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第29話

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 小型BELはテュールから離脱すると同時に風に煽られた。窓外は薄茶色の砂嵐で何も見えない。スタビライザーでの制御限界を超えてふらふらと揺れる機に、シドは喉元までせり上がってきた不安の塊を飲み込んだ。

「ここからなら第二宙港は近い、ラッキィだわ」

 サフィアの言葉にシドは反発したくなるのを堪える。BELは飛んでいるというより、煽られながら舞い落ちていた。このまま吹き飛ばされて硬い地面に叩き付けられるのではないかと危惧し、ここでもう交渉役なんぞに立候補したのを後悔しそうになった。

「あ、宙港じゃない、あれ?」

 窓外の目下を眺めて、別室入りする前の二年間スナイパーをやっていた抜群の視力をハイファが披露する。約二秒後、シドも積み木のようなユニット建築を視認した。
 
 積み木の傍に何か大型の白い物体があったように思われたが、それが何かを確認する前にBELの脚部であるスキッドが宙港面の石畳を捉え、ガツンという小さな衝撃とともにランディングしていた。

「さて。みんな砂をたっぷり食べて貰うわよ」
「覚悟を決めて、さあ、降りてくれ」

 サフィアとアレックスに追い立てられて、ゴーダ・ナカムラ組にシドとハイファは降機し、熱く痛い風の中に身を晒した。ふと見るとサフィアにアレックスはフード付きの茶色いマントをまとっていて、シドは「卑怯臭ぇ~っ!」と思う。

 とにかく露出した肌が切り裂かれそうに痛く、リモータチェッカもないユニット建築へと向かった。急いで駆け込みたかったが、着いたとき同様に熱風が強すぎて走ることもできない。割れた石畳を一歩一歩踏み締めて、ようやく積み木の中に足を踏み入れる。

 ドアの外へと皆が砂混じりの唾を吐き、何とか人心地がついて振り返ると、そこにもマント姿の人影があった。こちらは黒いマントの八人で、顔には大きなゴーグルをしている。お蔭でシドには男女の区別もつかなかった。

「彼らがアネモイ族よ。BELの中に水と食料があるわ。彼らへのプレゼント、プラス行動中の食料だから運んで頂戴」

 それを先に言って欲しかった。
 シドたちはまた熱砂の嵐に身を晒して二往復し荷物をユニット建築へと運び込んだ。

 小山のような食料と水のタンクにアネモイ族たちは満足げに頷き、一抱えを手にしてユニット建築の表側のドアを開ける。無造作に出て行くその背の向こうにシドは上空から見た白いものの正体を発見した。

 それは帆船だった。
 白い三角の帆を張った、まさにヨットである。

「うわ、すっげぇ……これで風を渡るのかよ!」

 男の子に還ったシドは砂嵐の痛さも忘れて表に踏み出した。全長二十メートル、高さは十五メートルほどもあるだろうか。三角の大きな帆が二枚、小さな帆が一枚張られて幾重にもロープで繋げられている。
 材質は全て砂に削られない硬いものらしい。船体は底が平らで、どうやら反重力装置が備わっているようだった。それが四隻並んでいる。

「シド、荷物運ばないと」
「ん、ああ、すまん」

 ユニット建築に戻って水のタンクを持ち上げた。再び表に出るとヨットの舷側から横腹の一部が歩み板のように倒れていて、そこから船内に物資を運び込んだ。
 船内は二階層になっていて、下が屈まなければならないくらい天井の低い寝室、板を上って上が普通に行動できるだけの高さがある厨房や操舵室になっていた。

 全ての物資を四隻のヨットに分けて運び込むと、シドとハイファは他の組とラフな敬礼をして別れた。アレックスと共にまだひとことも喋らないアネモイ族二人のあとを追ってヨットに乗り込む。歩み板を上って全員が操舵室に集まると出発だ。

 アネモイ族の一人が複雑且つ原始的なコンソールに幾つも並んだレバーを動かす。すると傷の入らない特殊な材質らしい窓と天井の透明な板越しに、三角の帆が風を孕むのが分かる。ふわりと浮いたヨットは思いがけない速さで走り始めた。

「すげぇな、反重力装置も起動してねぇんだろ?」
「ええ。余程のことがない限り反重力装置は使わないわ」

 高い声に驚いて声の主を見る。バサリとマントを脱いで現れたのは薄い色の金髪でハイファと同じくらい、腰の辺りまで流れていた。ゴーグルも取り去ると緑色の瞳が覗く。

「わたしはアネモイ族のシーラ」
「あたしは妹のセシルよ」

 もう一人もマントを脱ぐ。こちらはブルネットだったが姉妹らしく緑の瞳でシドたちを見返した。シーラはテラ標準歴でシドたちよりも少し上で二十五、六歳くらいだろうか。セシルはまだ十七、八歳だと思われる。二人とも結構な美人だった。

 シドたちと変わらない歳らしいアレックスが口笛を吹く。

「こいつはラッキィだ。美人四人に囲まれるとは、俺はツイてるぜ」
「悪いけれど、わたしたちは余計な仕事をする気はない。じろじろ眺められるのもご免よ」

 手厳しく言われてアレックスは少々凹んだようだった。だが狭い船室内でじろじろ見られるのは確かに鬱陶しいだろう。シドも心して付き合い方を考えようと思った。

 そこでなるべく事務的に言ってみる。

「目的の村は分かってるのか?」
「テュールから通信を受けたわ。一番近い村に向かってる。約四時間で着く予定」
「そうか、宜しく頼む。俺はシドだ」
「僕はハイファスで」
「俺はアレクでいい」

 そこでシドは重要なことを思い出した。肩からキャリーバッグを降ろすと丸くなったタマを取り出す。それを見てセシルが声を上げた。

「わあ、何それ、可愛い!」
「こいつは猫って動物で名前はタマだ。こんなものまでつれてきて悪いんだが……」
「別に悪くはない。本当、可愛いわね」

「すまんがこいつのトイレのときだけ船を止めて欲しい」
「了解。何もすまないことはないわ。食べて排泄するのは当たり前のこと」

 喋りつつもシーラはコンソールのレバーを微妙に操作し続けている。これで帆を張ったロープを調節しているようだ。セシルはタマに夢中で恐る恐る撫でてはザラザラした舌で舐められクスクスと笑っている。野生の機嫌が良くて、これこそラッキィだった。

 一方で男三人は手持ち無沙汰だ。操舵室の後ろの方にベンチがあったが二人しか座れない大きさだったので、何となく全員が立ち尽くしていた。それでもシドはシーラの操作と白い帆を交互に見上げることで飽きることを知らないのだが。

「ヒマなら厨房ギャレイでコーヒーでも淹れるといいわ。セシル、教えてあげて」

 振り向いたセシルが軽快に先に立ってギャレイを案内してくれた。とはいえ狭いキッチンは教えて貰うほどのものでもない。置いてあった袋からラベルを剥がせば温まるという非常糧食品のホットコーヒーの紙コップを人数分出しただけである。

 それを手にして操舵室に戻りシドはキャリーバッグから小皿を出すとボトルの水を注いでやった。タマはふんふんと鼻を鳴らしてからペシャペシャと水を舐め始める。三色の毛皮をセシルが撫でた。次にアレクが触れるとボワッとしっぽを膨らませる。

「すごい、たわしみたい」
「そいつは怒ったときの反応だ。そうなったときは触らない方がいい」
「ふうん、そうなんだ。タマ、タマ、こっちにおいで」

 すっかりセシルはタマの虜になってしまったようで、船内探索をする三毛猫について歩いて行ってしまった。コーヒーを啜りながらそれを見送り、シドはシーラの隣に立ってみる。
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