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第四十四話 射抜く言葉

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「ダミアン様の言った通りだわっ。彼女、メアリーさんとも、ただの使用人と主人の娘以上に近かったんじゃない!」

 ケインズの去った部屋では、椅子にかけたままうんざりとした表情を浮かべていたヴィクターの前に、シャーロットが腰に手を当てて立ちふさがっていた。

「どういうつもり? なんっでこんな重要なこと、黙ってたのよ!」
「……言おうとしましたよ。コートナーが妹であることも含め、レティシア嬢本人から聞いていましたから」
「じゃあっ」
「それで部屋に向かったら、あなたは不在で、聞けばダミアン殿に会いに行ったと。……そう言われたときの俺の衝撃がわかりますか」
「っ、……」

 じり、と切れ長の目に睨み返されて、シャーロットも一瞬押し黙る。
 そんな婚約者を前に、ヴィクターがため息を吐く。

「彼女がこの館にとどまっていたことは、まだ確認が取れていませんが」
「……まぁ、確かに決まった女中が四六時中そばにいなくても、誰かがそばにいたなら、レティシア様も容疑から外れるのよね」

 それなら、そう証言できる使用人を探せばいい。そうすると当初怪しんだ容疑者が二人とも外れるわけだが。
 そんなことを考えていたシャーロットだが、ヴィクターから出てきたのは「いや、おそらく、そのような使用人は出てこないでしょう」という予想外の言葉だった。

「な、なんで?」
「……彼女は、三日の午後から翌日の昼頃まで、誰にも会えなかった。自分でそう言いました」
「それ、どういう……」

 そこで、ヴィクターはなにかを言おうとして、それを取り止めたように一度口を閉じた。そして次に声を発したときには、シャーロットにとって信じられない言葉を吐いた。

「……申し訳ないのですが、詳細はまだ、誰にも。ただ、ここから彼女は動いていない、と言っています。それなりに信憑性はあるかと」
「なっ?」

 大きな声を出すな、とヴィクターが制する。

「か、彼女、フェリックスを……殺してるかもしれないのに、言ってることを鵜呑みにするの?」
「……彼女の話が本当かどうか、まずは確かめます。もし嘘をついていないなら、ダミアン殿が怪しいんです。シャーロット、あなたに対しては、彼が嘘をついたということになる」

 感情のこもらない平坦な声が、『あなたはまんまと騙されたんだ』と言っていた。
 そこでシャーロットの中の不満は爆発した。

「さっきからレティシア様を庇うようなことばっかり言ってどうしちゃったのっ! わたしが懐中時計に反応したときは、ろくな証拠も無しに決めつけてきたくせにっ! ダミアン様だって、少なくとも“仮の証人”すらいないレティシア様ほどは怪しくないわっ!」
「……大騒ぎしないでください。今さらあのときのことを蒸し返したって仕方ないでしょう。だいたい、言うことやることにあなたは落ち着きが無さすぎるんです」
「そっちこそ、話を逸らさないでよっ! こっちは必死なの! 薬盛られたり水被ったりしながら真相を探ってるのに、何ほだされてんのよ!」
「……酒の匂い漂わせながら、ほだされてるのはどっちなんだよ」

 舌打ちまで聞こえてきそうな低い声で吐き捨てられた言葉に、シャーロットはカッと顔を赤くした。決して酒精のせいではなかった。

 ――それは結果であって、一度は、本当に、多分本当に危なかったのに!

 そのとき、彼はレティシアからの話を聞いていたのだ、おそらくは、ふたりきりで。
 女は、信じて、とでも泣きすがったのかもしれない。そしてヴィクターは、それを受け入れた。シャーロットにはろくに説明もなく。

 正体のわからない悔しさが、シャーロットの口を暴走させた。

「あ、あなたとの婚約が破談になったアデル様は幸運ね! こんなに相手の気持ちを汲んでくれない、無神経な物言いができる男だなんて! どうせそれで、他の人に、ロバートさんに心変わりでもされたんでしょっ!」 

 いい放った次の瞬間、理性のたがが外れた口を、勢いよく塞ぐものがあった。

「……それは」

 突然口を手で覆われて息を呑むシャーロットの目の前に、見たことのない表情のヴィクター・ワーガスがいた。
 見下ろす黒い目は、怒りと驚きがないまぜになっているようにも見え、端正な顔の筋肉はこわばってしまったかのようであった。

「……今、関係ないだろう」

 絞り出されたような声と同時に、頬骨を掴む勢いで塞いできた手袋越しの手が、力なく離れていく。

 シャーロットは相手のいきなりの暴挙に驚いていた。そして、胸の奥に、目元に、じわりとせりあがってくる恥ずかしさのような、苛立ちのような、悲しさのような熱が溢れてくるのをどうすることもできなかった。

「……だって、あなたがっ」

 息があがり、言葉を喉につまらせながら、それでもなお、言い募る。

「……ちゃんと、話してくれないからっいけないんじゃないっ!」

 捨て台詞を投げつけて、シャーロットは足音荒く扉へと向かっていく。

 引き留めるものも、追うものもなかった。




 シャーロットとて、理解はしていた。相手に一矢報いたいがために、全く関係のないことを引き合いに出した自分の方が愚かだったと。
 しかも、ロバートとアデルとヴィクターの関係性などろくに知らないのに、つい想像していたことを口走ってしまったのだ。

 でたらめと一笑に伏されてもおかしくなかったのだが、ヴィクターの様子からして、あながち間違いでもなかったのかもしれない。とはいえ、あそこまで顕著な反応を返されるとは、シャーロットは思ってもいなかった。

(あれは、怒らせた、のかしら。……傷つけたのかしら)

 しかし、ヴィクターの態度がどうにもシャーロットを無下にして、レティシアばかりを優先しているように見えて、それが自分でも戸惑うほど悔しかった。

 自分で思っていた以上に、レティシアにこけにされたことが堪えていたのだろうか。今までと、何が違うと言うのだろうか。目元を擦りながら、シャーロットは自分に呆れ、それでも男をなじる。

(……思えば、馬車のときからヴィクターはレティシア様の意見ばっかり尊重して……いくら公爵家の方でも、協力者はわたしだし、表向きは婚約者なのにっ!)

 ――それでも、やはりアデルのことは、部外者が憶測で物を言ってはいけなかったのではないか。

(……わたしに推測で語られるのが嫌なら、ちゃんと話してくれれば良いのよっ。向こうはそもそもフェリックスとのことに関して、散々勝手なこと言ってくれたくせにっ!)

 後悔しては開き直り、また思い直す。
 それを繰り返す間にも、シャーロットの足は赤い絨毯の上を無意識に進んでいく。
 そして気がついたときには、全く見覚えのない廊下にシャーロットはひとり佇んでいた。

「……やだ。どこ、ここ」

 焦燥感のなかで、壁にかけられた油彩の、鮮やかな肖像画と目が合う。額縁の奥で、一昔前の大きく膨らんだドレス姿の貴婦人に笑われているような気がして、シャーロットは一層惨めな気持ちになった。

『僕が個別で案内してあげようか?』
 ダミアンの言葉が、頭のなかによみがえる。

『ヴィクターが困らないならわたしも大丈夫ですわ』
 その答えは、間違っていなかったはずなのに。

「~~もうっ、それもこれもヴィクターのせいよ!」

 シャーロットが子どものように八つ当たりをこぼしても、事態は変わらない。
 肩を落として、シャーロットはもと来た通路を引き返そうとした。

 しかし、身を翻したそのとき、視線の先に思わぬ人物を認めて足が止まった。

「れ、」

 レティシア。

 見つめる先、並ぶ扉のひとつから、額を押さえるような仕草とともに現れた黒い髪の娘の姿に、シャーロットはとっさに声を飲み込んだ。

 しかし、聞こえていたのか、もしくは視線を感じたのか。扉の取っ手に手をかけたまま、公爵令嬢はシャーロットの方へ顔を向けた。

 そして、その灰色の目を驚愕に大きく見開いたかと思うと、なにも言わず、早足でそこから離れていったのである。

「……?」

 まるで、シャーロットから逃げていくかのように。

「……やっぱり、怪しい」

 シャーロットは小走りでたった今レティシアが出てきた部屋の扉を開けて、なかを覗く。

「…………?」

 無人の部屋には、さっきまで客がいたかのように、二人分のティーセットの乗った華奢なテーブルが残されていただけであった。


 ***


 晩餐のために顔を合わせた面々だったが、四者四様に口数は少なかった。

 ーーうさぎのパイなんて、この季節に珍しいわね。フェリックスの好物だって、いつだったか言ってたっけ。

 そんな物思いに逃避していると、視界の片隅で傾けられるボトルが目に入った。シャーロットはあわてて、自分のグラスに注がれそうになる二杯目のシードルを「いえ、結構です、その、普段はそんなに飲みませんので……」と遠慮する。

「なんだよ、強いのしか飲まないのか?」

 そう呟いてグラスをあおるダミアンに向かって“余計なことを言うな”と睨み付けるシャーロットの手のなかで、カトラリーがみしりと軋む。

 しかし珍しく、レティシアはなんの揚げ足もとってはこなかった。
 そして、ヴィクターがどんな顔をしていたのか、シャーロットには見ることができなかった。

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