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第五十五話 もう一通の手紙

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 家の急用だとシャーロットが相談すれば、レティシアは至極協力的に帰りの馬車を用意した。

「我が家の御者はこのあたりの雪道にも慣れておりますからね、夕刻にはフレックにつくでしょう。それではお気をつけて! ほほほほほほ」

 満面の笑みで送り出されるのも、理由が想像できるだけに複雑である。しかし、引き留められも、渋られもしないのは好都合だった。

 用は済んだ。シャーロットがこの地にとどまる理由も、“婚約者”の側にいる必要もない。
 そうしてひとり、ランドニアの領主館を出立したシャーロットは、予定通りにフレックを過ぎ、翌日の午後には再びバットンの町に足を踏み入れることとなった。


 ***


 扉が動くと同時に、からんからん、と来客を告げる鐘がなって、中のカウンターに座っていた男が顔をあげた。
 その奥には、白い壁といくつもの升を積み上げたような棚、そして、事務室につながると思われる扉がある。

「こんにちは。コートリッツまでお手紙をだしたいのだけど」

 シャーロットは往路と同じ宿屋に荷物を置くと、そのまま道を聞いて郵便局まで来ていた。父からの怒りに満ち溢れた一報に、とりあえず応じる旨を伝えておくためだ。
 フレックには郵便局がないことに、現地についてから気がついたのだ。

(ジュリアを追い返してひとりでついていって、あげく婚約解消だなんて、自分のしたことながらお父様には申し訳ないわ)

「このあたりは郵便局がない町もあるのね」

 気落ちした自分を誤魔化すように、わざと軽い調子で話しかけながら、カウンターへと足を進める。
 応じる小柄な中年男も、見慣れない客人の朗らかな態度に笑顔で応じた。

「ええ、フレックの住民はランドニアかうちか、どちらかにいかにゃならんし、林を抜けてはるばるウィンリールから来るお人もおりやすねぇ」

 田舎の郵便局員は動きが緩慢だった。とはいえ、雑談をふるシャーロットも、それを咎める気はない。局員がカウンターの下に潜ってごそごそと切手探しを始めた向かいで、ぼんやりと窓から空を見上げた。
 雪は降っていない。
 しかし、厚く重く空を遮る雲は、シャーロットの心そのもののようだった。

「……ここに、前にも貴族の男が手紙を出しに来たでしょう」

 手持ち無沙汰で再び声をかけると、カウンターの向こうの小男は嫌な顔も見せずに「ええ、いらっしゃいましたねぇ」と間延びした答えを返した。

「彼、どんな様子だった?」

 聞いても仕方のないことだとわかっているのに、シャーロットは馬車の中でずっと頭を占めていた男のことを聞いていた。

 ヴィクターの考えなど、シャーロットにはやはり、まるでわからない。
 確実なのは、アデルを愛していたことと、ロバートを含めた二人への罪悪感を引きずっていること。
 おこがましくも、囚われた過去から自分が引き上げてあげられると思っていた。そう望まれていると、勘違いしていた。
 自分が、そうされたように。

(ヴィクターがわたしに興味を示していた理由は、本人から教えられてたのに)

 幾度となく助けられたのも、彼が父親がわりの保護者だったから、というだけだ。
 勝手に舞い上がって、心の底からいたたまれなくなってくる。

「どうって、……そうですねぇ、急いでいるようでいて、なんだか楽しそうでしたなぁ」
「そう……」

 急いでいた。確かに、グースに自分が見落とした証拠が残っているかもしれないと思えば、焦り、そして楽しくもなるだろう。シャーロットは寂しさとともに苦く笑い――。

(……は?)

「楽しそう? なんで?」
「へ? なんでって……そうですねぇ、きっと恋人に送る手紙だったんでしょうな」

 シャーロットはまさかと身を乗り出した。

「そんなわけないでしょ、仕事中だったのよ、彼」
「そうなんですかい? あぁ、確かに、夕方に駆け込んできて、御髪も雪まみれで乱れてらっしゃったから、忙しそうでしたけど……でもコートリッツまで、って、いかにも照れたような様子でしたよ」
「は? 夕方? コートリッツ? 何言っ……」
「若様のことでしょう?」

 シャーロットはそこで、瞬き三度の分だけ固まってから、呆けたように繰り返した。

「……わかさま?」

 小男は懐かしそうに応じる。

「ええ、もう三週間くらい前になりますかねぇ。ひっさしぶりにいらしたんですが、立ち居振舞いもお顔立ちも、全然変わってらっしゃらなくて」

 そこで局員は、シャーロットが旅装の客人であることをようやく思い出したように言い直した。

「フェリックス様ですよ。フェリックス・ロザード様。この先の、ランドニアのお館様の跡取りでいらっしゃった。あれが最後のお姿になるなんてねぇ」
「……フェリックスが、ここで手紙を出したの? ……コートリッツの、恋人に?」

 故人との思い出に浸り始めた局員は、目元を拭いながらうなずいた。
 
(フェリックスの、最後の手紙……)

 シャーロットは唖然とする。
 だって、それは、そんなものは――。

「そんなもの、来てないわ」

 シャーロットの言葉に、小男が「へ?」と困惑を返したそのとき、カウンターの奥の部屋からもうひとり、若い局員が顔を出した。

「先輩、すいませーん。これなんの箱ですかね?」

 呼び掛けられたカウンターの小男は、シャーロットのことを差し置いて後輩局員の方へと振り返る。
 シャーロットの目には、木箱からはみ出す白い封筒がいくつも見えた。

「箱って、なんの……」

 しかしその箱を見るなり、小男の様子は一変した。

「お、おまえさん、それどこに……」
「いやなんか、切手帳簿の下にあったんですけど」
「えええ、これ、いつのだよっ」

 とたんに小男はカウンターから離れ、事務室の入り口付近で木箱から封筒を二つ三つ摘まんでは、さらに悲痛な声をあげる。
 そして、置いてけぼりをくらったシャーロットに向けて、ぎこちない笑みを向けた。

「……ええと、コートリッツまででしたね、ちょっと料金表を確認しますんで、少々お待ちを」

 はは、といびつな笑みを浮かべながら、小男は後輩の背中を事務室へと押す。しかし小声で「すぐに配達に回せ」と指図していたのを、ほかの客がいない局内でシャーロットはしっかり耳にしていた。

「待って」

 小男の顔が、シャーロットの低い制止にひきつる。若い局員も足を止めた。

「そこに、あるのね? 発送し忘れた手紙が」
「まさか、そんなわけ……」
「その差出人は、“緑の燕の会”ね?」

 ずばり言い切ったシャーロットはカウンターに両手をつき、ずい、と身を乗り出した。

「……」

 真っ青になった局員に、自分の予想が当たっていることを確信したシャーロットはさらに追い討ちをかける。男の前に、手袋越しの右手を差し出して。

「……?」
「渡して」
「へっ? い、いや、確かに郵便は遅れましたが、そんなことできませんよ」

 慌てて顔の前で手を振る小男に、シャーロットはまなじりをつり上げた。

「だから、わたしがその宛先に書かれてる、“シャーロット・フェルマー”なの! 渋るなら、ランドニア滞在中の領主代理に相談するだけよ!」





 はたして、宿屋の部屋に戻ったシャーロットの手の中には、まごうことなくフェリックスからの最後の手紙があった。

(わたしのこと、忘れてなかったの?)

 死の直前にしたためた手紙だと思えば、シャーロットの指も震えた。恐る恐る、ペーパーナイフを封筒にあてる。

 丁寧な折り目の便箋を開けば、見慣れた流麗な字が連なっていた。

『愛するシャーロットへ

 寒い日が続いているだろうけど、君は息災でいるだろうか。風邪などひいていないといいけれど。
 急だけど僕は今、コートリッツからずいぶん離れて、所用で北の地にいる。馬での道のりは楽ではないが、この手紙を書いている宿を囲む森の奥には、美しい湖があるそうだ。訳あって急ぎの旅とはいえ、君にいい土産話になるだろうか。
 そういえば、リンディ嬢の婚約が決まったそうで――』

 無言のまま、文字列を目で追っていたシャーロットは、静かに手紙をたたむと荷ほどきをした自分の鞄へと向かった。

 旅の所感をつづった手紙は、それまでに送られていたものと同様、優しさと愛情に満ち溢れていた。
 別れの言葉も、謝罪の言葉もない。
 この手紙をシャーロットが受け取る頃には自分の訃報が伝わっているだろうことには、何一つ触れていなかった。

 シャーロットは目元を拭うと、持参した真新しい封筒へ必要なものを入れ、のりと蝋で閉じる。

(不誠実は、お互い様ね)

 書きにくさに苦笑いしながら宛名を書き終えると、シャーロットは外套を手に部屋から出ていった。
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