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第1部 勤労令嬢、愛を知る - 第1章 勤労令嬢と侯爵様
第3話 金貨と涙
しおりを挟む「あの、その娘をお返しいただけませんかな? これではお茶もお出しできませんので」
男爵が手を揉みながら言うと、侯爵が再び男爵を睨みつけた。
「けっこう。すぐに帰る」
「しかし」
「用件はすぐ済む」
「さようですか。いや、しかし……」
「座ったらどうだ?」
言葉を遮られた男爵は、ビクビクしながら侯爵の向かいに腰掛けた。
「用件は二つだ」
侯爵が淡々と話し始めた。
「一つ目は、隣の領地を私が治めることになった。そのあいさつ」
「亡きハックマン伯爵の領地ですかな?」
「そうだ」
「これはめでたい!」
男爵が芝居がかった様子で手を叩いた。
「ハックマン伯爵家が途絶えた後、どうなることかと気を揉んでおりましたが。これで一安心ですな!」
オニール男爵領の西隣に位置する、旧ハックマン伯爵領。東の穀倉地帯であるサザラント平原を含む土地で、男爵領とは比べものにならないほどに広大で価値のある領地だ。領主であるハックマン伯爵が戦争で亡くなり後継もいなかったため、しばらく領主が不在だった。
新しい領主を迎えることになったらしいとジリアンも聞いてはいた。その新しい領主が、このマクリーン侯爵ということだ。
「気を揉んでいた、ねえ」
──ふんっ。
(鼻で、笑った?)
ジリアンには、確かに侯爵が鼻で笑ったように見えた。男爵を馬鹿にするように。
「……ええ、もちろん。心配しておりましたとも」
笑われたことが分かったのだろう。男爵の眉がピクリと動いたが、言い返すことはなかった。
「まあいい。……二つ目の用件だ」
隣に控えていたロイド氏が、懐から折りたたんだ書類を取り出した。それを男爵の前に広げる。
「ジリアン嬢の親権放棄の書類だ。サインを」
「……はい?」
男爵が返事をするまでに、数秒の間があった。
それも仕方がないことだとジリアンは思った。ジリアンも驚いているからだ。
「どういうことですかな?」
「ジリアン嬢の親権を放棄しろと言っている」
「ですから、それは、なぜ……」
「説明が必要か?」
侯爵が男爵を睨みつけると、男爵の肩が大きく揺れた。
「まさか、魔法使用者登記法を知らないわけでもあるまい」
(魔法使用者登記法?)
ジリアンは首を傾げた。
すると、侯爵がジリアンの顔を覗き込んだ。
「知らないのか?」
「……はい」
ジリアンがおずおずと答えると、侯爵の眉間に皺が寄った。
「必要な教育すら怠っていたらしいな」
その言葉には、ジリアンの肩も縮こまった。学がないことを咎められたと思ったのだ。
「申し訳ありません」
ジリアンが謝ると、侯爵の眉間にはさらに深い皺が刻まれた。
つられてジリアンの肩が縮こまる。
「ゴホン」
咳払いしたのはロイド氏だ。侯爵は小さくため息を吐いてから、口を開いた。
「……魔法を使う者は、国の帳簿への登記が義務付けられている」
侯爵がジリアンに説明する声は、思いのほか優しかった。
「どうしてですか?」
ジリアンは、思わず質問してしまった。
「……」
まさか質問されるとは思っていなかったのだろう。侯爵が黙ったままジリアンを見るので、ジリアンは再び顔を伏せた。
(怒ったかしら?)
余計なことを聞いてしまったから。
ジリアンは数秒の沈黙に耐えられずに、そろりと侯爵の顔を見上げた。
果たして、侯爵は怒っていなかった。むしろ、その表情は若干だが和らいでいるように見えた。
「魔法を使える者は貴重な戦力だからだ。その帳簿を元に徴兵が行われていた」
「徴兵?」
「兵士として戦場で戦う者を、国が選ぶことだ」
「……私も戦争に行くのですか?」
「いいや。戦争は終わった」
「では、どうして登記するんですか?」
「魔法使いは戦力であると同時に、国にとっては危険な存在だ。登記して国が管理しなければならない」
ジリアンには難しかったが、なんとか理解できた。
「私は登記されていないのですか?」
「そうだ」
ジリアンは魔法を使える。5歳の頃から魔法を使って家の仕事をしているのだ。登記すべきだと男爵は知っていたはず。
(どうして?)
法律ならば、国民の義務だ。なぜ、それをしなかったのだろうか。
「それは妾に産ませた子です」
「関係ない。貴族の血を継いでいれば魔法を使える可能性はあるし、実際にこの子は魔法を使うことができる」
「しかし……」
「登記は嫡子だろうが庶出だろうが、義務付けられている」
「それは、そうですが……」
「娘かわいさに、ということでもなさそうだが」
「……」
男爵が青い顔をして押し黙る。
「使用人を雇う金を惜しんだのか。……それとも、国家反逆を目論んだのか」
「まさか!」
男爵がガタリと音を立てて立ち上がった。
「そんな、国家反逆などと……」
「そうではないと、どうやって証明する?」
「それは……」
「まあいい。告発には手間がかかる。私はそれほど暇ではない」
侯爵がロイド氏を見ると、ロイド氏が再び懐に手をやった。取り出したのは、小さな袋だ。それを男爵の前に置くと、チャリンと音が鳴った。
促されて男爵が袋の中身を取り出すと、それは金色に輝く貨幣……金貨だった。
「金貨10枚だ」
今度も、ジリアンと男爵だけが目を見開いた。
(金貨10枚!? 金貨1枚もあれば、私たち4人が1ヶ月は暮らせるわ!)
そもそも、ジリアンは金貨など目にしたことがなかった。銀貨や銅貨しか使ったことがない。
「足りないか?」
その言葉に、ロイド氏がさらに袋を取り出す。男爵の前に置かれた袋が、二つ三つと増えていく。
「50枚。……まだ足りないのか?」
袋が5つになったところで、再び侯爵が問いかける。
「……はあ」
男爵の目は、すでに金貨に釘付けだった。曖昧に答えて、ぬめりとしたいやらしい目で侯爵を見上げる。
(……ああ、私はお金で売られるんだわ)
ジリアンには分かった。
男爵は『できるだけ高く売ろう』と。それだけを考えている、と。
──役に立てていると思っていたのに。そのために家のことも頑張ってきた。
(こんなに簡単に、捨てられちゃうんだ)
「閣下」
ロイド氏が声をかけると、侯爵がハッとしてジリアンの顔を見た。
「……」
侯爵は何も言わず、ジリアンの頬に触れる。そして頬から目尻までを、その親指でそっと優しく撫でていく。
「申し訳ありません」
手袋が、涙で濡れてしまった。
侯爵はジリアンの謝罪には応えず、代わりに小さな身体をぎゅっと抱きしめた。その胸元が、ジリアンの涙で濡れていくのにも構わずに。
「謝るな」
その声が優しくて。
ジリアンは思わず侯爵に縋りついた。その胸に思いっきり顔を埋めて、声が漏れてしまわないように唇を噛む。
「話は終わりだ。サインを」
「は、しかし……」
「まだ足りないのか?」
「それを手放すとなると、新しく使用人を雇わねばなりませんので……」
「金貨1枚もあれば、ひと月に10人でも20人でも雇えるだろうが」
「そうですがねぇ」
二人の会話は、だんだん聞こえなくなっていった。
侯爵が逞しい両腕でジリアンを抱え込んで、耳を塞いでくれたから。
(……あったかい)
いつの間にか、ジリアンは眠っていた。
大人の腕に抱かれて眠るのは、5年前に母親が死んで以来のことだった──。
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