女王さまの思いわずらい

いちいちはる

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 今でこそ伯爵位を得て、大穀倉地帯を治めているベケット家だが、そもそもの始まりは王国北部にある狭小地、そこに住まう氏族の長に過ぎない。
 作物のろくに育たない痩せた地と、僅かばかりの石炭を産出する枯れかけた鉱山、食いつなぐだけで精一杯の困窮しきった人々。財と言えるのはそれが全てで、ベケット家は中央からも半ば見放され忘れ去られた存在だった。
 そんな貧乏領地に転機が訪れたのは、今から二百有余年前のことだ。
 隣国との戦端が開かれて間もなく、放置され崩落しかけていた坑道の奥で、ダイヤの原石が見つかったのだ。そこから試掘し発見された鉱脈は恐ろしく豊かで、これで貧しさから解放されると領地は沸きに沸いたと言う。
 ところが当時の領主は、鉱山の権利のなにもかもを王家に献上してしまったのだ。管理と防備の面倒を避けた、というのが実際のところではあるのだが、軍事資金の調達に苦慮していた当時の王は、これを大いに褒めそやした。
 かくしてベケット家には報奨として伯爵位を授けられ、戦地だった広大な土地も与えられた。ただひとつ想定外だったのは、開拓に送り込まれた人夫のことごとくが、破落戸崩れだったことだろう。
 報奨の体を取ってはいたが、都合の良い厄介払いに利用されたのは明らかだった。
 事実、当時の領主の手記には、多くの苦労と恨み言とが綴られている。
 とは言え戦後の人手不足に苦慮していたのは事実だったようだ。使えるものは全て使ってやろう、と当時の領主が開き直って試行錯誤の果てに考案したのが、効率的な人心掌握術である。
 手法は至ってシンプルだ。
 まず相手の自由のなにもかもをを奪って矜持を折り、痛みと苦しみを身に刻み込む。逆らおうとする意思も気力も根こそぎ削いでから、慈愛と寛容を示して主に依存させ隷属させるのだ。忠実な下僕となった者たちは、決して主に逆らうことはない。
 この術は子々孫々へと受け継がれ、更には代を経て手法や道具が洗練されている。
 婚約者であるリチャードにもそれは遺憾なく発揮されて、躾けを終えた今では素晴彼はらしい従順さを見せていた。
 つい先日にはアンダーソン家へ赴いて、謝罪と別れ話を済ませてきたらしい。
 多忙を縫って送られてくる彼からの手紙には、特に命じた訳でもないのに詳細な報告が綴られている。
 褒めて欲しいのだろう。まるで尻尾を振る子犬のようで微笑ましいが、褒美をねだるのは少しいただけない。次に会ったときにでも、しっかり話して聞かせた方がいいだろう。
 そう溜め息を吐いたところで、扉をノックする音が響いた。
 手にしていた便箋を文机に置いて、アイリーンは応えを返す。扉を開けて現れたのはアイリーン付きの侍女で、彼女はお手本のような作法で膝を折ってから口を開いた。
「お嬢さま、お客さまがお出でです」
「そう。……どんなご様子かしら」
「以前お見かけした時と比べると、かなり憔悴していらっしゃいます。思い切ったことをするようには見えませんが、用心をなさった方がよろしいかと」
「そのつもりはなかったけれど、結果としては追い詰めてしまったものね。ありがとう、一応の心積もりはしておくわ」
 苦笑含みに言って立ち上がったアイリーンに、侍女は心得たふうに扉を開けてくれる。
 彼女が先導するまま自室を出て、階下の応接室に向かった。
 家業の関係で客人を招くことの多いベケット邸には、その用途に応じた複数の応接室が設えられている。今日の客人を通したのは玄関ホールからほど近く、主に一般的な用向きに使用される一室だった。
 庭に面した窓からの採光で室内は明るく、客人が居心地良く過ごせるよう側近には使用人を配してある。それはすなわち逃走経路の確保が容易く、声を上げればすぐに人を呼べる、ということでもある。
 たとえ客人が思い余った行動に出たとしても対応は充分可能だ。それでアイリーンは少しも気負うことなく、客人の待つ応接室に足を踏み入れた。
 布張りの長椅子に腰掛けていた客人――ノーラ・アンダーソンが弾かれたように面を上げる。
 以前に見かけた時にも思ったことだが、目を奪われるほどに美しい容貌をしている。
 やつれて尖る頬のラインと、化粧で隠せない目の隈があってさえ、その容色は僅かも損なわれていなかった。
 なるほどアンダーソン家当主が、娘の婚姻相手を厳選したくなった気持ちがよく分かる。
 アイリーンは内心で感嘆の溜め息を零しながら、ノーラ嬢の対面の椅子に腰を下ろした。
 場の雰囲気に飲まれている風だったノーラ嬢が、慌てて立ち上がる。
「お、お初にお目にかかります。ハーロウのアンダーソン家が一女、ノーラと申します。あの、この度は不躾な申し出にもかかわらず、お時間をくださって感謝しております」
「……以前お見かけしたことはありましたが、こうしてお会いするのは初めてですね。どうぞ、おかけになってください。すぐに済むようなことではないのでしょう?」
 にっこりと微笑みながら、手で長椅子を差し示す。
 ノーラ嬢は物言いたげな目でアイリーンを見つめていたが、唇を引き結んだまま腰を下ろした。
 侍女が淹れた茶に口を付けて、ふと小さく息を吐く。優美なカップの縁を指でなぞりならがら、アイリーンは口を開いた。
「作法を無視した振る舞いであることは承知しておりますが、わたしは時間を無駄にするのが好きではありません。ですから余計な前置きは無しにいたしましょう」
 言って浮かべる笑みを深くする。
「本日こちらにいらした理由を、教えていただけますか?」
 直截に過ぎるアイリーンの問いかけに、ノーラ嬢は弾かれたように面を上げた。レースの手袋に包まれた手をぎゅっと握り締めて、彼女は今にも泣き出しそうな顔で言った。
「いきなり手紙を送り付けて、不躾なことをしたのは分かっています。でも、どう考えてもおかしいんです。リチャードさまは私を愛してるって言ってくれました。問題が片付いたら結婚しよう、って約束もしてたんです」
 それなのに、と悲しみに震える声で呟いて、ノーラ嬢は果敢にもアイリーンを睨めつけた。
「婚約者と話を付けてくる、と言って出かけていったきり連絡が取れなくなって、ようやく会えたと思ったら、いきなり別れようだなんて……! 絶対に、なにかあったに違いありません」
「そのなにかをわたしがした、と?」
「だって、それ以外に考えられないじゃないですか。リチャードさまのような優しくて誠実な方が、こんなことをする筈がないんですから。だから、もし……リチャードさまの意思を歪めるような真似をしているなら、私は絶対にあなたを許しません」
 そう勇ましく告げたノーラ嬢に、アイリーンは思わず目を瞬かせた。
 婚約者がいながら未婚の令嬢に手を出そうとした男の、どこに優しくて誠実な要素があると言うのだろうか。躾けが済んですぐに別れ話をしたことを鑑みれば、むしろリチャードは誠意に欠けたろくでなしだ。優しさの欠片もない。
 相手の欠点が見えなくなるのが恋とは言え、ここまで盲目だと他人事ながら少し気の毒になってくる。
 ふたりの仲を引き裂いた後ろめたさも相まって、アイリーンは気遣う声で言った。
「いきなりのことに戸惑う気持ちは分かります。ですが不用意な発言はされない方が良いでしょう。あなただけでなく、ご家族の立場まで悪くなりかねません」
「……そうやってリチャードさまも脅したんですね」
 随分な言いがかりである。
 リチャードを躾けた覚えはあっても、脅すような真似は一切していない。そもそも脅して言うことを聞かせるようでは、主として三流以下の振る舞いだろう。
 とは言えリチャードの行動が、主の目から見ても褒められたものではないことは事実だ。
 今やアイリーンの支配下にあるリチャードではあるが、その性根の矯正にはまだ時間がかかりそうだ。
 まったく手の掛かる。
 アイリーンはそう胸の裡だけで苦笑含みに零してから、手にしていたティーカップをソーサーに戻した。
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