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17 君も失敗することがある
しおりを挟むしゅんとすっかり落ち込む君を見て、俺は目をパチクリさせた。
「ごめんなさい、ホットケーキ焼くって言ったのに今日はムリなんです」
そう雪姫は言う。その顔が半泣きで、何があったんだろうと思ってしまう。そういえばLINKでも、既読はついたものの返信がなかった。
きっと雪姫のなかで、感情が揺れ動く何かを俺がしてしまったらしい。
俺は雪姫の言葉を待つ。
別に、雪姫のスイーツを期待して来ていたわけじゃない。
本来の目的は雪姫のリハビリ――気兼ねなく、彼女がまた学校に行けるように。
雪姫のスイーツが美味しくて、病みつきになっている俺がいるのは事実だけれど。
でも、いらないと言うのも、違うような気がした。
雪姫が雪姫なりに考えて、俺にスイーツを作ってくれた。それは鈍い俺でも実感する。それなら、否定するような言葉じゃない。
だから、ただひたすら俺は雪姫の言葉を待った。
「コ、焦げちゃって」
「へ?」
「考え事していたら、焦げちゃって。ホットケーキ。本当にごめんなさい。楽しみにしていてって言ったのに――」
俺は無意識に――意識するより早く、この手が雪姫の髪を撫でていた。
「え?」
雪姫は目をパチクリさせた。男女の距離を無視した行為だと自分でも思う。ただ、彼女の気持ちが混乱しているのは明らかで。
手がかりを探してみれば、鈍感な自分でも何となく思いあたることがあって。今日のお昼、LINKで既読がついたけど、返信がなかった。その後、自分の分のスコーンの味を報告したら、雪姫からすぐに返信があったではないか。海崎や弥生先生には感謝だ。
俺は、雪姫のスゴサをみんなに知って欲しかった。でも――雪姫は、俺のためにスコーンを作ってくれた。そこを蔑ろにしていたんじゃないだろうか。
それだけじゃない。雪姫にしてあげていないことを、俺は第三者にしてしまったのだ。ほんの些細なこと。小さなことが雪姫には重い。
俺はみんなにコーヒーを淹れてあげた。雪姫が不安を感じている理由はそこなんじゃないかと、厚かましい想像だが思う。
そりゃそうか、と思う。雪姫は、今まで自分を受け入れてもらえた実感がなかったんじゃないかと思う。俺をトモダチとして認めてくれて――ようやく外に足を踏み出すことができた。
逆を言えば、まだその段階なのだ。その時点で、雪姫以外の人間との関わりを多くして接点を広げようとしたら、雪姫はそれは不安になる。
雪姫は紅茶を好んでいた。例え雪姫がコーヒーを苦手だとしても――。自分の知らないところで、俺が第三者にコーヒーを淹れた。雪姫は友達を奪われるかもしれないと。そう思ったんじゃないだろうか。
「雪姫はコーヒーは飲めるの?」
俺の問いに、どうして分かったの? と言いた気に目を大きく見開いて――そして雪姫は小さく横に首を振った。
「苦手だけど……。苦い感じがするから。でも……」
雪姫は俯く。俺は再度、その髪に触れる。
「俺さ、アルバイト先が喫茶店なんだよね」
「え?」
「メニューに、カフェオレもあるから。今度、淹れてもいい?」
「――いいの?」
雪姫の顔に笑顔が咲いて、俺はようやく安堵する。
俺は小さく頷く。マスターのようには淹れられないけれど、少しずつ教えてもらっているトコロで。自分の夢とはまるで真逆だけれど、それはそれで悪くないと思っている。
「店でもまだ淹れたこと無いから、失敗するかもしれないけれど。第一号のお客様になってくれない?」
俺がそう言うと、雪姫は笑顔で頷いてくれた。
■■■
「全然、失敗じゃないと思うんだけれど?」
失敗したというホットケーキをせがむと、雪姫は複雑な表情ながら渋々、温め直して出してくれた。捨てられていなくて良かったと心底思う。所々、焦げているが、俺が作ったオムライスに比べたら、クオリティーが高い。それに何より、頬が溶け落ちそうなくらい、美味しかった。
「焦げちゃったし……冬君に食べてもらうんだったら、もっとしっかりしたのを出したかったんだもん」
「ありがとう」
俺は小さく笑む。雪姫はようやく不満そうな顔から、安堵したように、同じく微笑んでくれた。
「冬君って、何でも美味しそうに食べてくれるね」
「いや、雪姫のは本当に美味しいからね。ただ、あまり気を使うなよ?」
「気は使ってないかな」
「毎回、お菓子を焼かなくても、俺は来るよ?」
「それは分かってるよ」
雪姫は俺をまっすぐ見やる。
「私がね、冬君に食べて欲しかっただけだから。冬君が喜ばせ上手なのがワルイ」
「へ?」
「だって、すごく美味しそうに食べてくれるから。もっともっと、冬君に喜んで欲しいって思っちゃうの。冬君が喜んでくれたら、私、もう少しだけ頑張れる気がするから」
「……そうか」
俺は紅茶で喉を潤す。砂糖を入れているはずなのに、味があんまり感じない。飲み干しても、喉の乾きが収まらないのは、どうして何だろう。雪姫の表情から、目を離すことができなくて。
「頑張れそうなのは俺もだよ」
そう雪姫に囁く。
今まで、この高校に入学してから一人だった。それぞれのコミュニティーに入り込む勇気がないまま、一年が過ぎてしまって。
このまま学校を卒業していくんだろう、そう思っていたのに。
――君が、
――貴方が、
言葉が重なった。
「「友達になってくれて、本当によかった」」
シンクロする言葉に、俺たちは思わず笑いが溢れて。
「あのさ、雪姫。もし雪姫がイヤなことがあるのなら、いつでも言って欲しい」
「え?」
「……今日のことだけど。俺、雪姫のスゴイ所をみんなに自慢したかった。だから、つい海崎にも言ってしまって。でも雪姫は、嫌だったんだろう?」
「い、イヤではなかったの。ただ――」
「ただ?」
雪姫は悩みながら、でも意を決したように言葉を絞り出した。
「だって――冬君が私の知らないところで、私の知らない表情を見せていると思うと、なんだか悔しくて。私はもっと、冬君のことを知りたいのに――」
雪姫は俯く。その手が、スカートをぐっと握りしめる。
「嬉しいかな」
漏れたのは、俺の本音。
「え?」
「嬉しいって素直に思うんだよね。雪姫が俺を見てくれていることも、学校に行きたいと思ってくれていることもね」
「冬君?」
「雪姫と学校で過ごせたら、それは楽しいだろうなってつい想像しちゃってね」
「ふゆ君?」
雪姫が目を伏せる。恥ずかしそうで、でもその唇の端が、嬉しそうに綻んでいるのが分かる。
「でも無理はして欲しくないんだ。雪姫が苦しくなるのはイヤだから、ちょっとずつで良いから。リハビリ、やっていこう? 頑張る必要はないから。今でもこうやって頑張ってくれているからさ」
「うん」
コクコク、雪姫は頷く。でも、雪姫はそう呟いた。
「目標、できた」
「目標?」
「うん。冬君と、学校に行きたい。冬君のアルバイトしている喫茶店のコーヒー飲んでみたい。冬君と遊びに出かけたい。冬君と一緒に、色々なことをチャレンジしたい――」
ぐっと、もう一度拳を握る。うん、俺も一緒に頷いて。
「俺も、雪姫と一緒に学校で過ごせたら嬉しいって思うから。でも、無理なくだよ? 一緒に実現していこう?」
俺は雪姫の手に、自分の手を重ねた。
「――うん」
この友達の笑顔が、何よりかけがえがない。心の底から、俺はそう思った。
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【下河空君の独り言】
いやいや、いやいや。
姉ちゃん、友達って無理ない? この空気、絶対友達じゃないから。冬希兄ちゃんが他の人にコーヒー淹れたの面白くないとか、それヤキモチじゃん。
冬希兄ちゃんもだよ。無自覚すぎでしょ。下心で近づいてんのかよって思うけど、あの人も姉ちゃんと同類ってことはよく分かった。口説き文句じゃん、一緒に実現していこうとか。
姉ちゃんのお菓子、最近、残らないのはこういうことなのね。
これ、父さん知ったら泣くよねぇ。姉ちゃんが笑うようになったのは、冬希兄ちゃんのおかげだから、複雑だと思うけどさ。
髪を撫でたり、手と手を重ねたり。
ヤメテ、もうヤメテ。
姉ちゃん、絶対、冬希兄ちゃんしか見えてないでしょ?
この家に俺もいるんだから、そんな甘い空気出さないで。
ヤメテ、もう耐えられな――。
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