狐小路食堂 ~狐耳少女の千年レシピ~

無才乙三

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第参皿目 ポテトサラダ

第参皿目 ポテトサラダ

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 人で溢れる繁華街はんかがい
 そこから外れた細い小道を進んだ先にある一軒の店、狐小路食堂。

 そんな狐小路食堂には連日連夜、迷い込むように一見さんが多く訪れている。だがこの店を支えるのは店のファンであり、ひとりで店主を務める狐耳少女、りんのファンでもある常連客たちである。本日、お見えになったお客様は、その常連客の中でも特に凛と仲が良く、誰もが認める上客じょうきゃくのひとりだ。

「――本当にお久しぶりですね、熊吾郎くまごろうさん」
「ああ、ほんまに久しぶりやな」

 凛がその愛くるしい目を細めてニコリと微笑むと、カウンターをへだてて対面に座っていた黒スーツを着込んだ熊が頭をポリポリと掻いて照れくさそうに笑う。

「突然来られなくなったので、心配してましたよ」
「忙しくてな。連絡が出来んかったんや。すまんな……」

 申し訳なさそうに呟いてから首元の赤いネクタイを緩めると、疲れを吐き出すようにふうっと息を吐いた。

「……あの頃は毎日来とったからな」
「ええ、本当に……」
「ああ、そうだ。凛ちゃん、土産を買うてきたぞ」
「毎度毎度、ありがとうございます。熊吾郎さんには本当にお世話になりっぱなしですね」
「何言うとる。世話になっとるのはワシの方や。来るたんびに凛ちゃんの料理に驚かされとるんや」

 そう言って熊吾郎は紙袋いっぱいに入った、じゃがいもを凛に手渡す。凛の作る料理に惚れ込み常連となった熊吾郎は、顔を見せる度に毎回お土産を持ってきていた。

「今日はワシがこの店に通い始めて、だいたい一年経った頃やろ? ちゅー訳で、じゃがいもを買うてきた」
「これは……」

 袋の中の一つを手に取り全体を見回す。卵のような形でやや小ぶり、皮色は黄褐色おうかっしょくをしている。

「これはもしや……」
「そうや」
「……あの時を思い出しますね」
「ああ。あん時のワシは傲岸不遜ごうがんふそん極まりなかったやろう?」
「いえ、そんな事は……」
「いや、あん時のワシはどうかしとった。まさか自分の舌と胃を満たしてくれる料理に出会えるとは思わんかったんやろうな」

 昔の出来事を思い返すように熊吾郎は天井を見上げると、静かに目を閉じた。
 そう、あれは今から一年ほど前。熊吾郎がこの店の常連となる切っ掛けとなった日。十月に入ったばかりの、とある夜だった――。


     ◇


 秋も深まり、夕方になり冷え込んでくると、お客様は足並みを揃えて続けざまに退店していく。そして夜のとばりが下り始めて来た頃、入り口を覆い尽くさんばかりの影がぼんやりと戸に映った。そうして傲然ごうぜんたる姿で凛の前に現れたのは熊のような態様をした――いや、熊だった。

 上下黒のスーツに白シャツ、首元には黒糸で龍の刺繍が施された赤色のネクタイと往年おうねんのマフィアのような格好をしてはいるが、それはまぎれもない熊であった。
 その熊は、頭に被った黒の中折れハットが暖簾でずれないように押さえながら、店の中へと入り、沈むようにどっしりと席に腰掛ける。

「邪魔するで」

 貫禄かんろくのある低音の声を発し、カウンターの奥で調理器具を片付けていた凛の横顔を品定めでもするかのように目を細め、探るような視線を送る。
 その態度は傍目はためには横柄おうへいに映るが、凛は全く動じている様子はなく熊に向き合うと、にっこりと微笑み、頭を垂れ、温かいおしぼりを差し出した。

「いらっしゃいませ。寒かったでしょう、こちらおしぼりで御座います」
「おう」

 おしぼりを奪うように手に掴むと、乱雑に手と顔を拭き、ぐしゃぐしゃに丸めたおしぼりをカウンタに置く。

「それで、この店は何を出してくれるんかいのう」
「……そうですね、お客様の望むものをお出ししております」
「ほう。客の望むもんを出してくれるんか。なら、キャビアじゃ。キャビアを使った料理を出して貰おうかいの」
「……キャビア、ですか」

 少し考えるように呟き、親指と人差し指を顎に当てた凛の行動を見逃すまいとカウンターに片腕をつき、前のめりになる。

「なんや、客の望むものを出してくれるんやろ? お? 出せんのか?」
「いえ、どのようなお料理にしようか考えていたのです。もちろん出させていただきますよ、お客様が笑顔になる、そんなお料理を」
「ふん。笑顔やと? そんなんどうでもええわ。美味い料理を出してくれればそれでええ」

 悪態をつく熊だったが、凛は変わらず笑顔を見せ、頭を下げる。

「では……少々、お待ち下さい」
「おう、行ってこい。キャビアやぞ。忘れるなよ」
「はい。かしこまりました」

 凛が奥にある厨房へと消えたのを確認して、熊は鼻で笑う。

「ふん。こないな店でキャビアなんぞ出せるものか」



     ◇



「……お待たせ致しました」

 しばらくして凛が持ってきた料理が熊の目の前に出される。
 赤を基調としたモダンな漆器しっきいっぱいに敷き詰められたイクラ。その上には大葉、そして濃黄色のポテトサラダが盛り付けられ、上からは零れんばかりのイクラが乗せられている。

「なんやこれは」

 ドスの効いた声で目を見開き、その鋭い眼光で凛を睨みつける熊。
 だが、凛は臆したりはしない。

「はい、ポテトサラダで御座います」
「御座いますっておいおい。ワシの頼んだんはイクラやない。キャビアや」
「いえいえ、お客さま。キャビアですよ」
「なんやとォ? ワレェ……ワシの事を見くびっとん――」

「お客様、ヨーロッパでは魚卵全体のことをキャビアと呼ぶのです。ですのでこれは立派なのキャビアですよ」

 なんの迷いもなくそう言い放つと、熊は呆気に取られたような顔で口をあんぐりと開ける。そんな熊を差し置いて、カウンターに透明なグラスをことりと置くと、無色透明の液体を注いでいった。

「そしてこちらはそれに合うで御座います」

 カウンターに置かれたとポテトサラダの上に乗ったの卵を交互に見ながら呆然とし――やがてゆっくりと肩を震わせる。

「くくく……くはははは。こりゃ一本取られたわい。熊に鮭の卵。そして酒。うまく掛けたな、ワシの負けじゃあ。ありがたく頂くとしよう」

 ポテトサラダの山の山腹さんぷくを箸で器用にすくい上げ、口の高さまで持っていく。

「まずは、ポテトサラダだけを頂くで」

 まるで人でも食らうかのように大口を開けて、それを口の中へと運ぶ。その時だった。表情が劇的に変化したのだ。小馬鹿にするような笑みから驚きの表情へ。負けを認めたのは酒と鮭を掛けた凛の返しに対してであり、料理自体にでは無かった。だが確実に、この一口が彼の中の何かを弾けさせたようだった。

「なんじゃこれは……甘い。砂糖でも入っとるんか?」
「砂糖は一切使用しておりません。その甘さは、芋自体の甘みで御座います」
「芋の……? それじゃこれは薩摩芋か何かか? それならこの甘さは頷けるが」
「いえ、じゃが芋でございます」
「なんやと!」

 突然激昂げきこうしたようにカウンターに両手を打ちつけ、席を立ち上がる。それから一呼吸置いた後、咳払いをして再び席についた。

「失敬。少々取り乱した。これがじゃが芋というのは、ほんまか?」
「はい。インカのめざめという北海道産のじゃが芋を使用しております」
「インカ……?」
「南米アンデスのじゃが芋を日本の風土に合わせ、品種改良したものです」
「ほう。北海道にこんなものがあったとは知らんかったわ」
「栽培方法が難しく、北海道の一部の農家さんだけで栽培しているものでして」
「なるほどな。貴重な品種つーことか」

 そう言って再びポテトサラダに箸を伸ばす。今度はただ食べるだけではなく、味わう為に。逆側の山腹を抉るように箸で器用に掴み、また一口目を口へと運ぶ。素材の旨みを確かめるように目を閉じてそれを味わっていく。

 やがて舌で存分に味わい、ごくりと喉を鳴らして飲み込むと、目を見開いた。

「……まず感じたんは、さつま芋や栗の甘みと比較しても引けを取らない濃厚な甘みや。普通のじゃが芋の糖度が五程度なのに対し、これは八……いや十はある。そしてなにより、この滑らかな舌触りは格別や。ポテトサラダ独特の粉っぽさがまるでない。じゃが芋の肉質自体が粘質なんやろうな。そして、じゃが芋と共に混ぜられたこれは――鮭やな。ほぐされた鮭の塩味が、じゃが芋の甘みをより一層引き立てとる……」

 少し興奮しているのか、矢継ぎ早に感想を口にすると凛の顔を見て、静かに吐息を漏らす。

「それじゃ、酒もいただくで」

 目の前に置かれたグラスをひょいっと持ち上げ、縁に口をつけてクイッと口に含む。まるでワインでも嗜むかのように舌で転がしながら味わうと、ごくりと飲み込んだ。

「こりゃあ……」

 そう呟いてグラスを一旦置くと、両端の抉れたポテトサラダを箸でつまみ上げ、大量のイクラごと口へと運ぶ。そして何度か咀嚼し、全て飲み込まぬうちに再び酒を口へと流し込む。
 それから無言でことりとカウンターに酒を置くと、顔を伏せ、俯き加減で両腕を震わせた。

「な、なんやこれは……」

 震えを止めたが、未だ俯いたままの熊に凛は微笑んで答える。

「お客様、お気に召しましたか?」
「ああ……酒が美味いのもあるやろうが、ポテトサラダとすこぶる合う。これは生酒やな。なんという銘柄や」
獺祭だっさいでございます」
「ほう、獺祭か。山口県の銘酒やな。何種類か飲んだ事はある。だがこれはワシの記憶にはない味や……」

 グラスを手に取り、もう一口。

「……含んだ瞬間に口いっぱいに広がるんは、まるで洋梨かと錯覚するかのような、米の柔らかな甘みや。だがそんな柔らかい口当たりの中に酸味が隠れとる。もちろん酸味、言うても酸っぱい訳やない。程良く締りがある味わい深い酸味で、旨甘酸っぱいと表現するのがいいやろ。そして鼻から抜ける蜂蜜のような華やかな風味と、喉をするりと通った時のまるで名水のような、すっきりとした喉越しは……癖になるな」

 またもや捲し立てるように感想を連ねた熊は、ようやく顔を上げる。

「色々、言うたが……」

 その熊の顔は、咲き誇る花のように満面の笑みを形作っていた。

「最高に美味い。その一言に尽きる、これは素晴らしい酒や」
「喜んでいただけたようで幸いです」

 熊の笑顔を見れた凛もそれに負けず劣らずの笑みで返す。

「それで、この獺祭の種類は何や? 名を教えてくれんか。これは今後も是非呑みたい。出来れば毎日呑みたいぐらいや」
「……寒造早槽、しぼりたて生で御座います」
「かんづくり……はやぶね……。ううむ、やはり聞いた事のない名やな」
「このお酒は冬季限定でして。十月から十二月に掛けての、ごく僅かな期間でしか販売されていないのです」
「ああ、道理で。ワシは冬の間は冬眠しとるからな……だが呑めて良かった。これからは毎年、冬眠前にこれを呑むっちゅー楽しみが出来たんやからな」

 残りのポテトサラダをイクラごと食べ、酒も飲み干すと、凛のビードロのような綺麗な金色の瞳を凝視した。

「もちろん、ポテトサラダも一緒にやぞ」
「はい。喜んで、お作り致します」

 凛の言葉を聞いて再び口角を上げた熊だったが、突として真面目な顔に戻し、凛に尋ねる。

「――ところで、白狐の嬢ちゃん。名は何という」
「凛と申します」
「凛……? ううむ、どこかで聞いた事のある名やな。じゃが、思い出せん……」

「気のせいだと思いますよ。わたしはしがない食堂の店主ですから」
「そうか……? まぁ良い。凛とやら、気に入ったぞ。このポテトサラダは美味い。酒との相性も最高や。ワシの舌を満足させるもんに出会ったんは正直ゆうて久しぶりや」
「ありがとうございます」

 座っていた姿勢を正し、大股を広げて満面の笑みで熊は声高に叫ぶ。

「もっと美味い料理を! ワシを満足させる料理を出せるか、凛!」
「わたしの力と時間の許す限り、作らせていただきます」
「よっしゃ! 今日はとことん飲むでぇ! お、そうや! 凛も付き合え!」
「いえ、わたしはお酒はあまり……」

「なんや、遠慮するなや! 見た目は幼いが歳は結構いっとるんやろ? なんせ白狐やからなぁ。確か丘の上にある稲荷神社の狐も白狐やったと聞くしのう」
「……おんなのこに失礼ですよ、熊さん」
「がっはっは! すまなんだ! だが少し付き合ってもらうぞ!」
「まぁ一杯だけだったら……いいですよ?」
「よっしゃあ! 飲むで! 食べるで! 騒ぐでぇ! ワシの名は熊吾郎! 森一番の美食家、熊吾郎や!」



     ◇



 こうした出来事を機に、熊吾郎は足繁く通うほどの狐小路食堂の常連になったのである。もちろん一年とちょっとの記念日である本日も、一杯だけでなく朝まで飲み明かしたのは言うまでもない。

 今日も暗い暗い路地の奥――狐小路という名の通りには一筋の灯りがともっている。人には見る事の出来ないその灯りは、今日も道を照らし続けている。
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