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第44話
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検査の結果、マックスは数日後にまた手術して微細なメカを数種追加し言語野を補強、その後は独自のリハビリプログラムをこなしつつ様子を診てゆくといった、期待して良いのかどうかも分からぬ曖昧なことを医師から告げられた。
ただ、喪失した記憶に関しては、ふとした拍子に戻る可能性がない訳ではないと医師は言った。脳内に埋められていた機器から溶け出したと思われる有機物が記憶野の脳細胞を強固に結合し、それが前の手術でも取り残されていて却って期待ができるという、皮肉ながらも幸いな状態にあるという。
「だから、ふとした拍子の『拍子』って何だよ?」
「さあ。それこそぶん殴ってみるのも手かもね」
「今のあいつの雨に濡れた子犬みたいな目ぇ見たら手なんか上げられねぇって」
「それは言えるかも。……あ、帰りに買い物するからね」
「へいへい」
完全看護の病院にキャスまでいる病室にいつまでも男二人までが居座るのもタダの酸素の奪い合いのような気がして、今日は早々に引き上げてきたのだ。
歩き慣れた七分署管内を官舎の方へと向かいながらシドが暢気に口にする。
「買い物もいいが、一度、署に寄らねぇとな」
「もうヴィンティス課長をガッカリさせるの?」
「いつまでも傷病休暇でいられねぇだろうが」
「いつも無茶苦茶のハチャメチャなのに、そういうのだけは律儀だよね」
「俺の精勤ぶりを誰より傍で見て、それか? 精勤の挙げ句の始末書を一緒に書いておいて、それなのか?」
「傍で見てるからね。一緒に書かされてるし。僕を出向させた別室戦術コンはきっと普通の警察官が欲しかったんだろうなあ」
「これだけ別室に無給でこき使われてるのに、それこそ酷い言い草じゃねぇか」
「はいはい、感謝してますって」
病院から離れて官庁街に入り、自分たちの部屋がある官舎ビル群を横目に見て、懐かしの太陽系広域惑星警察セントラル地方七分署へと辿り着く。
デカ部屋に入った途端、多機能デスクに就いていたヴィンティス課長があからさまに表情を曇らせたのにはシドもハイファも笑うしかない。
取り敢えず二人は課長の多機能デスク前に立ち、揃って敬礼した。
「えー、自分の不注意での傷病休暇によりタイタン地方一分署の仮補填人員として選ばれたにも関わらず、その職務も遂行できずにこのようなことになり、どうも大変マッタクホントに申し訳なく――」
「シド。帰ったのは分かったからもういい。ハイファス君も無事なようで良かった。だが今日ぐらいは、いや、別に明日まででもいい。しっかり身体を休めて職務に励んでくれたまえ。……ほどほどに、くれぐれもほどほどにな」
要は大人しくしていろと言いたいだけなのである。イヴェントストライカの不在中は晴れやかであったろうブルーアイは今は既に憂いを帯びていた。
別室絡みの密談がしやすいように課長のド真ん前がハイファのデスク、その左隣がシドである。何となくデスクに着いたシドは引き出しから捕縛用結束バンドを取り出し、補充などをした。思い出したくもない使い方で減った分をベルトに着けたリングに挿し込む。
「あれ、シド先輩もハイファさんも戻ってたんスか?」
何処からかヤマサキが書類を手にして現れ、大声を出した。
「調書か、珍しいな。お客とは」
「不法入星がここんとこ何件か」
「何件だ?」
「二件っス」
「何だ、それっぽっちかよ」
「いったい何を期待してんスか。入管引き渡しするだけなんスけど、でもこれ、口が固くて。両方ともひとことも喋らないんスよ」
「ふうん。あとでツラでも拝みに行くかな」
「それより先輩は巣の掃除お願いします。何か臭ってるっスよ?」
「あー、ナマモノは何か置いてたっけかな? それとも靴下か?」
「ンな、生々しいこと俺に訊かれても知りませんってば……っと、書類書類。ああ忙しい忙しい。入管が来る前に上げないと――」
地下の留置場にこさえたシドの巣がまたも汚部屋になっていると聞きつけ、ハイファが柳眉をキリキリと吊り上げるのを察知してヤマサキは逃げた。
「シドっ! 掃除掃除掃除っ!」
こういうときのハイファには逆らえない。本日のミッションは掃除と決められたシドは同僚たちに生温かく見守られながらハイファに連行されて地下へと降りた。
「この有様で土足厳禁なんてありえないよ、全く」
ぷりぷりと怒りながらハイファはいつも不思議に思う。自分がいなかった頃はともかく今は二十四時間殆ど一緒に行動しているのに、どうすれば三メートル四方の留置場の一室をここまでゴミで埋め尽くすことが可能なのか。非常にナゾなのである。
「片っ端から捨てるからね!」
「ちょ、待てって。その部品はゴミじゃねぇって!」
シドにしたらプラモの部品の最後の一個が無かったりすると泣くに泣けないのだ。
「なら、さっさと確保したいモノを自分で除けてよね」
「……ハイ」
靴を脱ぐと素直に自分にとっての貴重品を選り分け出す。
じつを言えば何が原因かは全く分からないが確かにクサかったので、ホシを挙げるのにハイファが乗り出したのはシドにとって有難いことではあった。
三十分もすると部屋は見違えるほど綺麗になる。
「や、帰ったばかりで労働させて、すまん」
「本当だよ。あー、気持ち悪かった、あのおにぎりだった物体」
「そういう時は科学の目で見るといいんだ」
「そんな、他人事みたいに言わないでよ、夏休みの自由研究じゃないんだからね」
「じゃあ今度出掛けるときは朝顔のタネでも蒔いとくか、水やり当番表作ってさ」
「ラディッシュくらいなら帰ってきたら食べ頃かもね……あ、ありがと」
掃除の礼はいつも同じデカ部屋の泥水ではない有料オートドリンカの冷たいコーヒーだ。既製品の缶コーヒーで特別でも何でもないのだが泥水と比べたら雲泥の差だ。
ただ、喪失した記憶に関しては、ふとした拍子に戻る可能性がない訳ではないと医師は言った。脳内に埋められていた機器から溶け出したと思われる有機物が記憶野の脳細胞を強固に結合し、それが前の手術でも取り残されていて却って期待ができるという、皮肉ながらも幸いな状態にあるという。
「だから、ふとした拍子の『拍子』って何だよ?」
「さあ。それこそぶん殴ってみるのも手かもね」
「今のあいつの雨に濡れた子犬みたいな目ぇ見たら手なんか上げられねぇって」
「それは言えるかも。……あ、帰りに買い物するからね」
「へいへい」
完全看護の病院にキャスまでいる病室にいつまでも男二人までが居座るのもタダの酸素の奪い合いのような気がして、今日は早々に引き上げてきたのだ。
歩き慣れた七分署管内を官舎の方へと向かいながらシドが暢気に口にする。
「買い物もいいが、一度、署に寄らねぇとな」
「もうヴィンティス課長をガッカリさせるの?」
「いつまでも傷病休暇でいられねぇだろうが」
「いつも無茶苦茶のハチャメチャなのに、そういうのだけは律儀だよね」
「俺の精勤ぶりを誰より傍で見て、それか? 精勤の挙げ句の始末書を一緒に書いておいて、それなのか?」
「傍で見てるからね。一緒に書かされてるし。僕を出向させた別室戦術コンはきっと普通の警察官が欲しかったんだろうなあ」
「これだけ別室に無給でこき使われてるのに、それこそ酷い言い草じゃねぇか」
「はいはい、感謝してますって」
病院から離れて官庁街に入り、自分たちの部屋がある官舎ビル群を横目に見て、懐かしの太陽系広域惑星警察セントラル地方七分署へと辿り着く。
デカ部屋に入った途端、多機能デスクに就いていたヴィンティス課長があからさまに表情を曇らせたのにはシドもハイファも笑うしかない。
取り敢えず二人は課長の多機能デスク前に立ち、揃って敬礼した。
「えー、自分の不注意での傷病休暇によりタイタン地方一分署の仮補填人員として選ばれたにも関わらず、その職務も遂行できずにこのようなことになり、どうも大変マッタクホントに申し訳なく――」
「シド。帰ったのは分かったからもういい。ハイファス君も無事なようで良かった。だが今日ぐらいは、いや、別に明日まででもいい。しっかり身体を休めて職務に励んでくれたまえ。……ほどほどに、くれぐれもほどほどにな」
要は大人しくしていろと言いたいだけなのである。イヴェントストライカの不在中は晴れやかであったろうブルーアイは今は既に憂いを帯びていた。
別室絡みの密談がしやすいように課長のド真ん前がハイファのデスク、その左隣がシドである。何となくデスクに着いたシドは引き出しから捕縛用結束バンドを取り出し、補充などをした。思い出したくもない使い方で減った分をベルトに着けたリングに挿し込む。
「あれ、シド先輩もハイファさんも戻ってたんスか?」
何処からかヤマサキが書類を手にして現れ、大声を出した。
「調書か、珍しいな。お客とは」
「不法入星がここんとこ何件か」
「何件だ?」
「二件っス」
「何だ、それっぽっちかよ」
「いったい何を期待してんスか。入管引き渡しするだけなんスけど、でもこれ、口が固くて。両方ともひとことも喋らないんスよ」
「ふうん。あとでツラでも拝みに行くかな」
「それより先輩は巣の掃除お願いします。何か臭ってるっスよ?」
「あー、ナマモノは何か置いてたっけかな? それとも靴下か?」
「ンな、生々しいこと俺に訊かれても知りませんってば……っと、書類書類。ああ忙しい忙しい。入管が来る前に上げないと――」
地下の留置場にこさえたシドの巣がまたも汚部屋になっていると聞きつけ、ハイファが柳眉をキリキリと吊り上げるのを察知してヤマサキは逃げた。
「シドっ! 掃除掃除掃除っ!」
こういうときのハイファには逆らえない。本日のミッションは掃除と決められたシドは同僚たちに生温かく見守られながらハイファに連行されて地下へと降りた。
「この有様で土足厳禁なんてありえないよ、全く」
ぷりぷりと怒りながらハイファはいつも不思議に思う。自分がいなかった頃はともかく今は二十四時間殆ど一緒に行動しているのに、どうすれば三メートル四方の留置場の一室をここまでゴミで埋め尽くすことが可能なのか。非常にナゾなのである。
「片っ端から捨てるからね!」
「ちょ、待てって。その部品はゴミじゃねぇって!」
シドにしたらプラモの部品の最後の一個が無かったりすると泣くに泣けないのだ。
「なら、さっさと確保したいモノを自分で除けてよね」
「……ハイ」
靴を脱ぐと素直に自分にとっての貴重品を選り分け出す。
じつを言えば何が原因かは全く分からないが確かにクサかったので、ホシを挙げるのにハイファが乗り出したのはシドにとって有難いことではあった。
三十分もすると部屋は見違えるほど綺麗になる。
「や、帰ったばかりで労働させて、すまん」
「本当だよ。あー、気持ち悪かった、あのおにぎりだった物体」
「そういう時は科学の目で見るといいんだ」
「そんな、他人事みたいに言わないでよ、夏休みの自由研究じゃないんだからね」
「じゃあ今度出掛けるときは朝顔のタネでも蒔いとくか、水やり当番表作ってさ」
「ラディッシュくらいなら帰ってきたら食べ頃かもね……あ、ありがと」
掃除の礼はいつも同じデカ部屋の泥水ではない有料オートドリンカの冷たいコーヒーだ。既製品の缶コーヒーで特別でも何でもないのだが泥水と比べたら雲泥の差だ。
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