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第22話

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「あ痛たた、タマ、止めろ!」

 いつもの如く腹を空かせたタマに足を囓られ、シドは目覚めさせられた。見れば足には赤い三本線がついていて、それを見たハイファがテミスコピーを握って銃口をタマに向ける。

「シドに何するのサ、このバカ猫!」
「ハイファ、お前も止せ、朝から猫のミンチは見たくねぇっ!」

 毎度のけたたましい一日の始まりに溜息をつきながらリモータを見ると、まだ七時過ぎだった。朝食は八時半からと聞いていたが、腹を空かせた野生のケダモノには勝てない。諦め肝心でシドはベッドから滑り降りた。

「タマ、こい。メシだ」

 水を替えてやり持参してきたカリカリを用意されていた皿に盛りつけてやる。あとでまた食事が待っているので量は控えめだ。
 それでも文句はないらしく、タマは慣れた食事に鼻を突っ込んだ。安堵してシドはロウテーブルに置いていた煙草を咥え火を点ける。深々と吸い込んで盛大に紫煙を吐き出した。

 一方でハイファは毛布を被ったまま、上体は起こしているがじっと動きを止めていて、こちらの方が猫のようである。咥え煙草のままでコーヒーカップを白い指に握らせてやった。自分もコーヒーを飲みながら至福の二本目を味わう。

「シド、足の怪我はちゃんと処置して」
「分かってる」

 ファーストエイドキットは定位置に置かれていた。生温かい滅菌ジェルをかけ、乾いたら合成蛋白スプレーを吹きつけ処置は完了だ。
 キットを元に戻しシドは何となくカーテンを開けて窓外を眺める。ようやくハイファも起きてきて窓辺でソフトキス。

「おはよう、シド」
「ああ。ハイファお前、躰は大丈夫か?」
「平気だって、貴方心配しすぎだよ」

 微笑みに翳りがないのと動きが自然なのを見取って安堵し、再び窓外を眺めた。追い風に乗って何もかもが吹き払われる世界とはいえ、少し遠くに見える五本の高層ビル群には朝靄がまといついているようだ。目下には最近あまり見られない自転車に乗った男女がいる。

「これが全部、空を飛んでるっつーのは、まだ信じられねぇな」
「吃驚事実なんだよね。あ、軍人さん発見。お巡りさんかなあ?」
「かもな。そういやカルチャーダウンってことは、地上にも基地や駐屯地はねぇんだよな?」

 テラ連邦では高度文明圏の有人惑星一個につき、テラ連邦軍の基地を一ヶ所ないし駐屯地を三ヶ所以上設けることを各星系政府に義務づけているのだ。

「まあ、テラ連邦法に照らしたらここの地上のカルチャーダウン度合いも微妙な線だと思うけど、法を護るべき星系政府がこんな具合だからね」
「お前が言った『確固たる形では政府は存在していない』、つまりはこのテュールの行政府が星系政府とも云える訳だな」

「だからって地上があれじゃ基地も作れないし、ここも狭くて無理だしね。警察力としてのテラ連邦軍人を常駐させて、テラ連邦議会もユミル星系政府も互いにお茶を濁してる状態だよ」
「じゃあカルチャーダウンした有人惑星を異星系に分捕られないように上空から見張るテラ連邦軍の巡察艦も、ここには張りついてねぇのか?」

「たぶんね。全てが曖昧なままだよ。大体、民を差し置いて政府がずっと飛んでるんだもん、テラ連邦議会だって扱いに困るよね……って、何これ?」

 地鳴りのような音がして窓の透明樹脂が震えていた。僅かだが床の揺れまで感じてシドは咄嗟に地震かと思ったが、ここでそれは有り得ないことにすぐ気付く。
 二人は顔を見合わせて首を傾げた。

「何だろうね、爆発?」
「さあな、成型工場が目覚めた音かも知れねぇし」

 その地響きは二度、三度と続いた。やっと止まったと思って見ればタマまでが体毛を逆立て身構えていて、ハリネズミのように膨らんだ三色の毛皮に二人は笑った。

「もし爆発でも僕らに関係ないし、いいよね」
「よそ者が騒ぐこともねぇか。まあいい、爆撃でも受ける前に着替えようぜ」
「貴方は寝ぐせも直さないと爆撃受けたみたいだよ」

 交代で顔を洗い、ハイファは金髪でしっぽをこさえると、ホルスタ付きショルダーバンドをドレスシャツの上から着ける。
 シドは黒髪から雫を垂らしながら右腰にヒップホルスタを着け、大腿部のバンドを調節した。上着を羽織ればいつもの刑事ルックの出来上がりだ。

「上手くワープラグは乗り越えたけど、お腹空いちゃったね」
「あと二十分だ、我慢するしかねぇな」

 持ち合わせた食品はタマのエサしかない。仕方なく甘味料入りの飲み物で糖分補給しつつ時間が経過するのを待つ。八時二十五分まで粘ってシドはタマ入りのキャリーバッグを担いだ。部屋を出ると律儀な刑事たちは廊下に出ていた。

「おはようございます、皆さん。朝食は最上階和風レストランです。行きましょう」

 涼しい声で言ったマイヤー警部補以外の誰もが目を赤くしている。訊けばカジノツアー組は日付が変わっても遊んでいたらしい。

 風呂で一杯やっていた組も目は赤く、朝食を摂りたいようにも見えなかったが、そこはやはり律儀なのだ。皆と共にエレベーターに乗った。
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