君がいるから呼吸ができる

尾岡れき

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58 「だって冬君は冬君だよ」と君が言うから

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「私、冬君が寂しがり屋なの、知ってるからね」
 そう雪姫に囁かれた直後だった。

 ――カン。

 空き缶が蹴られた音がして、俺は我に返った。みんなは気付いていないけれど、あの後ろ姿がイヤでも目に焼き付く。

(大國?)

 俺は雪姫の手を思わず、ぎゅっと握る。

 多分――もう大丈夫。もう終わったことだから。今はただ目の前の、この子のことを守りたい。迷い込んでいた思考を打ち消して、深呼吸をする。

 どんな風に見られても。
 過去のフィルター越しに判断されても。

 それで良い。

 結局、俺はソコから抜け出せない。
 ただ、終わったこと。
 ただ、それだけのことでも――雪姫は、こうして笑ってくれる。それだけは確信としてあった。




■■■




「はい、では上川君への質問を受け付けたいと思います。ここからのMCエムシーはみんなの先輩、長谷川瑛真がお送りしちゃうぞ! よろしくー」

 みんなが拍手喝采をする。湿っぽい自分の感情は、一気に霧散する。恐るべしは瑛真先輩だった。
 でも、これは俺も拍手しないといけない流れ?

「ノリが悪いぞ、上川君。さぁアクセル踏み込んで、エンジン全開でお姉さんに飛び込んでおいで」
「それ飛び込んだ瞬間に避ける流れですよね?」

 瑛真先輩ならやりかねない。
 と、手の甲を雪姫にぎゅーっと抓られた。見れば、頬を膨らませて、その表情いっぱいに不満を表している。

「いや、飛び込まないよ? 飛び込まないからね」
「瑛真先輩、お願いですから。この二人に餌を餌を与えないでください! ダメ餌あげちゃ! 反対、燃料投下! あげるな危険!」

 え? 言うにことかいて、空君ひどくない?

「いやぁ雪姫がヤキモチ妬くなんてさ。【クソガキ団】の雪ん子を知る身としては、これレアでしょ。だからついついね。でも、そうだね。それじゃ、そろそろ進めていこうかな。上川君に語ってもらっても良いんだけれど、ココはみんな、聞きたいことが山ほどあると思うので、挙手制でいきたいと思います。はい、質問ある人ー?」

 と瑛真先輩が言うとみんなが手を――って、え? 雪姫も?

「じゃあ彼女特権で、雪姫からどーぞ!」
「はい、質問です!」

 ビシッと雪姫が手を挙げる。

「は、はい」
「冬君の彼女は誰ですか?」
「へ?」

 俺だけじゃなく、みんな目を点にする。

「えっと……。目の前にいる、下河雪姫さんですけど……」
「冬君の彼女は可愛いですか?」
「え……。世界一可愛いって俺は思ってるけど……って。何を言わせるの――」

 俺の言葉を聞いて、ふにゃと雪姫が笑顔を見せる。
 周囲の視線を感じながら、俺は頬が熱くなった。ナニこれ? 何の罰ゲーム?
 と見れば、空君がポカリと雪姫の頭を叩く。

イタっ。空、ヒドイ! 何するの!?」
「誰が質問した振りしながら、イチャつけって言った!」
「イチャついてないもん。私は純粋に冬君の口から聞きたかっただけだもん。羨ましいって思うのなら、翼ちゃんに聞いてみたら良いじゃない。好きな人は誰ですかって――んんっ、ん」

 慌てて、俺が雪姫の口を抑える。

「ダメだよ、雪姫」

 耳元で囁く。本人達が自覚しているのなら兎も角――特にまだ意識できていない空君に、外野が興味本位で刺激するのは絶対にダメだと思う。

 二人の気持ちは二人だけのモノだし。もし意識させるとしたら、それは天音さんがアプローチをするはずだから。

 それにね、と俺は言葉を続ける。

 雪姫も、そんな嬉しそうな顔を周りの人に見せるのはダメだ。そういう表情カオは二人だけの時にして欲しい。そう耳朶に唇が触れるか、触れないかの距離で、俺は言葉を紡いでいく。
 キャパオーバーで真っ赤になった雪姫は、俺の腕に掴まって顔を埋める。

「あのね……。聞こえてないと思ってるでしょ? 全部丸聞こえだからね、兄ちゃんも姉ちゃんも」

 空君は容赦ない。でも空君って肝心なトコは聞いてないんだよな、と思いながら。

 でも、と息をつく。
 みんながどんな表情を浮かべているのか、流石に直視する勇気はなかった。




■■■




「あー。見てるこっちが恥ずかしかった。はい、気を取り直して質問タイム再開。じゃ彩音、どうぞ」

 瑛真先輩の指名に、黄島さんが立ち上がる。

「じゃぁ質問します。上にゃん、君はCOLORSの真冬なの?」

 ゴクリと唾を飲み込む。まさかストレートに核心をつくク質問を投げ放たれるとは思っていなかったから、戸惑ってしまう。

「……そうだね」
「そうなんだね」

 黄島さんはコクンと頷く。やっぱりと思う。彼女は爺さんと婆さんが【恋する髪切屋】のくだりから気付いていたのだ。

「それじゃあ、お父さんが上川皐月、お母さんは上川小春?」

 それに対しても俺は小さく頷く。海崎も空君も天音さんも、流石にその名前は聞いたことがあるらしい。言葉にならない歓声、叫び声を上げていた。そんな彼らを見て、自然と息が漏れる。

 俺はこの瞬間が怖くてこわくてたまらなかった。両親の名前を聞いた瞬間、まるで偶像崇拝するように誰もが俺を見る。そしてその後で、特段能力のない俺を見て、みんなガッカリするのだ。

 COLORSの真冬は、お荷物と言われた初期メンバー。それが俺に対する評価だった。別に舞台に立ちたかったワケでも、スポットライトを浴びたかったワケじゃない。ただやむに止まれず、あの状況に追い込まれ――。

「上川君が一人暮らしをしている理由もソレ?」

 と瑛真先輩が聞く。

「父さんは今、ほぼ海外だし。母さんはCOLORSのみんなと拠点を東京に置いているから」
「おじいちゃん達と一緒に住まないんですか?」

 そう質問したのは、天音さん。

「残念ながら、俺が住む部屋が無いんだよ。すっかり父さんと母さんの栄光の軌跡が飾られているから、さ」

 思い出したくもなかった。考えたくもなかった。爺ちゃんも婆ちゃんも優しいし、整理して俺の部屋を作ると言ってくれた。

 でも――。爺ちゃん達がどんな想いで、父さんと母さんを応援してきたのか。それこそ無名の時代から。それを何回も聞かされてきたし、その気持ちを家族として何回も触れてきた。その都度都度、自分の居場所なんかドコにも無いと感じていて――。

「正直、私はみんなが、何を騒いでいるのか、よく分からないんだよね?」

 そう言ったのは雪姫だった。俺は目をパチクリさせる。

「へ? 何言ってるの、世界的ヘアスタイリストの上川皐月と、COLORSの総合プロデューサーの上川小春だよ?」

 珍しく興奮している海崎に、空君も天音さんもウンウン頷いている。そんなみんなを寂しそうな目で弥生先生は見ていた。

 できれば――と思ってしまう。先生はいつものように、バカやって笑わせて欲しい。そんな寂しそうな目を俺に向けないで欲しい。まるで俺を見透かすような、そんな視線を向けられたら――耐えられなくなりそうで。
 そんななか、雪姫はまるで意味が分からないと言いたそうに、首を傾げた。

「だって、冬君は冬君だよ」
「え……」

 言葉を失う。最初に俺のプライベートを告白した時も淡白な反応だった。雪姫は『私、こういう芸能関係に疎いから』と片付けられてしまったけれど。

「すごいな、って思うよ。冬君のお父さんもお母さんも。昔の冬君も。でも、それだけかな」
「それだけって……」

 弟は姉の思考が理解できず、唖然としていた。いや、一番言葉を失っていたのはむしろ俺で――。

「だって、私は今の上川冬希君から、たくさん幸せにしてもらっているから。過去の冬君でもご両親でもないし。COLORSの真冬からでもないから。あ、もちろんちゃんと冬君のお父さんとお母さんにはご挨拶したいと思ってるし、呆れられないように、頑張りたいって思ってるよ? でも――」

 すっーと雪姫は深呼吸をする。

「私には、今の冬君が全てだから」

 にっこりと彼女はそう言って微笑む。俺は何回も、何回も目を瞬きした。その都度、視界が滲んでいく。

 まただ。
 ずっと考えないようにしていたんだ。

 俺には何もない。だから、両親の名札ネームバリューを手離せば、コミュニティーに入り込むことすらできない。それは、イヤというほどこの一年、実感した。

 でも相棒ルルがいる。
 俺はそれで満足していたはずなのに。

「そうは言っても、冬君の昔に興味がないわけじゃないから、調べてもみたよ。COLORSって、彩ちゃんが好きなグループだったし。COLORSの真冬にも、色々なコメントがあったけど――」

 ビクンと俺は体を震わせていた。流れてるネット上のコメントはだいたい、否定的なものばかり。それを雪姫に見られていたという事実、それが怖いし、俺は怯えている。

「バカな人達だなって思うよ」
「へ?」

「冬君の優しさも格好良い所も何も知らないで。言いたいこと言ってれば良いと思うの。だって、冬君は私が独占するから」
「ゆ、雪姫?」

 あぁ、どうしよう。どうしよう。感情に蓋をしたはずなのに。もう終わったことだと割り切ったはずなのに。それなのに、それなのに――。

「お、俺には……な、何もないから……。ただ親がそうってだけで。過去に在籍していただけで。本当に俺には何も、何もないから――」

 口をパクパクさせる。俺は何を? 何を言っているんだろう?

「何もない人が、私をこんなに満たしてくれるわけないよ? 私は今、こんなに冬君で満たされているから、ね。今更、誰が何て言ってきても冬君は渡さない。私だけの冬君だもん」

 目を何度も瞬く。
 視界が滲む。
 情けない。本当に情けない。こんな感情を晒すつもりはなかった。

「あのさ」

 と言ったのは、海崎だった。

「僕もCOLORSの真冬は知っているけど。格好良いって思ってたけど。親友の上川冬希が一番格好良いって思ってるよ? 僕が何をやってもダメだった幼馴染みを、こうやって笑わせてくれたのは、君だからだよ」

 トンと、俺の胸に拳を当てる。

「感謝してるんだよ、親友?」

 にっこり海崎は微笑む。

「ま、そうだよね。情報量多すぎてよく分かんないってのが、本音だけどさ。君は私の後輩で、【cafe Hasegawa】の有能なスタッフ、上川君で。文芸部の新入部員で。それ以上もそれ以下もないね」

 そう言ったのは瑛真先輩で。

「冬希兄ちゃんは、冬希兄ちゃんでしょ。姉ちゃんをダダ甘にさせる唯一の人だし。ちょっと加減して欲しいけどね」
「お姉さんを第一に考えているお兄さんは、本当に素敵だって思ってます。私もそれだけかな。私にとって、憧れのお二人だから」

 空君に続いて、天音さんまでそんなことを言う。チラッと彼女が空君に視線を送るのが見えて、つい微笑が溢れてしまう。

「あのね、上にゃん! 勘違いしないで!」

 と振り絞るように、黄島さんが声をあげる。

「へ?」
「私がCOLORSで好きだったのは、真冬だから。君のコーラスとか。ダンスとか。書いた詩も。曲のアレンジも。本当に大好きだから! 今でもそうだから!」

 黄島さんが真っ直ぐに叫ぶ。どうしたら良いんだろう。この感情をなんて喩えればいいんだろう。視界が滲む。みんなの顔が良く見えない。

「冬君」

 雪姫が耳元で囁く。俺の腕から、一瞬離れて。
 不安で体が震える。離れてほしくない、とそう思った。情けないと思いながら。格好悪いとそう思いながら――。

 刹那。ふわりと雪姫が包み込むように俺を抱きしめて、何が起きたのか理解ができなかった。

「何もないなんて。そんなこと無いからね。私はあなたがいないと呼吸ができないから。冬君じゃないとダメなんだからね。彩ちゃん達なら我慢するけど、でもそれ以上はダメ」

「雪姫?」

「だって、私だけの冬君だもん。誰にも渡してあげないし。冬君の素顔を見せてあげない。何度でも言うよ? 私だけの冬君だからね。――大好きだよ、冬君」

 暖かい温度に包み込まれて。
 滲んだ視野は、光が乱反射して。

 恥も外聞も、羞恥心も全部さらわれた。まるで子どもみたいだって、そう思うけれど。


 込み上げてきた感情は、もう止まらなかった――。
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