葉桜

志賀雅基

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第36話

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 夜も遅く日付が変わる頃に目を覚ました紫堂に安堵し、秋人はまずスポーツドリンクを口移しで飲ませた。
 すると抵抗なくボトル半分を飲み下したので、次はカップスープをすくったスプーンを唇に突きつけてみる。素直に紫堂は口を開けた。

 そうしてカップを空にすると更に食べる物を要求し、ベッドに横になったままサンドウィッチまで食し始める。まさかと思ったが一パックをあっという間に食べてしまった。
 非常に嬉しい誤算だったが、秋人はそこでストップを掛ける。

「幾ら鉄で出来てても、胃袋が吃驚するぞ。今はその辺にしとけ」

 吐き気止めや精神科の薬にビタミン剤などを飲ませ、抱き上げて寝具も綺麗な方のベッドに再び寝かせた。汚しきった全身も眠っている間に可能な限り拭いてやり、清潔な衣服を着せつけてある。自分の状態を理解したのか、紫堂は満足したように目を瞑った。

 空腹だったのは秋人も同様で、残りの食料を食い尽くすと周囲警戒しつつコンビニに向かった。さすがに足腰はガタガタで歩くにも難儀する。だが可能な限り急いで明日の二人分の食料を確保した。

 戻って煙草を吸い、着替えて明かりを落とすと紫堂のいるベッドに上がり毛布に潜り込む。薄く目を開けた紫堂に腕枕をしてやり温かな躰を抱き締めて目を閉じた。

 翌日からも紫堂は食欲を発揮し、早速リハビリに励み始めた。三日もするとかなり体力も回復して外出することも可能となった。念のために篠宮総合病院で検査を受け異常なしの結果が出たところで明日からの出勤を決めた。

◇◇◇◇

 第五倉庫に着くと神原本部長に出勤したことを電話報告し、これまで溜め込んだ大量の資料をシュレッダーに掛けながら時間を潰した。
 まもなくノックの音がして本部長が入ってくる。コーヒーを出し応接セットのロウテーブルを三人で囲んだが、依然として状況は芳しくないらしかった。

「スナイパーの身許は割れたが寺本英悟との関係は立証できないでいる。佐々木刑事部長に口を割らせるだけの決め手に欠けるのが実情、部内者の内偵も難航している」
「難航って、どういうことだ?」

「セムテックスや遠隔起爆装置を扱えるという観点から爆発物処理課程修了者を重点的に洗っているが、灰色が数名挙がっているものの、やはり部内者だけに確証を得なければ立件逮捕は難しいと言わざるを得ない。内偵に割ける人員も限られているため裏取りにも時間が掛かるのだよ」

「ふん。またお約束の保秘ってことか?」
「県警トップとして私も自ら泥を被る覚悟はしている。それは理解して欲しい」
「幾ら身内が理解したって結果が出せねぇ警察に意味なんかねぇだろ。これじゃあ俺は撃たれ損じゃねぇか」

 吐き捨てるように言った秋人に神原本部長は諭す口調で説く。

「まだ負け戦ではない。寺本のしっぽを掴んで捕縛した暁には奴は二度と日の目を見られないのは確実だ。きみたちの払った犠牲の意味は非常に重い」
「確かに重いよな、それで得をした奴には」

 さらりと言って秋人は神原本部長に切れ長の目を据えた。見られた神原本部長は重々しく頷いたが、真顔を崩さず自分を見つめ続ける秋人を不快そうに見返す。

「私に何か言いたいのかね、夕月巡査部長?」
「今の段階で得をしているのはあんたってことだ、神原警視監」

 そこで黙っていた紫堂が静かに口を開いた。

「寺本長官の懐刀として貴方は県警本部長の座にトコロテン方式で収まった。係累の倉庫爆破に続くATM爆破によって追い詰められた坂上警視監の死がなければあり得なかった人事です」
「ATM爆破の黒幕は寺本、坂上警視監は私に賛同したため粛正されたのだが?」

「係累の倉庫爆破についてはいかが思われますか?」
「そんな事実は聞き及んでいないが、それも寺本の指示と考えるのが妥当だろう」

 不機嫌に唸った神原本部長を色素の薄い瞳でじっと見つめて紫堂は続ける。

「貴方の意志に賛同しただけで自死に追い込むのはメリットが薄いように感じます」
「私を左遷するために寺本は坂上警視監のポストを強引に空けたともいえる」

「本当は逆、坂上警視監は貴方ではなく寺本に与した。行く末は貴方の代わりに『懐刀』として後釜にすわるかも知れない。貴方はそれを恐れた……そうではないのですか?」
「私が坂上警視監を追い詰めた、と? 言い掛かりは止したまえ」

 まともに神原本部長の視線を受け止め、紫堂は穏やかな口調で話を先に進めた。

「そうですか。ではそれは一旦置きましょう」
「まだ言い掛かりを付ける気かね?」

「もう少しお付き合い下さい。……この県警本部にやってきた貴方は、まずメディアを通じた心理操作に着手した。焼身自殺を遂げた坂上警視監の遺産であるマイナスイメージを自ら狙撃されながらも強気に出ることで見事に払拭した、違いますか?」

 あくまで穏やかな紫堂の声に宥められたか、それとも不機嫌も突き抜けてしまったのか、神原本部長は却って状況を愉しむかのように朗らかな笑いを見せる。

「だから寺本が何者かに私を狙撃させたのだ。私は被害者だよ」
「表向きそう見えるよう自作自演も可能だった筈です。そしてメディアを利用し操作した市民感情をより強固なものにするため、僕たちに撃たれるよう迫った。今度こそ本当に命を狙われた貴方を護って秋人は撃たれ、目論見通り貴方の地位は揺るぎないものになったと言えます」

 煙草一本を指先で弄んでいた秋人が口を挟んだ。

「おまけに『弾よけ』を強要した事実を隠蔽すべく俺たちを消そうと試みた。だが俺の殺害を失敗した上に、あんたの指定した時間内にチンピラが紫堂を殺り損ねたのは誤算だったな」

「幸い僕は生き存えましたが、倉庫爆破のあとで消防士が轢き逃げされたのも偶然ではなく殺人ですよね? RTVの車両爆破も貴方の指示だったのではないですか?」 
「今度は爆発物処理課程修了者で事故死か行方不明者が出るかも知れねぇな」

 黙って聞いていた神原本部長は二人を交互に見て深い溜息を洩らす。

「この私が一般市民を害したなどと思われるのは心外だ、これ以上の侮辱はない。もしかして夕月巡査部長は寺本英悟の口車に乗せられたのではないかね?」
「寺本とは確かに喋ったさ。けどな、俺たち地べたを這うような刑事デカはやっぱり捜査の基本を護るべき、生きてるならマル被とマル害の両方から話は聞いてみるもんだと思ったぜ」

「お蔭で狡猾な奴に上手く騙されたのだろう」
「俺は寺本がシロだとも言ってねぇんだがな。相身互いで護り護られてきた懐と刀。それが袂を分かって互いに潰し合いを始めた。巻き込まれたある者は自殺し、ある者は事故に見せかけて殺され、ある者は行方不明となる。何れにせよ寺本やあんたが描いた画だ」
「なるほど。寺本がそこまで喋ったとは意外だったよ」

 何ら口調を変えずに神原本部長が言い放ち、秋人は紫堂と同時に大きく肩で息をついた。なおも朗らかに笑う神原本部長に秋人は事実を告げる。

「寺本は『現場の刑事』である俺の向こう見ずな行動に免じて、いい加減な令状フダの帳尻を合わせるために徳瀬島に警視庁ホンチョウの組対を送り込んでくれただけだ。二発ぶち込まれた捜査一課長時代を思い出して気紛れを起こしただけ、何ひとつ悪行を吐いちゃいねぇよ」
「……ふむ。私としたことが、ここにきて勇み足を踏んだようだ」

 平然と言った神原本部長は紫堂が手にしたICレコーダを眺めた。

「さて、あんたもあとがなくなったな」
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