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06:これからのこと
しおりを挟む「もしご迷惑でなければ、熊谷さんの具合がよくなるまで私が乃蒼ちゃんを預かりましょうか?」
そう凪咲が改めて提案したのは、夕食も終えた頃。
あのあと乃蒼のシャワーを終えて髪も乾かし、更に「まだ夕飯も届いてませんし」と武流にもシャワーを浴びるように進めた。彼がシャワーを終えて出てくるのとほぼ同時に夕食の宅配が届き、三人でテーブルに着いて食事を始める。
そうして食べ終えて乃蒼がデザートのアイスを堪能している中、武流が淹れてくれたお茶を飲みながら提案したのだ。
「え、預かるって……、柴坂さんが?」
「はい。といっても今日みたいに一緒に過ごしたり、ご飯を食べて待ってるぐらいしか出来ませんけど」
「そんな、今日だけでもご迷惑をおかけしたのに、そのうえ更に頼るなんて出来ません」
「気にしないでください。それに、乃蒼ちゃん、幼稚園が楽しいみたいで色々と話してくれたんです。今度遠足もあるんですよね? 休園するならそれも行けなくなっちゃうし」
武流の帰宅を待っている間、乃蒼からは色々と話を聞いた。
その中でも特に多かったのが幼稚園の話だ。友達といつもこんな遊びをしている、今日はこんな話をした、昨日はあれをして遊んだ。先生は優しくていつも褒めてくれる。
それらを語る乃蒼は嬉しそうだった。とりわけ来月予定されている遠足は心待ちにしているようで、壁に掛かっているカレンダーに駆け寄って「この日に行くの!」と『遠足』と書かれた日付のマスを指差していたほどだ。
仮に遠方の親戚のもとへ預けられることになれば、幼稚園の友達とは会えなくなり、楽しみにしている遠足にも行けなくなる……。
この件に関しても、否、少なくとも凪咲が聞いた事情に関して、乃蒼は何一つとして悪くない。
だけど一番割を食っているのは乃蒼だ。両親を亡くし、一時は施設に預けられ、ようやくこの場所に落ち着けたかと思えば、再び祖父母のもとへと預けられて楽しみにしていた遠足も不参加……。
大人の事情で仕方ないというのも分かるが、これではあまりに可哀想ではないか。
「ですが柴坂さんのお仕事も……。あっ、」
凪咲の仕事について聞きかけ、武流が慌てて言葉を止める。
その気まずそうな表情は先程の乃蒼とそっくりではないか。思わず凪咲も一瞬で察してしまう。
「働いてないわけじゃないですよ。在宅で仕事をしてるんです」
「そ、そうなんですね、すみません逆に失礼な物言いになってしまって。ですがいくら在宅とはいえ、乃蒼を預かっていればお仕事の邪魔になるかもしれません」
「乃蒼ちゃんは良い子だから大丈夫ですよ。でも、武流さんのご迷惑になるようでしたらもちろん無理にとは言いません」
今日一日こそ密に過ごしたが、今まで互いの事は知らなかった。何度かエントランスホールで顔を合わせる程度で隣家ということすら知らなかったのだ。そんな浅い関係の相手に子供を預けるなんて不安を抱いて当然。
だからこそ凪咲も無理強いする気はなく、もう一度武流が辞退を口にしたら従うつもりだった。「それなら何かあったら頼ってください」程度に留めて彼から助けを求めてくるまで大人しくしていようと考えていた。
だがそんな凪咲の考えを他所に武流は何かを考え込み、次いで隣に座る乃蒼に視線をやった。
「武流おじ様、私、良い子にしてるからここに居たい」
「乃蒼……。そうだな、遠足楽しみにしていたもんな」
乃蒼を安心させるためか武流が優しく微笑んだ。穏やかで暖かな笑みだ。そっと優しく乃蒼の頭を撫でる。
次いで彼は凪咲に向き直ると深く頭を下げた。
「申し訳ありませんが、よろしくお願いします」
「そ、そんな、大袈裟ですよ。顔を上げてください」
「ご迷惑であればすぐに仰ってください。俺も出来るだけ柴坂さんの負担にならないように仕事をしますし、柴坂さんの予定がある時は職場に連れていくなりして対応します」
頭を上げてもなお武流は真摯な態度を崩さず、じっと凪咲を見据えて乃蒼を託してきた。
責任感のある男なのだろう。ゆえに仕事を無下にも出来ず、そして乃蒼の事も真剣に考えているのだ。時間にすれば決断までは短かったが、その間には凪咲では想像も出来ないほどにあれこれと思考したのだろう。
ならばと凪咲もまた真剣な表情で「はい」と返した。
この空気に当てられたのか、乃蒼もまた幼いながらに真剣な表情をし、
「良い子にしますのでよろしくお願いします」
と、アイスを口元に着けたままペコリと頭を下げた。
◆◆◆
その後は幼稚園についての話や緊急時の連絡先などを話し、凪咲は自宅へと帰った。
といっても自宅は隣だ。「お邪魔しました」と挨拶をして乃蒼と武流に見送られて数歩で家に着く。時間にすればたった十秒程度。
ちらと横を見ればまだ二人は玄関扉を開けて隙間からこちらを見ており、乃蒼が最後に一度小さな手を振ってくれた。
そうしてシャワーを浴びて就寝までの時間をテレビを見ながら過ごし、そろそろという時間に寝室のベッドにボスンと倒れ込んだ。
「なんだか色々あって長かったのか短かったのか分からない一日だったわ」
昨日まで、それどころか乃蒼が訪ねてくるまで、隣家に対しては「どんな人が住んでるんだろう」ぐらいだった。
並びで住んでいるので興味はあるが、かといって探るほどのものでもない。生活していればいずれは顔を合わせるだろう……、と、その程度の認識だったのだ。
思い返せば、引越しの際にも『女一人暮らしだから挨拶しない方が良いか』と考えて声を掛けなかった。
それがまさか、壁一枚挟んだ向こうには事情を抱えた叔父と姪が暮らしていたなんて。
それも、自分で言いだしたとはいえ幼い少女を預かることになるなんて……。
「今になって考えると、私らしくない提案だわ」
凪咲はコミュニケーション能力が高いわけではない。初対面の相手には緊張するし、子供の相手が得意というわけでもない。むしろ三人兄妹の末子だったため、自分より幼い子と接した記憶は数える程度しかない。
仮に間宮家との出会いがエントランスホールや互いに出掛けたタイミングの玄関先であったなら、当り障りのない挨拶を交わすだけだったろう。小さい子供がいるからと積極的に接しようとは思わなかったはずだ。
それなのに乃蒼を預かるとまで言い出した。
なんとなく彼等の助けになりたいと思ったのだ。
幼いながらに深い事情を抱えた乃蒼。
……それと、そんな乃蒼を支えるため、仕事と育児の板挟みになっている武流の事も。
「私に何が出来るか分からないけど、私が出来ることならしてあげたい。乃蒼ちゃんにも、……武流さんにも。これじゃあお隣さんの域を出ちゃうかな」
彼等を想うあまりにお節介にならないようにしないと。
そう凪咲は自分に言い聞かせ、部屋の明かりを消した。
壁一枚挟んだ向こうで、乃蒼と武流はどんな事を話しているだろうか。
彼等はもう寝ているだろうか。
そんなことを考えながら、ゆっくりと眠りについた。
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