16 / 49
第16話
しおりを挟む
まばたき一回の感覚で起きてみると、かなり陽が傾き室内の明かりが灯っていた。京哉は絨毯敷きの床に直接座り込んでいる。膝枕で弟君が寝ていた。思い切り羨ましかったがプライドもあってコメントは避けた。代わりに声を落として謝る。
「すまん」
独り警戒心もなく眠ってしまったことを詫びたが、京哉はそっと首を振った。
「あと一時間くらいだな。お前は眠くないのか?」
「少しは僕もウトウトしましたから。こう暑いと無駄な消耗を避けるためにお昼寝も必要ですよね。ここの人たちも寝てたみたいですよ、二時間くらいですけど」
今は部屋に霧島と京哉、それに子供だけだ。機織りの母親も不在である。
そこで室内のドアが開いてクリフが目を擦りながら出てきた。
「起きた? もうすぐ父さんと母さんが帰ってくるから今のうち、ちょっときて」
動けない京哉を置いて霧島はクリフに続きキッチンに向かう。クリフはキッチンの隅の大きな袋から別の小さな布袋にカップで砂のようなものを移し始めた。最後に小さな布袋にピンク色の石のようなものを入れ、口を紐で縛って霧島に渡す。
「穀物や豆を煎って粉にしたものと岩塩。粉は水でふやかせば膨れるから」
「非常食か。母さんに怒られるんじゃないのか?」
「もう慣れてるよ。それに村の暮らしは酷いからね。よそ者に食料をくれるような余裕があるかどうかも分からないから。傭兵が飢え死にするのは格好悪いしさ」
「そうか。ならば有難く受け取っておく」
ついでに霧島は自分と京哉の水筒を満タンにさせて貰った。リビングに戻るなりクリフの父親は日干しレンガ作りから、母親は買い物から帰ってきた。
早い夕食は緑色の豆が少しだけ浮いているシチューと小さく固いパンだった。だがこのような土地では精一杯のもてなしなのだろう。これも有難く頂く。
食事を終えると早々に出発だ。京哉がショルダーバッグを担ぐ。
一行は密やかに一階に下りた。クリフの父親が声も出さずガレージの四駆車を指し示す。空港にあった無人タクシーほどではないが、やはりこれも相当な年代物に見えた。僅かに湧いた不安を押し隠して京哉は霧島と後部座席に座る。クリフも助手席に収まった。
人目を忍ぶ移動は誰もが寡黙で、何の合図もなくエンジンの掛かった四駆は走り出す。
狭い路地を出るとそこはもう砂漠、スピードを上げた四駆は凹凸のある地を難なく滑るように走った。だがすぐに京哉は四駆のタイヤの空気がかなり抜けているのに気付く。首を傾げて霧島を見上げると機捜隊長殿が解説してくれた。
「砂に埋もれてスタックしないよう空気圧を下げ接地面積を大きくしてあるらしい」
「なるほど、抜けているんじゃなくて抜いてあるんですね。良かった」
窓外は五月蠅いくらいに輝く星々と半月に照らされ、砂丘が影を濃くしていた。
巻き上げる砂塵の背後に街が見えなくなった頃、衣服を通して寒さが二人の躰に染み込んできた。クリフの父親に頼んでヒータのスイッチを入れて貰う。すると最初は風と一緒に細かな砂が吹き出してきて二人は苦笑いだ。
霧島は目を擦り、京哉はスナイパー時代に自分を目立たなくするためのアイテムだった伊達眼鏡を外すと付着した砂を袖で拭う。
生活に不要な伊達眼鏡だが、もうフレームのない世界は落ち着かないくらいに慣れてしまったのだ。それに砂漠では目に砂が入るのを防げて丁度いい。
ともかく文明の風の恩恵で手足を温めながら、霧島は運転席の父親に英語で訊いた。
「どのくらい掛かるんだ?」
「村なら何処でもいいって訳じゃないらしいからな。三時間はみておかないと」
砂また砂で比較対象物がないために、それほどスピードが出ているようには感じられなかったが、伸び上がって運転席を覗くと速度は時速七十キロを超えていた。
「二百キロくらい離れてるんですね。って言っても凸凹で単純には測れませんけど」
「何れにせよ文化的生活とも、とうとうオサラバということだな」
走り出して一時間半くらい経った頃、前方で何かがライトを反射し光ったような気がして京哉が再び伸び上がると四駆がつんのめるように停止する。村はまだ見えず、まさかこんな所で故障かと京哉は霧島と顔を見合わせたがそうではないらしい。
用ありげにドアを開けたクリフたち親子に続き霧島と京哉も寒さを我慢して四駆を降りてみた。クリフと父親は助手席の足元に置いてあったスコップを手にしていた。
四駆の後部からやってきた方向に向かって親子でスコップを振るい、砂を掘り分けること十分くらいで探し物に出会えたようだった。
クリフが嬉し気にはしゃいだ声を上げている。
「はっきり言って厄介事を背負い込んだとばかり思っていたが、あんたらのお蔭でまさに掘り出し物だ。街暮らしの俺たちにとっちゃ、手に入れられる機会は滅多にないからな」
クリフの父は手にしたものを自慢げに二人に見せた。
「それもふたつ、ちょっとした小遣いになる」
クリフも嬉しげにそれを眺めている。京哉が訊ねるでもなく呟いた。
「これって、砂の花……?」
それは蒼い炎のような色をしていた。形は蓮の花みたいに幾重にも花弁が重なり、薄い花びらは外側に反っている。大きさは直径十センチくらいで、鉱物として考えると大きめだ。
ひとつずつ持たせて貰うとガラスで出来たもののように重みがあった。薄い花弁は向こうが透けそうで透けないとろりとした半透明、観賞用としてもいいほど美しい。
月明かりを溜めて光るそれを観察しながら霧島がクリフの父に訊く。
「これが噂の砂の花か。一個どのくらいで取引されるんだ?」
「普通は政府の集積場に持って行って配給の点数に加算される。だがバザールで現物交換すれば一個で二百ドル相当のものが買える。これは一種の闇取引ではあるが」
「ふむ、結構な高値がつくのだな」
触れると指が切れそうなくらい薄い玻璃のような花弁を眺めたのち、それをクリフに返して二人は再び四駆の後部座席に収まった。クリフは砂の花を大事そうに足元の袋にしまう。クリフの父親は携帯で誰かと通話してから運転席に戻った。
再び走り出した四駆の中で京哉が前部座席の親子に訊く。霧島は双方向通訳だ。
「あの、最初に光ったのが砂の花ですよね?」
「そうだ。地表に一個あれば地下にまだ眠っていることが多い。まずは地表の砂の花を探すために、村の奴らも政府支給の四駆を持っている。あとはこれも支給のGPS対応携帯だな。砂漠で自分の位置を見失っては村に帰れなくなる」
「へえ、そうなんですか。村人も衛星利用なんて結構ハイテクかも」
「村人が集めた砂の花は配給と交換に、全部役人に持っていかれちゃうんだけどな」
砂の花採掘から一時間半もすると幾つか明かりが見えてきた。前方の地平線まで輝いている星々とは違う黄色い人工的な灯りだ。どうやら目的の村に到着したらしい。
近づいてみると村は砂に埋もれてしまいそうなくらい小さかった。日干しレンガ造りの小さな家屋が、それでも三、四十軒ほども建っているだろうか。
だが家々に灯る明かりはまばらでその明かりも日干しレンガ二個分くらいの小さな窓から洩れ出ているだけである。それが却って侘びしさを強調しているようだった。
村の中を通る細い道に乗り入れ、村の中心に当たるらしい小さな井戸の前でクリフの父親は四駆を停止させる。携帯で知らされたのか、そこには既に人影があった。
「砂嵐もない、いい晩だな。こちらがゼップル=クルマン、この村の村長だ」
「シノブ=キリシマとキョウヤ=ナルミだ、宜しく」
四駆から降りた二人は自己紹介しながら、この村長も自分たちを歓迎してはいないらしいと悟った。一言も喋らぬまま、じろじろと見られる。それも仕方あるまい。身元の知れぬ旅人など、反政府ゲリラ以上に神経をすり減らす相手だろう。
それでも一応事情は伝えられていたらしくクルマン村長は目顔で二人に合図するとくるりと背を向けて歩き出した。
二人はバルト親子への礼もそこそこにあとを追う。
「すまん」
独り警戒心もなく眠ってしまったことを詫びたが、京哉はそっと首を振った。
「あと一時間くらいだな。お前は眠くないのか?」
「少しは僕もウトウトしましたから。こう暑いと無駄な消耗を避けるためにお昼寝も必要ですよね。ここの人たちも寝てたみたいですよ、二時間くらいですけど」
今は部屋に霧島と京哉、それに子供だけだ。機織りの母親も不在である。
そこで室内のドアが開いてクリフが目を擦りながら出てきた。
「起きた? もうすぐ父さんと母さんが帰ってくるから今のうち、ちょっときて」
動けない京哉を置いて霧島はクリフに続きキッチンに向かう。クリフはキッチンの隅の大きな袋から別の小さな布袋にカップで砂のようなものを移し始めた。最後に小さな布袋にピンク色の石のようなものを入れ、口を紐で縛って霧島に渡す。
「穀物や豆を煎って粉にしたものと岩塩。粉は水でふやかせば膨れるから」
「非常食か。母さんに怒られるんじゃないのか?」
「もう慣れてるよ。それに村の暮らしは酷いからね。よそ者に食料をくれるような余裕があるかどうかも分からないから。傭兵が飢え死にするのは格好悪いしさ」
「そうか。ならば有難く受け取っておく」
ついでに霧島は自分と京哉の水筒を満タンにさせて貰った。リビングに戻るなりクリフの父親は日干しレンガ作りから、母親は買い物から帰ってきた。
早い夕食は緑色の豆が少しだけ浮いているシチューと小さく固いパンだった。だがこのような土地では精一杯のもてなしなのだろう。これも有難く頂く。
食事を終えると早々に出発だ。京哉がショルダーバッグを担ぐ。
一行は密やかに一階に下りた。クリフの父親が声も出さずガレージの四駆車を指し示す。空港にあった無人タクシーほどではないが、やはりこれも相当な年代物に見えた。僅かに湧いた不安を押し隠して京哉は霧島と後部座席に座る。クリフも助手席に収まった。
人目を忍ぶ移動は誰もが寡黙で、何の合図もなくエンジンの掛かった四駆は走り出す。
狭い路地を出るとそこはもう砂漠、スピードを上げた四駆は凹凸のある地を難なく滑るように走った。だがすぐに京哉は四駆のタイヤの空気がかなり抜けているのに気付く。首を傾げて霧島を見上げると機捜隊長殿が解説してくれた。
「砂に埋もれてスタックしないよう空気圧を下げ接地面積を大きくしてあるらしい」
「なるほど、抜けているんじゃなくて抜いてあるんですね。良かった」
窓外は五月蠅いくらいに輝く星々と半月に照らされ、砂丘が影を濃くしていた。
巻き上げる砂塵の背後に街が見えなくなった頃、衣服を通して寒さが二人の躰に染み込んできた。クリフの父親に頼んでヒータのスイッチを入れて貰う。すると最初は風と一緒に細かな砂が吹き出してきて二人は苦笑いだ。
霧島は目を擦り、京哉はスナイパー時代に自分を目立たなくするためのアイテムだった伊達眼鏡を外すと付着した砂を袖で拭う。
生活に不要な伊達眼鏡だが、もうフレームのない世界は落ち着かないくらいに慣れてしまったのだ。それに砂漠では目に砂が入るのを防げて丁度いい。
ともかく文明の風の恩恵で手足を温めながら、霧島は運転席の父親に英語で訊いた。
「どのくらい掛かるんだ?」
「村なら何処でもいいって訳じゃないらしいからな。三時間はみておかないと」
砂また砂で比較対象物がないために、それほどスピードが出ているようには感じられなかったが、伸び上がって運転席を覗くと速度は時速七十キロを超えていた。
「二百キロくらい離れてるんですね。って言っても凸凹で単純には測れませんけど」
「何れにせよ文化的生活とも、とうとうオサラバということだな」
走り出して一時間半くらい経った頃、前方で何かがライトを反射し光ったような気がして京哉が再び伸び上がると四駆がつんのめるように停止する。村はまだ見えず、まさかこんな所で故障かと京哉は霧島と顔を見合わせたがそうではないらしい。
用ありげにドアを開けたクリフたち親子に続き霧島と京哉も寒さを我慢して四駆を降りてみた。クリフと父親は助手席の足元に置いてあったスコップを手にしていた。
四駆の後部からやってきた方向に向かって親子でスコップを振るい、砂を掘り分けること十分くらいで探し物に出会えたようだった。
クリフが嬉し気にはしゃいだ声を上げている。
「はっきり言って厄介事を背負い込んだとばかり思っていたが、あんたらのお蔭でまさに掘り出し物だ。街暮らしの俺たちにとっちゃ、手に入れられる機会は滅多にないからな」
クリフの父は手にしたものを自慢げに二人に見せた。
「それもふたつ、ちょっとした小遣いになる」
クリフも嬉しげにそれを眺めている。京哉が訊ねるでもなく呟いた。
「これって、砂の花……?」
それは蒼い炎のような色をしていた。形は蓮の花みたいに幾重にも花弁が重なり、薄い花びらは外側に反っている。大きさは直径十センチくらいで、鉱物として考えると大きめだ。
ひとつずつ持たせて貰うとガラスで出来たもののように重みがあった。薄い花弁は向こうが透けそうで透けないとろりとした半透明、観賞用としてもいいほど美しい。
月明かりを溜めて光るそれを観察しながら霧島がクリフの父に訊く。
「これが噂の砂の花か。一個どのくらいで取引されるんだ?」
「普通は政府の集積場に持って行って配給の点数に加算される。だがバザールで現物交換すれば一個で二百ドル相当のものが買える。これは一種の闇取引ではあるが」
「ふむ、結構な高値がつくのだな」
触れると指が切れそうなくらい薄い玻璃のような花弁を眺めたのち、それをクリフに返して二人は再び四駆の後部座席に収まった。クリフは砂の花を大事そうに足元の袋にしまう。クリフの父親は携帯で誰かと通話してから運転席に戻った。
再び走り出した四駆の中で京哉が前部座席の親子に訊く。霧島は双方向通訳だ。
「あの、最初に光ったのが砂の花ですよね?」
「そうだ。地表に一個あれば地下にまだ眠っていることが多い。まずは地表の砂の花を探すために、村の奴らも政府支給の四駆を持っている。あとはこれも支給のGPS対応携帯だな。砂漠で自分の位置を見失っては村に帰れなくなる」
「へえ、そうなんですか。村人も衛星利用なんて結構ハイテクかも」
「村人が集めた砂の花は配給と交換に、全部役人に持っていかれちゃうんだけどな」
砂の花採掘から一時間半もすると幾つか明かりが見えてきた。前方の地平線まで輝いている星々とは違う黄色い人工的な灯りだ。どうやら目的の村に到着したらしい。
近づいてみると村は砂に埋もれてしまいそうなくらい小さかった。日干しレンガ造りの小さな家屋が、それでも三、四十軒ほども建っているだろうか。
だが家々に灯る明かりはまばらでその明かりも日干しレンガ二個分くらいの小さな窓から洩れ出ているだけである。それが却って侘びしさを強調しているようだった。
村の中を通る細い道に乗り入れ、村の中心に当たるらしい小さな井戸の前でクリフの父親は四駆を停止させる。携帯で知らされたのか、そこには既に人影があった。
「砂嵐もない、いい晩だな。こちらがゼップル=クルマン、この村の村長だ」
「シノブ=キリシマとキョウヤ=ナルミだ、宜しく」
四駆から降りた二人は自己紹介しながら、この村長も自分たちを歓迎してはいないらしいと悟った。一言も喋らぬまま、じろじろと見られる。それも仕方あるまい。身元の知れぬ旅人など、反政府ゲリラ以上に神経をすり減らす相手だろう。
それでも一応事情は伝えられていたらしくクルマン村長は目顔で二人に合図するとくるりと背を向けて歩き出した。
二人はバルト親子への礼もそこそこにあとを追う。
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
【魔女ローゼマリー伝説】~5歳で存在を忘れられた元王女の私だけど、自称美少女天才魔女として世界を救うために冒険したいと思います!~
ハムえっぐ
ファンタジー
かつて魔族が降臨し、7人の英雄によって平和がもたらされた大陸。その一国、ベルガー王国で物語は始まる。
王国の第一王女ローゼマリーは、5歳の誕生日の夜、幸せな時間のさなかに王宮を襲撃され、目の前で両親である国王夫妻を「漆黒の剣を持つ謎の黒髪の女」に殺害される。母が最後の力で放った転移魔法と「魔女ディルを頼れ」という遺言によりローゼマリーは辛くも死地を脱した。
15歳になったローゼは師ディルと別れ、両親の仇である黒髪の女を探し出すため、そして悪政により荒廃しつつある祖国の現状を確かめるため旅立つ。
国境の街ビオレールで冒険者として活動を始めたローゼは、運命的な出会いを果たす。因縁の仇と同じ黒髪と漆黒の剣を持つ少年傭兵リョウ。自由奔放で可愛いが、何か秘密を抱えていそうなエルフの美少女ベレニス。クセの強い仲間たちと共にローゼの新たな人生が動き出す。
これは王女の身分を失った最強天才魔女ローゼが、復讐の誓いを胸に仲間たちとの絆を育みながら、王国の闇や自らの運命に立ち向かう物語。友情、復讐、恋愛、魔法、剣戟、謀略が織りなす、ダークファンタジー英雄譚が、今、幕を開ける。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
母の下着 タンスと洗濯籠の秘密
MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。
颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。
物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。
しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。
センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる