最果てからきた魔女

北路 洋

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「侵攻」

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 「くそ! あの女だ! あの女を殺らなきゃならん! 」
 黒煙の攻撃から逃れることのできた一等陸曹がいた。
 歳は三〇代後半、胸にレンジャーと空挺の徽章を付けたベテランの猛者である。
 彼は、着剣した自動小銃を構え、たった一人で襲い掛かる石蟲の攻撃を巧みなフットワークで躱しながらエリーネの姿を探していた。
 彼が、クシェル陣地を南北から攻めようとした二個中隊の中で唯一の生き残りだった。
 他に生き残っている者は一人もいない。
 負傷者さえもおらず、隊員は皆殺しにされてしまっていた。
 しかも、二個中隊四〇〇名が全滅するまで五分と掛かっていなかった。
 圧倒的な魔術の力の前で陸上自衛隊員たちは全く無力であり、この場で起きた事は到底戦闘などと呼ぶことは出来ず、一方的な殺戮でしかなかった。
 だが、これほどまでの無様な完敗を喫しながら、一曹は一発逆転の機会を狙って最後の戦いを挑もうとしていた。
 既に自動小銃の弾は切れ、手榴弾は使い果たし、残された武器は銃剣のみという心細い有様だったが、殺されてしまった多くの仲間たちの仇を取りたいという執念に突き動かされる彼の戦意は高かった。
 「くっそう! どこだ! どこにいやがる! 」
 エリーネを探して駆け回る一曹を前後左右から石蟲が襲ってくる。
 触手の猛攻を全て躱す一曹の身のこなしは見事だった。
 しかし!
 石蟲の立てる地響きが足を縺れさせ、舞い上がった土砂が頭上を襲う。
 そんな中にいながら一時も足を止めることはできず、転ぶことさえも許されない。
 一瞬でも動きを止めてしまったら、触手によって圧し潰されてしまう。
 当然、疲労とダメージは急激に蓄積されていく。
 どんなに戦意が高くても、たった一人で全ての石蟲を相手に触手の攻撃を躱し続けていられるはずが無かった。
 いつかは力尽きて触手に捕まってしまうに違いなく、それは時間の問題だった。
 その時!
 一曹の視界が開けた。
 眼前に交差した触手を?惜い潜った先、
 (いたっ! あいつだ! )
 とても兵士とは思えないカジュアルで露出度の高い格好をして、小山の中で最も高い位置に悠々と立つ一人の女。
 石蟲が出現する直前、南から斜面を登ってきた中隊の中程にいた一曹は遠目でエリーネの姿を目撃していた。
 彼女の顔までは見えていなかったが、あの場違いな服装だけは絶対に見間違えようが無かった。
 (あいつが、全ての元凶だ! )
 一曹には魔法や魔術などの知識は無いが、石や煙のバケモノを操って二個中隊を全滅させたのがエリーネであることだけは確信できていた。
 (あの女はヤバい! )
 何がヤバいのか? そこまでは一曹には理解できるはずもないが、エリーネの能力が凄まじいということだけは十分過ぎるほどに味合わされてしまっていた。
 だから、このままでは東側から攻めるはずの本隊までもが彼らと同じ運命を辿ってしまうに違いないと思っていた。
 何とかして、相打ち覚悟でも潰しておかなければならない。
 (今ならイケる! )
 頂上に立つエリーネは、自らの圧倒的な力を過信し、勝利を確信したことにより油断しているように見えた。
 周囲に気を払っておらず、広範囲に散らばったバケモノたちを制御することに気を取られてしまっているようだった。
 実際、この時のエリーネは、銃剣を構え、姿勢を低くして側面から素早く接近する一曹には気付いていなかった。
 逆転の機会は確かにあったのだ。
 あと僅か五メートル!
 (この女さえ殺れば、こっちの勝ちだ! )
 どんなに強力な魔女であっても、不意打ちに刃を受ければ防ぎようが無かったと思う。
 命を奪うことができたかどうかは分からないが、一曹の銃剣はエリーネを一時的な行動不能に陥らせるぐらいは出来たはずだった。
 だが!
 一曹には運はそこまでだった。
 あと数歩でエリーネに銃剣の切っ先が届くはずだった彼の頭上を一本の触手が襲った。
 触手の攻撃を躱すことはできたが、それによって勝機は失われた。
 空振りした触手が立てた地響きがエリーネを振り返らせてしまったのである。
 そして!
 一曹の接近を視認したエリーネが両目をカッと見開き、
 「無駄だ! 」
 と、一声叫んだ!
 その途端、全力を込めた一曹の突進は、目に見えない力によって封じ込まれてしまった。
 逆転の勝利を賭けて突き出された銃剣はエリーネの眼前で空を切り、彼の手を離れて地面に落ちてしまったのである。
 「な、なんだ? 」
 突進を阻まれた一曹の身体が逆さまになって空中高く持ち上げられ、そのままエリーネの頭上に浮かんだ。
 「はっ、離せっ! くっそーっ! 」
 必死に手足をバタつかせてもがく一曹だったが、まるで目に見えない巨大な指に摘まみ上げられてしまったようで、彼の身体は自由にならなかった。
 「フン! 雑魚が! 」
 エリーネが一曹を一瞥して、小馬鹿にしたように呟いて鼻を鳴らした。
 すると、目に見えない巨大な指はエリーネの呟きに応えるかのように動いて、一曹の身体を米代港が見下ろせる北側の切り立った崖の下に放り投げてしまった。
 「うわぁぁぁーっ! 」
 あと僅かというところまでエリーネに迫りながら、遂には一矢報いることも出来ず、捕らえられて抗うことも出来ずに、一曹は悲鳴を上げながら崖の下に落ちて行った。
 「これで終わりか? 」
 一曹の攻撃を最後にして、動いている陸上自衛隊員は一人もいなくなった。
 エリーネはチッと舌打ちしてから、
 「×××××! 」
 と、短い呪文を唱えた。
 すると、それまで暴れ回っていた石蟲や黒煙が一瞬にして姿を消した。
 後には、数十台の重機や大型トラクターによって掘り起こされ、耕されて、形を変えてしまった小山の頂上周りの風景が残されていた。
 「さて、戻るとするか。」
 アルマス副官が指揮を取っている東側でも既に陸上自衛隊との戦闘が始まっているようで、銃声や砲声が聞こえていた。
 自軍陣地に向かって歩き始めたエリーネだったが、
 「ん? 」
 頬にヒリヒリとした違和感を感じ、立ち止まって右手の指で押さえた。
 「血? 」
 指が血で少量の血で汚れていた。
 「先ほどの日本兵か? 」
 一曹の銃剣はエリーネの頬を擦っていたらしい。
 エリーネの右頬に三センチほどの浅い傷を付けていた。
 それは、この度の戦闘の中で一方的に殺戮されてしまった陸上自衛隊が上げた、唯一であり悲しくなるぐらいに微かな戦果だった。


 「こちらも始まったようだな? 」
 陸上自衛隊普通科二個中隊を全滅させたエリーネは、小山の東側で戦闘の指揮を取っているアルマス副官に声を掛けた。
 「あ、お戻りでしたか。戦はいかがでした? 楽しめましたか? 」
 アルマス副官の問い掛けにエリーネは首を振った。
 「つまらん相手だった。弱過ぎる! 」
 不機嫌そうに吐き捨てるエリーネを横目で見ながら、アルマス副官は苦笑した。
 漆黒の魔女と戦って勝てる軍隊など滅多にあるはずがない。しかも、今回の相手は魔法や魔術の知識を持たない日本の軍隊である。一対四〇〇であっても真面な戦いになるわけが無い、日本軍など指一本触れることもできないと最初から思っていた。
 だから、エリーネが頬に小さな傷を負わされたことをアルマス副官が知ったら、驚いて腰を抜かしたかもしれない。
 既にエリーネの顔に傷は無い。
 一曹の銃剣によって受けた傷は自身の治癒魔法で簡単に治すことができていた。
 火傷を治した時のように苦しむことも無く、陣地に戻る途中で歩きながら治せる程度の軽い傷だったが、エリーネは部下たちには傷を負ったことを知られまいとしていた。
 意外にも、それはプライドの問題ではなく、羞恥心の問題だったのが面白い。
 指揮官とはいえエリーネも女であるからには、自分を美しく見せたいという気遣いぐらいはする。だから、顔に傷を付けて血を流しているところなど、部下たちに見られたくはない。陣地に戻った時点で治癒は完璧、迎えたアルマス副官は彼女の負傷に気付きもしていので、少しホッとしていた。
 「こちらの指揮をお取りになりますか? 」
 アルマス副官は、戦がし足りなさそうにしているエリーネを気遣って言ったのだが、
 「お前の戦を奪うのは申し訳ないから、このまま任せる。」
 エリーネはアルマス副官の肩をポンと叩いて、彼の前には出ようとしなかった。
 これはエリーネなりの気遣いだった。勝利が明らかな戦に於いて有能で忠実な副官に花を持たせてやり、彼に功を上げさせようとしたのだろう。
 「畏まりました。それでは。」
 アルマス副官は、エリーネに感謝の一礼を捧げてから敵に向き直った。
 実際、エリーネが指揮を取るまでもなく、既に東側の戦は決着しようとしている。
 戦闘が始まってから七、八分が経過した現在、陸上自衛隊の本隊はほぼ壊滅していた。
 先に攻撃を仕掛けてきたのは陸上自衛隊である。
 エリーネと二個中隊との戦闘が始まるのとほぼ同時に、無反動砲や迫撃砲の火力をクシェル兵の陣地に一斉に叩き込んできた。
 ところが、陸上自衛隊の砲弾はクシェル兵の陣地に一発も届かなかった。
 放たれた全ての火力が目標を外れ、見当違いの場所に着弾してしまったのである。
 砲弾がホップしてクシェル兵の陣地を大きく飛び越えてしまったり、左右に流れてしまったり、手前でお辞儀をするように着弾してしまったり、さらにはUターンして戻ってきて味方を吹っ飛ばした砲弾も一〇発以上はあった。
 砲弾が真っ直ぐに飛ばない時点で、陸上自衛隊は戦う術を失ってしまった。
 無駄弾を消費させられるだけでは済まず、自らの砲弾で被害を受けてしまうのでは危なくて発砲のしようが無かったのである。
 そんなわけで戦闘開始早々に窮してしまった陸上自衛隊員たちだったが、クシェル兵からの反撃が始まってからは更に唖然とさせられることになった。
 クシェル兵の装備はロシア製の自動小銃、手榴弾、対戦車ロケット榴弾発射機など、携行可能な小型火器だけだということを、戦闘前の偵察により陸上自衛隊は掴んでいた。
 だから、一〇六ミリ無反動砲や一二〇ミリ迫撃砲、対戦車誘導弾を装備した自軍とは火力の差が歴然としているので、制圧には大して手間取らないだろうと彼らは自身を持って戦闘を開始していた。
 ところが!
 クシェル兵の小型火器が重火器並みの威力を発揮したのである。
 例えば、対戦車ロケット榴弾が艦載砲や対地ミサイル並みの爆発力と衝撃波で隊員数十名を纏めて吹き飛ばしたり、命中した鉄筋コンクリートの建物を次々と瓦礫に変えてしまったりした。
 クシェル兵が投げる手榴弾は数百メートルも飛んでトラックや装甲車両を破壊したし、小銃弾が物陰に隠れる隊員たちを回り込んで殺傷するようなこともした。
 もちろん、これら戦うのが馬鹿馬鹿しくなるほどに常識外れなクシェル兵の攻撃力は、全てがエリーネの攻撃支援魔法の効果によるものであった。
 彼女は予め自軍陣地の空間を歪ませておくことで砲弾を逸らし、手榴弾の飛距離を飛躍的に伸ばしていた。さらには全ての砲弾や手榴弾には周囲の酸素を取り込んで爆発力を増大させるような術を仕掛けていたし、小銃弾は撃つ者の念に沿った軌道を描くようにしておいた。
 それら、エリーネの魔法によって強化されていた陣地と火器を扱うクシェル兵に、何の知識も備えも無い陸上自衛隊員たちが適うはずがなかったのである。
 こちらからの攻撃は一切届かないのに、クシェル兵の攻撃は威力が一〇倍増しの状態で容赦無く陣地を破壊し、車両を炎上させ、隊員を殺傷する。これでは東側の本隊七〇〇名も、石と煙のバケモノによって全滅させられた二個中隊と同じく手も足も出ない。
 彼らは連隊指揮官たちの戦況判断が追い付かないほどの早さで数を減らしてしまい、遂には潰走を始めることとなった。
 「一人も逃がすな! 」
 勝利を確信したアルマス副官の号令で、クシェル兵たちは自動小銃を構えて一斉に立ち上がり、背を向けて退却する敵に向かって最後の射撃を行った。
 クシェル兵たちは狙って発砲しているわけではないのに、小銃弾は有り得ないほどの距離を飛び、有り得ないほどの正確さで陸上自衛隊員たちに命中した。
 建物の影に隠れていても、小銃弾は追い掛けてきたので、クシェル兵たちの攻撃から逃れられた者は一人もいなかった。
 遂には、陸上自衛隊秋田駐屯地から出動した普通科一個連隊一一〇〇名は、僅か一〇〇名のクシェル兵によって全滅させられてしまったのである。
 「よぉーし、もう敵はいない! これより山を下る! 各自、今後の作戦のため、使えそうな日本兵の武器を直ちに鹵獲しろ! 弾の切れた火筒は捨てて、新しいモノと取り替えるのだ! 」
 アルマス副官の勝利宣言と共にクシェル兵たちは斜面を駆け下り、米代市市街地へと向かった。
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