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18 お誘い
しおりを挟むエインズが部屋を去った後、夜になるまでアルケインの訪れはなかった。
椅子に座り、一人冷めたお茶に口をつける。
頼めば淹れ直してもらえるだろうが、夜遅くに神女の仕事を増やすのはためらわれた。
きっとまた、冷たい目で見られるに違いない。
(天界にお戻りになられたのかもしれない)
介抱してもらったのにきちんとお礼が言えなかったので、ロティは今朝のことをずっと後悔していた。
(ついに呆れられて、もう二度とここにはいらっしゃらないかも)
それを望んでいたというのに、今は少し寂しいと思う自分がいる。
一人で彫刻を磨くことだけが生きがいだったロティにとって、アルケインやトールデンとの触れ合いは驚きの連続で、けれど決して居心地の悪いものではなかった。
勿論、シェスカに傷をつけたアルケインには未だに複雑なものを感じる。それでも、直接怒りをぶつけてしまったのは完全な八つ当たりだ。
今の不自由な生活は、アルケインが憑依したことが原因とはいえ、彼が強制したものではないのだから。
(謝りたい。お礼が言いたい。もう一度、お会いしたい)
驚くべき心境の変化に、ロティは苦笑してしまった。
あんなに手ひどく拒絶したというのに、今の自分の考えは随分と勝手だ。
「何を笑っているのだ?」
「ひゃあ!」
そんなことを考えている時に声を掛けられたものだから、ロティは本当に飛び上がってしまうほどに驚いた。
実際に椅子からずり落ちかけて、慌てて椅子の肘置きににしがみついたほどだ。
お茶は飲み終えていたので零さずに済んだが、カップはもう少しで割ってしまうところだった。
恐る恐る確かめると欠けもないようで、ロティはほっと安堵の溜息を漏らした。
「すまない。驚かせたせたか?」
自らも驚いた様子で、アルケインが尋ねてくる。
(初めに憑依なされた時は、私の気持ちなんてお構いなしだったのに)
ロティはロティで、アルケインの変わりように驚いていた。
思わず戸惑った様子の精霊王を見上げてしまう。
朝と同じように、彼はもう透けてはいなかった。
まるで人間と同じように、確かにそこに存在している。
服装だけが古風だが、アルケインを描いた絵画や彫刻に慣れ親しんだロティにとっては、むしろその服装がよく似合っているなと感心してしまうほどだった。
「……あまりじろじろ見るな」
アルケインの気まずそうな顔に、ロティはようやく我に返った。
そしてあまりにも不躾に見つめてしまった自分の行動に、思わず顔が熱くなる。
「も、申し訳ありません!」
思わず立ち上がり、精一杯謝罪する。
「まあいい。それよりもこれだ」
気まずそうにそう言いながら、アルケインが取り出したのはなんの変哲もない古びたマントだった。
深みのある臙脂色で、厚みがあって温かそうだ。
「あの、これがどうしたのですか?」
女ばかりの神殿で暮らすロティが、マントに詳しいはずがない。
どういうことかと首を傾げていると、アルケインは突然マントをロティにかぶせた。
「えっ……え!?」
パニックになってばたばたともがくロティに、アルケインはとにかく落ち着くように言う。
「お前も聞いたことぐらいあるだろう? このマントは『姿隠しのマント』だ」
姿隠しのマントは、美の女神フロテアが山神アトルスから姿を隠すのに使ったとされるマントだ。
それを纏えば姿は消え、どんなに力の強い神でもその存在を悟られることはないという。
「そんな、どうしてこんな貴重なものを?」
マントの持ち主は、アルケインではない。地上に持ってくるにはそれなりの苦労があったはずだ。
しかしアルケインは、どうということはないというように苦笑した。
「気にするな。カードゲームで負けたフロテアが、掛け金代わりに置いていったんだ。物置に置きっぱなしだったから、少し埃っぽいかもしれないが……」
アルケインの言葉は、ロティにとっては予想外のものだった。
神話によると『姿隠しのマント』は得難い至宝として描かれていたが、どうやら神々にとってはその程度の価値であるらしい。
なにより、神々の中でも一二を争う美神の二柱が、俗っぽくカードゲームで賭けをするなど想像もつかない。
あまりのことにロティが呆けていると、彼女を見下ろしてアルケインはいたずらっぽく笑った。
「あのエインズという神女はやたら敏いようだからな。ロティ。これを使って、夜の散歩にでも出てみないか?」
精霊王の思わぬ誘いと初めて見る表情に、ロティは動揺してしまってまともに返事もできなかった。
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