最果てからきた魔女

北路 洋

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「撃沈」

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 総理大臣官邸の五階。
 すっかり夜も更けてしまった未明の総理大臣執務室。
 霞ヶ関で残業中だった渋江正満内閣情報官が、佐竹総理の呼び出しに応えて到着した。
 「海自からの報告だ。」
 佐竹が、予め机上に用意しておいたプリント用紙を渋江に手渡した。
 「どれどれ。」
 渋江はプリント用紙を受け取り、執務机の前で立ったまま目を通した。
 真夜中だというのに、総理大臣に呼び出されて直接手渡された書類なのだから、決して軽い内容であるはずは無いのだが、渋江は読み進めている最中に一切顔色を変えず、
 「国籍不明の原子力潜水艦を撃沈ですか? 剛毅な話ですなぁ。」
 就寝中を叩き起こされて第一報を受け取った時には、佐竹でさえ一瞬冷や汗が出たほどの報告内容を、全く動揺を見せずに事も無げな感じで口にした。
 しかも、渋江はそのまま応接セットに移動してソファに身体を預けると、手にした書類を団扇代わりにして仰ぎだした。
 「いやぁ、今夜はこの夏一番の熱帯夜だそうですよ。堪らんですよ。」
 などと、天気の話を始めようとする渋江に佐竹は唖然としていた。
 その短い報告書の内容だが、
 本日二三時、海上自衛隊の対戦哨戒機が山形県飛島沖の領海内で国籍不明の大型原子力潜水艦を捕捉。山形県の海岸に接近を始めた原潜に対して警告を発したが進路を改めなかったので、約三〇分後に現場の判断で撃沈したとのことである。
 日本には非の無い自衛権の行使ではあるが、それが後々に何らかの戦争の火種になりかねない物騒な事件である。
 「海自もやるようになりましたな。昔は領海侵犯されたって見守る以上のことは出来なかったってのにねぇ。今じゃ、すっかり手が早くなってしまったようですな。」
 そんな渋江の冷静過ぎる態度に今更驚く佐竹ではないが、この後に予想される騒動を丸く納めるためには多少焦って欲しかった。
 しかし、渋江は佐竹が何を焦っているのか分からないと言った風である。
 「どうせ国籍不明の原潜なんでしょう? 今時、沈めたからって何処からも苦情なんか来ませんから心配ご無用ですよ。そもそも音紋解析は終わっているんでしょう? 何処の国の艦なのかは分かっているんじゃないですか? 」
 音紋とは個別の潜水艦が持つスクリュー音の特徴のことだが、それを解析すれば国籍と艦種が特定可能なはずである。
 「ロシアの原潜だよ。タイフーン級だ。」
 どうだ驚いたか! と、言いたげな佐竹の口調だった。
 国籍と艦種を聞いて、漸く渋江は少しだけ表情を変えた。
 但し、焦ったわけではなく、意外そうな顔をしただけである。
 「あんなロートル艦、白海のセヴェロドビンスク軍港で赤錆びてたはずじゃなかったんですか? よく動きましたね。驚きですよ。」
 などと、領海侵犯した艦を相手に感心したようなことを言う。
 「まあ、動いたから日本までやってきたんだろうが・・・ 」
 佐竹は、渋江の恍けた顔を見ていたら、海自の報告を受けてから緊張し続けていた自分の方が間違っていたのではないかと首を傾げてしまった。
 だが、直に意見を元に戻した。
 「ロシアも軍事力を再建しなきゃならないから、予備役の艦艇やスクラップ寸前の装備を掻き集めてるんじゃないのか? その上で何の事前連絡も無く日本の領海に現れたとなると、それが新たな軍事行使を伴う野望を持っての行動だと思わないか? シベリアで失った領土を別な形で回復しようとしているのかも知れないぞ。」
 そんな佐竹の意見を渋江は瞬時に否定した。
 「有り得ませんな。」
 「どうして言い切れる! 」
 佐竹は喧嘩を売られたような気分になって、思わず感情的に言い返してしまった。
 渋江が来る前までの間、佐竹は執務室でモヤモヤとした胃の不快感を抱えながら今後の成り行きを色々と思い悩んでいた。そこに渋江が訪れたことで、漸く不安を分かち合える仲間を得たと思ったのに、まさか突き放されてしまうとは思わなかった。
 「言い方がキツかったようです。すみません。」
 部下ならば構わないが、首相の意見を一言で切り捨ててしまったのは、さすがにマズかったと思ったのだろう。渋江は半笑いだったが、一応頭を下げておいた。
 「でも、首相。現在のロシアの国力じゃタイフーン級の原潜を再就役させて運用するなんて余裕は何処にもありませんよ。カラシニコフ小銃やウラジーミル戦車を再利用するのとはわけが違います。莫大な資金と人員が必要になるでしょうし、仮に再就役させたとしても、ミサイルを運用する機能は撤去されてますし、装備できる魚雷も無いはずです。金を掛ける意味なんて殆ど無いんですよ。だから、タイフーン級の原潜が日本を侵略しに来たんじゃないかって考えるのは些か被害妄想だと思いますよ。」
 「ふーむ。」
 そこで佐竹は反論したかったのだが、他でもない内閣情報調査室のトップが自信ありげに言うことなので、それも一理あるかなと思ってしまった。
 「それじゃ、君はスクラップ寸前のタイフーン級の原潜が何故日本の領海を侵犯したって言うんだ? 」
 佐竹の問いに、
 「そこは重要ですね。」
 と、渋江は先ほどよりは幾分深刻そうな顔で応えた。
 「目的があったことは確かでしょう。その目的のために動かせる原潜がタイフーン級しか無かったってことでしょうね。脅威なのはロシアがタイフーン級の原潜を再稼働したことなんかじゃなくて、本来動かせるはずのない、ミサイルも魚雷も積んでいない、バカでかい空き缶みたいな原潜を無理矢理動かしてまでやらなきゃならなかったことは何かってことです。」
 「それは何だと思う。」
 渋江は、もう一度海自の報告書に目を移した。
 「最終的に山形県沖で撃沈されたようですが、最初に捕捉された位置を考えると原潜は南下してきたようですね。」
 「そのようだな。」
 「山形の直ぐ上は秋田県ですね。」
 「ああ、そうだな。」
 「今、秋田には何がいます? 」
 渋江の問いに、佐竹が忽ち表情を険しくした。
 「米代港にはクシェル船が停泊しているが? まさか? ロシアが何故? 」
 クシェル船とロシアの原潜、この二つを付き合わせて考えたら、様々な想定が思い浮かんでくる。沢山思い浮かび過ぎて困るほどだ。
 佐竹が何から口に出して良いか迷っていたら、渋江が最も物騒な想定を始めた。
 「ただ動くだけの空っぽの原潜ってことは乗員の数も少なくて済みますから、沢山荷物を積めるわけですよ。海に潜れる輸送艦としてなら世界最大の原潜は使い勝手が良いでしょうね。その荷物は何だと思います? 」
 「兵員か? 」
 「その可能性が高いです。海自が撃沈したタイミングは、果たして兵員を下ろした後だったのか? 前だったのか? 」
 佐竹の額と背中に嫌な汗が滲んできていた。
 掌はそれ以前にビッショリと濡れてしまっている。
 「ロシアは、我が国とクシェル王国との外交を邪魔しようってのか? 」
 「クシェル王国を倒してシベリアの領土を回復しようと目論んでいるのなら、そうする可能性はあります。」
 「そうか! ロシアは、そのためにクシェルの使節を! 」
 結論を先走ろうとする佐竹に渋江は少し待つように言った。
 一方向から状況を見て決めつけてしまうのはマズいとのことである。
 「既に地上軍を殆ど失って、欧州の領土を経営するのが精一杯になってしまったロシアが、もう一度クシェル王国と戦いたいと思うでしょうか? レヴィナ・フェルトスの魔法で散々痛い目に合わされているんですよ。」
 レヴィナ・フェルトスの魔法の威力に関しては、佐竹も既に映像で確認していた。
 渋江に渡されたSDカードに記録されていた僅か二〇分ほどの映像だったが、観た後に暫く頭を離れず、悪夢にうなされたほどの衝撃を受けていた。自分がロシアの軍人か政治家ならば、あんな恐ろしい魔女と戦うのは二度とご免だと思うだろうし、それが無謀であることも理解するだろう。
 「そこなんですよ。タイフーン級の原潜を再稼働させることと一緒です。日本とクシェル王国の外交を邪魔して関係を悪化させることに成功したとして、ロシアがその後で日本を誘って東西からクシェル王国を攻める意味なんてあると思います? そんな元気が残っていると思います? 」
 「な、無いだろうな・・・ 」
 だが、そうなると佐竹には分からなくなる。
 ロシアが原潜を使って日本国内に、それもクシェル船が停泊している近くに兵員を送り込む目的は何なのだろう?
 「もしかしたら、ロシアの原潜じゃ無いかもしれないですね。」
 渋江は意外なことを口にした。
 「タイフーン級だぞ。ロシアに決まっているじゃないか。」
 「いや、動かしているのはロシア海軍だとは思いますがね。中身が・・・ 」
 渋江は別の可能性に思い至っているようだが、珍しく自信の有りそうな言い方は避け、慎重に考えを纏めているようだった。
 「調べてみないと分かりませんが、クシェル王国と日本の外交を望まない勢力ってのがいても不思議は無いと思いますね。クシェル王国の政界ってのは、随分勢力争いが激しいようですし、王族の中でも後継者を巡って陰謀が渦巻いているって話です。日本は正統な政権者である現王を指示して交渉を行っていますが、それに反する勢力が日本以外の国家と結びつこうとしている可能性はあります。」
 渋江はクシェル王国内で何らかの王室敵対勢力がロシアと結びつき、ロシアの原潜の協力で日本にクシェルの兵員を送り込んだ可能性が有りそうだと考えていた。
 「全て私の推測で申し上げる話なんで首相には大変申し訳ありませんが、クシェル王が日本と結びつくことで、その権力を拡大する可能性を危惧した連中が、両国の関係を危うくするために使節を襲おうとする可能性はありますし、そいつらがロシアと結んでいる可能性は十分にあります。」
 「だが、つい最近まで戦争をしていた敵国だぞ。」
 その点が佐竹には理解できなかったが、
 「戦争をしていたのは王様ですよ。他の国内勢力にロシアと戦争している意識の無い連中がいるかもしれないです。」
 そう言われてみれば、中世的な勢力争いが起こっている政権の内部で、其々の権力者が私利私欲で動いているならば十分有り得そうなことかもしれないと思った。
 「この件についてはクシェル王国に駐在している連中に調べさせときますが、差し当たっての問題は原潜に乗って日本に上陸したかもしれない連中です。現地の警察や自衛隊に連絡してクシェル王国の使節船を厳重に警備させるようにします。」
 そう言い終わって、直ぐに渋江は立ち上がった。
 既に夜も遅い時刻だが、帰宅した連中を呼び戻してでも関係各機関をフル稼働させて事態に対処させなければならないということである。
 「首相には防衛省と外務省の方をお願いします。まずは、原潜の沈んだ海域は浅いですから乗員と積み荷の確認を早急に行うよう、海自に手配して下さい。それと、この後の使節に何が起ころうが、外交の失敗に繋がらないよう外務省には万全の手筈をお願いしたいですね。」
 そんなことは一々確認されなくても承知しているよと佐竹は言ったが、
 「一番の気掛かりは、そこじゃ無いだろう? 」
 と、本件の中で最も大事と思われることの確認をした。
 「ああ、例の件に関しては別働隊を動かすつもりです。」
 そう言って、渋江はニッと笑った。
 「別働隊? 」
 まるで、渋江が悪ふざけをしているような言い方だったので佐竹は不真に思った。
 「そもそも、レヴィナ・フェルトスが命を狙われる危険性については様々な予測がありましたから、スムーズな国内移動が適わなかった場合に備えて、最強のボディガードを待機させていたんですよ。ま、内調の秘密兵器って奴です。そいつをエスコート役に指名しますから、まず大丈夫と考えて下さい。」
 「そいつは誰なんだ? 」
 「それを言ったら秘密兵器にならんでしょう。」
 渋江は、この期に及んで本気とも冗談ともつかないような曖昧な返事を置き捨てて、怪訝そうな顔をする佐竹に一礼すると執務室を出て行ってしまった。
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