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第四章 魔力なき呪い

47 歪んだ関係

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 カヴァリエリの騎士は、どうしてペルラから離れていってしまったのだろうか。

 父たちはみんな彼らの動向が気になって仕方ないのに。

 エルロマーニよりも、誰よりも、長く一緒にいてくれたのに。

『気になるなら、調べてみれば』

 そう言うリカルドの視線は本の上に向いたまま。
 ――ああ、彼はこの話に興味がない。早く終わらせたがっている。

『……ううん、別にいいの』

 リカルドにとってレモンシャーベット以下の物事なら、フェリータにとってもたいしたことではない。
 
 それがフェリータにとって、疑う余地のない判断基準だった。

 家族が気にする騎士たちのことも、リカルドが歯牙にもかけないならと興味は失せた。
 思えば十七歳のとき、後輩として新たに魔術師カヴァリエリと接するにあたって最初から敵意を抱かなかったのも、過去への関心の薄さが根底にあったのだ。

 リカルドの意向は絶対だった。
 彼が決闘で決着をつけろというから、王の判断も待たずにフェリータは立ち上がった。
 彼が『終わりだ』と言って目の前に立てば終わりだ。遮られた視界の先で、相手がどんな顔をしていようと、確かめる必要はなかった。

 婚約を帳消しにされても、最初に責めるのはリカルドではなかった。そそのかしたオルテンシアとロレンツィオのことはどれだけでも悪し様に言えたが、リカルドには理由すら聞けなかった。

 眉をひそめられたら、もう何も言ってはいけないのだ。


 奇しくも。

『お前リカルド怒らせると死ぬ呪いにでもかかってんのか』

 その通りだった。


 ***


 ぱちっと開いた赤い目に映ったのは、子ども部屋だった。

 四方を囲むレースの天蓋の向こうの、動物や騎士、姫をポップに描いた壁紙や、背の低い調度品。そして床に転がる木馬や人形、ぬいぐるみ。

 自分が寝ているのも子ども用の寝台だった。背の低いフェリータでも、足がはみ出そうだ。
 
 恐る恐る身を起こし、壁に作りつけられた姿見を見て、フェリータは体を強張らせた。

 上部に鷲の飾りがついた大きな鏡の前には、ままごと用の小さな椅子の背もたれを腹側にして、こちらに背を向けて座る銀髪の男がいた。
 
「……リカルド」

 声を出しても、リカルドは振り返らなかった。鏡越しに、体を起こした自分が見えているのかと目を凝らす。

 しかし、鏡は部屋の中を映してはいなかった。

『――本当に、いないみたいだな』

 鏡面から聞こえてきた声に、フェリータは驚いて寝台から身を乗り出そうとし、――そこで初めて、自分の手首に金色の枷と鎖がついていることに気がついた。
 鎖は、天蓋の頭側の柱からフェリータのそれぞれの手首に繋がっている。

 衝撃的な状況にフェリータは悲鳴を上げかけたが、その前に鏡の方からリカルドの『魔力感知はされてないなら、気晴らしに外出しただけじゃない?』と言う声が聞こえた。
 心なしか、くぐもった声だ。

『そうだが、もういなくなってから三時間近く経つ。それで実家にもここにも来てないとなると』

 さっきも聞こえたこの声。間違いない、ロレンツィオの声だ。こちらもリカルドと同じく、何か膜を通したように違和感のある聞こえ方だった。

 鏡の向こうには、眉をひそめたロレンツィオがいた。その背後に見慣れた玄関扉も映り込んでいる。

 見間違えるはずもない。サルヴァンテにあるエルロマーニ公爵邸の扉の前に立つロレンツィオの姿を、鏡は映していた。

『聖アンブラ教会は? 一昨日の夜も行ってたよね。あそこは人目も少ないし、フェリータは一度行ったことあるところにしか行かないと思う』リカルドの声だ。

 だがそれは、フェリータに背を向ける男から発されていない。
 ロレンツィオと同じ、鏡の向こうから聞こえていた。

『そうだな。そっちにも行ってみる』

『僕も見かけたら、きみん家に帰るよう言って聞かせるよ』

『ああ。悪いな、夜勤明けのとこ押し掛けて、家捜しみたいな真似して』 

『ぜんぜん平気。君の立場なら、僕のところを疑うのは仕方ないでしょ』

 苦笑いをしたロレンツィオが踵を返す。

「……待って」

 口をついて出たのは、震えた自分の声。

「待って、行かないで!!」

 切羽詰まった声に、伸ばした手に引っ張られた鎖の重い音が重なった。
 けれど鏡の向こうの男には、何も聞こえていなかったのだろう。
 背中を飲み込んで、扉は無情にも閉まっていった。

 固まったフェリータの見つめる先で、鏡面が波紋で揺らいだ。ものの数秒で、そこに映る風景は部屋の中のそれに変わり、何の変哲もない姿見になった。

 おもちゃの椅子で足を持て余し、両腕を小さな背もたれの上に重ね顎を支えていた男は、鏡越しにフェリータの方をじっと見ていた。

「おはよ」

 その言葉に、フェリータは自分でも驚くぐらい肩をびくつかせてしまった。リカルドが腕の中の口元を和らげたのが頬の動きでわかった。

「そんな怖がらなくても。別にとって食ったりしないのに」

「い、今のは?」

「サルヴァンテでの様子。向こうに僕の留守を預かる人形を置いてるから、その視界をここに映してた」

 サルヴァンテでの。ということは、ここはサルヴァンテではないのか。

 静まり返った部屋に、かすかに水の音がした。運河に運ばれる水ではなく、岩に波がぶつかる音。
 可愛らしいインテリアの部屋の中で、壁の鏡に付けられた異様なほどいかつい鷲の彫刻。

「……ここは、公爵様の別荘?」

 にっと目元を三日月形にゆがめる幼馴染みを、まさか、という思いでフェリータは見つめた。
 エルロマーニ公爵が所有する別邸の中で、海が近いものは観光シーズンの喧騒を避けて作られた“夏の別邸”しか思い浮かばなかった。

 そしてそれは、リカルドにとって忌まわしい記憶と結びついているはずだった。もう十年以上、公爵とその家族は訪れていなかったはず。

「なんで、こんなところに」

 ――いや、聞くべきことは他にもっとある。

 フェリータは表情を引き締め、両手を胸の前で絡めた弱々しく見える姿勢を改めた。

「説明しなさいリカルド。なぜママを攻撃したの。なぜぺルラ家を裏切るような真似をしたの」

「さっきまで怯えてたのに、胸張っちゃって。強がりは一丁前で涙ぐましいね」

 鎖がこすれ合うのも構わず、フェリータは付けたままだった右の手袋を短銃に変えてリカルドに向けた。

「次は騙されない。答えなさいリカルド」

 リカルドは首を巡らせ、肩越しにフェリータの構えた銃を胡乱げにみとめた。

「それ意味あるの?」

「撃てますわよ!」

「当てられるのかって聞いてるんだよ」

 フェリータは言葉に窮した。
 銃から弾が出るのか、という意味ではなかった。
 リカルドを、殺せるのかという問いだった。

「結婚した夜にさ、術比べの最中にロレンツィオが言ってたこと覚えてる? 最後のとどめは自分次第だって。その覚悟があるのかって」

 小さな椅子から、リカルドが足に力を込めて立ち上がる。ほとんどしゃがんだ状態から、ぐんと高い位置に頭が動く。

 その頭の位置を、フェリータの構える銃口も追った。不気味なほどいつもと変わらない、緑の目に射すくめられながら。

「君、僕に撃てるの?」

「できるわ! ママの仇に情けなんて、」

「じゃあやってごらんよ」

 絶句したフェリータのもとへ、リカルドが大股で歩いてくる。銃口の先から逃げる素振りはなかった。
 
 あっという間に目の前に来た男が、グリップを握るフェリータの手を上から包み込んだ。銃の感触が消え、元のレースの手袋が残される。

「ほらね、できない」

 鼻先が触れそうなほどに顔を近づけられ、ふっと微笑まれる。銀色のまつげの下の、緑の瞳が影の中で輝きを増す。
 凄絶なほどに美しい、勝利の笑みだった。

 フェリータは愕然とした。自分に失望した。

 家族の仇なのに。あんなにも母は苦しんだのに。
 それについて、なんの弁解もしないリカルドに、こんなにもいいようにさせてしまっている。

 何より、自分がリカルドに“これ以上嫌われたくない”と思っていることが信じられなかった。

 硬直して見上げるフェリータの頬を、長い指が撫でていく。いつの間にか涙が流れていた。

 それを拭うリカルドは、心満ち足りたというように微笑んでいた。

「なんでジーナ様を呪ったか。なんで信頼を裏切るような真似をしたか。それでもフェリータがまだ僕を見捨てないかを、確認するためだよ」

「……何を言っているの?」

 掠れた声にはもうなんの力も宿っていない。虚勢すらも。
 何もされていないのに、何もできないという事実に打ちのめされていた。

 体が傾ぐ。さっき起きたばかりなのに。

「僕らの関係がなんにも変わってないか。君が僕のことを一番大事に思ってくれてるか。それがたとえ、母親を呪った男であっても」

 鎖の擦れる音がした。手首とレリカリオ、両方からだった。

 天蓋は見えなかった。

「たとえ、夫を裏切らせるような男であったとしても」
 
 リカルドが、上から覆いかぶさってきたからだ。

(いや)

「……フェリータ、まだ僕のこと好き?」

 もちろん、と口が勝手に動いていた。体は全く動かないのに。

「僕もだよ」

 肌が粟立っている。生まれてはじめて、幼馴染みに嫌悪感を抱いている。

「やっぱり、できない我慢はするもんじゃないよ」 

 首の横で低く吐き捨てられた言葉には答えなかった。独り言だとわかったから。
 答えを求められていないから沈黙し、禁じられていないからせめてと、目を閉じた。

 悲しいほどに、従順だった。

(いつから、こんなふうになってしまったの)

 始めて会った日のことは覚えていないが、赤ん坊だったろうから、まだこんなにも言いなりじゃなかったはず。

 ――そういえば三歳の頃、リカルドを引きずって花火を見に行き、勢い余って二人で運河に落ちたと聞いたことがある。
 なんにも覚えていないけれど、その頃はむしろ自分のほうが振り回していたはず。

 五歳の頃は、自分があまりにもリカルドのおもちゃを壊すからリカルドの姉に叩かれたらしい。悪気なんてあるはずなかったのに。よく覚えてないけど。

 六歳にもなるとフェリータのほうが口が達者になって、フェリータを見るたびリカルドが母親の膝から離れなくなったという。
 絶対作り話だ。甘えたなのはリカルドじゃなくてその兄の方で、リカルドはいつもフェリータのままごと遊びに付き合ってくれていた。詳細は覚えてないけど。ままごとの前に鬼ごっこが毎回挟まってたような気が、うっすらするけど。

(あんなに、仲良かったのに)

 いつからだろう。リカルドの機嫌を損ねるのが、怖くなったのは。

 そう、七歳の頃の、あの事件のときだって、リカルドが助かったのはフェリータのおかげだったのに――。

(……ん?)

 はた、とフェリータは目を開けた。
 視界に映る天蓋。見切れる銀髪。リカルドはフェリータの首に顔を埋め、右手を鎖骨の下、限りなく胸の膨らみに近いあたりに置いている。

 そのまま、ずっと動きを止めている。フェリータが回想から我に返っても、ずっと。

「……リカルド?」

 戸惑い、フェリータは小さく声をかけた。

 呼びかけを受けて、リカルドは上体をわずかに起こした。覆いかぶさられているのは変わらないのでまた銀髪で視界が塞がれたが、二人の体の間にわずかな隙間ができる。
 
「――だ」
 
 リカルドの押し出すような、呻くような言葉に、フェリータが目を見開いて固まったとき。

「お前ほんとにマジでなんの反省もしてないだろ」

 地獄の底から這い出るような、怒りに満ちた低い声に、さらに鼓膜と心臓がわし掴まれた。


 
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