね」

「何名で借りたか分かるか?」
「小さな企業で五名だそうだ。だが距離的には晴海埠頭から約二百キロ離れている」

 返事もせず立ち上がり客間を出て行こうとした秋人の背に寺本が更に声を掛けた。
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