35 / 40
第4章 人の願い
第35話 私の願い
しおりを挟む「魔法は、人の願いが生み出した奇跡……」
ポツリ、アイセルがこぼした。
それは、旅の途中でダリルが教えてくれたことだ。
かつて人は、願いを叶えるための方法として魔法を生み出した。
だから生贄日記に載っている『毛布をふかふかにする魔法』のような、ささやかな願いを叶える魔法が、本来の魔法の形に近いのだ、と。
「この日記に綴られている魔法も、人の幸せを願って生み出されたものでしょう?」
『欲』と言えばその通りなのだろう。
だが彼女の言う通り、それは言い換えれば人の『願い』だ。
「神を地上に縛り付けるなんて、方法は間違っていたのかもしれないけれど。
それでもこの魔法は、たくさんの人を幸せにした。
生贄という犠牲があったにしろ、それが事実だわ」
次いで、アイセルは生贄日記を取り出した。
その日記には、たくさんの生贄たちの願いの魔法が詰まっている。
「生贄日記の魔法も、ルベリカ様の実家で受け継がれてきた魔法書も、人の願いの結晶だわ」
アイセルがふうと息を吐き、トントンと自分の胸を叩いた。
自分を落ち着かせるように、あふれてしまいそうになる気持ちをおさえるように。
そして、アイセルはほほ笑んだ。
「だから私も恐れずに言うわ。
私の願いを」
いつものように、気高く、優雅に。
「神を解放し、結界を破棄しましょう」
* * *
それからは、目まぐるしく時間が過ぎ去った。
アイセルは神官の日記を隅から隅まで解読し、王子とダリルは自由民たちと協力して諸外国との交渉に奔走した。
エラルドには、そんな彼らを見守ることしかできなかった。
もどかしい気持ちを抱えたまま日々は過ぎ。
そしてとうとう、明日は儀式の日だ。
「エラルド」
アイセルは明日に備えて早めに眠ろうと言って、早々に入浴を済ませて寝室に入った。
彼女が寝台に入って寝息を立て始めるまで、前室で耳を澄まして彼女を見守る。それがエラルドの毎日の仕事だ。
今夜もそのつもりで前室に下がったのだが、アイセルが呼ぶので慌てて寝室に戻って寝台に駆け寄った。
「はい。どうかされましたか?」
アイセルは寝台にちょこんと腰かけたまま、エラルドが来るのを待っていた。
「ここに座って」
アイセルがポンポンと自分の隣を叩くので、
「……できません」
エラルドは思わず眉をひそめてしまった。
夜の寝台に二人で並んで座るなど。
令嬢と騎士としてあるまじき距離感だ。
「今さらでしょう? あなたは何度も私を抱きしめているし、一緒に眠ったこともあるじゃない」
「全て非常事態での出来事です。今は、できません」
はっきりと答えたエラルドに、アイセルが唇を尖らせた。
「今は?」
「はい」
エラルドが頑として動かないのを見てとって、アイセルはボフンと音を立ててベッドの上に倒れ込んだ。
「そっか。今はダメかぁ」
意味深に言ってから、アイセルはベッドの上で丸くなり、今度はくつくつと肩を揺らして笑い出した。
「うん。そっか、そうよね」
解読のために疲れすぎておかしくなってしまったのだろうか。
エラルドは心配になって、慌てて寝台の側に寄って彼女の顔を覗き込んだ。
そんな彼に向かって、アイセルが微笑みかける。
頬をわずかに染め、笑い過ぎて目尻に涙まで浮かべて。
嬉しそうにうっとりと微笑む彼女に、ドキッと胸が高鳴る。
「明日、結界が消えたら、あなたは解任よね?」
これにも、ドキッと胸が鳴った。
彼女の言う通り。
結界が消えれば、彼女は生贄ではなくなる。エラルドの任務は生贄の護衛なので、そうなれば解任という形になるのは当然のことだ。
「そう、ですね」
もしも彼女が国境を越えて逃げるなら、どこまで着いていって生涯をかけて彼女を守り抜く。
そう決意していたが、結界が消えるなら話は別だ。
その事実に、少しばかりの寂しさが胸を過った。
「私はどうなるのかしらね」
「どう、とは」
「お父様は罪人として王領で蟄居しているし、生贄として死ぬ予定だったから婚約者もいない。明日から、どうやって生きていけばいいのかしら」
確かに。
明日からの彼女の人生はどうなるのか。
「あなたが望むなら、王子殿下が嫁ぎ先を探してくださるのでは?」
「そうね。頼んだら、きっとそうしてくれるわね」
また、アイセルが唇を尖らせた。
今夜の彼女は何を考えているのか、何を言いたいのか、よく分からない。
「働いて暮らすのもいいわね」
「アイセル様が、ですか?」
「そうよ。セリアンの街で刺繍工房の職人として生きていくのも、悪くないと思わない?」
その姿を想像して、エラルドは頷いた。
確かに、それも悪くない選択肢の一つだ。
「オアシリカに行って、お茶摘みもしてみたいわ。西の砂漠に行って、ラクダにも乗ってみたい。北の雪原で、オーロラというものも見てみたい」
アイセルは、一つずつ指を折りながら夢を語った。
そうか、と。
エラルドはハッとした。
明日、彼女は自由になるのだ。
いつか話したように、彼女はあの海の向こうに行くことができる。
今度は誰にも遠慮する必要はない。
後ろめたい気持ちになる必要もない。
堂々と、自由に、どこへでも行くことができるのだ。
「あなたは?」
「私、ですか?」
「そう。私の護衛を解任されたら、どうしたい?」
考えたこともなかった。
アイセルの騎士になりたいと願い出た夜から、彼女を守ることが彼にとっての生涯の仕事になるはずだったから。
まさかここへきて、生き方を考えなければならない時が来るとは思っていなかったのだ。
眉を寄せて考え込んだエラルドに、アイセルがまた笑い声をあげる。
「ふふふ。考えたことなかったのね?」
アイセルはゴロリと寝台の上を転がって、再びベッドの縁に腰かけた。
二人の距離が近くなって、まっすぐに目が合う。
「ねえ、明日、ぜんぶ終わったら……。
あなたに話したいことがあるの」
また、だ。
彼女の黄金の瞳に見つめられて、ドキドキと心臓が脈打つ。尋常ではないほどの速さで心臓が動いて、つられて叫び出しそうな気持ちになる。
思わず彼女から目を逸らしてしまう。
顔も耳も熱くて、とても彼女の顔を直視していられないのだ。
「ふふふ」
そんな彼の様子を見て、またアイセルが楽しそうに笑っている。
それが何だか妙に悔しくて。
エラルドはぎゅうっと唇を引き結んだ。
だが、彼女の頼みに応えたくないわけではない。
「その話というのは、今ではだめなのですか?」
「ええ。明日、聞いてほしいの」
「承知しました」
敢えて硬い声で返事をしてから、エラルドはアイセルに礼をとって踵を返した。
明日からどう生きるのか。
それは明日、考えるべきことだ。
今はとにかく、無事に明日の務めを果たすことだけを考えなければ。
エラルドは気を引き締めて、前室に戻っていった。
「おやすみ、エラルド」
「おやすみなさい、アイセル様」
アイセルが眠った後も、エラルドはしばらく彼女の寝息に耳を傾け続けた。
いつもなら、しばらく見守った後は別の騎士と交代して仮眠をとるのだが。
今夜は、彼女の側を離れがたかった。
(これが、最後の夜か)
例え扉一枚はさんだ距離でも。この半年間、互いの呼吸音が聞こえる距離で、二人は共に夜を過ごしてきたのだ。
だがそれも、今夜で終わりだ。
それが、無性に寂しくて。
エラルドは結局夜が明けるまで、彼女の側を離れることができなかったのだった。
43
あなたにおすすめの小説
【完結】悪気がないかどうか、それを決めるのは私です
楽歩
恋愛
人見知りで目立つのが苦手なフローリアは、独学で宮廷薬師となり、同期のソフィアとウィリアムと共に働いていた。
華やかで人望の厚いソフィアは、王妃からも称賛を受ける存在。一方フローリアは、表に出ることなく、実験や薬草採取といった地道な仕事を黙々と引き受けていた。
「協力」の名のもとで負担は偏り、成果は記録に残らないまま、それでも彼女は薬師としての仕事をこなしてきた。
だが美容部門設立をきっかけに、人員整理の対象として選ばれたのはフローリアだった。
一生懸命働いてきたはずなのに、評価されず、居場所を失う。その現実を前に、彼女は初めて、自分が何を奪われてきたのかを思い知る。
【完結】あなたは、知らなくていいのです
楽歩
恋愛
無知は不幸なのか、全てを知っていたら幸せなのか
セレナ・ホフマン伯爵令嬢は3人いた王太子の婚約者候補の一人だった。しかし王太子が選んだのは、ミレーナ・アヴリル伯爵令嬢。婚約者候補ではなくなったセレナは、王太子の従弟である公爵令息の婚約者になる。誰にも関心を持たないこの令息はある日階段から落ち…
え?転生者?私を非難している者たちに『ざまぁ』をする?この目がキラキラの人はいったい…
でも、婚約者様。ふふ、少し『ざまぁ』とやらが、甘いのではなくて?きっと私の方が上手ですわ。
知らないからー幸せか、不幸かーそれは、セレナ・ホフマン伯爵令嬢のみぞ知る
※誤字脱字、勉強不足、名前間違いなどなど、どうか温かい目でm(_ _"m)
【完結】記憶にありませんが、責任は取りましょう
楽歩
恋愛
階段から落ちて三日後、アイラは目を覚ました。そして、自分の人生から十年分の記憶が消えていることを知らされる。
目の前で知らない男が号泣し、知らない子どもが「お母様!」としがみついてくる。
「状況を確認いたします。あなたは伯爵、こちらは私たちの息子。なお、私たちはまだ正式な夫婦ではない、という理解でよろしいですね?」
さらに残されていたのは鍵付き箱いっぱいの十年分の日記帳。中身は、乙女ゲームに転生したと信じ、攻略対象を順位付けして暴走していた“過去のアイラ”の黒歴史だった。
アイラは一冊の日記を最後の一行まで読み終えると、無言で日記を暖炉へ投げ入れる。
「これは、焼却処分が妥当ですわね」
だいぶ騒がしい人生の再スタートが今、始まる。
【完結】見えてますよ!
ユユ
恋愛
“何故”
私の婚約者が彼だと分かると、第一声はソレだった。
美少女でもなければ醜くもなく。
優秀でもなければ出来損ないでもなく。
高貴でも無ければ下位貴族でもない。
富豪でなければ貧乏でもない。
中の中。
自己主張も存在感もない私は貴族達の中では透明人間のようだった。
唯一認識されるのは婚約者と社交に出る時。
そしてあの言葉が聞こえてくる。
見目麗しく優秀な彼の横に並ぶ私を蔑む令嬢達。
私はずっと願っていた。彼に婚約を解消して欲しいと。
ある日いき過ぎた嫌がらせがきっかけで、見えるようになる。
★注意★
・閑話にはR18要素を含みます。
読まなくても大丈夫です。
・作り話です。
・合わない方はご退出願います。
・完結しています。
いつも隣にいる
はなおくら
恋愛
心の感情を出すのが苦手なリチアには、婚約者がいた。婚約者には幼馴染がおり常にリチアの婚約者の後を追う幼馴染の姿を見ても羨ましいとは思えなかった。しかし次第に婚約者の気持ちを聞くうちに変わる自分がいたのだった。
【完結】ジュリアはバツイチ人生を謳歌する
ariya
恋愛
エレン王国の名門貴族・アグリア伯爵家に嫁いだジュリア・アグリア(旧姓ベルティー)。
夫のアベル・アグリア伯爵は、騎士として王妃の護衛任務に没頭し、結婚翌日からほぼ別居状態。
社交界のパーティーでは妻のエスコートを代理人に任せ、父の葬儀にも顔を出さず、事務的な会話と手紙のやり取りだけの日々が続く。
ジュリアは8年間の冷遇に耐え抜いたが、ある朝の食事中、静かに切り出す。
「私たち、離婚しましょう」
アベルは絶句するが、ジュリアは淡々と不満を告げる。
どれも自分のしでかしたことにアベルは頭を抱える。
彼女はすでに離婚届と慰謝料の用意を済ませ、夫の仕事に理解を示さなかった「有責妻」として後腐れなく別れるつもりだった。
アベルは内心で反発しつつも、ジュリアの決意の固さに渋々サイン。
こうしてジュリア・アグリアは、伯爵夫人としての全てを置き去りにし、バツイチ人生を開始する。
【完】瓶底メガネの聖女様
らんか
恋愛
伯爵家の娘なのに、実母亡き後、後妻とその娘がやってきてから虐げられて育ったオリビア。
傷つけられ、生死の淵に立ったその時に、前世の記憶が蘇り、それと同時に魔力が発現した。
実家から事実上追い出された形で、家を出たオリビアは、偶然出会った人達の助けを借りて、今まで奪われ続けた、自分の大切なもの取り戻そうと奮闘する。
そんな自分にいつも寄り添ってくれるのは……。
【完結】見返りは、当然求めますわ
楽歩
恋愛
王太子クリストファーが突然告げた言葉に、緊張が走る王太子の私室。
この国では、王太子が10歳の時に婚約者が二人選ばれ、そのうちの一人が正妃に、もう一人が側妃に決められるという時代錯誤の古いしきたりがある。その伝統に従い、10歳の頃から正妃候補として選ばれたエルミーヌとシャルロットは、互いに成長を支え合いながらも、その座を争ってきた。しかしーー
「私の正妃は、アンナに決めたんだ。だから、これからは君たちに側妃の座を争ってほしい」
微笑ながら見つめ合う王太子と子爵令嬢。
正妃が正式に決定される半年を前に、二人の努力が無視されるかのようなその言葉に、驚きと戸惑いが広がる。
※誤字脱字、勉強不足、名前間違い、ご都合主義などなど、どうか温かい目で(o_ _)o))
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる