7 / 7
第2章 線と曲、合月の前で
第7話 赤橋のすれ違い
しおりを挟む
朝いちばんで、記録庫へ向かった。
昨日頼んでいた受け取りの手続きを済ませ、薄い木の小箱を受け取る。中には右半月札――青い縁の札が入っている。
この札は、対になる左半月(赤い縁)が近くにないと、刻まれた文の全部は読めない細工だと聞いた。だから、いまは小箱のまま胸元にしまう。
「巡回に出るぞ、廉」
ファルコが手招きする。今日は東区の境界線まで――赤橋の手前だ。
橋へ近づくほど、通りはにぎやかになる。蒼の見回りが、白い粉で地面に細い筋を引いていく。緋の荷車はそれをまたがず、大回りに流れを作り直していた。
(止める“線”、回す“曲”。この街は、やっぱり二つで動いている)
空気が、すっと冷えた。薄い白い霧が足もとから立ちのぼる。
その足もとに、赤っぽい粉が点々と残っていた。鼻に、金属みたいな匂い。
「赤い粉――俺たちは紅粉って呼んでる。霧を濃くする連中の痕跡だ」
ファルコが低く言う。「視界と耳を鈍らせる。言の加護もザラつく。気をつけろ」
ちょうどそのとき、指笛が鳴った。
短く二度。少しおいて、もう一度。
(昨日、教わった境界合図だ。二連+一拍)
橋のたもと、蒼と緋の境目に白い粉のラインが引かれている。俺たちはそこで止まる。線は越えない。
向こう側――赤橋の上では、緋の教練士が何人かを並ばせて、拍で“間”を切っていた。指先で合図を送る。
(この間の取り方……沖田さんだ。あの、一拍だけ長い“間”)
胸の奥が冷たく縮む。呼吸が細く伸びる。足が、前へ出そうになる。
――だめだ。線は越えない。
霧が揺れ、橋の中央に、薄衣の影が現れた。
霞だ。半歩で消え、半歩で現れる。残像が二重、三重に見える。教練士の合図に合わせ、踏み替えの拍をずらしていく。
胸の小箱が、じんわり温かくなった。(近い)
「動くなよ」ファルコが小さな声で釘をさす。
「はい。ここからは見ているだけにします」
霞が一度だけ足を止め、こちらへ目を向けた。
風が、すっと通り抜ける。
「――無事で」
たしかに、そう聞こえた。
俺も、同じくらい小さな声で返す。「お前も」
その瞬間、小箱の中で札が小さく「コト」と鳴った。
線は越えない。けれど、声は届く。
霞はすぐに視線を戻し、緋の列へ溶けていく。教練士の指先が空で“一拍”を切った。
霧はまだ薄く残っている。白い粉のラインの外側、石畳に紅粉の粒がかすかに光った。
「最近、境界を狙うやつらがいる。霧と紅粉、それからあの笛。覚えとけ」
ファルコが粉を指で弾き、靴裏で払う。「蒼の粉は白だ。これで霧を落として、線に寄せる。向こうは、線をぼかして曲で回す。やり口が違う」
俺はうなずく。「線は越えません。けど……届かせます」
ファルコは少しだけ笑った。「それでいい」
教練が終わったのか、橋の向こうの人波が崩れはじめる。霞の姿は、もう見えない。
風が吹く。さっきの一言が、記憶の中で繰り返された。――無事で。
胸の小箱の温かさは、まだ消えなかった。
巡回の戻り道、白い粉のラインが夕日に淡く光る。
(次は、言葉を交わす。線は守る。けれど、声は届かせる)
俺は鞘の位置を確かめ、歩調を合わせた。
――つづく
昨日頼んでいた受け取りの手続きを済ませ、薄い木の小箱を受け取る。中には右半月札――青い縁の札が入っている。
この札は、対になる左半月(赤い縁)が近くにないと、刻まれた文の全部は読めない細工だと聞いた。だから、いまは小箱のまま胸元にしまう。
「巡回に出るぞ、廉」
ファルコが手招きする。今日は東区の境界線まで――赤橋の手前だ。
橋へ近づくほど、通りはにぎやかになる。蒼の見回りが、白い粉で地面に細い筋を引いていく。緋の荷車はそれをまたがず、大回りに流れを作り直していた。
(止める“線”、回す“曲”。この街は、やっぱり二つで動いている)
空気が、すっと冷えた。薄い白い霧が足もとから立ちのぼる。
その足もとに、赤っぽい粉が点々と残っていた。鼻に、金属みたいな匂い。
「赤い粉――俺たちは紅粉って呼んでる。霧を濃くする連中の痕跡だ」
ファルコが低く言う。「視界と耳を鈍らせる。言の加護もザラつく。気をつけろ」
ちょうどそのとき、指笛が鳴った。
短く二度。少しおいて、もう一度。
(昨日、教わった境界合図だ。二連+一拍)
橋のたもと、蒼と緋の境目に白い粉のラインが引かれている。俺たちはそこで止まる。線は越えない。
向こう側――赤橋の上では、緋の教練士が何人かを並ばせて、拍で“間”を切っていた。指先で合図を送る。
(この間の取り方……沖田さんだ。あの、一拍だけ長い“間”)
胸の奥が冷たく縮む。呼吸が細く伸びる。足が、前へ出そうになる。
――だめだ。線は越えない。
霧が揺れ、橋の中央に、薄衣の影が現れた。
霞だ。半歩で消え、半歩で現れる。残像が二重、三重に見える。教練士の合図に合わせ、踏み替えの拍をずらしていく。
胸の小箱が、じんわり温かくなった。(近い)
「動くなよ」ファルコが小さな声で釘をさす。
「はい。ここからは見ているだけにします」
霞が一度だけ足を止め、こちらへ目を向けた。
風が、すっと通り抜ける。
「――無事で」
たしかに、そう聞こえた。
俺も、同じくらい小さな声で返す。「お前も」
その瞬間、小箱の中で札が小さく「コト」と鳴った。
線は越えない。けれど、声は届く。
霞はすぐに視線を戻し、緋の列へ溶けていく。教練士の指先が空で“一拍”を切った。
霧はまだ薄く残っている。白い粉のラインの外側、石畳に紅粉の粒がかすかに光った。
「最近、境界を狙うやつらがいる。霧と紅粉、それからあの笛。覚えとけ」
ファルコが粉を指で弾き、靴裏で払う。「蒼の粉は白だ。これで霧を落として、線に寄せる。向こうは、線をぼかして曲で回す。やり口が違う」
俺はうなずく。「線は越えません。けど……届かせます」
ファルコは少しだけ笑った。「それでいい」
教練が終わったのか、橋の向こうの人波が崩れはじめる。霞の姿は、もう見えない。
風が吹く。さっきの一言が、記憶の中で繰り返された。――無事で。
胸の小箱の温かさは、まだ消えなかった。
巡回の戻り道、白い粉のラインが夕日に淡く光る。
(次は、言葉を交わす。線は守る。けれど、声は届かせる)
俺は鞘の位置を確かめ、歩調を合わせた。
――つづく
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
転生したら名家の次男になりましたが、俺は汚点らしいです
NEXTブレイブ
ファンタジー
ただの人間、野上良は名家であるグリモワール家の次男に転生したが、その次男には名家の人間でありながら、汚点であるが、兄、姉、母からは愛されていたが、父親からは嫌われていた
ギルドの片隅で飲んだくれてるおっさん冒険者
哀上
ファンタジー
チートを貰い転生した。
何も成し遂げることなく35年……
ついに前世の年齢を超えた。
※ 第5回次世代ファンタジーカップにて“超個性的キャラクター賞”を受賞。
※この小説は他サイトにも投稿しています。
家族転生 ~父、勇者 母、大魔導師 兄、宰相 姉、公爵夫人 弟、S級暗殺者 妹、宮廷薬師 ……俺、門番~
北条新九郎
ファンタジー
三好家は一家揃って全滅し、そして一家揃って異世界転生を果たしていた。
父は勇者として、母は大魔導師として異世界で名声を博し、現地人の期待に応えて魔王討伐に旅立つ。またその子供たちも兄は宰相、姉は公爵夫人、弟はS級暗殺者、妹は宮廷薬師として異世界を謳歌していた。
ただ、三好家第三子の神太郎だけは異世界において冴えない立場だった。
彼の職業は………………ただの門番である。
そして、そんな彼の目的はスローライフを送りつつ、異世界ハーレムを作ることだった。
週二回更新になります。お気に入り・感想、宜しくお願いします。
転生貴族の領地経営〜現代日本の知識で異世界を豊かにする
初
ファンタジー
ローラシア王国の北のエルラント辺境伯家には天才的な少年、リーゼンしかしその少年は現代日本から転生してきた転生者だった。
リーゼンが洗礼をしたさい、圧倒的な量の加護やスキルが与えられた。その力を見込んだ父の辺境伯は12歳のリーゼンを辺境伯家の領地の北を治める代官とした。
これはそんなリーゼンが異世界の領地を経営し、豊かにしていく物語である。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
異世界転生したらたくさんスキルもらったけど今まで選ばれなかったものだった~魔王討伐は無理な気がする~
宝者来価
ファンタジー
俺は異世界転生者カドマツ。
転生理由は幼い少女を交通事故からかばったこと。
良いとこなしの日々を送っていたが女神様から異世界に転生すると説明された時にはアニメやゲームのような展開を期待したりもした。
例えばモンスターを倒して国を救いヒロインと結ばれるなど。
けれど与えられた【今まで選ばれなかったスキルが使える】 戦闘はおろか日常の役にも立つ気がしない余りものばかり。
同じ転生者でイケメン王子のレイニーに出迎えられ歓迎される。
彼は【スキル:水】を使う最強で理想的な異世界転生者に思えたのだが―――!?
※小説家になろう様にも掲載しています。
俺、何しに異世界に来たんだっけ?
右足の指
ファンタジー
「目的?チートスキル?…なんだっけ。」
主人公は、転生の儀に見事に失敗し、爆散した。
気づいた時には見知らぬ部屋、見知らぬ空間。その中で佇む、美しい自称女神の女の子…。
「あなたに、お願いがあります。どうか…」
そして体は宙に浮き、見知らぬ方陣へと消え去っていく…かに思えたその瞬間、空間内をとてつもない警報音が鳴り響く。周りにいた羽の生えた天使さんが騒ぎたて、なんだかポカーンとしている自称女神、その中で突然と身体がグチャグチャになりながらゆっくり方陣に吸い込まれていく主人公…そして女神は確信し、呟いた。
「やべ…失敗した。」
女神から託された壮大な目的、授けられたチートスキルの数々…その全てを忘れた主人公の壮大な冒険(?)が今始まる…!
異世界転生したので森の中で静かに暮らしたい
ボナペティ鈴木
ファンタジー
異世界に転生することになったが勇者や賢者、チート能力なんて必要ない。
強靭な肉体さえあれば生きていくことができるはず。
ただただ森の中で静かに暮らしていきたい。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる