黄昏のグリマー

ビバリー・コーエン

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2章

第4話 逃亡者『ガルミア・ハイルヘル』

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 さて、また少し話を戻そう。
 皇帝ルキウル・ヴァイハルトが、罪過の子の生存に疑問をいだきし時より15日前、つまりは女王マギエール・イリスが、騎士ガルミア・ハイルヘルに赤子を託したその日の話である。
 騎士ガルミアは、その胸に赤子を抱きながら、愛馬を北へと向かって走らせていた。

 ***

 くすんだ赤色で、拳大の『巻き貝』を耳に当てる。
 フォーン……フォーン……
 と、およそ20秒の間隔で、耳に重い共鳴音が聞こえてくる
「まだまだ遠いな……」
 貝を腰袋にしまおうと手を下ろすと、温かく、そしてひどく柔らかいものが邪魔をしてきた
「おっと、気を付けねば……。アーシェ様に障りがあってはいけない」
 綺羅びやかな布に包まれて、私の胸に密着するように結われた赤子は、ほんの僅かに胸を上下させながらすやすやと眠っていた。

 私は独身であるから、勿論、子供はいないのだが、二人の弟と一人の妹がいた。
 それであるから何となくは知っているのだが、産まれたばかりの赤子というのは、ひどく繊細な存在であるはずだ。
 とてもじゃないが、馬上に揺られて遠出をしてよいほどに頑丈には出来ていないのが当然なのである。
 だが、馬上の私が胸に抱く赤子は、それが当然のようにすやすやと眠っている。
 これは、赤子を包む布が『魔具』であることに由来していた。
 この布に包まれると、如何に外気が厳しかろうと、その対象に最も適した温度が与えられ、さらにはある程度の衝撃からも護られるということであった。

 先程耳に当てていた赤い巻き貝もまた、魔具である。
 この貝は、2つをペアにして作られたもので『モニユニ貝』と呼ばれていた。
 2つの距離が近いほど、貝は早い間隔で共鳴音を鳴らす仕組みになっていて、例えば、大切なものを秘密の場所に隠す事案や、固定された目的地までの距離を測る時に用いられることが多いらしい。
 私の腰袋に仕舞われているモニユニ貝の片割れは、マラブの村の北方にある、『迷いの森プルタン』の奥深くに秘かに存在する砦に置かれているのだという。
 それで、人を迷わす森の中であれど目的の砦に辿り着くことが出来る、という寸法のようだった。

 魔具に関して私の説明が伝聞的になってしまうのには理由がある。
 魔具とは、決して一般的に使われるようなものではなく、ごく一部の限られた身分の人たちだけが使うことが出来る代物であり、私もまた、魔具についてはあまり詳しくないのだ。
 今現在、私はいくつかの魔具を所持しているが、それらは全て、女王マギエール様より賜ったものであり、その使い方についても、マギエール様よりつい先頃伝え聞いたばかりなのである……まさに伝聞ということだ。

 魔具の多くは、我がイリス大公国で作られているのだという。
 政治の中心、経済の中心がヴァイハルト皇国だとすれば、イリスは学問の中心として知られており、学問の中には『魔法工学』も含まれている。
 ゆえに魔具の研究も盛んに行われているのだが、それは、イリスの祖が『大魔法使いセイラ・サラディ』であることに由来しているのかもしれない。
 ただ、近年は魔具の研究の勢いに陰りが見えているとのことであった。
 一時は若き天才と称された女性研究者によって、魔具の研究は一気に進行したのだが、聞くところによると17年前、その天才は忽然と姿を消したのだという……いや、これは余談だな。
 いずれにせよ、イリスの国庫には数多の研究の産物が納められていた。
 おしなべて重宝というわけではないものの、中には貴重、希少、高価なものも存在しているらしい。
 それらの貴重な魔具を、マギエール様は惜しげもなく、旅立つ私に与えてくれたのだ。
 罪過の子『アーシェ・イリス』のために。

 少し、その時の話でもしようか……・

 ***

「あなたの人生をわたくしに下さい」
 イリス大公国の女王マギーエル・イリスは、突然、騎士にすぎない私に向かって深々と頭を下げてきた。
 人払いされた王の間、衆目がないとはいえ、決して王が取るべき行為ではない
「へ、陛下! 何をなさいますか! 頭をお上げ下さい」
 それでも暫くの間、マギエール様は私に対して頭を下げ、やがてゆっくりと顔を上げると、伏せた目を開いた
「お願いです。どうか……わたくしにあなたの人生を下さい」
「ですから、私の剣は既に陛下に捧げておりますれば……!」
「いいえ、違うのよ。騎士としてではなく、あなたの<<全て>>をわたしに捧げていただきたいのです」
「あの……不敬を承知で質問させていただきますが、全て……とは一体どういう意味でしょうか?」
 まるで求婚するかのような台詞に、私の胸は動揺の鼓童をひどく打ったが、マギエール様の表情を見れば、その意味が男女の意味でないことは明白であった
「あなたは、わたくしのために死ねますか?」
「はい……無論です」
「騎士としてではなく、ただのガルミア・ハイルヘルとして、死ねますか?」

 私は答えに迷ってしまった。
 イリスの近衛騎士として考えるのであれば、マギエール様のために身を投げ出すに否はない。
 もちろん、無為に死にたくはないが、理由があるのであれば、命を捧げる覚悟は無論……ある。
 しかし『個』としての『私』で考えれば、果たしてどうなのだろうか?
 正直、考えたことも無い。
 例えば私が騎士ではなく、只の国民として陛下に命を要求されたら……私はこの人生を終わらせる決断が出来るのであろうか?
 疑問の中に、マギエール様の顔を窺い見ると、私の答えを待つ美しき女性は、キュッと一文字に唇を結び、何かに耐えるように拳を強く握って、小刻みに震えながら……だが、真っ直ぐに私のことを見つめていた。

 ――ああ、そうか……。私は迷うことなどなかったのだ

「陛下、いえ……マギエール様。騎士としてではなく、ただ、ガルミア・ハイルヘルとして、私の命、貴方に捧げましょう!」

 ――そうだ。私はただ、いつだってマギエール様を護りたいのだ

「っ!!」
「私の人生の全てを、貴方に捧げます!」
 息を呑むマギエール様に対して、私は騎士としての礼を取らず、少し胸を張ってそう言い放った
「……あ……ありがと……う……」
 消え入るような声を無理やりに喉から絞り出すと、崩れるように膝を折ったマギエール様は、両手で顔を覆って蹲ってしまった。
 広い王の間に、しばらく彼女の堪えきれぬ嗚咽のみが響いていた。

「ガルミアさん、この子を見て下さい」
「……!?」
 幾許(いくばく)かの時が過ぎ、マギエール様は私を残し王の間を離れると、産まれたばかりの様相の赤子を連れて戻ってきた。
 その赤子に目を遣ると、最初に目についたのは、絹のように滑らかで美しい……白い髪であった
「ざ、罪過の子……!」
「そうです、この赤子は罪過の子……。そして、わたくしの妹の娘です」
「なっ!?」

 私は驚愕し、そして全てを理解した。
 なるほど、騎士ガルミア・ハイルヘルという存在は、今ここで死ななければならない。
 私はただ一人の名も無き男として、この赤子を連れて、すぐにでも王宮から逃げなくてはならないのだ……!
「ええ、分かりました……マギエール様。この赤子は、誰の目にも付かない地に隠し、私が必ず、終生大切に養育いたしましょう」
「ああ、あなたもまた、オルガさんと同じなのね……。わたくしの意を汲み、わたくしのために、大切なモノを捨ててくれる……」
 目に涙を溜めたマギエール様は、悲喜交じる表情で私を見つめると、僅かに口元を綻ばせた。

「問題は、何処に隠すか……ですね」
「貴方の身辺の整理は問題ではないの?」
「まぁ、その辺は……適当に<<死んだ>>こということにでもしておいて下さい」
「簡単に言うわね?」
「下手に装飾を付けるとボロが出るものです。シンプルに死んだとしておいたほうが、後々に柔軟性が得られるものですよ」
「なるほど……ね。確かにそういうものかもしれないわね」
 マギエール様の自室に場所を移した私たちは、今後のことについての話し合いを続けていた。
 マギエール様はようやっと心に折り合いをつけたのか、私に対する謝罪や感謝の礼を並べるのを止め、罪過の子を生かすのにどうすべきかを、自然体に考えられるように頭を切り替えられたようであった。

「どこか、誰も私を知らぬような場所に、都合の良い隠れ家があると良いのですが……」
 私はマギエール様に近侍し、皇国の式典などに出席していたこともあるのだから、ヴァイハルトはもとより、その属国たる我が国はもとより、ファルナ公国、アクマイヤ公国、ディヴァ方国にも、ある程度顔が知られている。
 それらの国々の都市部に住まうとすれば、いずれ面が割れてしまうことになるだろうと思う。
 となると、辺境や田舎に隠るのはどうか? と考えてみるのだが、およそ排他的な傾向のある田舎の集落では、おそらく都市部にいるよりも、異分子たる私や赤子の存在は際立ってしまうことが容易に予想された。
「最初から、難関にぶつかったようですね? マギエール様」
「そうでもないわ。わたくしに一つ、良い場所の心当たりがあります」
「本当ですか!」
「あ、あの……でも、えっと……」
 マギエール様は<<心当たりがある>>という割には、いかにも浮かない顔をされていた
「どうされましたか?」
「あの、その場所なら、多分……貴方のことを知る人は居ないと思うし、静かに暮らせると思うわ」
「ならば、よいではないですか!」
「いえ、その……ね。その場所はむしろ、誰も居なくて、孤独すぎるのよ……」

 マギエール様の心当たりは、イリスの極北にある『プルタンの森』に打ち捨てられた、古き砦なのだという。
 かつて、英雄ゼルフが築いたという砦は、すでにその役目を終え、誰もその存在を知る者などはいないだろうということであった。
「なるほど……。ですがプルタンの森といえば、別名『迷いの森』。近隣のマラブの村の者でもない限り、そこに辿り着くのは至難の業なのでは?」
「モニユニ貝があります。わたくしがその砦の存在を知ったのも、宝物庫に置かれていたモニユニ貝の片割れに好奇心を揺さぶられたからなのよ」
 なるほど、確かにモニユニ貝があれば、マギエール様のおっしゃる砦にも辿り着けよう……逆に言えば、魔具でも無い限り、誰もそこへは来られないはずだ。
 これで、隠れる場所の見当はついた。
 あとは今後の生活に必要になるものや、罪過の赤子を育てるに必要なものの準備が議題となったが、その多くはマギエール様の私財と、国庫に納められている多種多様の魔具によって、おそらく解決した

「これで、準備は終わり……かしらね?」
「いえ、まだですね」
 最後に大切な決め事が残っている。
 これからの隠棲を考えるに、これだけはどうしてもマギエール様に決めてもらいたかったのだ
「なにかしら?」
「クラベール殿下の御子のお名前にございます」
 私は罪過の子に目線を向けながらそう言った。
 今後、彼女を養育するにあたり、どうしても名前が必要であったし、この不幸な赤子に、母との繋がりや王家との繋がりを、せめて名においてだけでも残してやりたいと、そう私は思うのだ
「……そうね、それはとても大事なことね」
 少し悩むか、と思っていたのだが、マギエール様はまるで準備していたかのように、赤子に名を授ける
「それでは『アーシェ』と、そう名付けるわ」
「よい……お名前ですね」
 即答するマギエール様に<<既に名前を決めていたのか?>>などと聞くのはひどく野暮だと思う。
 それに、愛おしそうに赤子の頬を撫でるマギエール様を見えれば、その答えは知れたものであるといえた。

 ***

 そして、その日の内にイリスの首都『アルク』を発った私は、今こうして馬に揺られているわけである。
 胸に罪過の子『アーシェ・イリス』を抱き、誰も知らぬ砦へと向かっているのである。
 無論、辛くないわけではないが、後悔はない。
 アーシェ様を幸せにすることで、マギエール様がいつか笑ってくれるのであれば、私はそれでいい

「では、さらばです!」
 私は短く別れの言葉を故国の空に送り、愛馬の腹に一つ、脚を入れた。
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