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三度裏切られたので堪忍袋の緒が切れました
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「さぁ、サインしてください」
ユーニスは赤い髪を前に流し、指で梳きながら離縁状を夫であるドミニクへと差し出した。
差し出されたドミニクは青ざめ、それを受け取ろうとしない。
4年前に結婚した二人は、家同士が決めた結婚ではあったが、それなりに夫婦仲は良好であった。
…ドミニクの浮気癖さえなければ。
ドミニクは男性ながらとにかく押しに弱かった。
結婚した身でありながら誘ってくる女性を断り切れず、これまで二度、ユーニス以外の女性を孕ませている。
相手がおろすという選択を取らなかったため、ドミニクにはすでに二人の婚外子がいる。
当然養育費もドミニクが払っているが、彼は裕福な侯爵家の次男だ。お金は実家が出しており、それについてユーニスは問題視していない。
彼女からすれば、ホイホイと他の女性に誘われた程度で抱くような男に触れられたくなかった。
一人目は仕方ないと思った。他の女を抱いた手で触れられるのは虫唾が走るけれど、跡継ぎのために我慢した。ドミニクは「もうこんなことはしない」と泣いて誓ったのに。
二人目が出来たときにはもう我慢できなかった。ユーニスはそれ以降、ドミニクとの夜を共にしていない。それでも侯爵家の次男の嫁として、夜会などに赴く際には、エスコートされる側として最低限の接触はしている。
そのときも離縁状を突き付けたが、ドミニクが泣いて懇願したので、仕方なく取り下げた。
だが今回、3人目の婚外子が明らかになった。
その女は赤ん坊を抱えて、ドミニクとユーニスの住む屋敷に突撃してきたのだ。
「この子はドミニクの子よ、認知してくれ」と。
ユーニスは卒倒しそうになった。
ドミニクは覚えがあったのか、青ざめながらも彼女へ養育費を支払った。
そして、ユーニスはもう限界だとばかりに離縁状を取り寄せ、ドミニクとの離縁に踏み切ったのだ。
(もう、こんな男と同じ屋敷で生活なんて出来ないわ)
ドミニクは押しに弱い意志が見た目にも出ており、優男といった感じだ。
目はタレ目気味の黒い瞳で、髪も細くしなやかで全体的に線が細い。容姿は整っており、裕福な侯爵家の次男ということで結婚した後でも周囲には女性が寄ってくる。
それがユーニスには我慢ならなかった。
(自分には妻がいるからダメだと、どうしてその一言が言えないの?)
女性を気遣う優しさは素晴らしい。
だが、その優しさがユーニスを傷つけているということに気付かない鈍感さは許しがたい。
彼の言い分としては「助けを求める女性を無下にはできない」とのたまうけど、それで一晩を共にする神経は理解できないし、したくもない。
「頼む、ユーニス。ぼくが本当に愛しているのは君だけなんだ!だから…」
そのセリフはもう3回目だ。
東の異国にはこんなことわざがあるという。
『仏の顔も3度まで』
ユーニスの心境はまさにそれだ。もう許せないし、限界。
その答えが離縁状だ。それを突き付けているユーニスの表情は、満面の笑みなのにどこか恐ろしい。
「あなたの気持ちなど知りません。だって、あなたは私の気持ちを知らないでしょう?他の女を抱いた手で触れてきたとき、私がその手を切り落としたかったことが何度あったか…あなたに分かりますか?」
「い、いや、それは……ちゃ、ちゃんと洗ってるから!石鹸で綺麗にしたし、アルコールで消毒だって…」
(何を見当違いのことを言っているのかしら…)
ドミニクの幼稚すぎる言い訳に、ユーニスは呆れるしかなかった。
ドミニクは何度も謝罪し、涙ぐんでまでいたが、ユーニスの意思は変わらなかった。
結局、ドミニクは泣きながら離縁状にサインした。
それをユーニスは受け取り、自分の手で教会へ提出すると言った。
「い、いや、それは執事にやらせるから…」
「信用できません」
ユーニスはぴしゃりと言い放つ。
ドミニクの未練たらたらの様子を見ると、素直に提出するとは思えない。こっそり隠して、実は離縁してなかったでは済まされないのだ。
離縁状を手にしたユーニスは、自分の荷物をまとめてその日に屋敷を出ていった。
ユーニスにはドミニクから贈られたドレスや宝飾品、服など沢山あったが、全て置いてきた。
(あんな男からの贈り物なんて、もう二度と身に着けたくないわ)
結局、大きめのカバン一つに荷物はまとまり、それをよたよたと抱えながら、ユーニスは教会へと向かった。
女性が自ら離縁状を教会に持ってくるのは珍しがられたが、ちゃんと受理してもらえた。
やっとドミニクから解放された気分は爽快。
(あー、なんかスッキリしたわ!もう今からお酒でも飲みたい気分だわ)
手持ちのお金は多いわけではない。
それでも、今日だけはちょっと羽目を外したい。
そう思ったユーニスは、近くにあった酒場へと踏み入った。
まだ夜には早い時間帯。
人気の少ない店内でカウンターに入り、ビールと軽いつまみを求める。
「……っぱぁ!」
冷たくて苦い液体が、炭酸も合わせて喉を流れる爽快感が堪らない。
ジョッキで飲むその姿は、ついさっきまで侯爵家の嫁だったとは見えないほど豪快だ。
そんなことも気にしない。
今日だけは無礼講でいたい気分である。
「はぁ………」
そんなユーニスの1席空けて隣に座った男がいた。
男は金の髪を力なく垂らし、漏れ出るため息からも落ち込んでいるのは明らかだった。
せっかくの爽快な気分に水を差された気がして、ユーニスはその男性を睨みつける。
(何よこの人。せっかく人が気持ちよくお酒を飲んでるのに)
席を替えようかと思ったけど、なんだか負けた気がするのでしたくない。
そこでユーニスは、空いていた席を埋め、彼の隣に座った。
力強くジョッキをカウンターに置くと、その音に驚いたのか、男がユーニスの方を向いた。
(へぇ、紫の瞳なんて珍しいわ)
男の容姿は大層整っており、それになかなか見ないアメジストの瞳が埋め込まれていた。
しっかり気合を入れればかなりの迫力が出そうな鋭い目つきも、今ばかりは垂れ下がって弱弱しい。
男は隣にいたユーニスを見るが、すぐに顔を前に戻し、またうなだれた。
ユーニスのことなど眼中にないかのような態度に、酔いのまわり始めたユーニスはイラっと来る。
「ちょっとあなた」
そんな辛気臭い男が隣にいては、せっかくの酒も不味くなる。
そこでユーニスのとった作戦とは。
ユーニスの呼びかけに男はまた振り向いた。
「飲め」
ユーニスは自分の飲みかけのジョッキを差し出した。
それに男は目を丸くし、ジョッキとユーニスを何度も見比べる。
「ん」
飲めという意思表示を、ジョッキを男の顔面付近にまで押し付けて示す。
男は恐る恐るジョッキを受け取った。だが口を付けず、その目は迷うようにジョッキとユーニスを行き来する。
「ん」
ユーニスは顎をしゃくった。
その行動に男は目を見開いて驚くが、観念したのか、ジョッキに口を付け、一気に煽った。
「……っはぁ!」
「おおー、いい飲みっぷりじゃない」
小さくぱちぱちという拍手の音が店内に響く。
「…あなたは、何なんだ?」
酒を飲んで口が軽くなったのか、ようやく男はユーニスに興味を示した。
だがその声色は、どことなく不機嫌そうだ。
けれど、ユーニスはそんなことを気にせず、追加のジョッキを頼む。
「何?さぁ、何でもないわ。何でもない者になったのよ」
もうドミニクの嫁ではない。
じゃあ今のユーニスは何者なのだろうか。
(もうどうでもいいわ、今日だけはね!)
ユーニスの答えに、男はぽかんとした後、急に笑いだした。
「ははっ、そうか、何者でもない、か」
「そうよ。もうお酒を飲んだんだから、ここでは何者でもないのよ」
酒場とはそういう場所だ。多分。
「…そうだな。私も、何者でもない。店主、私にも彼女と同じ物を」
「あいよ」
二人の前になみなみとビールが注がれたジョッキが置かれる。
それを手にした二人は、顔を向き合わせ、ジョッキを軽く触れさせた。
「乾杯」
それから二人は大いに語った。
ユーニスは、これまで誰にも言えずにいたドミニクの不平不満がここぞとばかりに噴き出していく。
「…ったく冗談じゃないのよ!な~にが助けを求められたから、よ!そんなもん、あんたの顔と金狙いだっつーの!そんなことも分からないおこちゃま坊ちゃん次男坊なんて、こっちから願い下げなのよ!」
「ああそうだ!私だって、よそに好きな男できたからってあっさり婚約解消してくるような薄情な女に用はない!一体こっちがどれだけの婚約期間待たされたと思う?10年だぞ10年!10年待った結果が婚約解消とか舐めてるにもほどがある!」
「よく言った!よし飲め!」
「おお、飲むぞ!」
すっかり出来上がった二人に、後から来た酒場の客は誰も近寄ろうとしなかった。
絡まれるのを恐れたのもあるが、それ以上に男の服装が明らかに平民には見えないというのがあるからだろう。
ユーニスは酒を飲み始めていて気付いていないが、それは明らかに高位貴族が身に纏うような、豪奢な衣服だ。
そんな人物が、大酒を飲んで騒いでいる。巻き込まれたらかなわんと、酒場の豪傑たちも、今日限りは大人しくちびちびと嗜む程度にしていた。
「全く、よそでばっかり子ども作りやがって!私には何も仕込めなかったのは何なのよ!あれか、当てつけ?な~にが愛してるだ!」
「何て男だ!君は魅力的だ!君相手なら、一晩中でも抱ける自信があるぞ!」
「あはははは!よく言った!すごい!あなたになら抱かれてもいいかもね♪あの野郎、一発出したらすぐ寝るような貧弱野郎で物足りなかったの!あんたはイケるのね!?」
「無論だ!なんなら試してやろうか?」
「キャー!」
二人の繰り広げるあまりにもあけすけな会話に、酒場の豪傑は縮こまっていた。
中にはユーニスの苦情に心当たりがある者もいたようで、「一晩で2回以上って、いけるか?」とぼそっと聞いている者もいる。
「よぉーし!試してやろうじゃないの!お、逃げるか?」
「逃げるわけないだろう?むしろ君こそ、土壇場でおじけづくなよ!」
「おーし、行くぞぉ!宿はどこだぁ!?」
「ああ!店主、金は置いてくぞ!」
「は、はい…ってえぇ!?」
店主はやっとはた迷惑な客がいなくなったことに一安心したが、カウンターに置かれたのが金貨だったことに目を見開いた。
二人の飲み食いの実に10倍以上の支払いであり、とてもではないがおつりなど出せない。
「お、お客さん、これじゃ払いすぎ…」
「知らん!とっておけぇ!」
既に背を向けた男は、手を振りながらユーニスの肩を抱いて店を出ていく。
それを、店主も店の客も、唖然としながら見送った。
そして翌朝。
ユーニスは、これまでにないほど晴れ晴れとした目覚めを迎えていた。
(あー……なんだろう、すっごく太陽がまぶしいわ。それに、なんだかポカポカしてずっとこうしていたい気分…)
くるりと横を向く。
すると、すぐ横にとんでもない美丈夫の寝顔が飛び込んできた。
「…………」
人間とは、驚きすぎると何も言えなくなるらしい。
ユーニスは固まり、思考が真っ白になった。
そこから十数秒経ってから、ようやく頭が動き出した。
(えっ、あっ、ええと?あれこれ誰?いや、そもそも私どうして…)
そこでようやくユーニスは今、自分がどんな状態なのかを振り返った。
一切衣服をまとっておらず、自分が枕にしていたのは男の腕。男ももちろん衣服を身に着けていない。
そこでようやく、昨日のことを思いだした。
(…そうだ!昨日は酒場で酒を飲んで、この人が隣に来て、一緒に酒を飲んで……)
昨日の記憶が一気によみがえり、とんでもないことを口走り、そしてとんでもないことをしてしまったと顔を赤くした。
(こ、これじゃあドミニクのこと言えないじゃないの!い、いいえ、私はもう誰とも結婚してないもの。誰と寝たって、私の自由なのよ!)
しっかり自己弁護を済ませた後は、この後どうすべきか考える。
(ど、どうしよう?彼が起きる前に部屋から出ていくべきかしら?)
お互い、相手がどこの誰だか分からない状態だ。
昨日の過ちを無かったことにするのは、きっと相手も同じはずだ。
ならここは、黙って出ていくよりも、互いの合意のもとで無かったことにすべきだという結論を出した。
「ちょっと、起きて」
彼の肩をゆする。
すぐに瞼が開き、アメジストの瞳が覗く。朝日の下で見る紫の瞳は美しく、それにユーニスは見惚れてしまった。
「……?」
彼は目を覚ましたが、呆けたようにユーニスを見ている。
しかしだんだん思いだしたのか、ユーニスと違って青ざめていった。
「す、済まない!あの、その、これは…その!」
彼はがばっと起き上がり、ものすごい慌てようだ。
それを見ていると、ユーニスはどんどん冷静になれる自分に気付いた。
「まずは一旦落ち着いて」
「あ、ああ……」
彼が落ち着いたところで、ユーニスは本題を切り出す。
「昨晩のことは、お互いに知らない。何もなかった。…これでいいわね?」
「…分かった。お互いのために、なかったことにしよう」
ユーニスはもう離縁しているが、さすがに名も知らない男性と寝たというのは外聞が悪い。
彼も、婚約解消したと言っていたので事実上フリーだろうが、だからといってあっさり他の女性と寝たとあっては聞こえが悪いだろう。
お互いのために昨晩のことを無かったことにした二人は、身支度を整え、宿を後にした。
宿の入り口で互いに背を向け、二度と振り返らずに。
宿を出たユーニスは、これからどうしようかと考える。
実家には帰りたくなかった。
ユーニスは伯爵家の娘だ。しかし、父は厳格で、ユーニスが小さいころから躾が厳しかった。正直、政略結婚であったドミニクとの結婚だが、結婚して家を出られれば誰でも良かったという面もあった。
(勝手に離縁して……何を言われるか、わかったもんじゃないわ)
鬼のごとき形相となった父を思い浮かべ、体を震わせる。
幸い、酒場も宿も彼がお金を出してくれたが、これからはそうもいかない。
「なんとか、働く場所を探さないとね」
そう言い、ユーニスは職業斡旋所に向かった。
しかし、ユーニスにできそうな仕事はなかなか無かった。特別なスキルや知識があるわけでもないユーニスにできることは少ない。
そのうち見つかるだろうと甘く考えていたら、いつの間にか一月、二月が経過しており、焦り始めた。
その頃には、原因不明の体調不良に陥り、ユーニスは起き上がることができなくなっていた。
借りたアパートの部屋から一歩も出ることができず、仕事を探しに行くこともできない。この状況が、ユーニスの心身を蝕んでいく。
(何も、食べたくない。でも、お医者様にかかるお金も無いし、稼がないといけないのに……起き上がれない)
どうしようと考えていたとき、部屋のドアをノックする音が聞こえた。
ユーニスはこの部屋に住んでいることを、誰にも言っていない。この二か月、誰も来訪者は無かった。
もしかして大家かと思いながら、やまないノックを前に、なんとか床を這うように進みながら、やっとドアを開けた。
「…ああ、お嬢様!」
「……メイソン」
「はい、お久しぶりでございます」
そこにいたのは、実家の執事であるメイソンだった。
彼はユーニスの状態にいち早く気付き、気遣うように声を掛けた。
「お嬢様、体調が…?」
「ちょっと、ね……それより、どうしてあなたがここに?」
「…旦那様より、手紙を預かっております」
「っ!」
メイソンが差し出した手紙に、ユーニスは肩を震わせた。
メイソンの言う旦那様とは、つまりユーニスの父ということだ。
(どうしよう…やっぱり離縁したことはもうバレてるわよね?帰ってこいってことかしら…でも、もう家には…)
恐ろしい父の存在に、ユーニスは手紙を握り締め、それを開くことが出来ない。
それをメイソンは、申し訳なさそうに顔をしかめながらも言葉を紡ぐ。
「…旦那様は、後悔しております」
「えっ?」
「お嬢様のためを思い、厳しくしたことを。そのせいで、辛い目に遭っても実家を頼れなくさせてしまったことを」
「お父様が…?」
「はい。ですから、大丈夫です。読んでくださいませ」
あの厳格な父が後悔しているなど、信じられない。だけど、父に長年仕えるメイソンの言葉だ。
信じてみよう。そう思い、ゆっくり手紙を開封した。
そこには、たった2行だけの、短い文章が書かれていた。
『何も聞かない
帰っておいで』
「お父様…」
涙があふれる。
叱責する言葉は一つもなく、たったそれだけの言葉がユーニスの心を震わせた。
メイソンの用意した馬車に乗り込み、実家へと帰ったユーニスは、両親に出迎えされた。
父は本当に何も聞かず、ただ一言「よく帰ってきた」とだけ言った。
母は「おかえり」と言って抱き締めてくれた。
その後、体調不良を医者に診てもらったところ、なんとおめでたと診断された。
それにユーニスは、まさかという気持ちが湧き起こる。
(そんな……たった1回だけだったのに、あれで…?)
あの美しいアメジストの瞳を持った男性。
その彼との、たった一晩の情事で身ごもってしまったことに、ユーニスはショックを受けた。
ユーニスは、前夫であるドミニクとの間に子を生すことができなかった。夫のドミニクが婚外子を3人も作りながら、妻である自分が子を生せないことは精神的にユーニスを追い詰めた。
ユーニスがドミニクとの離縁に踏み切ったのは、そういった事情もあった。
誰の子を孕んだのかもわからない事態に、今度こそ父に怒られると怖れたユーニスだが、父はそのときも何も言わなかった。
ただ、「産むか?」とだけ、ユーニスの意思を確認してくれた。
「……産みたい」
子どもが出来ず、役目が果たせないと自分を責めた結婚生活。
それを覆す自分の妊娠を、今度こそ果たしたかった。
屋敷には爵位を継ぐための兄夫婦がいたが、二人ともユーニスと、その子供を快く受け入れてくれた。
両親と兄夫婦、そして使用人たちに支えられ、ユーニスは女の子を産んだ。
(あの人と同じ……アメジストの瞳だわ)
髪はユーニスと同じ赤い髪だが、瞳は紫の瞳。
しっかりと彼の面影を感じられる娘の存在に、ユーニスの愛情はどんどん深まっていった。
一方、孫娘に慌てたのはユーニスの父だ。
彼にはその紫の瞳に見覚えがあったからだ。
それも、この国では数少ない瞳の持ち主だから。
(…まさか、ユーニスの相手は王弟殿下なのか?)
現国王の弟である、ロイ王弟殿下。
彼は、先代国王の側妃の息子だ。その側妃は隣国から嫁いだ姫君なのだが、隣国の王族の特徴が紫の瞳だ。当然ロイも紫の瞳を持ち、孫娘と同じである。
ユーニスの父は王宮に出仕しているため、ロイの身辺についてもある程度把握している。
確か1年ほど前に、ロイの婚約が解消されたという話があった。相手は公爵家の娘だったが、直前でその娘の不貞が発覚したのだ。表向きは解消だが、実質破棄に近い。
(確かその日、それにショックを受けた王弟殿下が一晩だけ街に繰り出し、一晩戻らなかったという話を聞いた気がする。日付だけ考えれば、合致しているが、まさか……)
父は悩んだ。
ユーニスに、そしてロイ王弟殿下にこの話をすべきか。
結局彼は、最も信頼する妻にその話をした。
妻は率直に言い放つ。
「ユーニスに決めさせましょう」
父は、子ども―ケイト―を寝かしつけたユーニスを呼びだした。
久しぶりに厳めしい顔をした父を前に、ユーニスは体を縮こませている。
「ユーニス、お前は娘の父親を知っているか?」
「……いいえ、知りません」
「そうか。……知りたいか?」
「えっ?お父様は、知っているんですか?」
まさかの返事にユーニスのほうが驚いた。
だが、父の表情が硬いままのことに違和感を覚える。
(もしかして、ずっと高貴な方なのかしら?そういえば身にまとっていた衣服も、すごい上等なものだったような…)
今更ながら、自分がとんでもない人と寝てしまったのではないかと、ユーニスは焦り始める。
「知っている。おそらく…その方で間違いないだろう。知れば、もう引きかえせない。それでも、聞くか?」
「………」
ユーニスは悩んだ。
知るつもりはなかった。知りたいとも思わなかったし、もう無かったことにしようと、あの時彼と一緒に決めたのだ。
だが、娘が生まれた。彼との子どもができてしまった。
それを、彼はどう思うだろうか?喜んでくれるか、それとも迷惑がるのか。
(怖い。……けど、もし、喜んでくれるのなら)
彼と過ごした一晩は、本当に楽しかった。
羽目を外して飲みすぎてしまったけれど、彼の無邪気で楽しそうな顔は、今でも思いだせる。彼との情事は、ドミニクとの情事では考えられないほどに充実したものだった。
何度、もう一度会えたら…そう思ったか分からない。
ユーニスは覚悟を決め、知ることを選んだ。
「お父様、教えてください」
「分かった。……おそらく、ロイ王弟殿下だ」
「…えっ、ロイ、王弟…殿下?」
まさかのとんでもない人物の登場にユーニスの思考は止まる。
だが、すぐに動き出した思考は、自分がとんでもない人物と酒を交わし、情事までしてしまったことへの焦りと申し訳なさでいっぱいになる。
「わた、私、ど、どうすれば……」
焦る娘を、父はそっと宥めすかした。
「大丈夫だ。ロイ王弟殿下は慈悲深く、優しい人物だ。お前と何があったにせよ、それを恨んだりするような方ではない」
「お父様……すみません」
謝る娘に、父は苦笑した。
「大丈夫だと言っておろう。安心なさい」
父の言葉に、それでもユーニスは申し訳なさそうな表情を崩さなかったが、父はどうするかを考えていた。
(大丈夫とは言ったが、実質孫娘は王族の血を引いていることになる。黙ったままでは、いつ何時面倒ごとに巻き込まれるかわからん。……ここは、国王陛下にお伺いを立てねばならんな)
そうと決めた父の動きは早かった。
父はすぐさま国王との面会の約束を取り付け、面会に望んだ。
そこで、自分の娘とロイ王弟殿下が情事に及んだこと、そして娘に子どもが生まれ、紫の瞳を持って生まれたことを明かした。
それに国王は驚き、自分からロイに話をすると約束をしてくださった。
王命で二人を結婚させることもできるが、ロイは一度ひどい婚約解消を経験している。弟の心情を慮りたいという国王の気持ちを、ユーニスの父はしかと受け取った。
兄王からその話を聞かされたロイは、1年ほど前に酒場で酒を酌み交わした陽気な女性のことを思いだしていた。
互いに本音を洗いざらいぶちまけ、その勢いで体を重ねたこと。
彼女には申し訳ないと思いながらも、あの一晩の楽しさはロイにとってこれ以上ないほど愉快なものであり、忘れたことはない。
(あの時の女性が……娘を産んだ?)
生まれた子どもは、確かに紫の瞳を持っているという。
それを聞いたロイは、ぜひとも自分の目で確かめたいと言った。
それを承諾した兄王は、ユーニスのいる屋敷へお忍びで出掛けることを許可した。
そして当日。
ユーニスがいるという屋敷の中庭が見える位置に、こっそりコートを羽織って隠れる。
そこに、ユーニスを赤ん坊を抱いて連れ出してくれるという。
しばらく待っていると、そこには確かにあのとき酒場で出会った女性の姿があった。
そして、その腕の中には幼子も。
(あれが……私の、子ども?)
ロイのいる場所からは子どもの顔が見えず、その瞳が本当に紫なのかは分からない。
ロイは今すぐユーニスのいる場に出ていきたかった。
あれからロイは縁談を全て断り続けている。
表向きは婚約解消の心の傷が癒えていないということにしていたが、本当はずっと赤い髪の女性の姿があった。
もし彼女にもう一度会えたのなら…そう思い、宿で別れる時、無かったことにしようという決断をした自分を何度も呪ったものだ。
(だが…彼女は、それを望むのか?)
自分の身分は王弟だ。
彼女にとって負担にならないか。それだけが心配だ。
ロイはこっそりとその場を後にした。
ユーニスを妻に迎えたいという望みと、彼女の望むままにしたいという葛藤を抱えながら。
ロイは葛藤を素直に兄王に打ち明けた。
それを王はユーニスの父と相談し、両者とも「当人同士で話し合ったほうがいい」という結論で合意。
二人の対面は、王宮の一室で行われることになった。
ここでの話し合いはお互いの気持ちを確かめあい、決して相手に押し付けることのないようにと二人とも言われた。
久しぶりに盛装したユーニスは、期待と不安を抱えたまま父と共に王宮へと到着。
そしてある部屋の前に案内されると、その先からはユーニス一人で行くようにとのこと。
扉が侍従によって開かれ、そこには1年ぶりに見るロイの姿があった。
「…久しぶりだな。ユーニス嬢」
「お久しぶりでございます、ロイ王弟殿下」
ユーニスはカーテシーをし、ロイに勧められるまま椅子に腰を下ろした。
向かい合うように座った二人は、どちらともなく笑い出した。
「ふふっ、まさか、このようなところで再びお会いするとは思いませんでした」
「私もだ。このようなことがあるものだな」
片や婚約解消された王弟。片や離縁した伯爵令嬢。
その二人は、平民の酒場で飲んだくれ、宿で一晩共に過ごしたなど、一体誰に想像ができようか。
ロイの笑顔に、ユーニスの心には温かいものが湧き上がった。
(ああ、私はやっぱりこの方のことが…)
諦めていた。
名前も聞かず、どこの誰なのか行き先すら見届けなかった。
そんな人ともう一度会える偶然など無いと、そう思っていたのに。
まさか子宝に恵まれ、その子供が彼への道標になってくれた。
その奇跡に、今はただ感謝したかった。
「ユーニス嬢…」
ロイは席を立ち、ユーニスの脇に跪いた。
「早急で申し訳ない。だが、あなたを見た瞬間、どうしても心が抑えきれないんだ。私と、結婚してほしい」
あまりにも早いプロポーズ。だけど、それにユーニスの心は沸き立つ。
「はい」
お互いの心はもう決まっていた。
ただ、それを伝える場所さえあれば、それでよかったのだ。
「ユーニス…」
ロイは立ち上がり、そっと顔を寄せる。
ユーニスも目を閉じ、彼を受け入れようとした。その瞬間、隣室から赤ん坊の泣き声が響いた。
それに二人はパッと目を開け、二人とも噴き出した。
「ケイトがぐずっているようです」
「ケイト…それが、私たちの娘の名なんだな?」
「はい。…申し訳ありません、あなたと一緒に決めることができなくて」
「いいや、素敵な名だ。私には一切の反論はない」
「それは良かったです」
二人は部屋を出ると、隣室へと向かった。
そこにはむずがるケイトを相手に、苦戦するユーニスの父の姿があった。
「お父様、ありがとうございます」
ユーニスがケイトを受け取ると、途端に泣き止み、きゃっきゃと楽しそうに声を上げた。
これには父も苦笑するしかない。
「ロイ様、どうぞ」
「あ、ああ」
ユーニスの手からロイの腕の中へとケイトが移される。
おっかなびっくり受け取ったロイは、初めて抱く自分の娘に緊張していた。
ケイトは初めて見る人の顔をじっと凝視していた。
「あー、だー」
ケイトが手を伸ばす。
その手は、ロイのアメジストの瞳に伸ばしているようで、ロイが顔を寄せるとその顔をぺしぺしと叩いた。
「くすぐったいな」
「ふふっ、ちゃんとお父様だと分かってるみたいですわ」
仲睦まじく笑い合う二人。
その様子に、ユーニスの父は二人がどんな答えを出したのか、言われずとも察した。
****
その後、ユーニスの父にとある噂が届いた。
それは、ユーニスの元夫であるドミニクが女性不信で引きこもりになったというものだ。
ユーニスと離縁した後、ドミニクが婚外子を作った女性の下へ駆け込んだらしい。だが、3人とも既婚者となっていたそうだ。さらに驚くべきは、ドミニクの子どもだと訴えてきたのに、その子供たちがいずれもドミニクとは似ても似つかない容姿をしていたということ。
ドミニクの髪色も瞳の色も、3人の子どもたちは全く受け継いでいない。1人ならともかく、3人ともはいくらなんでもありえない。一方、彼女らが結婚した夫の容姿はしっかり引き継いでいた。
そのことから、ドミニクは養育費を支払うために利用されただけだと囁かれた。
ドミニクと関係をもった女性たちは、既に他の男性との間で妊娠していながら、わざとドミニクに抱かれたのではないかという噂。
この件ですっかりドミニクは女性不信となり、屋敷に引きこもりとなっているようだ。
(愚かだな。……いや、それは私も同じか)
そんな男の元に娘を嫁がせたのは自分だと、父は自分を嗤う。
ユーニスに今度こそ幸せに生きてほしいと願う父の耳に、愛しい孫娘の泣き声が届いた。
ユーニスは赤い髪を前に流し、指で梳きながら離縁状を夫であるドミニクへと差し出した。
差し出されたドミニクは青ざめ、それを受け取ろうとしない。
4年前に結婚した二人は、家同士が決めた結婚ではあったが、それなりに夫婦仲は良好であった。
…ドミニクの浮気癖さえなければ。
ドミニクは男性ながらとにかく押しに弱かった。
結婚した身でありながら誘ってくる女性を断り切れず、これまで二度、ユーニス以外の女性を孕ませている。
相手がおろすという選択を取らなかったため、ドミニクにはすでに二人の婚外子がいる。
当然養育費もドミニクが払っているが、彼は裕福な侯爵家の次男だ。お金は実家が出しており、それについてユーニスは問題視していない。
彼女からすれば、ホイホイと他の女性に誘われた程度で抱くような男に触れられたくなかった。
一人目は仕方ないと思った。他の女を抱いた手で触れられるのは虫唾が走るけれど、跡継ぎのために我慢した。ドミニクは「もうこんなことはしない」と泣いて誓ったのに。
二人目が出来たときにはもう我慢できなかった。ユーニスはそれ以降、ドミニクとの夜を共にしていない。それでも侯爵家の次男の嫁として、夜会などに赴く際には、エスコートされる側として最低限の接触はしている。
そのときも離縁状を突き付けたが、ドミニクが泣いて懇願したので、仕方なく取り下げた。
だが今回、3人目の婚外子が明らかになった。
その女は赤ん坊を抱えて、ドミニクとユーニスの住む屋敷に突撃してきたのだ。
「この子はドミニクの子よ、認知してくれ」と。
ユーニスは卒倒しそうになった。
ドミニクは覚えがあったのか、青ざめながらも彼女へ養育費を支払った。
そして、ユーニスはもう限界だとばかりに離縁状を取り寄せ、ドミニクとの離縁に踏み切ったのだ。
(もう、こんな男と同じ屋敷で生活なんて出来ないわ)
ドミニクは押しに弱い意志が見た目にも出ており、優男といった感じだ。
目はタレ目気味の黒い瞳で、髪も細くしなやかで全体的に線が細い。容姿は整っており、裕福な侯爵家の次男ということで結婚した後でも周囲には女性が寄ってくる。
それがユーニスには我慢ならなかった。
(自分には妻がいるからダメだと、どうしてその一言が言えないの?)
女性を気遣う優しさは素晴らしい。
だが、その優しさがユーニスを傷つけているということに気付かない鈍感さは許しがたい。
彼の言い分としては「助けを求める女性を無下にはできない」とのたまうけど、それで一晩を共にする神経は理解できないし、したくもない。
「頼む、ユーニス。ぼくが本当に愛しているのは君だけなんだ!だから…」
そのセリフはもう3回目だ。
東の異国にはこんなことわざがあるという。
『仏の顔も3度まで』
ユーニスの心境はまさにそれだ。もう許せないし、限界。
その答えが離縁状だ。それを突き付けているユーニスの表情は、満面の笑みなのにどこか恐ろしい。
「あなたの気持ちなど知りません。だって、あなたは私の気持ちを知らないでしょう?他の女を抱いた手で触れてきたとき、私がその手を切り落としたかったことが何度あったか…あなたに分かりますか?」
「い、いや、それは……ちゃ、ちゃんと洗ってるから!石鹸で綺麗にしたし、アルコールで消毒だって…」
(何を見当違いのことを言っているのかしら…)
ドミニクの幼稚すぎる言い訳に、ユーニスは呆れるしかなかった。
ドミニクは何度も謝罪し、涙ぐんでまでいたが、ユーニスの意思は変わらなかった。
結局、ドミニクは泣きながら離縁状にサインした。
それをユーニスは受け取り、自分の手で教会へ提出すると言った。
「い、いや、それは執事にやらせるから…」
「信用できません」
ユーニスはぴしゃりと言い放つ。
ドミニクの未練たらたらの様子を見ると、素直に提出するとは思えない。こっそり隠して、実は離縁してなかったでは済まされないのだ。
離縁状を手にしたユーニスは、自分の荷物をまとめてその日に屋敷を出ていった。
ユーニスにはドミニクから贈られたドレスや宝飾品、服など沢山あったが、全て置いてきた。
(あんな男からの贈り物なんて、もう二度と身に着けたくないわ)
結局、大きめのカバン一つに荷物はまとまり、それをよたよたと抱えながら、ユーニスは教会へと向かった。
女性が自ら離縁状を教会に持ってくるのは珍しがられたが、ちゃんと受理してもらえた。
やっとドミニクから解放された気分は爽快。
(あー、なんかスッキリしたわ!もう今からお酒でも飲みたい気分だわ)
手持ちのお金は多いわけではない。
それでも、今日だけはちょっと羽目を外したい。
そう思ったユーニスは、近くにあった酒場へと踏み入った。
まだ夜には早い時間帯。
人気の少ない店内でカウンターに入り、ビールと軽いつまみを求める。
「……っぱぁ!」
冷たくて苦い液体が、炭酸も合わせて喉を流れる爽快感が堪らない。
ジョッキで飲むその姿は、ついさっきまで侯爵家の嫁だったとは見えないほど豪快だ。
そんなことも気にしない。
今日だけは無礼講でいたい気分である。
「はぁ………」
そんなユーニスの1席空けて隣に座った男がいた。
男は金の髪を力なく垂らし、漏れ出るため息からも落ち込んでいるのは明らかだった。
せっかくの爽快な気分に水を差された気がして、ユーニスはその男性を睨みつける。
(何よこの人。せっかく人が気持ちよくお酒を飲んでるのに)
席を替えようかと思ったけど、なんだか負けた気がするのでしたくない。
そこでユーニスは、空いていた席を埋め、彼の隣に座った。
力強くジョッキをカウンターに置くと、その音に驚いたのか、男がユーニスの方を向いた。
(へぇ、紫の瞳なんて珍しいわ)
男の容姿は大層整っており、それになかなか見ないアメジストの瞳が埋め込まれていた。
しっかり気合を入れればかなりの迫力が出そうな鋭い目つきも、今ばかりは垂れ下がって弱弱しい。
男は隣にいたユーニスを見るが、すぐに顔を前に戻し、またうなだれた。
ユーニスのことなど眼中にないかのような態度に、酔いのまわり始めたユーニスはイラっと来る。
「ちょっとあなた」
そんな辛気臭い男が隣にいては、せっかくの酒も不味くなる。
そこでユーニスのとった作戦とは。
ユーニスの呼びかけに男はまた振り向いた。
「飲め」
ユーニスは自分の飲みかけのジョッキを差し出した。
それに男は目を丸くし、ジョッキとユーニスを何度も見比べる。
「ん」
飲めという意思表示を、ジョッキを男の顔面付近にまで押し付けて示す。
男は恐る恐るジョッキを受け取った。だが口を付けず、その目は迷うようにジョッキとユーニスを行き来する。
「ん」
ユーニスは顎をしゃくった。
その行動に男は目を見開いて驚くが、観念したのか、ジョッキに口を付け、一気に煽った。
「……っはぁ!」
「おおー、いい飲みっぷりじゃない」
小さくぱちぱちという拍手の音が店内に響く。
「…あなたは、何なんだ?」
酒を飲んで口が軽くなったのか、ようやく男はユーニスに興味を示した。
だがその声色は、どことなく不機嫌そうだ。
けれど、ユーニスはそんなことを気にせず、追加のジョッキを頼む。
「何?さぁ、何でもないわ。何でもない者になったのよ」
もうドミニクの嫁ではない。
じゃあ今のユーニスは何者なのだろうか。
(もうどうでもいいわ、今日だけはね!)
ユーニスの答えに、男はぽかんとした後、急に笑いだした。
「ははっ、そうか、何者でもない、か」
「そうよ。もうお酒を飲んだんだから、ここでは何者でもないのよ」
酒場とはそういう場所だ。多分。
「…そうだな。私も、何者でもない。店主、私にも彼女と同じ物を」
「あいよ」
二人の前になみなみとビールが注がれたジョッキが置かれる。
それを手にした二人は、顔を向き合わせ、ジョッキを軽く触れさせた。
「乾杯」
それから二人は大いに語った。
ユーニスは、これまで誰にも言えずにいたドミニクの不平不満がここぞとばかりに噴き出していく。
「…ったく冗談じゃないのよ!な~にが助けを求められたから、よ!そんなもん、あんたの顔と金狙いだっつーの!そんなことも分からないおこちゃま坊ちゃん次男坊なんて、こっちから願い下げなのよ!」
「ああそうだ!私だって、よそに好きな男できたからってあっさり婚約解消してくるような薄情な女に用はない!一体こっちがどれだけの婚約期間待たされたと思う?10年だぞ10年!10年待った結果が婚約解消とか舐めてるにもほどがある!」
「よく言った!よし飲め!」
「おお、飲むぞ!」
すっかり出来上がった二人に、後から来た酒場の客は誰も近寄ろうとしなかった。
絡まれるのを恐れたのもあるが、それ以上に男の服装が明らかに平民には見えないというのがあるからだろう。
ユーニスは酒を飲み始めていて気付いていないが、それは明らかに高位貴族が身に纏うような、豪奢な衣服だ。
そんな人物が、大酒を飲んで騒いでいる。巻き込まれたらかなわんと、酒場の豪傑たちも、今日限りは大人しくちびちびと嗜む程度にしていた。
「全く、よそでばっかり子ども作りやがって!私には何も仕込めなかったのは何なのよ!あれか、当てつけ?な~にが愛してるだ!」
「何て男だ!君は魅力的だ!君相手なら、一晩中でも抱ける自信があるぞ!」
「あはははは!よく言った!すごい!あなたになら抱かれてもいいかもね♪あの野郎、一発出したらすぐ寝るような貧弱野郎で物足りなかったの!あんたはイケるのね!?」
「無論だ!なんなら試してやろうか?」
「キャー!」
二人の繰り広げるあまりにもあけすけな会話に、酒場の豪傑は縮こまっていた。
中にはユーニスの苦情に心当たりがある者もいたようで、「一晩で2回以上って、いけるか?」とぼそっと聞いている者もいる。
「よぉーし!試してやろうじゃないの!お、逃げるか?」
「逃げるわけないだろう?むしろ君こそ、土壇場でおじけづくなよ!」
「おーし、行くぞぉ!宿はどこだぁ!?」
「ああ!店主、金は置いてくぞ!」
「は、はい…ってえぇ!?」
店主はやっとはた迷惑な客がいなくなったことに一安心したが、カウンターに置かれたのが金貨だったことに目を見開いた。
二人の飲み食いの実に10倍以上の支払いであり、とてもではないがおつりなど出せない。
「お、お客さん、これじゃ払いすぎ…」
「知らん!とっておけぇ!」
既に背を向けた男は、手を振りながらユーニスの肩を抱いて店を出ていく。
それを、店主も店の客も、唖然としながら見送った。
そして翌朝。
ユーニスは、これまでにないほど晴れ晴れとした目覚めを迎えていた。
(あー……なんだろう、すっごく太陽がまぶしいわ。それに、なんだかポカポカしてずっとこうしていたい気分…)
くるりと横を向く。
すると、すぐ横にとんでもない美丈夫の寝顔が飛び込んできた。
「…………」
人間とは、驚きすぎると何も言えなくなるらしい。
ユーニスは固まり、思考が真っ白になった。
そこから十数秒経ってから、ようやく頭が動き出した。
(えっ、あっ、ええと?あれこれ誰?いや、そもそも私どうして…)
そこでようやくユーニスは今、自分がどんな状態なのかを振り返った。
一切衣服をまとっておらず、自分が枕にしていたのは男の腕。男ももちろん衣服を身に着けていない。
そこでようやく、昨日のことを思いだした。
(…そうだ!昨日は酒場で酒を飲んで、この人が隣に来て、一緒に酒を飲んで……)
昨日の記憶が一気によみがえり、とんでもないことを口走り、そしてとんでもないことをしてしまったと顔を赤くした。
(こ、これじゃあドミニクのこと言えないじゃないの!い、いいえ、私はもう誰とも結婚してないもの。誰と寝たって、私の自由なのよ!)
しっかり自己弁護を済ませた後は、この後どうすべきか考える。
(ど、どうしよう?彼が起きる前に部屋から出ていくべきかしら?)
お互い、相手がどこの誰だか分からない状態だ。
昨日の過ちを無かったことにするのは、きっと相手も同じはずだ。
ならここは、黙って出ていくよりも、互いの合意のもとで無かったことにすべきだという結論を出した。
「ちょっと、起きて」
彼の肩をゆする。
すぐに瞼が開き、アメジストの瞳が覗く。朝日の下で見る紫の瞳は美しく、それにユーニスは見惚れてしまった。
「……?」
彼は目を覚ましたが、呆けたようにユーニスを見ている。
しかしだんだん思いだしたのか、ユーニスと違って青ざめていった。
「す、済まない!あの、その、これは…その!」
彼はがばっと起き上がり、ものすごい慌てようだ。
それを見ていると、ユーニスはどんどん冷静になれる自分に気付いた。
「まずは一旦落ち着いて」
「あ、ああ……」
彼が落ち着いたところで、ユーニスは本題を切り出す。
「昨晩のことは、お互いに知らない。何もなかった。…これでいいわね?」
「…分かった。お互いのために、なかったことにしよう」
ユーニスはもう離縁しているが、さすがに名も知らない男性と寝たというのは外聞が悪い。
彼も、婚約解消したと言っていたので事実上フリーだろうが、だからといってあっさり他の女性と寝たとあっては聞こえが悪いだろう。
お互いのために昨晩のことを無かったことにした二人は、身支度を整え、宿を後にした。
宿の入り口で互いに背を向け、二度と振り返らずに。
宿を出たユーニスは、これからどうしようかと考える。
実家には帰りたくなかった。
ユーニスは伯爵家の娘だ。しかし、父は厳格で、ユーニスが小さいころから躾が厳しかった。正直、政略結婚であったドミニクとの結婚だが、結婚して家を出られれば誰でも良かったという面もあった。
(勝手に離縁して……何を言われるか、わかったもんじゃないわ)
鬼のごとき形相となった父を思い浮かべ、体を震わせる。
幸い、酒場も宿も彼がお金を出してくれたが、これからはそうもいかない。
「なんとか、働く場所を探さないとね」
そう言い、ユーニスは職業斡旋所に向かった。
しかし、ユーニスにできそうな仕事はなかなか無かった。特別なスキルや知識があるわけでもないユーニスにできることは少ない。
そのうち見つかるだろうと甘く考えていたら、いつの間にか一月、二月が経過しており、焦り始めた。
その頃には、原因不明の体調不良に陥り、ユーニスは起き上がることができなくなっていた。
借りたアパートの部屋から一歩も出ることができず、仕事を探しに行くこともできない。この状況が、ユーニスの心身を蝕んでいく。
(何も、食べたくない。でも、お医者様にかかるお金も無いし、稼がないといけないのに……起き上がれない)
どうしようと考えていたとき、部屋のドアをノックする音が聞こえた。
ユーニスはこの部屋に住んでいることを、誰にも言っていない。この二か月、誰も来訪者は無かった。
もしかして大家かと思いながら、やまないノックを前に、なんとか床を這うように進みながら、やっとドアを開けた。
「…ああ、お嬢様!」
「……メイソン」
「はい、お久しぶりでございます」
そこにいたのは、実家の執事であるメイソンだった。
彼はユーニスの状態にいち早く気付き、気遣うように声を掛けた。
「お嬢様、体調が…?」
「ちょっと、ね……それより、どうしてあなたがここに?」
「…旦那様より、手紙を預かっております」
「っ!」
メイソンが差し出した手紙に、ユーニスは肩を震わせた。
メイソンの言う旦那様とは、つまりユーニスの父ということだ。
(どうしよう…やっぱり離縁したことはもうバレてるわよね?帰ってこいってことかしら…でも、もう家には…)
恐ろしい父の存在に、ユーニスは手紙を握り締め、それを開くことが出来ない。
それをメイソンは、申し訳なさそうに顔をしかめながらも言葉を紡ぐ。
「…旦那様は、後悔しております」
「えっ?」
「お嬢様のためを思い、厳しくしたことを。そのせいで、辛い目に遭っても実家を頼れなくさせてしまったことを」
「お父様が…?」
「はい。ですから、大丈夫です。読んでくださいませ」
あの厳格な父が後悔しているなど、信じられない。だけど、父に長年仕えるメイソンの言葉だ。
信じてみよう。そう思い、ゆっくり手紙を開封した。
そこには、たった2行だけの、短い文章が書かれていた。
『何も聞かない
帰っておいで』
「お父様…」
涙があふれる。
叱責する言葉は一つもなく、たったそれだけの言葉がユーニスの心を震わせた。
メイソンの用意した馬車に乗り込み、実家へと帰ったユーニスは、両親に出迎えされた。
父は本当に何も聞かず、ただ一言「よく帰ってきた」とだけ言った。
母は「おかえり」と言って抱き締めてくれた。
その後、体調不良を医者に診てもらったところ、なんとおめでたと診断された。
それにユーニスは、まさかという気持ちが湧き起こる。
(そんな……たった1回だけだったのに、あれで…?)
あの美しいアメジストの瞳を持った男性。
その彼との、たった一晩の情事で身ごもってしまったことに、ユーニスはショックを受けた。
ユーニスは、前夫であるドミニクとの間に子を生すことができなかった。夫のドミニクが婚外子を3人も作りながら、妻である自分が子を生せないことは精神的にユーニスを追い詰めた。
ユーニスがドミニクとの離縁に踏み切ったのは、そういった事情もあった。
誰の子を孕んだのかもわからない事態に、今度こそ父に怒られると怖れたユーニスだが、父はそのときも何も言わなかった。
ただ、「産むか?」とだけ、ユーニスの意思を確認してくれた。
「……産みたい」
子どもが出来ず、役目が果たせないと自分を責めた結婚生活。
それを覆す自分の妊娠を、今度こそ果たしたかった。
屋敷には爵位を継ぐための兄夫婦がいたが、二人ともユーニスと、その子供を快く受け入れてくれた。
両親と兄夫婦、そして使用人たちに支えられ、ユーニスは女の子を産んだ。
(あの人と同じ……アメジストの瞳だわ)
髪はユーニスと同じ赤い髪だが、瞳は紫の瞳。
しっかりと彼の面影を感じられる娘の存在に、ユーニスの愛情はどんどん深まっていった。
一方、孫娘に慌てたのはユーニスの父だ。
彼にはその紫の瞳に見覚えがあったからだ。
それも、この国では数少ない瞳の持ち主だから。
(…まさか、ユーニスの相手は王弟殿下なのか?)
現国王の弟である、ロイ王弟殿下。
彼は、先代国王の側妃の息子だ。その側妃は隣国から嫁いだ姫君なのだが、隣国の王族の特徴が紫の瞳だ。当然ロイも紫の瞳を持ち、孫娘と同じである。
ユーニスの父は王宮に出仕しているため、ロイの身辺についてもある程度把握している。
確か1年ほど前に、ロイの婚約が解消されたという話があった。相手は公爵家の娘だったが、直前でその娘の不貞が発覚したのだ。表向きは解消だが、実質破棄に近い。
(確かその日、それにショックを受けた王弟殿下が一晩だけ街に繰り出し、一晩戻らなかったという話を聞いた気がする。日付だけ考えれば、合致しているが、まさか……)
父は悩んだ。
ユーニスに、そしてロイ王弟殿下にこの話をすべきか。
結局彼は、最も信頼する妻にその話をした。
妻は率直に言い放つ。
「ユーニスに決めさせましょう」
父は、子ども―ケイト―を寝かしつけたユーニスを呼びだした。
久しぶりに厳めしい顔をした父を前に、ユーニスは体を縮こませている。
「ユーニス、お前は娘の父親を知っているか?」
「……いいえ、知りません」
「そうか。……知りたいか?」
「えっ?お父様は、知っているんですか?」
まさかの返事にユーニスのほうが驚いた。
だが、父の表情が硬いままのことに違和感を覚える。
(もしかして、ずっと高貴な方なのかしら?そういえば身にまとっていた衣服も、すごい上等なものだったような…)
今更ながら、自分がとんでもない人と寝てしまったのではないかと、ユーニスは焦り始める。
「知っている。おそらく…その方で間違いないだろう。知れば、もう引きかえせない。それでも、聞くか?」
「………」
ユーニスは悩んだ。
知るつもりはなかった。知りたいとも思わなかったし、もう無かったことにしようと、あの時彼と一緒に決めたのだ。
だが、娘が生まれた。彼との子どもができてしまった。
それを、彼はどう思うだろうか?喜んでくれるか、それとも迷惑がるのか。
(怖い。……けど、もし、喜んでくれるのなら)
彼と過ごした一晩は、本当に楽しかった。
羽目を外して飲みすぎてしまったけれど、彼の無邪気で楽しそうな顔は、今でも思いだせる。彼との情事は、ドミニクとの情事では考えられないほどに充実したものだった。
何度、もう一度会えたら…そう思ったか分からない。
ユーニスは覚悟を決め、知ることを選んだ。
「お父様、教えてください」
「分かった。……おそらく、ロイ王弟殿下だ」
「…えっ、ロイ、王弟…殿下?」
まさかのとんでもない人物の登場にユーニスの思考は止まる。
だが、すぐに動き出した思考は、自分がとんでもない人物と酒を交わし、情事までしてしまったことへの焦りと申し訳なさでいっぱいになる。
「わた、私、ど、どうすれば……」
焦る娘を、父はそっと宥めすかした。
「大丈夫だ。ロイ王弟殿下は慈悲深く、優しい人物だ。お前と何があったにせよ、それを恨んだりするような方ではない」
「お父様……すみません」
謝る娘に、父は苦笑した。
「大丈夫だと言っておろう。安心なさい」
父の言葉に、それでもユーニスは申し訳なさそうな表情を崩さなかったが、父はどうするかを考えていた。
(大丈夫とは言ったが、実質孫娘は王族の血を引いていることになる。黙ったままでは、いつ何時面倒ごとに巻き込まれるかわからん。……ここは、国王陛下にお伺いを立てねばならんな)
そうと決めた父の動きは早かった。
父はすぐさま国王との面会の約束を取り付け、面会に望んだ。
そこで、自分の娘とロイ王弟殿下が情事に及んだこと、そして娘に子どもが生まれ、紫の瞳を持って生まれたことを明かした。
それに国王は驚き、自分からロイに話をすると約束をしてくださった。
王命で二人を結婚させることもできるが、ロイは一度ひどい婚約解消を経験している。弟の心情を慮りたいという国王の気持ちを、ユーニスの父はしかと受け取った。
兄王からその話を聞かされたロイは、1年ほど前に酒場で酒を酌み交わした陽気な女性のことを思いだしていた。
互いに本音を洗いざらいぶちまけ、その勢いで体を重ねたこと。
彼女には申し訳ないと思いながらも、あの一晩の楽しさはロイにとってこれ以上ないほど愉快なものであり、忘れたことはない。
(あの時の女性が……娘を産んだ?)
生まれた子どもは、確かに紫の瞳を持っているという。
それを聞いたロイは、ぜひとも自分の目で確かめたいと言った。
それを承諾した兄王は、ユーニスのいる屋敷へお忍びで出掛けることを許可した。
そして当日。
ユーニスがいるという屋敷の中庭が見える位置に、こっそりコートを羽織って隠れる。
そこに、ユーニスを赤ん坊を抱いて連れ出してくれるという。
しばらく待っていると、そこには確かにあのとき酒場で出会った女性の姿があった。
そして、その腕の中には幼子も。
(あれが……私の、子ども?)
ロイのいる場所からは子どもの顔が見えず、その瞳が本当に紫なのかは分からない。
ロイは今すぐユーニスのいる場に出ていきたかった。
あれからロイは縁談を全て断り続けている。
表向きは婚約解消の心の傷が癒えていないということにしていたが、本当はずっと赤い髪の女性の姿があった。
もし彼女にもう一度会えたのなら…そう思い、宿で別れる時、無かったことにしようという決断をした自分を何度も呪ったものだ。
(だが…彼女は、それを望むのか?)
自分の身分は王弟だ。
彼女にとって負担にならないか。それだけが心配だ。
ロイはこっそりとその場を後にした。
ユーニスを妻に迎えたいという望みと、彼女の望むままにしたいという葛藤を抱えながら。
ロイは葛藤を素直に兄王に打ち明けた。
それを王はユーニスの父と相談し、両者とも「当人同士で話し合ったほうがいい」という結論で合意。
二人の対面は、王宮の一室で行われることになった。
ここでの話し合いはお互いの気持ちを確かめあい、決して相手に押し付けることのないようにと二人とも言われた。
久しぶりに盛装したユーニスは、期待と不安を抱えたまま父と共に王宮へと到着。
そしてある部屋の前に案内されると、その先からはユーニス一人で行くようにとのこと。
扉が侍従によって開かれ、そこには1年ぶりに見るロイの姿があった。
「…久しぶりだな。ユーニス嬢」
「お久しぶりでございます、ロイ王弟殿下」
ユーニスはカーテシーをし、ロイに勧められるまま椅子に腰を下ろした。
向かい合うように座った二人は、どちらともなく笑い出した。
「ふふっ、まさか、このようなところで再びお会いするとは思いませんでした」
「私もだ。このようなことがあるものだな」
片や婚約解消された王弟。片や離縁した伯爵令嬢。
その二人は、平民の酒場で飲んだくれ、宿で一晩共に過ごしたなど、一体誰に想像ができようか。
ロイの笑顔に、ユーニスの心には温かいものが湧き上がった。
(ああ、私はやっぱりこの方のことが…)
諦めていた。
名前も聞かず、どこの誰なのか行き先すら見届けなかった。
そんな人ともう一度会える偶然など無いと、そう思っていたのに。
まさか子宝に恵まれ、その子供が彼への道標になってくれた。
その奇跡に、今はただ感謝したかった。
「ユーニス嬢…」
ロイは席を立ち、ユーニスの脇に跪いた。
「早急で申し訳ない。だが、あなたを見た瞬間、どうしても心が抑えきれないんだ。私と、結婚してほしい」
あまりにも早いプロポーズ。だけど、それにユーニスの心は沸き立つ。
「はい」
お互いの心はもう決まっていた。
ただ、それを伝える場所さえあれば、それでよかったのだ。
「ユーニス…」
ロイは立ち上がり、そっと顔を寄せる。
ユーニスも目を閉じ、彼を受け入れようとした。その瞬間、隣室から赤ん坊の泣き声が響いた。
それに二人はパッと目を開け、二人とも噴き出した。
「ケイトがぐずっているようです」
「ケイト…それが、私たちの娘の名なんだな?」
「はい。…申し訳ありません、あなたと一緒に決めることができなくて」
「いいや、素敵な名だ。私には一切の反論はない」
「それは良かったです」
二人は部屋を出ると、隣室へと向かった。
そこにはむずがるケイトを相手に、苦戦するユーニスの父の姿があった。
「お父様、ありがとうございます」
ユーニスがケイトを受け取ると、途端に泣き止み、きゃっきゃと楽しそうに声を上げた。
これには父も苦笑するしかない。
「ロイ様、どうぞ」
「あ、ああ」
ユーニスの手からロイの腕の中へとケイトが移される。
おっかなびっくり受け取ったロイは、初めて抱く自分の娘に緊張していた。
ケイトは初めて見る人の顔をじっと凝視していた。
「あー、だー」
ケイトが手を伸ばす。
その手は、ロイのアメジストの瞳に伸ばしているようで、ロイが顔を寄せるとその顔をぺしぺしと叩いた。
「くすぐったいな」
「ふふっ、ちゃんとお父様だと分かってるみたいですわ」
仲睦まじく笑い合う二人。
その様子に、ユーニスの父は二人がどんな答えを出したのか、言われずとも察した。
****
その後、ユーニスの父にとある噂が届いた。
それは、ユーニスの元夫であるドミニクが女性不信で引きこもりになったというものだ。
ユーニスと離縁した後、ドミニクが婚外子を作った女性の下へ駆け込んだらしい。だが、3人とも既婚者となっていたそうだ。さらに驚くべきは、ドミニクの子どもだと訴えてきたのに、その子供たちがいずれもドミニクとは似ても似つかない容姿をしていたということ。
ドミニクの髪色も瞳の色も、3人の子どもたちは全く受け継いでいない。1人ならともかく、3人ともはいくらなんでもありえない。一方、彼女らが結婚した夫の容姿はしっかり引き継いでいた。
そのことから、ドミニクは養育費を支払うために利用されただけだと囁かれた。
ドミニクと関係をもった女性たちは、既に他の男性との間で妊娠していながら、わざとドミニクに抱かれたのではないかという噂。
この件ですっかりドミニクは女性不信となり、屋敷に引きこもりとなっているようだ。
(愚かだな。……いや、それは私も同じか)
そんな男の元に娘を嫁がせたのは自分だと、父は自分を嗤う。
ユーニスに今度こそ幸せに生きてほしいと願う父の耳に、愛しい孫娘の泣き声が届いた。
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「う…うぅ」
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『仏の顔も三度』とか『三度目の正直』なんて言葉がありますが……何故三度は許すのか? って話ですよね。まぁ世間を相手にした設定での基準でしょうけど、それでも『やらかされた』当人側には通用しないと思います。
そんな事を含めての、ヒロインさんのハッピーエンドは良かったです(∩´∀`)∩♪