君がいるから呼吸ができる

尾岡れき

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51 君とみんなとピクニック①

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 いざこうやって集まってみると、結構な人数だと思う。雪姫は、俺の手をぎゅっと握る。呼吸に乱れはない。だけど、指と指を絡めながら、もっと近く、もっと近くへと求めるように、雪姫は距離を埋めようとする。

 だから、絡めた指を包み込むように握り返す。こうやって外に出られたことが、本当に嬉しい。

 と空君の隣で新しいお客さんは、緊張した面持ち。ただ、その目はずっと空君を捉えて離さない。これは、もしかして――。俺は思わず、ふんわり笑みを浮かばせてしまう。

「ねぇ海崎?」
「なに上川?」
「今日、初めましての人がいるから、自己紹介からするの、どうかな?」
「あぁ……今日は天音さんもいるもんね。良いと思うけど、ほどほどに、ね」

 何故か海崎がひきつった笑顔になる。

「言っている意味が分からないけど?」
「はっきり言うべき? 君ら自己紹介と言いながら、二人の世界入るからね。見てるこっちが恥ずかしいの自覚して」

 海崎に言われてそんなことは――いや、あったかもしれない。

「うちの両親への挨拶の時も、そうだったからね」

 空君までニヤリと笑む。仕方ないと思うんだ。結局、俺の最優先事項は雪姫だから。

「じゃ、俺からね。上川冬希です。高校2年生。海崎達と同じ永釈高校に通ってます。中学までは県外だったから、こっちのことはよく分かってないけど、よろしくね」

 と俺の目が雪姫と合う。言わなきゃ、言わなきゃ、そう自分に言い聞かせているのがありありと分かる。

 ――雪姫、ごめんね。今日、たくさん頑張ってくれているけど。もっと頑張ろうとしているのは分かっているけど、今日は俺の悪巧みに付き合って?
 耳元で囁く。雪姫は目をパチパチさせた。それを尻目に、俺は言葉を紡ぐ。

「雪姫の紹介も俺がさせてもらうね――。こちら下河雪姫さん。同じく永釈高校の2年生。今は理由があって学校に行けてないけど、時間をかけてきっと行けるようになると思う。可愛いでしょ? 俺の彼女です。よろしくね」

 聞いたみんなは、予想通りあんぐりと口を開けたままだったり、逆に口をパクパクさせていた。

「だ、だ、誰が惚気《のろけ》ろなんて言ったー! 冬希兄ちゃんには羞恥心ってものがないの?! 無いよね、知ってたけどさ!」

 予想通りの空君の反応。俺はクスクス笑みを浮かべる。別に恥ずかしくないわけじゃない。ただ誤魔化すつもりもないし、遠慮もしないだけ。それにと思う。空君には悪いけど、これは俺のワルダクミの一貫なのだ。
 と、予想外に雪姫がボソリと呟く。

「ふ、冬君は最高に格好良い私の彼氏だからね。私の、私だけの冬君だからね」

 小さな声だったのに、まるで風に乗るようにみんなの耳に届いてしまったようで。

「だから姉ちゃんも! これ自己紹介だよね? バカップルの公開告白タイム聞かせろなんて誰も言ってないから!」

 バカップルって、そこまで言われるようなことはしてないと思うんだけれど……。ただ雪姫のストレートな一言は流石に嬉しさと気恥ずかしさが入り混じって、顔が熱くなる。

 でも、と思う。空君のお友達は緊張が少し解れて――まるで新しい発見をしたかのように、彼のことを見つめていた。つい笑みが溢れてしまう。やっぱり思った通りみたいだ。

「それじゃ、次は空君だね?」
「え? いきなり、お、俺? 普通、こういうのって先輩からじゃ……」
「だって目があったから」

 ニッと俺は笑う。

「そ、それに。俺のことは、みんなも天音さんも知ってるじゃん」
「だ、そうだけど?」

 クスクス笑って天音さんに意見を求めてみる。

「……あ、あ、あの。私、やっと今日、下河君とお話ができて。お友達と言ってもらえて。だから……。下河君のこと、まだ全然分かってないと思うから。その、もっと下河君のこと知りたいです」
「――ということらしいよ、空君?」

「冬希兄ちゃん、俺らで遊んでるでしょ?」
「ん?」

「兄ちゃん達と一緒にしないでよね。それから、絶対に勘違いしないで。俺たち、そういうのじゃないから。天音さんに迷惑かけたくないし」

「そういうの?」
「もう、いいよ」

 観念したように空君は、ふぅっと息を吐く。

「えっと……。改めて、だね。天音さんが転校してきた時にも自己紹介したと思うけど、下河空です。えっと、そこにいる下河雪姫が俺の姉ちゃんで。仲はそんなに悪くないと思ってるけど、シスコンじゃないからね。姉ちゃんに彼氏ができて、良かったと思ってるし。むしろこんなチンチクリンによく彼氏ができたと思ってるし――」

「空、帰ったらお話しようね?」

 雪姫が小さく囁くので、一瞬、場の空気が凍る。これが【雪ん子】の由来だろうか。そらはそれで可愛いと思ってしまうけれど。空君はあえて聞こえない振りに徹していた。

「――えっと。何を話したら良いかな。以前はバスケをやってた。もう辞めちゃったけどね。でも体を動かすのは好きだから、湊達とワン・オン・ワンを時々するけれどね」

 聞き慣れない名前に、今度は俺が首を傾げた。

「あぁ。湊は僕の妹なんだよ。今日はバスケの練習で来られなかったけどね」

「彩翔は私の弟ね。空っちくらい可愛げありゃ良いんだけど、ね。あいつもバスケ部だから欠席ってワケ。三人で三バカって言われるぐらいには仲良いよね、君たち」
「クソガキ団には負けるどね」

 空君はニンマリと雪姫に向かって笑む。雪姫はプイとそっぽを向く。当時の悪ガキぶりを知られたくないのは、未だ変わらないらしい。これは後で空君にこっそり――。

「絶対、何がなんでも教えないから。情報源は全部潰すもん」

 ボソリと呟く雪姫に、思わず頬が緩む。どんな雪姫でも俺にとっては、愛しいんだけど、とつい思ってしまう。

「――あとはまぁ、姉ちゃんの影響でそこそこに本を読むのは好き、かな。あと最近はゲームにはまってます。はい、以上です。下河空でした!」

 お終い、終了。もう言わないよ、そう空君は言いた気で。

「ありがとね、空君。じゃあ続いて天音さんのこと教えてもらおうかな?」

 と俺は言う。天音さんが背筋をのばして、口を開こうとした瞬間だった。――うん、俺はとても今日イジワルだ。これは【クソガキ団】に、俺も入団したと言っても過言じゃない。

「じゃ、空君。続けてよろしく」

 空気が固まる。そう、擬音で表すならピシリと。まるで音をたてて亀裂が入ったかのように。

「……ふ、冬希兄ちゃん?! 俺でちょっと遊びすぎじゃない? 俺に何か恨みでもあるの?」
「空君には感謝しかないよ?」

 俺はニコニコ笑って言ってのける。ただね、天音さんは空君のことを知りたがっている。空君との距離をもっと埋めたいと思っているし。緊張もしている。知らない人だらけの中、どれだけの決意で飛び込んだのか。それは天音さんにしか分からないけれど、少なくとも一人ぼっちのまま、この時間を過ごして欲しくない。そう思う。

「でも、初めての人達の前で自己紹介するよりも。よく知っている空君に紹介してもらう方が優しいかなぁ、って」

 コラコラ。海崎も黄島さんも、そこで笑いを堪えないの。空君がイジケたら面倒でしょ。でもね、とも思う。俺もそうだったけど、意外に自分の気持ちって気付かないんだよ。

「可愛いお友達を俺達に紹介してくれない?」

 そう俺が言った瞬間だった。雪姫が俺の腕をぎゅーっと掴んでくる。

(あ、これはちょっと失敗したかも)

 調子に乗りすぎたな、って思う。雪姫が外に出て、子ども会を手伝って、こうやってピクニックに出ているけれど。でも、決して雪姫が強くなったわけじゃない。今ある許容量のなかで必死に雪姫は頑張っているだけ。

 雪姫は失うことを怖がっている。最近、それを強く感じる。

 それなのに俺が、雪姫の不安を煽るのは、絶対やっちゃダメなコトだった。
 だから雪姫を引き寄せる。俺の膝の上に乗せるように。

「どうせ私は……可愛くないもん。可愛げもないもん――」

 そんな不満そうな表情を浮かべられたら、俺が取る行動は一つしかない。包み込むように、雪姫を抱きしめた。

「ふ、冬君?」

 周囲の視線を感じるのか、顔を朱色に染める。でもそれ以上に不安を打ち消したいと言わんばかりに、雪姫は俺の体温を求めてくるのが分かった。

「あの……俺が天音さんを紹介する前に、何で突然イチャつきだしたの? あ、いや言わなくていいから。何も答えなくて良いから。聞きたくないし、むしろ絶対喋るな!」

 空君の言い方があまりに酷い、と苦笑を浮かべていると――。と天音さんが、吹き出すように笑みをこぼした。

「下河君って、苦労してるんだね」

 しみじみと天音さんは言う。いつも空君に支えてもらっていると、本当にそう思っているよ。

「俺の苦労わかってくれる? この人達、隙あればイチャつくからね。誰も入り込む隙間ないんだから、姉ちゃんはもっとドッシリ構えとけ、って思うんだけどさ――」
「でも、良いなぁって思っちゃう」
「え?」

 空君は狼狽する。俺は思わず目を細め、二人のやりとりを見守る。

「あ、あの。冬希さんとお姉さんの関係が、だよ? ああやって名前で呼び合って。そういう関係って、何だか憧れるなぁって。私にはみんな、割れ物のように丁重に扱って距離を置くから、さ。遠慮しない関係って何だか、ステキだって思っちゃう」

 天音さんから優しい視線を送られて、なんだかくすぐったい。と、空君が深呼吸するのが見えた。

「あ、あのさ!」
「え?」

 天音さんが目をパチクリさせる。それに構わず、空君は言葉を紡ぐ。

「翼――」

 小さな声だったけれど。確かに空君の声が凛と響く。

「し、下河君?」
「あ、いや、ごめん。湊や彩翔が名前呼びなら、友達なら天音さんもって思っただけなんだ。馴れ馴れしいよね? 嫌なら止める。図々しくて本当にごめ――」
「ば、バカ。い、イヤじゃないから!」

 天音さんの言葉に、空君は目を大きく見開く。思考が追いつかないそんな顔。見ているこっちが微笑ましくて、笑みがこぼれてしまう。清楚な出で立ちの彼女から、『バカ』って言葉が出るのも新鮮だ。きっと素顔の天音さんは、飾らずストレートなんだと思う。

「空君――」
「あ、うん」

 コクコク、空君が頷く。天音さんが、何か求めるように――まるで、おねだりしたそうな表情を見せていた。

「……翼」
「う、うん」
「こ、これからよろしく」
「こ、こちらこそ」

 二人はそれだけ言って俯いてしまう。
 分かるよ、と心のなかで呟く。名前を呼ぶって特別なことだから。

 無関係だった誰かから、生活のなかに結びつく特定の大切な人になる。

 俺が「下河さん」から「雪姫」に呼び方を変えたように。雪姫が「上川君」から「冬君」に変わったように。









「空っちってさ、上にゃんっぽいよね?」

 黄島さんの予想外の言葉に俺は目を丸くした。

「へ?」
「だって、こういうタイミングで躊躇しないじゃない? 普通、なかなか言えないからね。ひかちゃんは言える?」
「ムリだよ。上川のように大胆になれないから。それに下河にも言えるけどね」

 海崎はニッと笑んで俺達を見やる。俺の膝の上に乗っている雪姫を見て言っているのは分かる。俺だってそうだし、雪姫だって気恥ずかしさはある。でもそれ以上に、雪姫に不安を感じさせてしまった以上、離れるという選択肢はない。雪姫もそれは一緒らしい。

「今は冬君、私だけを見てくれないから。そういうタイミングじゃないのも分かっているし。それなら、こういうカタチでも冬君を独占したいから」
「はいはい、誰も入り込めないからね。好きなだけ、独占していいよ。ひかちゃん、私達だけで先にお弁当食べよう?」
「それ、良いね」

「あ、ずるい! 私も彩ちゃんのお弁当食べたいー!」
「はいはい、そう言ってもらえるのは嬉しいけど。そうしたいのなら、とっとと上にゃんの膝から降りてね」
「……」
「ゆっき、そこ悩むとこじゃないからね?!」

 わいわい、きゃんきゃんと、それはそれは賑やかで。

 俺は思わず、雪姫と視線が交わって――二人同時に笑顔が溢れた。こうしている瞬間が、ほんとうにかけがえがない、そう思った。
 雪姫が望んでいたものの一つ。当たり前のように、幼馴染み達と笑いあうことが、今日こうやって叶ったから。

 海崎、黄島さん。空君。天音さん。
(本当にありがとう――)
 心の底から、そう思った。






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【その頃のcafe Hasegawa】

「わ、わ、私もピクニックに行くー!」
「弥生ちゃん、落ち着いて。弥生ちゃんが行っても、正直ジャマなだけだから」
「恋バナー! 上川君から報告がないー! 担任なのにノケモノー! 最近、私の出番が少ないー! 大君が海外出張で寂しいのに、幸せなカップルは許せないー! 爆ぜろ、リア充!」
「高校教師とは思えないから。それに今ね、雪ん子ちゃんの傍に行っても、弥生ちゃんはヤキモチの対象だからね」
「へ?」
「雪ん子ちゃん、結構独占欲強いから。これから上川君とあまり近しく話さないように気をつけないと。あらぬ疑いをかけられるよ?」
「いや、私には大君という、ステキな旦那様がいるから……」
「美樹、これ地雷踏んだね」
「マコちゃん、私もそう思う。これ間違いなく2時間コースだよね」
「大君、寂しいよー!」
「ゴールデンウィークに帰ってくるんでしょ? もうちょっとだから。ほら、弥生ちゃん落ち着いて」
「昔は優等生キャラだったのにね、陽大とジレジレだったのあの頃が懐かしい……」
「マコちゃん、それは言っちゃダメなやつ――」
「大くーん!!!!!!!!!!!!」
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