小さなお嬢様が繋ぐ、エリート医師とのお隣生活 

ささきさき

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12:遠足のリュックサック

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 それ以降も間宮家との関係は明確には変わらなかった。
 あの晩があったからといって疎遠になるわけでもなく、さりとて、無理に関係を深めようともしない。
 武流が仕事の時は乃蒼を預かり、彼が帰ってくるのを待つ。武流が休みで家に居るときは凪咲は自宅で一人で過ごす。
 だが時には夕食を共にする事もあり、休みの日には誘われて彼らと出かける事もあった。家具や大物を買う時に武流が車を出してくれるのはとても有り難い。

 だが一線を越えるような事はしない。
 夕食後に乃蒼が寝ても酒は飲まず、あの晩のことは口にはしない。

 お隣さん以上でありながら、かといって恋人というわけでもない。
 なんとも不思議な関係ではあるが、ゆっくりと近付く距離感は愛おしく思えていた。



「乃蒼ちゃん、びっくりするほどふくれっ面だね。どうしたの?」

 凪咲が話しかけたのは、あの晩から二週間が経ったとある日の朝。
 ゴミ出しのためにマンションのエントランスホールに出たところ、武流と彼に抱っこされている乃蒼を見つけたのだ。
 今日は二人とも休みのため預かる予定は無い。だが挨拶ぐらいはと声をかけ……、振り返った武流の腕の中でムスとしている乃蒼を見て先程の発言である。
 それはもう一目で不機嫌と分かる顔で、額に『ご機嫌斜め』と書いているようなもの。幼い顔ながら一丁前に眉根を寄せている。

「武流さん、何かあったんですか?」
「それが……、今日は遠足のリュックサックを買いに行く予定だったんです」

 遠足とは乃蒼が楽しみにしていた幼稚園の行事だ。
 確か明後日ですよね? と思い出しながら問えば武流が頷いて返してきた。この間も乃蒼は不機嫌を露わに武流の首にしがみついている。
 普段であれば「凪咲お姉様ごきげんよう」とお嬢様らしく挨拶をしてくれるのだが、どうやら今はその余力は無いようだ。

「買いに行こうと思っていたんですが、さっき病院から連絡が入ってしまったんです……」

 曰く、どうしても武流の対応が必要なのだという。
 内容までは詳しくは分からないが、それでも医者という彼の立場からすると緊急性を要するものなのだろう。それも休みと分かったうえで呼び出すのだからよっぽどだ。

 だが思い返せば、過去何度か同じような事はあった。
 武流は腕が良く院内でも重要なポジションに着いているらしく、そのため緊急で呼び出されることが稀にある。
 そういう時、武流は申し訳なさそうに凪咲の都合を聞いてくるのだ。
 根からインドアな凪咲は必ずといっていいほど家にいるので、二つ返事で了承して乃蒼を預かっている。
 ――「このままだと引きこもりだと思われるかも。たまには出先で連絡を受けてみた方が良いのかしら……」と悩んだことがあるほどだ。ちなみに一度だけ出先で武流から連絡を受けた事があるが、家から徒歩五分のコンビニエンスストアに居たのでなんら問題は無かった――

「それなら乃蒼ちゃんはうちで預かりましょうか?」
「お気遣いありがとうございます。できればお願いしたいんですが、ただ今日の乃蒼は……」

 次第に武流の口調が歯切れの悪いものへと変わる。
 それと変わるように、彼にしがみついていた乃蒼が「リュックサックゥ……」とうなり声をあげた。

「メルティララちゃんのリュックサック……。武流おじ様、買いに連れて行ってくれるって約束したのに……」
「乃蒼、悪かったよ。リュックサックは俺が買ってくるから」
「おじ様は絶対に間違えるからいやぁ……、乃蒼が選ぶのぉ」

 泣きこそはしていないが、乃蒼の口調はいかにも『ぐずっている子供』だ。これはしばらくしたら泣き出すかもしれない。
 武流もそれを案じているのか「悪かったよ」「ごめんな」と平謝りだ。

「乃蒼の好きなキャラクターのリュックサックだろ。仕事の合間に時間を見つけて買ってくるよ。絶対だ」
「おじ様じゃ無理……、おじ様は違うの買ってくるぅ……」

 涙声で乃蒼が訴える。武流の肩口に顔を埋めふてくされるように「武流おじ様じゃララちゃんは分からない」と断言までしている。
 聞き分けの良い乃蒼らしからぬ態度だが、年相応と言えば年相応でもある。
 とりわけ今日の乃蒼は約束を反故にされた側なのだから駄々をこねる権利はあるのだ。

「武流さん、随分と信用がないですね」
「……実は、以前に一度違うキャラクターのものを買ってきてしまったんです」
「前科一犯でしたか……」
「お恥ずかしい話ですが、どうにもキャラクターの区別が付かなくて……。でも今回は大丈夫です。乃蒼、乃蒼が好きなのはちゃんと分かってるから。ピンクの髪の赤い服の子だろ? 」

 乃蒼の信用を得るためか、武流がメルティララの特徴を上げていく。
 髪色、髪型、どんな服を着ているのか。更には携帯電話に画像を出して『この子だろう?』と直接確認する。きっと分からないなりに乃蒼のために調べたのだろう。
 その努力は見ている凪咲にも伝わってくる。
 だけど……。

「武流さん……、とても言いにくいのですが、その認識だと再犯の可能性は高いです……」
「な、なぜですか!?」

 まさか凪咲から駄目出しを喰らうとは思っていなかったのか、武流の表情が深刻なものに変わる。
 彼はこれだけ特徴を押さえたから十分だと思っているはずだ。確かに武流はきちんと調べており、ただのキャラクターものならば十分お目当ての品物に辿り着けただろう。

「メルティシリーズは長期に渡って続いている作品なんです。シーズン毎にキャラクターが変わっていて、同作品内でも何パターンも変身します。特に乃蒼ちゃんが好きなララはメインキャラのためバリエーションが多く、更にアニメ・映画・ゲームといった媒体毎に絵柄や設定も変わります」
「……えっと、それは」
「乃蒼ちゃんが好きなのはアニメの今シーズンのララだと思うんですが、今既にララは三バージョン着替えていてそれぞれのグッズが出ています。武流さん、どの、メルティララかは分かりますか?」
「わ、分かりません……」

 凪咲の説明に圧倒されたのか武流の返事は若干上擦っている。
 会話の最中にポスンポスンと聞こえてくるのはきっと抱っこされている乃蒼が武流の背中を叩いているのだろう。耳を澄ませば『ほら見た事か』と言わんばかりの唸り声が聞こえてきた。
 武流の表情がますます切羽詰まったものに変わっていく。
 挙げ句に、仕事帰りに片っ端からリュックサックを買ってくるとまで言い出すではないか。酒ならば余っても飲めば良かったが、さすがにリュックサックは無駄になってしまう。

「あの、もしよければ私が乃蒼ちゃんを連れて買いに行きましょうか?」
「えっ、でも、さすがにそれは……」
「駅前のデパートなら子供用のリュックサックも置いてあるはずです。買って帰るだけなら三十分ぐらいで済みますから」

 件のデパートは三階建ての商業施設で、子供向けの雑貨屋と子供服売り場があった。女児に人気のアニメのリュックサックとなればどちらかの店には必ず置いてあるはずだし、もし種類が多く迷ったとしても同じ施設内なのでそう時間もかからないはずだ。
 乃蒼の歩みに合わせたとしてもたいした時間にはならないだろう。
 だからどうだろうと提案すれば、さすがにそこまで世話になるのは躊躇われるのか武流は返答にあぐねいている。
 だが彼の肩口に顔を埋めて背中を叩いていた乃蒼が「行く!」と顔を上げた。

「凪咲お姉様とララちゃんのリュックサック買いに行く!」
「乃蒼……」
「良い子にしてるし、ちゃんと凪咲お姉様の言うこと聞く。手も繋いで歩く! リュックサック買ったらすぐに帰ってくるもん!!」

 武流に抱っこされていた乃蒼がもぞもぞと動き出し、ぴょんと降りるや凪咲の隣に立った。
 凪咲に身を寄せ、それだけでは足りないと服の裾を掴み、じっと武流を見上げる。幼いながらに頑として譲るまいという意思が伝わってくる表情だ。
 元より己の仕事の都合で乃蒼との約束を反故にしかけていた非は自覚しているのだろう、武流は一瞬困惑の表情を浮かべたものの、腕時計を見ると申し訳なさそうに凪咲へと視線を向けてきた。きっと迷っている時間も彼にはないのだ。

「柴坂さん、申し訳ありませんがお願いしてもよろしいでしょうか」
「はい。乃蒼ちゃん、出かけるために準備するからまずは私の家に来てもらっていい?」
「分かった! 武流おじ様、乃蒼ちゃんと良い子にするから大丈夫よ!」
「分かったよ。でも柴坂さんの言う事を聞くんだよ。車にも気を付けて。他のお店に行きたいとか言ったら駄目だからな。それと……、っと、まずい時間が」

 時間が迫っているのだろう、武流が腕時計を見て慌てだす。
 そうして「お願いします」と改めて一度頭を下げて駐車場へと向かっていった。乃蒼が「いってらっしゃーい」と手を振ってそれを見送る。
 凪咲もまた武流の背に「いってらっしゃい」と声を掛けた。


 凪咲が予想した通り、駅前のデパートに乃蒼が望むリュックサックがあった。
 ピンク色の子供用のリュックサック。アニメのキャラクターが描かれ、サイドにはチャームも着いている。いかにも子供用といったデザインが愛らしい。
 それを購入し手を繋いで家へと戻り、武流の帰りを待つ。
 乃蒼は帰るなりさっそく遠足の荷物をリュックサックに詰め始めた。遠足のしおり、レジャーシート、ハンカチ、ティッシュ。一つ一つまるで点呼を取るように名前を口にしながらリュックサックに入れ、そしてチャックを締めると背負ってくるりと回った。
 その姿はまさに遠足を前にして浮かれる子供そのもので、凪咲は携帯電話でリュックサックを背負う乃蒼を写真におさめると武流へと送った。 

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