狐小路食堂 ~狐耳少女の千年レシピ~

無才乙三

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第弐皿目 ねこまんま

第弐皿目 ねこまんま

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 降りしきる夜の冷たい雨風が横殴りに戸を叩く。

 こんな日は一見さんはおろか、常連さえも食事に来る事はなかった。少し打たれるだけでも冬の雨は根こそぎ体力を奪う。人に化ける事の出来る狸や狐ならば傘を差すことは出来るが、他の動物はそうもいかない。こんな日は棲み処すみかで大人しくしているのが定石じょうせきだった。

「にゃー」

 閉店後の店外から聞こえてきたのは、何者かの鳴き声と戸をカリカリと引っ掻く音だった。初めのうちは気のせいだと思い、閉め作業を進めていた少女だったが、再び耳に届いた引っ掻き音で意を決し、戸を開くことにした。もちろん、外にいる何者かが驚かないようにゆっくりとだ。

 そうして戸から顔を覗き込むように現われたのは小さなお客様だった。少女は膝を曲げ、視線を下げて、そのお客様に応対する。

「いらっしゃいませ」
「こんばんはですにゃ。夜分遅くに失礼いたしますにゃ」

 礼儀正しく挨拶したそのお客様の正体は新雪しんせつのごとく真っ白い毛並みを持つ猫だった。しかし未だ止まずに降る雨のせいか、少し薄汚れてしまっている。小さなお客様は至極しごく申し訳なさそうに頭を下げてから、その潤んだ瞳で少女の様子をうかがうように見上げた。

不躾ぶしつけなお願いで申し訳にゃいのですが、残飯を分けて貰う事は出来にゃいですかにゃ?」

 後ろには更に小さな仔猫が二匹。母親と思しき目の前の猫の後ろに隠れ、か細い声で鳴いている。

「にゃにゃー」
「にゃんにゃんにゃー」

 まだロクに喋ることすら出来ない仔猫たちはお互いに擦り寄り、寒さをしのいでいる。見兼ねた少女は三匹の猫を店内へと招き入れる事にした。

「ねこさん。とりあえず外は寒いですし、中へどうぞ」
「申し訳にゃいですにゃ……ほら、おチビたち、中へお入り」

 にゃーと返事をして二匹が先に店内へと入る。次いで母猫が入ると静かに驚嘆きょうたんの声を上げた。

「暖かいですにゃ……」
「にゃー」

 鋭く冷たい風の吹きこんでくる戸を閉めてから、三匹の猫に少女は厚手のタオルで迎え入れる。こんな雨の日でも来店されたお客様の為にスーツや鞄などに付いた雨の滴を拭く為のタオルを常備していたのが功を奏した。タオルにもこだわっており、愛媛県の今治いまばり市で作られているタオルを使っている。このタオルは上質な手触りだけではなく、吸水性にも優れているという至高の逸品なのである。

「ありがとうですにゃ。でもどうしてこんなに暖かいのですにゃ? 外とは別世界のようですにゃ」
「うちでは裸足で来店されるお客様が多いので、床暖房を設置しているんですよ」
「床暖房……すごいですにゃ」
「温水式ですので、足元から室内全体が暖まるんです」

 ――ぐぅぅううう。

 突として母猫のお腹が空腹の音を知らせた。暖かな店内に気が緩んでしまったのであろう。緊張の糸が切れ、店内に腹の音が響き渡った。母猫は顔を真っ赤にしながら何度も何度もその小さな頭を下げる。

「す、すみませんですにゃ」
「あはは、大丈夫です。ご飯を貰いにきたのでしたね」
「は、はい。人間様のお店に来るのは勇気が入りましたが、どうにもお腹が空いてしまって……もう一週間も何も食べていにゃいのです。食材の切れ端でもお客様の食べ残しでもいいのです。どうか分けてくれませんかにゃ……」

 よくよく見れば頬はこけ、身体もほっそりとしている。これでは仔猫たちにまともに乳も上げられていないことは明白めいはくであった。もちろん少女はこの三匹の猫たちに初めからご飯をあげるつもりでいた。それも残飯ではない。この猫たちの為だけに作る料理をだ。

「今日はお客様が一番目のお客様ですので残飯はないんです。だけど、お食事はご用意致しますよ。さ、こちらへどうぞ」

 三匹の猫たちを店の奥へと案内する。実は八席のカウンターの他にお座敷の部屋が一室だけ存在する。それはカウンターに座って食事をする事が出来ない四足歩行のお客様や家族連れのお客様の為に用意された小部屋であった。
 猫たちは人間ならば二人座る事が出来る片側へと横並びで座り、息をつくと再び少女へ礼を言う。

「ありがとうですにゃ。本当に人間様には感謝してもしきれないですにゃ」
「いえいえ。気にしないでください。あ、それとわたしは人間ではないですよ」
「あれ、そういえば言葉が……」

 ふと冷静になってみると、人間に自分たち動物の言葉が通じるはずはない。母猫は注意深く目の前の人物の頭の上を見る。するとぴょこぴょこと動く狐耳が目に入った。

「まだ自己紹介してなかったですよね。わたしは白狐びゃっこりんっていいます」
「お狐様でしたか。失礼いたしましたにゃ。わたしはシロと申しますにゃ。こちらのチビたちには名前はありませんにゃ」

 どうやら訳ありのシロ一家に深く追及はせず、料理を作ってくるからしばしの間待って欲しいと凛は席を外し、厨房へと向かった。


     ◇


 カウンターの中へ入り、厨房の奥へと進んだ凛は冷蔵庫の中から牛乳を取り出し、雪平鍋へと注ぎ込む。それからコンロへ置き、とろ火に掛けた。あのぐらいの仔猫ならば流動食よりは常温程度に温めた牛乳の方がいい。もちろんただの牛乳ではない。今、凛が手にしているこの牛乳はお腹を壊す原因の乳糖を予め分解してある特別な牛乳である。
 なぜこんなものを常備しているのか。答えは簡単だ。狐小路食堂の常連の中に、生まれつき乳糖を分解する事が出来ない故にお腹を壊してしまう乳糖不耐症のお客様がいるからだ。猫は乳糖を分解する事の出来る酵素、ラクターゼをあまり持ってない。故にこの牛乳の出番なのだ。

「よし、このくらいでいいかな」

 火を止め、少し粗熱を取っておく。この間に取り掛かるのは母猫の食事である。一週間も何も食べていないと言っていたので、いきなり高カロリーの食べ物はあまり良くはない……となればアレしかないだろう。
 縦三十センチ、横二十センチ、高さ二十センチほどの桐箱きりばこを取り出し、中に入っていた二本の鰹節かつおぶしの状態を確認する。見た目は流木りゅうぼくのようでもあるが、硬さや重さは流木のそれとは大きく異なる。二本の鰹節同士を叩くとカンカンと拍子木ひょうしぎを打ち合わせた時のような高く澄んだ音が響いた。防湿と防虫効果、そして温度変化に強い桐を箱材として使用しているだけあって、鮮度は良好なようだ。

「どっちにしようかな。うーん……やっぱこっちかなぁ」

 二本あるうちの、ふっくらした方を手に取る。こちらは雌節めぶしと呼ばれる腹側で、脂があるため、背側より味わいが濃厚という特徴がある。凛が今から作ろうとしている料理には雌節が合うと踏んだのだ。ちなみにもう一つの方は背側で雄節おぶしと呼ばれていて、こちらは上品な味わいが特徴で、薄味の出汁などに使われる。

「よしっ」

 一言だけ呟き、もう一つ、同じくらいの大きさの桐箱を取り出し、上蓋を開ける。今度は鰹節ではなく白樫しらかしで作られた鉋台かんなだいが現われた。釘を一切使用せずに木だけで組み上げられた、職人が手作業で作った鰹節削り器である。
 出汁を引くのにも、そのまま使うのにも凛はこの削り器で自ら削り、料理に使用している。いわば愛用品である。
 手馴れた手つきで削り器を腰より低い位置に置き、台が動かないよう、しっかり固定させる。鰹節を持ち、体重をかけて上から下に押しつけ、前方へ押し出すようにして削っていく。鰹節は日本が誇る世界一硬い食品だ。それを削ろうというのだから一苦労も二苦労もある。

「これくらいでいいかな……」

 ここからは時間勝負だ。炊飯器からお椀へ、ほかほかのご飯を盛りつけ、その上に出来た削り節をふわりと乗せる。それからご飯の中央を窪ませ、生卵を割り入れる。そして仕上げに小豆島しょうどしまの出汁醤油を回し入れた。
 これだけで完成するのは――言わずとしれた究極の時短ご飯、ねこまんまだ。

 予め用意していた浅皿に牛乳を注ぎ、それを素早くお盆へと乗せる。もちろん出来たばかりのねこまんまも一緒にだ。


     ◇


「お待たせいたしました。まずはこちらをそちらのお子さん達へ」

 仔猫の前にウェイターがフランス料理を給仕するように白い浅皿を置いていく。牛乳からは、普通の牛乳とは違う、ほんのりと甘い香りが漂っている。

「にゃー」
「どうぞ、召し上がれ」

 二匹の仔猫がほぼ同時に首を伸ばし、ぺちゃぺちゃと音を立てて牛乳を飲む。その顔は見ている側も思わず微笑んでしまうほどに幸せそうな顔で、凛も例外なく、ほっこりとした顔で見つめる。それから、一番お腹を空かしているであろう母猫に向き合った。

「そしてシロさんには、これを」

 目の前に湯気が立ち昇る、ねこまんまを置くと、シロは目を見開き、思わず身を乗り出した。しっとりと湿った鼻に鰹節と醤油の香ばしい匂いが届き、くすぐったのだ。

「これは……ねこまんまですかにゃ?」
「はいっ。鰹節は削りたてなので、香りが格別だと思います」
「はいですにゃ……すごくいい匂いがしますにゃあ……」
「どうぞ、温かいうちにお召し上がり下さい」
「……いただきますにゃ」

 その小さな両手でしっかりと、肉球をぷにゅうと押し当てるようにお椀を包み込み、もう一度香りを堪能してから、ねこまんまにかぶりつく。

「はむっ…………」

 一瞬、動きが止まったシロだったが、すぐに顔を綻ばせ、

「ふにゃぁ……とっ……とろけますにゃあ……」

 と、だらしない顔を見せた。

「なんですかにゃ? この鰹節は……お口の中でふんわりと、とろけますのにゃ」
「鰹の腹側を使ってまして、こちらは背側とは違い、削ってもそのほとんどが粉っぽくなってしまうのですが、削りたてはこのようにふんわりとなるのです」
「なるほどですにゃ。今まで見知っていたものは鰹の背側だったとは初耳でしたにゃ」

 そうしてもう一口、二口と食していく。

「美味しいですにゃ……この卵も濃厚でコクがあって美味しいですにゃ。鰹節と卵が醤油と絡み合って……ああ……最高ですにゃあ……」

 至福のひとときを味わったシロは、お椀に米一粒すら残さず綺麗にねこまんまを食べ切り、再び幸せそうに微笑んだ。

「喜んでくれて良かったですっ」
「はいですにゃ。堪能させていただきましたにゃ」

 その笑顔に比例するように絶え間なく降り続けていた雨が止み、雨音が消える。

「お。雨が止んだみたいですね」
「はいですにゃ。そろそろ、御暇おいとま致しますにゃ。お金は……これしかないのですが……」

 そう言ってどこからともなく、取り出した黄金色に輝く五円玉をテーブルへと置き、凛へと向き合う。だが凛はお金は受け取らないと首を横に振り五円玉を返した。

「御代は大丈夫です。美味しいって笑顔で言って頂いただけで充分ですから」
「でっ、ですが……こんなに美味しい料理をご馳走してもらってタダというのも……」
「それならこうしましょう。このを御代として頂くことにします。是非またお腹が空いたら、いつでもいらっしゃって下さい」
「凛しゃま……ありがとうございますにゃ……」
「にゃー」

 仔猫もお礼を言い、三匹の猫は立ち上がる。

「雨は止みましたが、地面はまだ濡れてます。お気をつけてお帰り下さいね」
「お気遣い感謝しますにゃ。とってもとっても美味しいご飯をありがとうございますにゃ。このご恩は一生忘れませんにゃ」
「とんでもございません。またのご来店をお待ちしております」


 それからひと月ほど時が流れたが、あの野良猫の母子たちが再び店に姿を見せる事は無かった。元気でやっているのだろうか、元気で居て欲しい。そう切に願わずにはいられなかった。
 あの時のように降り頻る雨音を聞きながら、凛は誰も居ない店内で一人、店仕舞いをするのであった。
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