女王さまの思いわずらい

いちいちはる

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 「――どうなさいますか?」
 背後に控えていた侍女の囁きに、アイリーンは小さく溜め息を落とした。
 視線の先には重たげに枝垂れるミモザと、小さなガゼボ。咲き誇る黄色に半ば埋もれた丸屋根の下には、寄り添う男女の姿がある。
 そのどちらにも見覚えがある。
 女性は名をノーラ・アンダーソンと言う。地方貴族の一人娘だ。
 麦穂色の豊かな髪に青い瞳、作り物のように整った顔立ちをした彼女は、昨年のデビューで社交界の話題をさらっていったらしい。
 果たしてアンダーソン家の街屋敷には縁談が山のように持ち込まれ、にも拘わらず未だ婚約者がいないのは、相手を吟味しているからとも、さらなる大物を狙っているからとも聞く。
 それが事実であるかはともかく、ノーラ嬢は望外の相手を釣り上げたようだ。
 彼女が親しげに寄り添い、熱の篭もった眼差しを向けている男性は、名をリチャード・エビングという。年齢はアイリーンの六つ上の二十三歳。現王室の傍系エビング家の嫡男、儀礼称号のオーランド伯爵を名乗る彼もまた、社交界において知らぬ者はいない有名人である。
 見上げるほどの上背に、鍛えられ均整の取れた体躯。ノーラ嬢の腰を抱く腕は逞しく、豪奢なジュストコールがなければひとかどの騎士のように見える。端正な顔立ちは硬質な印象を与えるが、少し垂れた目元と、目尻にあるほくろが絶妙な隙と色気を作り出している。
 癖のある金褐色の髪が目を引く、文句無しの色男だ。
 美しい庭園に、美しい恋人たち。幸せそうに語らうふたりと、枝垂れる花が風に揺れる様が、まるで描かれたの絵画のように調和している。
 もしこれがアイリーンと何一つ関わりないことであれば、良いものを見させて貰ったと心底感じ入ったことだろう。
 だが美男美女のうち色男、リチャード・エビングはアイリーンの婚約者だ。しかもアイリーンが彼らと鉢合わせたのは偶然ではない。アイリーンがここに居るのは、他ならぬリチャードに呼び出されたからだ。
 話があるからと出かけた先がこの有様なのだから、悪意があってのことなのは疑うべくもない。それを証左に、アイリーンに気づいたらしいリチャードの口元が意味有りげに歪んだ。どうやら彼はこれを見せつけたかったらしい。
 当人たちの意思とは無関係に結ばれた婚約を、彼が不満に思っていることは承知している。だが何もこんな真似をしなくても、というのが正直なところだ。
 アイリーンはかち合った視線をげんなり断ち切ると、足音が立つのも構わずに踵を返した。
 来た道を戻りながら、黙って後を付いてくる侍女をちらりと見遣る。
「……お父さまにお会いしたいのだけれど、今日はお戻りになるかしら」
「奥方さまがお出でですから、おそらくは。よほどのご事情でも起こらない限り、晩餐はご一緒なさると思います」
「そう。では夕食前に少し、お父さまとお話しする時間を作って欲しいの。調整をお願いできる?」
「はい、承知いたしました。……お嬢さまがお心をお決めになりましたこと、旦那さまはお喜びになるでしょう」
 アイリーンに対するリチャードの振る舞いは、婚約者として最低最悪と言って良いだろう。公爵家の嫡男と伯爵家の令嬢、身分の差はあれど侮辱されているも同然で、侍女としてそれを傍で見ることしか出来なかった彼女は、さぞもどかしい思いをしたに違いない。
 主としての不甲斐なさを、これからのことで少しは払拭出来るだろうか。
 アイリーンは胸の裡で密やかな覚悟を決めながら、待たせておいた馬車に乗り込んだ。
 リチャードに呼び出されたのは、サンノーファ宮殿の外れにある庭園だ。そこから四半刻の距離に、アイリーンの生家であるベケット邸はある。
 ベケット邸は青屋根が美しい瀟洒な屋敷で、四代前の当主が立てた功績によって賜った建物だ。伯爵領のレイストンにある荘園邸よりも古く、過去には降嫁した姫君の住まいだったこともあるという。
 普段は王宮官吏として要職を得ている父と、その娘であるアイリーンとが暮らしていて、領地を愛する母が滞在するのは社交シーズンのみだ。
 今はシーズンが始まったばかり。それに合わせて領地を出た母が、王都の屋敷に着いたのは昨日のことだった。
 おかげでここ暫くの父はたいそう機嫌が良い。あの調子でアイリーンの失態も大目に見てくれれば良いのだが。
 半ば現実逃避にそう思いながら、アイリーンは馬車の中で小さく溜め息を落とした。
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