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25:三度目の夜が明けて、朝
しおりを挟む密事の後の疲労感を感じながら凪咲はくったりとベッドに横になっていた。
暖房をつけていないのに体は程よく熱を残しており、このまま眠れたらどれだけ心地良いだろうか。そんな欲望を後押しするように意識が微睡みかけてしまう。
眠っては駄目だ、と軽く首を横に振って身を起こし、ひとまずシーツの上に放られていたショーツを履く。洋服は……、と周囲を見るも、洋服に手を伸ばすより先に武流が部屋に戻ってきた。
既に彼はパジャマに着替えており、それが余計に自分の裸を意識させる。慌てて布団を手繰り寄せて体に巻き付けた。
「水を持ってきました。それと俺の服ですが、パジャマに出来そうなものを」
話す武流の手には、ペットボトルの水と紺色のスウェット。
「パジャマ?」
「凪咲さんさえ良ければ、今夜はここで眠ってください」
「……え? でも武流さんは?」
「さすがに乃蒼に見られたらあれなんで、俺はリビングのソファで寝ます。倒せばベッドになるし、来客用の布団もありますから」
「そんな、隣だし帰りますよ」
確かに体は疲れている。仮にこれが何十分も歩く距離や、ましてや電車に乗って帰るような距離であったなら話は別だが、凪咲の家は隣。帰ると言っても玄関を出て数歩の距離だ。
その距離を惜しんで武流をソファで眠らせるわけにはいかない。
そう凪咲が話すも武流は少し困ったように笑うだけで、凪咲の隣に腰掛けた。
まずはと言いたいのだろうペットボトルを手渡してくる。受け取って飲めば冷たい水が体に染み込むように流れていった。火照った体が冷やされていく。
「俺のことは気にしないでください」
「……でも」
「本音を言えば隣で寝たいんです。同じベッドで朝まで眠って、一緒に起きて、朝ごはんを食べたい……。でも乃蒼に見られるわけにはいきませんから。……だから、せめて同じ家の中で寝てください」
まっすぐに見つめて告げてくる武流の言葉に、凪咲は小さく彼の名前を口にし……、そしてコクリと頷いた。
頬が赤くなる。これは気恥ずかしさもあるが、武流の胸の内を聞いて凪咲の心が温まったからだ。その温かさが体中に満ちて頬を赤らめさせる。
密事の最中の焦がすような熱とは違う温かく優しい熱。これもまた心地良い。
そうして就寝の言葉を交わし、部屋を出て行く武流を見送り、凪咲は彼から借りたスウェットを纏うとごろんと再びベッドに横になった。
シーツが乱れているのが生々しい。
ついさっきまで彼とここで……。
つい数分前までこのベッドの上で体を重ねていた。
裸体を晒し、荒い呼吸を繰り返し、互いに汗を拭うことも忘れ、何度もキスをした。結合した部位からはどちらから溢れたのか分からない愛液が溢れ、それが抽送を繰り返すたびに零れてシーツに落ちていく。
一度果てただけでは足りないと二度目を求め、激しく貪欲に求め合った。
艶めかしい情交。それを数分前まで行っていたのだ。
今更ながらに恥ずかしくなり、それを誤魔化すように布団を頭からかぶった。
武流の布団で眠っている。そう考えると彼に抱きしめられて眠っているような錯覚を覚え、気恥ずかしさと心地よさに目を閉じた。
◆◆◆
「武流おじ様、お腹空いたから朝ごはん……、凪咲お姉様?」
「ん……?」
乃蒼の声を聞き、眠っていた凪咲の意識がゆっくりと浮上していく。
うっすらと目を開ければ乃蒼が自分を覗き込んでいる。ぴょこんと跳ねた寝癖が可愛らしい。大きな瞳をパチクリと瞬かせ「お泊りしたの?」と首を傾げている。
お泊り?
何の事だろうか、と意識の八割を眠気に支配された思考で考える。
乃蒼が居るという事はここは間宮家だろう。
布団の感触も凪咲のベッドのものとは違うし部屋も違う。着ているパジャマも普段のものよりだいぶ大きく……。
と、そこまでぼんやりと考え、一気に昨夜の記憶が蘇ると同時に跳ね上がるように身を起こした。
「お、おはよう、乃蒼ちゃん!!」
「おはよう、凪咲お姉様。どうしたの? お泊りしたの?」
「ど、ど、どうもしないよ。そうなの、昨日は疲れちゃって、お泊りさせてもらったの!」
昨夜なにがあって泊まることになったかなど話せるわけがない。
別室とはいえ乃蒼がいる家の中で事に及んでしまったことを改めて実感し、後ろめたさと焦りが凪咲の中で湧き上がる。まだ幼い乃蒼はすぐに信じてくれて「次は乃蒼のお部屋で一緒に寝ましょう」と誘ってくれるが、それにもまた罪悪感に似た靄が胸中に湧く。
「ところで凪咲お姉様、武流おじ様はどこ?」
「武流さんなら……」
彼はリビングのソファだと返そうとするも、それより先に「乃蒼」と声が聞こえてきた。
控えめなノックの音がし、次いでゆっくりと扉が開かれる。
「乃蒼、そっちの部屋は凪咲さんが寝てるから……」
まだ凪咲が寝ていると考えたのだろう、囁くような声と共に顔を覗かせたのは武流だ。
乃蒼がパッとそちらへと振り返ると同時に「おじ様!」と武流に抱き着いた。
「おじ様、凪咲お姉様がお泊りするなら昨日乃蒼に言ってくれればよかったのに!」
「そ、それは……、その……、ほら、お泊りと言っても乃蒼が寝たあとに決まったんだ。お祭りで凪咲さんも疲れてたし」
「そうなの、本当は帰ろうと思ったんだけど、お祭りでいっぱい歩いて遊んだでしょ? 疲れちゃったの」
武流に続いて凪咲まで話せば、元より信じていた乃蒼も疑うことなくうんと頷いてくれた。
「凪咲お姉様は今日ずっと一緒?」
「えっと……、今日は荷物が届くから家に帰ろうかな」
「それなら朝ごはんは? 朝ごはんは一緒に食べましょ。その後ちょっとだけ乃蒼と遊んで」
凪咲に帰ってほしくないのだろう、乃蒼が凪咲のパジャマを引っ張りながら強請ってくる。
話を聞いていた武流も「俺が作るんでぜひ」と誘ってくれたので、凪咲は素直に応じる事にした。それなら、と了承すれば乃蒼が嬉しそうに表情を明るくさせる。
更には「一緒に遊びたいゲームがあるの!」と部屋から飛び出して行ってしまった。自室かリビングの玩具箱に向かったのだろうか、その背に対して「遊ぶのはご飯の後だぞ」と声を掛ける武流も含めて微笑ましい。
乃蒼が去っていった先を見つめていた武流が苦笑を浮かべ、次いで凪咲の方へと向き直った。
「すみません、起こしてしまって」
「いえ、大丈夫です。乃蒼ちゃん朝から元気ですね」
「朝に強いみたいで、起きると直ぐに遊びだしたりお腹が空いたって言ってくるんです。今朝も、俺の部屋に行かないように事前に伝えておこうと思ったんですが、子供部屋に行ったら蛻の殻で、それどころか玩具で遊んだ後までありました」
ぐっすりと眠り、普段より早く起床。しばらくは武流を起こすまいと部屋で遊んでいたが空腹に負けて子供部屋を出た……、という事らしい。
「でも、たまに起こしにきた乃蒼を布団に引きずり込んで、一緒に寝ることもあるんですよ」
曰く、休みの日と言えども乃蒼は早起きで「おじ様、朝ごはん!」と容赦なく起こしに来るという。それに対して日頃多忙な武流はもう少し寝たいと訴え……、そして時には乃蒼を布団の中に引きずり込んでしまうらしい。
乃蒼もこれには楽しそうにキャーと笑い、しばらくは武流の腕の中でもぞもぞと動きながら訴えるものの、少しすると布団の心地良さに負けて眠ってしまう。
そうしてしばらく二人で二度目を堪能し、朝食とも昼食とも言える時間に食事をするのだという。
その話のなんと穏やかなことか。
小さな乃蒼を武流が抱きしめて二人で布団に包まる姿は想像するだけで凪咲の胸を暖かくさせる。
その光景を想像し、凪咲はふと、「もしも私がその場に居たら」と想像を膨らませた。
一つのベッドで眠る凪咲と武流。そこに潜り込んでくる乃蒼。
二人の間にころんと横になって眠る乃蒼はきっと普段よりも増して愛おしいだろう。
そして三人でゆっくりと眠り、遅い時間に起きてきて朝食を取るのだ。
それはまるで、否、まるでではなく家族そのもので……。
「凪咲さん、……凪咲さん?」
「えっ、あ、ごめんなさい。寝起きでぼーっとしてました。乃蒼ちゃん、お布団の中でそのまま寝ちゃうなんて可愛いですね」
名前を呼ばれてはっと我に返って話を続ければ、武流もさほど気にしていなかったのか、乃蒼に対しての「可愛い」という言葉に同意するように頷いた。
それとほぼ同時に、痺れを切らした乃蒼がひょこと部屋に顔を覗かせてきた。
遊ぶためのボードゲームを用意しリビングで待っていたというのに、いくら待てども二人が来ないので呼びにきたのだという。「お腹すいたぁ」という声と尖らせた唇が可愛らしい。
「あぁ、悪かった。今準備するよ」
武流が苦笑と共に詫びれば、それを聞いた乃蒼が「食パン出してくる!」と台所へと向かっていった。
凪咲もいい加減に起きなくてはとベッドから降りた。纏っているのは昨夜武流に借りたスウェット。背の高い彼がラフに着るための衣類なだけあり、凪咲には裾も袖も何もかもが大きい。試しにと腕を伸ばせば案の定そでが長く、指先まですっぽりと覆われてしまう。
それを見た武流が何か言いたげに口を開き……、だがすぐさまムグと口ごもってしまった。
「武流さん、どうしました?」
「……いえ、ただ、その」
「その?」
「凪咲さんが俺のスウェットを着てるのを見たら、本当に俺に家に泊まってくれたんだなって実感が湧いて……」
それで、と武流が話しながら雑に頭を掻く。照れ隠しなのだろうか、心なしか頬が赤い。
彼の言葉に凪咲もまた頬に熱が灯るのを感じていた。
彼の服を借りて、彼のベッドで眠った。そしてこうやって朝を共に過ごしている。
改めて実感すると満ち足りた気分になってくる。その気持ちのまま武流の腕に触れた。
「武流さん、おはようございます」
そう告げれば武流が嬉しそうに表情を緩めた。
「おはようございます、凪咲さん」
返す彼の言葉は穏やかで嬉しそうで、それもまた凪咲の胸を暖める。
もっとも、満ち足りた気分で見つめ合った数秒後には「お腹すいたぁー!」という乃蒼の訴えが聞こえ、さすがに待たせすぎたと二人揃って部屋を出てリビングへと向かった。
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