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第23話
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大天幕の表に回ると一番大きな焚き火以外は消されており、残った火には十名前後の男女が集まり会話を交わしている。皆が砂に直に腰を下ろし、中にはジョセもいた。
半数くらいの者が傍にアサルトライフルや銃身長のやや短いカービンを置いている。得物は殆どが敵である軍と同じで某大国でM16やM4と呼ばれる代物だった。
元々銃などの小火器から車、ヘリに至るまで軍から奪ったのだから当然と云える。
英語を苦手とする京哉に実地で英会話を勉強させるべく、霧島は隣のアメディオと呼ばれている黒髪の男に殊更ゆっくりとした英語で訊いてみた。
「ここはどういう戦闘をしているんだ?」
「主に軍、街を囲む第二から第四駐屯地に選抜隊がアタックしてる。一撃離脱だ」
「ふむ。掃討部隊は出てこないのか?」
「出してきてるんだろうが、こっちも動向を掴まれないよう気を付けちゃいるさ」
聞いていた白髪のオグルビーという男が口を挟む。
「そりゃあ、たまには送り込んできた小隊とかち合うが滅多にないことだ」
心配するなとでもいうようにアメディオとオグルビー以外の周囲の者も不敵に歯を見せて笑った。歴戦の傭兵という触れ込みで潜入したが、霧島と京哉は東洋人で歳より若く見える上に事実若い。心配される側になるのは自然なことのようだった。
けれど反政府ゲリラとはのどかなものだと霧島は思う。
京哉の言う穴でも最たるものだが喩え移動を繰り返していても、これだけの大規模キャンプなら軍事衛星で位置を割り出すのは容易だ。現代では民間人だって偶然ネットのマップで発見することもあるだろう。その気になれば人でも猫でも上空から特定できる時代である。
勿論この貧しい小国のプラーグ政府自体に自在に索敵可能な軍事衛星を打ち上げる力はないだろう。しかしプラーグ政府は隣国ユベルと緊密に繋がり、更にそのバックには某大国が控えているのだ。
貴重な砂の花のちょっとした値下げでも提示すれば、某大国はプラーグ政府に軍事衛星のリアルタイム映像くらい簡単に寄越す筈だった。
だがプラーグ政府軍はそこまでして反政府ゲリラを叩こうともしていない。
弛んだ軍隊と緩んだゲリラ、片端から拷問を受け処刑されてゆく一般人こそが命懸けの戦いの只中にある。京哉ほど冷笑的でない霧島も現実を認めるしかなかった。
暫し雑談に耳を傾けながら焚き火で充分に躰を温め、二人は小型テントに戻った。
テントの入り口を開けると内部は一辺二メートルくらいで長身の霧島には狭かったが、文句は言えない。それさえ度外視すれば断熱材と敷いたラグで暖かく、割と快適だった。何よりこれだけ狭いと二人は常に何処かが触れている。それが霧島は素直に嬉しかった。
入り口を開けたまま、まず霧島は京哉の手の包帯を解いて消毒する。こんな砂だらけの地で昼間はあんなに暑いのだ。破傷風にでもなったらことである。傷は綺麗に治りかけていたが、厳重にガーゼを当てて包帯を巻き直した。
処置が終わると入り口を閉め、二人はスーツのジャケットを脱いでまとっていた布を毛布代わりに横になる。暗闇の中で二人は身を寄せ合うとソフトキスを交わした。
「すっかり煙臭くなっちゃいましたね」
「煙臭さに砂まみれだ。ゆっくりと温泉にでも浸かりたい気分だな」
「ここで夢みたいなこと言わないで下さい。余計につらくなるじゃないですか」
いつも通りに霧島から左腕の腕枕を貰った京哉は首を傾げる。
「ところでさっきの話、忍さんはどう思いました?」
「どうもこうもない。日本政府を通して我々二人に任務を依頼した某大国とプラーグ政府は一枚岩ではないということだろう」
「僕もそういう風に思いました。某大国はプラーグの反政府武装勢力を排除したい。何故なら恐怖政治を敷くプラーグ政府が国連の公式査察団を二年も突っぱね続けられたのは、某大国が援護していたお蔭。けれど某大国も援護は限界にきたから恐怖政治の種とも云える反政府ゲリラを失くしてしまおうって寸法でしたよね?」
「ああ。明確な返答はなされなかったから、私たちの予想ではあるが」
「そこにきてさっき判明したのが、プラーグ政府はゲリラを生かさず殺さず存続させたい……違いますか?」
「違わんな。このプラーグにどのくらいここと同じような反政府武装勢力グループがあるのか知らんが、百も二百もある訳ではない筈だ。所在が分からないからこそ脅威となり得るのがゲリラなのに、居場所が掴める相手を何故叩かない?」
疑問形だが二人はもう答えを得ていた。京哉は笑って霧島の胸に頬を押しつける。
「はーい、ゲリラがいなくなったら困る人がいるからでーす」
「拷問に公開処刑。恐怖政治を敷き続けるにはそれなりの敵と理由が必要だからな」
「選挙で大統領を不信任にするような人たちは反政府武装勢力と一括りにして参政権も奪っちゃえばいいんですから。貴方の言った『からくり』が分かったようですね」
「ゲリラ一掃を目論む某大国と、ゲリラすら利用するプラーグ政府か」
どうやら上は上で齟齬が生じているらしい。おまけにシンプルな特別任務はここにきて曖昧模糊としつつある。これに政治謀議までが絡むようではお手上げだ。
「プラーグ政府首脳陣は貴方の言ってた通り、砂の花を売った利益を全て還元せずに一部を掠め取って私腹を肥やしてる。そのために恐怖政治を続けたいんですよね?」
「今のところはそう考えた方が自然だろう。だがこれではプラーグ政府が本当に我々に協力してくれるか怪しいものだな。最悪、離脱時くらいは利用したかったのだが」
「ちゃんと話し合ってから任務を下して欲しいですよね。あーやだやだ、大人って」
「もう今日はここまでにして眠るとするか」
「そうですね。ふあーあ」
ゲリラ入り初日、慣れぬ環境で二人は銃こそ抜いて枕元に置いたが、ホルスタは外さない。そんな状況下で愛しい男の吐息を聞きながら二人は眠りに落ちる。
◇◇◇◇
ふいに目覚めた京哉が反射的に携帯を見ると二時半だった。まだ夜明けまで三時間はある。何故目が覚めたのかといえば明らかな物音と気配がしたからだ。
同じく目覚めたらしい霧島が携帯の僅かな明かりを点け京哉に頷く。
そのまま霧島は携帯でジョセに短くメールを打つとポケットにしまって静かに動き出した。京哉も倣い、銃を手にして天幕から這い出す。吐くと白くなる息をなるべく抑え、星明かりで闇を透かし見てから一気にヘリの陰まで走った。
するとヘリと四駆の間に男が一人、胸を黒く濡らして斃れていた。立哨だ。
「何だか『滅多にない』の『滅多』が来ちゃったみたいですよ」
「何人くらい来たか予想はつくか、ヲタ?」
「どうでしょう、一個小隊なら三十人くらい……危ないっ!」
乾いた破裂音が二度響いた。間違いなく銃の撃発音、直感に任せ京哉は長身の霧島に肩をぶつけて射線から押し出す。自分は黒髪を衝撃波でなびかせつつ、同時に感じた殺気に対し応射した。シグ・ザウエルの銃口から二回、マズルフラッシュが閃く。
撃ってきた兵士二人に京哉が浴びせたのは容赦のないヘッドショットだった。
今度は四駆の陰から銃弾が二人を襲った。霧島が京哉の前に出る。細い身を庇いながら霧島が放ったダブルタップは二人の兵士の右肩にヒット。兵士たちは躰を回転させるように倒れた。
その間に背中合わせに立った京哉も、隣のヘリの陰にいた敵兵士に九ミリパラを撃ち込んでいる。霧島ほど甘くない京哉は徹底したヘッドショット狙いだ。
またも飛来した弾丸の衝撃波を耳元に感じつつ霧島が速射で二人の腹にダブルタップを見舞った。京哉が一人をヘッドショット。そのうち大天幕の方も騒がしくなる。
散発的に屋外射撃特有の乾いた短音と叫び声が聞こえてきた。
「どうする、表に回るか?」
「ここで裏を護らないと挟撃されるかも知れません」
「それもそうだな……っと、また来たぞ!」
半数くらいの者が傍にアサルトライフルや銃身長のやや短いカービンを置いている。得物は殆どが敵である軍と同じで某大国でM16やM4と呼ばれる代物だった。
元々銃などの小火器から車、ヘリに至るまで軍から奪ったのだから当然と云える。
英語を苦手とする京哉に実地で英会話を勉強させるべく、霧島は隣のアメディオと呼ばれている黒髪の男に殊更ゆっくりとした英語で訊いてみた。
「ここはどういう戦闘をしているんだ?」
「主に軍、街を囲む第二から第四駐屯地に選抜隊がアタックしてる。一撃離脱だ」
「ふむ。掃討部隊は出てこないのか?」
「出してきてるんだろうが、こっちも動向を掴まれないよう気を付けちゃいるさ」
聞いていた白髪のオグルビーという男が口を挟む。
「そりゃあ、たまには送り込んできた小隊とかち合うが滅多にないことだ」
心配するなとでもいうようにアメディオとオグルビー以外の周囲の者も不敵に歯を見せて笑った。歴戦の傭兵という触れ込みで潜入したが、霧島と京哉は東洋人で歳より若く見える上に事実若い。心配される側になるのは自然なことのようだった。
けれど反政府ゲリラとはのどかなものだと霧島は思う。
京哉の言う穴でも最たるものだが喩え移動を繰り返していても、これだけの大規模キャンプなら軍事衛星で位置を割り出すのは容易だ。現代では民間人だって偶然ネットのマップで発見することもあるだろう。その気になれば人でも猫でも上空から特定できる時代である。
勿論この貧しい小国のプラーグ政府自体に自在に索敵可能な軍事衛星を打ち上げる力はないだろう。しかしプラーグ政府は隣国ユベルと緊密に繋がり、更にそのバックには某大国が控えているのだ。
貴重な砂の花のちょっとした値下げでも提示すれば、某大国はプラーグ政府に軍事衛星のリアルタイム映像くらい簡単に寄越す筈だった。
だがプラーグ政府軍はそこまでして反政府ゲリラを叩こうともしていない。
弛んだ軍隊と緩んだゲリラ、片端から拷問を受け処刑されてゆく一般人こそが命懸けの戦いの只中にある。京哉ほど冷笑的でない霧島も現実を認めるしかなかった。
暫し雑談に耳を傾けながら焚き火で充分に躰を温め、二人は小型テントに戻った。
テントの入り口を開けると内部は一辺二メートルくらいで長身の霧島には狭かったが、文句は言えない。それさえ度外視すれば断熱材と敷いたラグで暖かく、割と快適だった。何よりこれだけ狭いと二人は常に何処かが触れている。それが霧島は素直に嬉しかった。
入り口を開けたまま、まず霧島は京哉の手の包帯を解いて消毒する。こんな砂だらけの地で昼間はあんなに暑いのだ。破傷風にでもなったらことである。傷は綺麗に治りかけていたが、厳重にガーゼを当てて包帯を巻き直した。
処置が終わると入り口を閉め、二人はスーツのジャケットを脱いでまとっていた布を毛布代わりに横になる。暗闇の中で二人は身を寄せ合うとソフトキスを交わした。
「すっかり煙臭くなっちゃいましたね」
「煙臭さに砂まみれだ。ゆっくりと温泉にでも浸かりたい気分だな」
「ここで夢みたいなこと言わないで下さい。余計につらくなるじゃないですか」
いつも通りに霧島から左腕の腕枕を貰った京哉は首を傾げる。
「ところでさっきの話、忍さんはどう思いました?」
「どうもこうもない。日本政府を通して我々二人に任務を依頼した某大国とプラーグ政府は一枚岩ではないということだろう」
「僕もそういう風に思いました。某大国はプラーグの反政府武装勢力を排除したい。何故なら恐怖政治を敷くプラーグ政府が国連の公式査察団を二年も突っぱね続けられたのは、某大国が援護していたお蔭。けれど某大国も援護は限界にきたから恐怖政治の種とも云える反政府ゲリラを失くしてしまおうって寸法でしたよね?」
「ああ。明確な返答はなされなかったから、私たちの予想ではあるが」
「そこにきてさっき判明したのが、プラーグ政府はゲリラを生かさず殺さず存続させたい……違いますか?」
「違わんな。このプラーグにどのくらいここと同じような反政府武装勢力グループがあるのか知らんが、百も二百もある訳ではない筈だ。所在が分からないからこそ脅威となり得るのがゲリラなのに、居場所が掴める相手を何故叩かない?」
疑問形だが二人はもう答えを得ていた。京哉は笑って霧島の胸に頬を押しつける。
「はーい、ゲリラがいなくなったら困る人がいるからでーす」
「拷問に公開処刑。恐怖政治を敷き続けるにはそれなりの敵と理由が必要だからな」
「選挙で大統領を不信任にするような人たちは反政府武装勢力と一括りにして参政権も奪っちゃえばいいんですから。貴方の言った『からくり』が分かったようですね」
「ゲリラ一掃を目論む某大国と、ゲリラすら利用するプラーグ政府か」
どうやら上は上で齟齬が生じているらしい。おまけにシンプルな特別任務はここにきて曖昧模糊としつつある。これに政治謀議までが絡むようではお手上げだ。
「プラーグ政府首脳陣は貴方の言ってた通り、砂の花を売った利益を全て還元せずに一部を掠め取って私腹を肥やしてる。そのために恐怖政治を続けたいんですよね?」
「今のところはそう考えた方が自然だろう。だがこれではプラーグ政府が本当に我々に協力してくれるか怪しいものだな。最悪、離脱時くらいは利用したかったのだが」
「ちゃんと話し合ってから任務を下して欲しいですよね。あーやだやだ、大人って」
「もう今日はここまでにして眠るとするか」
「そうですね。ふあーあ」
ゲリラ入り初日、慣れぬ環境で二人は銃こそ抜いて枕元に置いたが、ホルスタは外さない。そんな状況下で愛しい男の吐息を聞きながら二人は眠りに落ちる。
◇◇◇◇
ふいに目覚めた京哉が反射的に携帯を見ると二時半だった。まだ夜明けまで三時間はある。何故目が覚めたのかといえば明らかな物音と気配がしたからだ。
同じく目覚めたらしい霧島が携帯の僅かな明かりを点け京哉に頷く。
そのまま霧島は携帯でジョセに短くメールを打つとポケットにしまって静かに動き出した。京哉も倣い、銃を手にして天幕から這い出す。吐くと白くなる息をなるべく抑え、星明かりで闇を透かし見てから一気にヘリの陰まで走った。
するとヘリと四駆の間に男が一人、胸を黒く濡らして斃れていた。立哨だ。
「何だか『滅多にない』の『滅多』が来ちゃったみたいですよ」
「何人くらい来たか予想はつくか、ヲタ?」
「どうでしょう、一個小隊なら三十人くらい……危ないっ!」
乾いた破裂音が二度響いた。間違いなく銃の撃発音、直感に任せ京哉は長身の霧島に肩をぶつけて射線から押し出す。自分は黒髪を衝撃波でなびかせつつ、同時に感じた殺気に対し応射した。シグ・ザウエルの銃口から二回、マズルフラッシュが閃く。
撃ってきた兵士二人に京哉が浴びせたのは容赦のないヘッドショットだった。
今度は四駆の陰から銃弾が二人を襲った。霧島が京哉の前に出る。細い身を庇いながら霧島が放ったダブルタップは二人の兵士の右肩にヒット。兵士たちは躰を回転させるように倒れた。
その間に背中合わせに立った京哉も、隣のヘリの陰にいた敵兵士に九ミリパラを撃ち込んでいる。霧島ほど甘くない京哉は徹底したヘッドショット狙いだ。
またも飛来した弾丸の衝撃波を耳元に感じつつ霧島が速射で二人の腹にダブルタップを見舞った。京哉が一人をヘッドショット。そのうち大天幕の方も騒がしくなる。
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