小さなお嬢様が繋ぐ、エリート医師とのお隣生活 

ささきさき

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26:打ち合わせ中のSOS

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 その日、凪咲は午後から仕事の打ち合わせがあった。
 元々の予定では武流が休みのため乃蒼を預かる予定ではなかったのだが、前日の夜に彼に仕事が入ってしまった。さすがに直近過ぎて凪咲も予定を変えるのが難しく、結果、乃蒼には幼稚園は休んでもらうことになった。
 武流が病院に連れて行き、子供の待機コーナーや休憩室で待っていてもらう。
 以前にも何度か乃蒼を病院で待たせていたことはあったらしく、そのうえ幸いにも今日は熊谷静香の定期通院の日のため、乃蒼もずっと一人ではないらしい。静香は退院こそしたがまだ本調子ではないため長く預かる事は難しいらしいが、病院で数時間過ごすぐらいならば可能だという。


「凪咲さん、今から打ち合わせですか?」

 声を掛けられたのは玄関を出た直後だ。
 ちょうど同じタイミングで武流達も出かけるようで、ロングコートと通勤用の鞄を手にした武流が玄関扉を開けながらこちらを見ている。扉の奥からピンクのリュックサックを背負った乃蒼がぴょこと出てきて、凪咲を見ると「凪咲お姉様!」と嬉しそうな声をあげた。
 乃蒼がちょこちょこと近づいてきて、上品に「ごきげんよう」と告げてくる。

「凪咲お姉様もお仕事に行くの? お人形のお仕事?」
「そうだよ。お人形のお仕事の話し合い。乃蒼ちゃんと一緒に行った喫茶店に行くんだよ」
「喫茶店でお仕事? なんだか格好良い!」

 瞳を輝かせた乃蒼に「お仕事頑張ってね」と鼓舞され、凪咲も頷いて返した。元より頑張る気ではいたが、乃蒼に応援されるとよりやる気が満ちてくる。
 そんな会話を聞いていた武流が、ふと何かに気付いて腕時計を見るとまだ時間が早いのではと尋ねてきた。
 今日の打ち合わせは午後昼過ぎからで、それは武流にも話してあった。だが今の時刻は九時、家を出るには確かに早すぎる時間だ。

「打ち合わせは昼過ぎだけど、その前に駅前の郵便局に寄って、買い物もして、せっかくだからどこか外で昼食をとろうかなと思ってるんです」

 凪咲は根からのインドアではあるものの、たまにはこうやって外に出て買い物や外食を楽しむ事もある。
 むしろ普段インドアで家に籠っているからこそ、外に出る時は気合いを入れてあちこち回りきろうと考えるのだ。出来るのならば一日で全ての用事を済ませ、他の日は家に籠りたい。
 そう凪咲が話せば、インドアの主張が面白かったのか武流が笑った。

「駅まででよければ車で送りますよ」
「でも武流さんも仕事があるし、遠回りになりませんか?」
「時間はまだ余裕があるんで大丈夫です。いつもお世話になってるから、それぐらいさせてください」

 穏やかに微笑んだまま武流が誘ってくる。カチャと指先で車のキーを弄る姿は様になっている。
 乃蒼もこの提案に賛成なようで、凪咲の手をぎゅっと握って見上げてきた。大きな瞳が輝いている。これを断れるわけがない。
 更には武流が「行きましょう」と話しながらエレベーターを操作するのだ。エレベーターの扉が開けば彼がボタンを押しながら待ち、乃蒼が手を繋いだまま歩き出す。

 二人からの誘いに対して、凪咲は自分の表情が和らぐのを感じながら「それならお願いします」と乃蒼に手を引かれながらエレベーターに乗り込んだ。


 ◆◆◆


 今日の打ち合わせはドール関係の雑誌に載せているコラムと特集に関しての執筆依頼について。
 コラムは一年間の全体テーマや直近分の具体的な内容を決め、必要があれば資料を頼み、内容に沿った掲載写真をどうするかも話し合う。特集は取り扱いが幅広いため内容や写真を決めるのにも時間がかかるだろう。凪咲が関わるわけではないが、出来れば他の掲載内容や今後の予定や方針についても聞いておきたい。
 真面目な話の合間には雑談もし、最近の流行や新作について、界隈の動向について雑談交じりに情報を交換する。
 時間にすると三時間程度だろうか。盛り上がるともっと長引くこともある。

 担当者は最寄りの駅まで来てくれるので、日時が決まった段階で凪咲は喫茶店の一席を予約しておいた。
 乃蒼と武流が気に入っている喫茶店で、凪咲も連れて行ってもらった。落ち着いた雰囲気の良い店だ。紅茶の種類も豊富でスイーツも美味しい。
 静かな空気はホテルのラウンジに似ており、個室とまではいかないがブース状になっている席もある。武流達と行った時も打ち合わせらしき社会人の姿もあった。意外な穴場で、次の打ち合わせはここにしようと考えていたのだ。

「そういえば、ナギさん最近なにか始めました?」

 紅茶とケーキを楽しんでいた担当に問われ、渡された資料を眺めていた凪咲が「なにかって?」と尋ね返した。
 ちなみに担当が呼んだ『ナギ』とは凪咲が執筆時に使用している名前だ。

「荷物の郵送とか、電話での打ち合わせとか、以前は『いつでも大丈夫です』って仰ってたじゃないですか。でも最近は日時指定されてるし、今回もナギさんの方から打ち合わせの日にちを希望してきましたよね」

 担当からの話に、凪咲も確かにと頷いて返した。

 荷物の郵送や打ち合わせに関しての日時指定は、もちろん乃蒼を預かるからだ。
 乃蒼を預かる予定の無い日にするか、もしくは事前に分かっていれば乃蒼に家に来てもらえばいい。今日も本来ならば武流が休みで、ゆえに打ち合わせの予定を入れていたのだ。
 そんな凪咲の変化に担当は気付いたようだ。もっとも『なにか始めた』と尋ねてくるあたり、副業で外の仕事か、もしくはジムや習い事に通い始めたと考えているのかもしれない。

「知人の子供を預かることになったんです。父子家庭で、今まで預かっていた親戚が怪我で預かれなくなっちゃって。それで、私が向こうの家に行ったり、その子にうちに来てもらったりして、父親が仕事から帰るのを一緒に待ってるんです」
「そうだったんですね。でも通いで父親の仕事の帰りを待つって大変じゃないですか?」
「家が凄い近いんで、行き来も楽だし、大人しい子なんで大変じゃないですよ。仕事があるって話すと静かに本を読んだりテレビを見て待っていてくれるんです」

 正直に言えば、家は近いどころか隣だし、更には『知人の子供を預かることになった』というよりは『子供を預かることになって知り合った』という方が正しい。だがそれを話せば担当は混乱しかねないし、一から十まで説明する必要が有るかもしれない。
 ならば嘘は吐かずとも当り障りのない言葉で説明しておけばいいだろう。そう考えて話せば、担当もさして深く言及する事はせず、それでも「何かあったら〆切も延ばすので言ってください」と有事の際への協力を申し出てくれた。


 打ち合わせは進み、雑談を挟みながらも順調に決めていく。
 そんな中、テーブルに置いていた凪咲の携帯電話が振動し、暗くなっていた画面がパッと明るくなった。
 画面に表示されているのは電話のマークと『間宮武流』の文字。
 気付いた担当が「どうぞ」と電話に出るように促してくれるので、それに対して軽く感謝を返して携帯電話を耳に当てた。

「武流さん? どうしました?」
『お仕事中にすみません。その……、そちらに乃蒼が行ってませんか?』

 電話口から聞こえてくる武流の声には焦りの色があり、更には乃蒼がこちらに来ていないかと尋ねてくる。
 それを聞くや凪咲は立ち上がり周囲を見回した。ブースから身を乗り出して店内を見るも、乃蒼らしき姿は無い。
 店内は変わらず落ち着いた空気が漂っており、数人の客が凪咲の行動を不思議そうに眺めている。担当も突然凪咲が立ち上がったことに驚いている。
 だが今の凪咲は他の客の視線や担当の反応も気にはならない。携帯電話を両手で押さえて強く耳に当てた。

「こっちには来ていません。乃蒼ちゃん、病院を出て行っちゃったんですか?」
『そうなんです。家はマンションの管理人に連絡して確認してもらったんですが、戻っていないようで……。もしかしたらと思ったんですが』
「私、今からマンションに行ってみます。もしかしたらまだ病院から戻ってる途中かもしれないし」

 武流曰く、乃蒼がいつ病院を出て行ったか詳しい時間は分からないらしい。
 それならばまだ乃蒼は家に向かって歩いている途中かもしれない。それに家ではなくこの喫茶店に向かっているのだとしても、家に向かう途中で会えるはずだ。見つからなければマンションから病院まで歩いて探す。
 そう凪咲が話すも、武流が僅かに躊躇いの声を漏らした。きっと凪咲が打ち合わせの最中であることを気遣っているのだろう。『ですが……』という声には、凪咲の協力を得たいがそれを言い出せないジレンマの色がある。

「武流さん、今は他のことを気にしている場合じゃありません。直ぐに乃蒼ちゃんを見つけないと」
『そ、そうですね。お願いします。何かあったら電話してください』
「はい」

 長々と話をしている時間も惜しくひとまず電話を切る。
 担当も緊急事態と察したのだろう、緊張した表情で「大丈夫ですか?」と尋ねてきた。

「さっき話していた知人の子が居なくなっちゃったみたいなんです。すみませんが、今日はこれで失礼して良いでしょうか」
「えっ、大変じゃないですか! こっちは急ぎじゃないので大丈夫です。すぐに行ってあげてください!」
「ありがとうございます。また今度時間を作りますから」

 話しながら手早くテーブル上の資料を鞄に押し込み、挨拶もそこそこに急いで喫茶店を出た。

「乃蒼ちゃん……」

 どうか乃蒼すぐに見つかるように。
 そう願いながら、来た道を、小さな少女の姿を見逃さないよう注意を払いながら足早に進んだ。

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