病めるときも健やかなるときも、お前だけは絶対許さないからなマジで

あだち

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第六章 サルヴァンテの魔術師

69 力無き者

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 ***


 こいつ、どの面下げてわたくしの前に。

 手の中の木材を軋ませて、フェリータは憎悪みなぎる眼差しを、突如現れた眼鏡の貴公子に向けていた。チェステ父娘を介抱する従者たちが震え上がるそれを、レオナルドはまるで無いもののように受け流している。

 その腕には、美しい色の羽をまとったオウムの形の使い魔が乗っていた。
 フェリータが睨むだけで済ませているのは、その使い魔からこの場にいない王太子の声がしていたからだ。

「ロレンツィオとフェリータは無事で何より、そしてご苦労だったリカルド。そなたは今持っている仮のレリカリオを公爵邸に置いてから、レオナルドとともにロエネ島へ向かえ。少し前に整えた結界拠点がこの風雨で流された可能性が高いから。……こっちは風が強いんだが、聞こえたかね?」

 首を抑えたリカルドも、もの言いたげにレオナルドを見ていたが、声だけは「はい」と殊勝に返した。

 ロエネ島はロディリアの離島の一つだ。
 そこはひと月半ほど前、フェリータが父親とともに出張で赴いた場所だ。本来ならフェリータか父伯爵が補修に向かうべき。

 命じられないのは、父も娘もそれができない状態だと把握されているからだろう。フェリータは木材をきつく抱きしめた。手の震えを、周囲から隠すように。

 しかし、その思い詰めた顔に眼鏡の奥から視線が送られていることに気が付くと、すぐさま剣呑な視線を投げ返す。

「何か?」

「お疲れのご様子で」

「ご心配には及びませんわ、首にネックレスがないおかげで呼吸がとても楽なの」

 ロレンツィオがフェリータとレオナルドの間に割って入り、木材を片手で取り上げた。
 オウムは一同を見回すように首を振って、なおも声を張り上げる。

「呪獣が大運河に現れたということだが、おそらく南の商館通り前の河口から入り込んだんだろう、いっとき防護壁が崩されたからな。もうベネデットが加勢に入って持ち直している」

「なら、都市部に呪獣はもういないと考えても?」

 木材を取り返そうとするフェリータの届かない高さまで手を上げたロレンツィオが確認すると、オウムは考えるように頭を傾げた。木材が運河へと放られる。

「目立たない、小さいのが波に紛れている可能性はある。共食いで消えてるかもしれんが……ああ、すまない、パンドラからも報告が上がっているから一旦、」

 突然、声は途切れた。
 闊達に話していたオウムが煙のように消え、地面に魔術残滓の氷の粒が散らばる。
 フェリータを含め、魔術師たちが顔色を変えた。

「……レオナルド殿」

 明らかに話途中だった王子との連絡が途絶えたことに、ロレンツィオの声はこわばっていた。レオナルドも同じくらい緊張した声で応じる。

「殿下に何かあったか……負傷されたのかもしれない。リカルド殿、私は殿下のいる高台へ行きます。先にロエネ島へ向かって、拠点を直してきてください。――お前たちはここに残って、そこの二人を見張れ!」

 最後にチェステ家の二人を看ていた従者たちに言い放ち、レオナルドは返事も聞かずに狼に姿を変えて雨の中を駆けて行った。
 リカルドが首を回して呟く。

「これうちに寄る暇ないな」

 そして、フェリータの手を取ってできたばかりのレリカリオを握らせた。

「持っててよ。ロエネで落としたら、僕今度こそ日の目を見させてもらえなくなるらしくて」

「……リリリリカルド、これ、中身」

「僕の無毒化の精度と錬金術の密封性が信用できないなら、ロレンツィオに持たせたら?」

 握り込まされたときこそ、フェリータは顔を引きつらせた。しかし、自信満々に言いきられて表情を変える。

「まさか。責任を持ってわたくしが預かります」 
 
 リカルドは目元を緩めた。「多少なら使えるよ、少なくとも木片よりかは」と言い置くと、その姿をフクロウに変え、雨風もものともせず飛び立っていく。

 その羽音がまだかすかに聞こえるうちに、ロレンツィオが石畳の大きな水たまりのそばにしゃがみこんで指を鳴らした。水の底が、じんわりと青白く発光する。

「パンドラ、殿下のもとにはレオナルド・バディーノが向かった。俺は肉体ひとつ分の働きならまだ全うできる、指示をくれ」

 光を放った水面に映し出されたのは、肩で息をする魔術師長の姿だった。

『ロレンツィオか。……ヴィルジーナへ行ってくれ。回収できていない呪獣の骸が、呪獣をおびき寄せる負の連鎖が起きている。私も向かう』

「わたくしは?」

 フェリータも横から水面を覗き込み、勢い込んで指示を仰ぐと、パンドラはその金色の目を値踏みするように細めた。

『戦えるのか?』

「もちろんっ」

『私の目には、もう魔力は底をついているように見えるのだが』

 フェリータは言葉をつまらせた。パンドラは鑑定眼の持ち主だ。魔力を視認できる目で見られては、嘘をつけない。

『勘違いするな。ロレンツィオは剣ひとつでもあれば戦える、だから命じた。お前は私より足が遅いだろう、若いくせに』

「いえ、それはっ……でも、パンドラ!」

『憲兵たちが到着するまで、チェステの二人を見張れ』

「それはレオナルドの従者で間に合いますでしょう!」

『フェリータ、この夜が明けた後も、国は続く』

 寄り付く者をはたき落すような冷たさに、フェリータは口をつぐんだ。

『朝に備えろ。今のこの惨状は、教会や大陸の国にも伝わっていると考えておけ。波が収まり次第、呪獣さながらに押し寄せてきたなら、架け橋になるべき“教会付き”もいないなかで、弁の立つ強い魔術師に堂々と応対してもらわないといけない』

 パンドラはそれから、ほんの少し微笑んでフェリータに柔らかな声をかけた。
 
『――とは言っても、気楽に構えればいい。どれだけ無礼な奴らだとしても、お前と夫の互いへの態度よりはマシなはずさ』

 そこで、映像が消えて、煙が漂う。暗い水たまりに戻る直前、一瞬映ったパンドラの顔は見たことがないほど険しかった。

「フェリータ」

 膝をついたままでいると、頭上から声が降ってきた。

「何も言わないで。どんな風に言い繕われても、わたくしはただの足手まといなのですわ」

 ダメだと思っても、声は暗くなった。
 現実を受け入れなければならない。今の自分にできることは何もないのだと。
 パンドラの言うことはもっともで、フェリータは皆が動けないときに動けるように、準備をしておかなくてはいけないのだと。

 でもそれが、気位の高いフェリータへの、まとめ役としての気遣いだと分からないほど鈍感ではなかった。外交現場なんて、フェリータは護衛以外では立ち会ったことがない。

 唇をかみしめるフェリータの視界に、ぼんやりと映り込んできたのは黒いスラックスの膝だった。昼にはなかった汚れとほつれでボロボロだ。
 フェリータと視線を合わせたロレンツィオが口を開く。――実によく見た、意地悪で尊大な、片頬だけを上げる笑みで、しみじみと。

「そうだな。今日、栄えある宮廷付き魔術師殿が何やったかといえば、レリカリオを取りに行って子ども部屋に攫われ、夫を追ってレリカリオを取られ、ケツを蹴られて閉じ込められ、仕返しにその相手を舟の上でぶっ叩いたくらいか」

「貴様!!」

 掴みかかろうとしたフェリータを、ロレンツィオは横に避けた。勢いを殺せず地面にダイブしそうになった体を、支えて引き寄せて、そのまま抱えて立ち上がる。

「放しなさいこの無礼者!! 助けにいってあげたのになんという暴言ですの!!」

「なんだよ元気有り余ってんじゃないか、パンドラの前じゃしおらしかったのに。かわいこぶってんなよな」

「ぶりっ子はお前でしょうがっ、レオナルドと殿下の前じゃ借りてきた猫みたいに! 無駄口叩いてないで早くお行きよ、もう筋肉しか働かせられるものがないんですからね!!」

「脂肪でも敵が殺せればよかったのに」

「触るな殺す!!!」

 渾身の平手を右手で受け止められる。
 ロレンツィオはにやにやと口角を上げたまま、左腕だけで抱えたフェリータを軒下の雨の届かないところに着地させた。

「明日からが楽しみだよ。教会と各国使者の前で、屈辱に耐えながら俺の活躍を逐一説明させられるあんたが見られると思うと」

「…………わ、わたくしは」

「使者をぶっ叩くんじゃないぞ。殿下が失神するから」

 ロレンツィオとて、フェリータが本当に使者の相手をするはずないのを、わかっているだろう。フェリータのばつの悪さにも。
 
 けれどそれには言及せず、男は意地悪く細めていた垂れ気味の目元をほんの少し和らげた。濡れたピンク色の前髪を指先でかき上げて、現れた額を慈しむように撫でて。

 そこから一転して、真剣な表情で踵を返す。「借りるぞ!」と叫んでレオナルドの従者が乗ってきた黒い馬にまたがって、大雨と夜闇の向こうに消えるまで、一陣の風のようにあっという間の出来事だった。





 軒下から魔術師たちが去ってからしばらくしても、風は止む気配を見せず、雷雨は一層強くなっていた。

(せめてこの嵐が収まれば、魔術師たちももっと動きやすくなるのに)

 当たり前のように感じていた悪天候だが、ここにきて、フェリータは先ほど頭に上った可能性に行き当たった。視線を暗い空から、ランタンのそばで青い顔を見せる女に向ける。

「フィリパ様、いつも気を落ち着けるには何をしてらっしゃるの?」

「……急になんなのです」

 壁に背をつけて座り込むフィリパのか細い声が返って来る。フェリータは濡れるのも構わず正面に移動し、服の上から見るよりずっと細い肩に触れた。

「この嵐はあなたの精神の荒れと結びついてるかもしれません。どうか落ち着いて、あなたの脅威は去ったのだから」

 フェリータはかつての父がしてくれたように、フィリパの額から後頭部へと撫でた。なるべく手のひらのぬくもりが伝わるように。

「侯爵も、ヴァレンティノも、誰もあなたを脅かしませんわ。どうか――」

 縋るように言葉を続ける。しかし、フィリパは蒼白な顔に緊張を滲ませ、壁に背をつけているにも関わらず、さらに後ろに下がろうとした。

「分からない……」

「フィリパ様」

 フィリパは頭を抑えて左右に振り、フェリータの声掛けを拒絶する。
 俯き、ぎゅっと閉じた目から新たな涙が盛り上がった。

「今までこんなこと、起きたことありませんでしたもの。落ち着く? どうやって? わたくしはもう冷静です、もう怒ったりなんてしてない、もうなんにも」

 そして、今度はフェリータが聞かれる番だった。

「……これを収めるには、どうしたらいいんですか?」

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