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二、カールロット公爵令嬢は魔女になる、ことにした

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 泊まっていくロザロニアを交えての夕食を終えて皿を下げる途中、厨房でフラウリッツに声をかけられた。

「明日は晴れたら庭、雨なら彫刻の間で実践練習といこう」

 実践という言葉に背筋が伸びたが、続いた「いつもの赤インクはいいや」という言葉に私は戸惑った。いつもの赤インクとは、新鮮な鶏の血のことだ。

「代わりに、赤ワインのボトル一本と、カップとソーサーを四対、用意しておいてくださーい。グラスはいらないから」
「……まさかとは思うけど、休息日は明日じゃないわよ」
「魔法使いが教会の定めた休息日やら勤労日やらに従うわけないじゃん。……んな顔するなよ、明日もちゃんと教鞭とるって」





 翌日は、降りしきる雨に顔をしかめながら、少し遅めの起床となった。ああ頭が痛い。

 私は言われた通りワインと四組のティーセットを用意し、いつも使う魔導書をトレーがわりにすると、指定された部屋に向かった。

 中に入ると、石膏像や大理石の像が並ぶだけだった長方形の空間には、座り心地のよさそうな肘掛け椅子と長椅子、装飾が美しい丸テーブルが運び込まれていた。
 フラウリッツはそのテーブルに白い布を敷いたところで、私が入ってきたことに気がついたように振り向いた。

「魔導書、今日は使わないよ」
「え?」
「これ僕がちょっと改変してる魔法でさ、本には書かれてないよ。魔法陣の詳細は教えるから、ワインでその通りに描いて。カップも後から使うけど、一旦そこに置いといて」

 私は長椅子に魔導書ごとカップとソーサーを置いた。

「どんな魔法なの?」
「ベースは転移魔法」

 転移は基本もやっていないのに、いきなり改変版とは。しかも、実践というわりには、地味。

「転移魔法が扱えるようになると便利だよ。武器持ち込み禁止のところでも、いつでも武装出来るようになるし。召喚の魔法が使えない子も魔獣を転移させて代用してたし」

 それを聞いて、私は鼓動が逸るのを感じた。なるほど、確かに実践的だ。

「対象の同意か服従が前提の召喚と違って、転移で生き物を呼び出すのは危険なんだけどね。はい、じゃあまず円を描いて、そう、もう一つ中に。そう。……あ、ストップ、中心にこれ描いて。それで最後は円のまわりに均等にカップとソーサーを置いていってね」

 赤い筋を描いていた手を途中で止められる。渡された小さな紙には、見たことのない図形が描かれていた。魔法陣を描くときに使う文字だが、魔導書の写本では見ていない形。それをよく見て頭に入れてから、私は再び慎重にボトルを傾けた。

 指示通りにカップを並べると、一歩さがって手を掲げ、教えられた通りに呪文を口にする。

「レダリカ、目を閉じて」

 従うのにためらいはない。よき生徒は従順なもの。

 ふと、鼻先で空気が動く気配がした。来た、と期待が胸に込み上げる。

 あれ、でも私、何をここに転移させるのか、指定されてない。
 え、じゃあ何が出てくるの?

 今さら焦っても、正しい魔法陣と呪文の前では関係ない。目と鼻の先でぶわっと渦巻く風が起きているのがわかった。心臓がさっきまでとは違う意味でばくばく鳴っている。 

「……レダリカ、できてる。完璧」

 昨日と同じ、フラウリッツの言葉。
 でも、声の調子が少し弾んでいる気がした。

 私は安堵し、恐る恐る、そしてぶり返してきた期待に胸を膨らませて目を開けた。
 カップからのぼる湯気に目を凝らす。

 カモミールティーの香り。

 大皿のレモンパイ。

 三段スタンドに乗るクッキー、メレンゲ、マドレーヌ。ガラスの器に入っているのは……カスタードプティング?

「……な」
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