女王さまの思いわずらい

いちいちはる

文字の大きさ
4 / 7

しおりを挟む
 現在の王室に王子は三名。いずれの方々も既に成人していて、聡明と名高い王太子には、侯爵家から迎えた妃と一子がある。
 リチャードに王冠が回ってくる可能性は皆無に等しいが、それでも血統は瑕疵なく繋がなければならない。
「アンダーソン家は爵位を持たない地方領主です。いずれ公爵家を継ぐことになる方の、ご生母の実家となるには何もかもが不足しています」
「言われるまでもない。だから今、アンダーソン家の当主が授爵出来るよう働きかけているところだ」
「それも存じておりますが、立てる功も無しに叙爵は叶わないでしょう」
「ならば王位の継承権など投げ打つまでだ。ノーラと添い遂げられないなら、あんなものに価値など無い」
「では継承権を返上して、それでどうさるおつもりです」
 出来るかどうかはともかくとして、継承権を捨てるということは即ち王族ではなくなる、ということだ。
 マクファランド公爵は王族にのみ叙される爵位、つまり継承権を失えば同時に公爵となる未来も、それに付随する何もかもが失われることになる。
 儀礼爵位を名乗る程度は許されるだろうが、名前だけのそれには殆ど価値がない。治める領地が無いから税収も得られず、収入は国から与えられる僅かばかりの年金に頼るしかない。
 次期公爵という立場とその贅とを甘受していた彼に、そんなつつましい暮らしは耐えられないだろう。
 リチャードもそれは充分に理解しているのか、苦り切った表情を繕いもせず吐き捨てた。
「……アンダーソン家に婿入りする、という手もある」
「残念ですが、それも認められないでしょう。継承権を放棄なさっても、リチャードさまのご血筋は王族のそれです。婿入りなさる家には、ある程度の格が求められます」
 家格とは爵位の有無だけを指すのではない。そこにはこれまでに立てた功績や国への忠義、他家との繋がりや当主の為人もが含まれている。
 王族との関わりを手にしてのぼせ上がり、欲に目がくらむようでは困るのだ。
 娘がリチャードと恋仲になったと知るや否や、妙な動きを見せ始めたアンダーソン家では不適格と言わざるを得ない。
 つまりリチャードの望みは何ひとつ叶わない、ということだ。
 アイリーンは小さく息を吐いてから、哀れみの籠もった目でリチャードを見つめた。
「残る手段は、手に手を取っての駆け落ちでしょうか」
「それは……私に死ねと言っているのも同然だ」
 傍系とは言え王族の血筋、もし市井に流出すれば国内はおろか、国外にも利用されかねない。そうなる前に不安の芽が断たれるだろうことは、火を見るより明らかだ。
 可能性をひとつひとつ丁寧に潰されて、リチャードもさすがに逃げられないと悟ったのだろう。悄然と肩を落とす様からは、普段の色男ぶりが微塵も感じられない。
 すっかり精彩を欠いた彼に視線を当てたまま、アイリーンは意識して優しい声で言った。
「リチャードさまには信じがたいことかもしれませんが、わたしとの婚姻はある意味では救済となるでしょう。そしてそれこそが、マクファランド公爵の狙いでもあるのです」
「……救済だと? よもやノーラの代わりに、きみを愛せなどと言うのではないだろうな」
「いいえ、わたしがリチャードさまに愛を求めることはありません。わたしがあなたに求めるのは――忠誠と崇拝です」
 言ってアイリーンは手を持ち上げる。
 背後に控えていた侍女が黙って差し出した『それ』の柄を、アイリーンはしっかり握り締めた。
 唖然としているリチャードに頷く。
「大丈夫ですよ。しっかり修練を積んでおりますから、リチャードさまに傷を残すような不調法は致しません」
「な、なにを……それは、なぜ、そんなものを……」
「それは勿論、あなたの躾けに必要だからです。――美しいでしょう? 元は乗馬用だったものを、頼んで特別に作り直した特注品なんです」
 言いながら手にした短鞭、、を軽く振るう。
 先端のフラップが空気を切り裂いて、慣れ親しんだ小気味良い音が響いた。
「どうぞご安心くださいませ。リチャードさまが良い子にしていれば、きっとすぐに済みますから」
 リチャードにしてみれば少しも安心出来ないことを平然と言って、アイリーンはにっこりと微笑んでみせた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

愛する人は、貴方だけ

月(ユエ)/久瀬まりか
恋愛
下町で暮らすケイトは母と二人暮らし。ところが母は病に倒れ、ついに亡くなってしまう。亡くなる直前に母はケイトの父親がアークライト公爵だと告白した。 天涯孤独になったケイトの元にアークライト公爵家から使者がやって来て、ケイトは公爵家に引き取られた。 公爵家には三歳年上のブライアンがいた。跡継ぎがいないため遠縁から引き取られたというブライアン。彼はケイトに冷たい態度を取る。 平民上がりゆえに令嬢たちからは無視されているがケイトは気にしない。最初は冷たかったブライアン、第二王子アーサー、公爵令嬢ミレーヌ、幼馴染カイルとの交友を深めていく。 やがて戦争の足音が聞こえ、若者の青春を奪っていく。ケイトも無関係ではいられなかった……。

【完結】好きでもない私とは婚約解消してください

里音
恋愛
騎士団にいる彼はとても一途で誠実な人物だ。初恋で恋人だった幼なじみが家のために他家へ嫁いで行ってもまだ彼女を思い新たな恋人を作ることをしないと有名だ。私も憧れていた1人だった。 そんな彼との婚約が成立した。それは彼の行動で私が傷を負ったからだ。傷は残らないのに責任感からの婚約ではあるが、彼はプロポーズをしてくれた。その瞬間憧れが好きになっていた。 婚約して6ヶ月、接点のほとんどない2人だが少しずつ距離も縮まり幸せな日々を送っていた。と思っていたのに、彼の元恋人が離婚をして帰ってくる話を聞いて彼が私との婚約を「最悪だ」と後悔しているのを聞いてしまった。

お飾りの侯爵夫人

悠木矢彩
恋愛
今宵もあの方は帰ってきてくださらない… フリーアイコン あままつ様のを使用させて頂いています。

アルバートの屈辱

プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。 『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。

あなたは愛を誓えますか?

縁 遊
恋愛
婚約者と結婚する未来を疑ったことなんて今まで無かった。 だけど、結婚式当日まで私と会話しようとしない婚約者に神様の前で愛は誓えないと思ってしまったのです。 皆さんはこんな感じでも結婚されているんでしょうか? でも、実は婚約者にも愛を囁けない理由があったのです。 これはすれ違い愛の物語です。

婚約破棄してくださって結構です

二位関りをん
恋愛
伯爵家の令嬢イヴには同じく伯爵家令息のバトラーという婚約者がいる。しかしバトラーにはユミアという子爵令嬢がいつもべったりくっついており、イヴよりもユミアを優先している。そんなイヴを公爵家次期当主のコーディが優しく包み込む……。 ※表紙にはAIピクターズで生成した画像を使用しています

幼馴染み同士で婚約した私達は、何があっても結婚すると思っていた。

喜楽直人
恋愛
領地が隣の田舎貴族同士で爵位も釣り合うからと親が決めた婚約者レオン。 学園を卒業したら幼馴染みでもある彼と結婚するのだとローラは素直に受け入れていた。 しかし、ふたりで王都の学園に通うようになったある日、『王都に居られるのは学生の間だけだ。その間だけでも、お互い自由に、世界を広げておくべきだと思う』と距離を置かれてしまう。 挙句、学園内のパーティの席で、彼の隣にはローラではない令嬢が立ち、エスコートをする始末。 パーティの度に次々とエスコートする令嬢を替え、浮名を流すようになっていく婚約者に、ローラはひとり胸を痛める。 そうしてついに恐れていた事態が起きた。 レオンは、いつも同じ令嬢を連れて歩くようになったのだ。

【完結】 嘘と後悔、そして愛

月(ユエ)/久瀬まりか
恋愛
伯爵令嬢ソニアは15歳。親に勝手に決められて、一度も会ったことのない10歳離れた侯爵リカルドに嫁ぐために辺境の地に一人でやってきた。新婚初夜、ソニアは夫に「夜のお務めが怖いのです」と言って涙をこぼす。その言葉を信じたリカルドは妻の気持ちを尊重し、寝室を別にすることを提案する。しかしソニアのその言葉には「嘘」が隠れていた……

処理中です...