崩国の王子と仮初の騎士の約束

梓月 霜

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1.二人の出会い

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 その屋敷は街から少し離れた丘陵地帯にあった。馬車が通れる程度の幅広の道の先、先端に鉄の柵がついた石の塀に囲まれて建つ左右対称の建物は過度な装飾のない代わりに頑丈そうでどこか厳格な雰囲気を纏っている。
 高い門の脇には一人門番がいた。生真面目そうな男はあくび一つせず神妙な顔で己の職務をまっとうしている。門からは真っ直ぐに道が伸びており、先にある建物の前には人の気配はなかった。一見するとごく普通の貴族屋敷だが、固く閉ざされた玄関扉には特殊な細工が施されていて、仕掛けを知るものしか開けられないようになっている。

 ドアノッカーを独特の間隔で三回叩き、鍵穴のついた金属を決まった回数右と左に回す。もう一度ドアノッカーを叩くと鍵の開く音がした。ちなみに鍵穴を回す回数は日によって違う。日付と回数の組み合わせを計算するルールを知らなければ開けられない仕組みだ。
 難なく扉を開ければ、玄関ホールには待ち構えたように男が一人立っていた。何度か見かけたことのある顔だ。「お帰りなさいませ」と掛けられた声に軽い挨拶で返し、中央階段を上って二階に向かう。階段がギシギシと音を立てるのはわざとだと家主は言っていた。昼間はあまり気にならないが、夜に通るとかなり耳に響くので防犯の役目は果たしているのだろう。
 目的の部屋は階段を上ってすぐのところにあった。物音はしなかったが扉を叩きながら声をかければ返答があったので両開きの重厚な扉を押し開け中に足を踏み入れる。既に帰還の連絡が入っていただろうこの屋敷の主人は書類の上を滑らすペンを止めてこちらを見た。
「見てきたぜ」
 上質だと靴底でわかる毛足の長い絨毯の上を雑な足取りで進み、執務机の前で立ち止まると挨拶も抜きにそう告げる。座ったままの男は手に持っていたペンをペン立てに戻すと椅子の背に身を預けて手を組んだ。真剣な眼差しが見上げてくる。
「どうだった?」
「北の方の動きが活発化している。近いうちに何か仕掛ける気かもしれない。王都の方は……目につくのは以前にも増して交易を積極的に行っているくらいか。今のところ大きな動きはなく、民衆も様子見って感じだな」
「そうか」
 キシ、と椅子の背が僅かに音を立てる。固い声には様々な憂慮が滲んでいた。
 先日、数百年に及ぶ王政が崩壊した。その後、この国は混迷を極めている。クーデターを起こした大臣は新たな政権を発足させる間もなく暗殺され、後の実権を握ろうとする勢力が台頭し日々争っていた。今のところの被害はまだ倒された王家の者とその従者たち、クーデターに参加し返り討ちにあった者程度だが、このまま争いが続けば民衆にも被害が及ぶであろう。
 現在、国の実権を争っている三大勢力は、王族の唯一の生き残りを擁する王制派、武装勢力である過激派、暗殺された大臣の一派である民主派だ。
 そして、この屋敷は王制派を統括する本部となっている場所である。
 クーデターにより父親を亡くし、この屋敷の新たな主となったエルドレッドと以前から付き合いのあった俺は成り行き上、今は王制派の一員として活動していた。
「戻ったところ早々に悪いがレイル様の様子を見てきてくれ。どうやら食事もあまり召し上がっていないらしい」
 小さく溜息をついたエルドレッドにも僅かに疲労の色が見える。国を揺るがした騒乱からひと月余り。執務室の大きな窓からは夕陽が差し込み、逆光が血生臭い騒動の渦中に立つ男の苦労をより際立たせていた。
 子供のお守りは自分には向いていないと思うが仕方ない。新たな任務を与えられた俺はわかったと返事をすると部屋を出た。


 中流程度の貴族屋敷といった趣のこの建物は王族の騎士団長を務めていた男が持つ隠れ屋敷だった。王都にある本宅がクーデターにより焼け落ちた今は、騒乱を逃れて身を寄せた王制派の者達の拠点となっている。
 有事の際は王子とエルドレッドを護る役を負っているため屋敷の内部は隅々まで熟知していた。寄り道することなく目的の部屋までやって来た俺はコンコン、と軽く叩いて扉を開く。先ほどまでいた執務室の扉とは違い簡素な造りだが中に鉄板が入っており頑丈さはこちらの方が上だ。
 扉を叩く重い音に中からの返事はなかった。横に立っている護衛の者はいつものことだとでも言うようにちらりとこちらを見て苦笑する。なるほど、これは手こずりそうだ。
 沈黙を続ける室内に構わずドアノブに手をかけ、ゆっくりと扉を開く。窓のない室内は物を見るには十分な明かりが灯っていたが先ほどの部屋に比べると天井も低く空気もどこか重苦しい。
 屋敷の地下。身を護るためとはいえ、これでは幽閉されているのと変わりない。こんなところにいれば気が滅入るのは当然であろう。もっとも、部屋のせいだけでなく心理的なものが多分に影響しているのは理解できるが、だからといってそのままでいいはずもない。
「メシは食ったか?」
 そう広いとは言えない部屋の中央に鎮座する寝台にはぴくりとも動かぬ人影。
 声を掛けつつベッドサイドのテーブルに視線をやるが、曇りなく磨かれた銀の食器の中身はほとんど手つかずで残っているのが見てとれた。毒を警戒しているのかそれとも食欲がないのか。どちらでもあるのか。
 なんにせよ、栄養を摂らない状態が続けば人は死ぬ。せっかく城から逃げおおせたのに餓死なんて馬鹿げている。栄誉や信念の為に死を選ぶことを無駄とは言わないが、少なくともこんな形で死ぬのなら無駄死にとしか言えないだろう。
 小さく溜息をつくとそれが聞こえたのか蹲った頭が微かに動いた。
「僕が役立たずだったから……」
 誰に向けるでもなく呟かれたのは質問への返答とは違う言葉だった。
 寝台の上で丸くなり、艶を失った髪と虚ろな瞳で宙を見つめているのはつい数十日前までこの国の王子だった少年だ。齢十五歳。もう少しで十六になろうとする彼は、以前遠目に見た時の溌溂とした輝きはすっかり消え、路地裏で行くところもなく震えている子供みたいだった。
「僕が……」
「……」 
 王族には代々魔法の力が備わっているとされる。だが、かつてこの国を脅かす害獣を駆逐したというその魔法の力も代々弱まっていたことは国民にも周知の事実だった。先の王の魔力はちょっとした風を起こせる程度だったという。
 王位を継ぐ資格のある王子は十五の誕生日にその魔法力を披露するのが古くからの慣わしになっている。だが、第一王子であり唯一の王子もあるレイルは十五の生誕祭に何の魔法も披露しなかった。異例の事態に、ついに王家の魔力も潰えたかと人々は噂した。
(まさか、その後10か月もたたずに王政が転覆させられるとはな)
 人の世の容赦のなさといえばいいのか。
 王族から魔法力が失われたことが長年に渡った権威を失墜させる要因になったことは否定できない。先の王は優れた統治者と言えるほどではなかったが、これといって暴君でもなかった。隣国との戦もなく国は平和だったし、流行り病や大きな災害に見舞われることもなくここ数十年はいたって平穏だったと言えよう。だが、それが逆にまずかったとも考えられるかもしれない。
 人は困難に直面すると他者に助けを求め、救ってくれたものに感謝する。何事もなく平和な日々が続くと、かつてこの国へ平穏を与えた王族への感謝も、今この国を治めている王への関心やありがたみも薄れていく。そこへ、王族の権威の象徴でもあった魔法の力が失われたと知ったのなら、民衆の失望に乗じて自らが利権を手に入れようと企む者が出てくるのは十分にありえる話だ。

「なんで助けた。僕になんてもう何の価値もないのに」
 ふと、レイルが暗い瞳を上げた。恨めし気にこちらを見る双眸には絶望と非難が宿っている。しかし、彼は一瞬上げた視線さえすぐに戻してしまった。
 王だった父は襲ってきた者によって命を奪われ、王妃である母は城で捕まり幽閉されてすぐに亡くなったという。両親を失い、己の命以外のあらゆるものをなくして一人ぼっちになってしまった彼の痛みは想像するに余りある。だからといって同情だけを与えることはできない。
「そうだな。今のお前には何の価値もない」
 俯いた頭を包む細い肩が更に縮こまる。抱え込んだ両腕に指先が食い込み、今はもう何者でもなくなった少年は外界を拒絶するように身を丸くする。
「けどな。お前はそれでいいのか? 家族を奪われ、地位を奪われ、それでいいのか? 何もしないってことはお前から大事なモンを略奪した奴を認めるってことだぞ」
 敬語は使わない。今の彼には地位もない。元王子という肩書のついたただの一人の少年だ。自分がこうして出会った時には彼は既に王子ではなかった。だから、少しだけ長く生きている者として彼に相対する。講釈を垂れるほどの存在ではないし、年齢だって十も違わないが寝台の上で縮こまっている少年よりは経験を積んでいるし、汚い世の中を見てきている。
「僕に何ができると? あなた達だって元王子である僕の立場を利用したいだけだろう」
「ああ、そうだ。別に俺は義理や人情でお前を護るわけじゃない。でも、お前も利用すればいいだろう。俺達を利用して復讐を果たすなり欲しいものを手に入れるなりすればいい」
 嘆くだけの存在に用はない。
「今、ここで死ねば本当にお前は生まれた意味すら持たない存在になるぞ」
「……」
 陰鬱とした室内に沈黙が落ちた。ゆるりと少年の頭が持ち上がる。整えられていない髪から覗く瞳には非難の色があった。
「簡単に言ってくれるな。何も背負っていない者は単純でいい。お前に僕の気持ちも立場もわかりはしない」
 視線が外される。痩せた膝がしらに向けられた眼差しには深い悲しみとどこにも向けられない憤りが感じ取れた。
「否定はしないさ」
 王子として生まれた者の責務や苦労を知りはしない。王子として生まれた者が市井の者の苦しみを知らぬように。
 誰もが自分のことしか知らない。己の持つもので戦うしかないし、挫ければそこで終わりだ。王子であろうが民草であろうが、大人であろうが子供であろうが。生きることをやめれば人は死ぬし、戦うことをやめれば負ける。
「だけど……そうだな。お前の言っていることは正しい」
 俯いていた少年の気配が変わった。幼さを残しながらもどことなく厳かさもある声は、静かに言葉を紡ぐ。上げられた瞳には空虚さはもうない。顔は痩せて血色が悪いままだったが、瞳の奥に宿った光には生気と気品があった。
「僕に戦えと言うのなら———」
 少年の双眼が俺を捉える。
「僕の騎士になってくれ」
 碧い瞳で見つめ上げ、レイル・シルヴァイア・ユリシスはそう告げた。
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