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第1部 勤労令嬢、愛を知る - 第1章 勤労令嬢と侯爵様
第4話 夢の続き
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ジリアンは、これは夢だと思った。
何故なら、彼女の寝室である屋根裏部屋のベッドは硬いから。シーツもバリバリに毛羽立った、モニカ嬢のお下がりだ。
今ジリアンが寝かされているベッドはふかふかだし、シーツの肌触りはすべすべしている。
(これは、夢ね)
ジリアンは、あの出来事も夢だと思った。
父親である男爵よりも偉くて立派な紳士が、ジリアンを抱きしめてくれたこと。慈しむように背を撫でてくれたこと。
(いい夢だったわ)
もう少し、眠っていたいと思うほどに──。
「お目覚めですか、お嬢様」
ジリアンの目の前に、優しく微笑む女性がいた。男爵夫人よりも若い女性だ。
「……」
応えられずにいるジリアンに、女性はさらに笑みを深くした。
「よく眠っていらっしゃいましたね」
言いながら、女性がジリアンの背に手を当てて起きるのを手伝ってくれる。
ゆっくり起き上がると、ジリアンが寝かされていたのが天蓋付きの立派なベッドであることがわかった。
右手には燦々と陽の光が降り注ぐ大きなガラス窓。左手には、メイドが何人もいる。そのうちの一人が、ゆったりとした優雅な手つきで紅茶を淹れ始めた。
「ここは?」
「マクリーン侯爵閣下のお屋敷ですよ」
「私は、どうしてここにいるんでしょうか?」
「今日から、こちらでお住まいになられるからです」
「……どうしてですか?」
「それは、旦那様にお聞きになった方がよろしいでしょうね」
この質問には、これ以上答えてくれないらしい。
そうこうしている内に、メイドの一人がベッド脇にワゴンを運んできた。紅茶の香りに、ほっと息が漏れる。
「さあ、どうぞ」
女性に促されて、ジリアンは紅茶に口をつけた。喉が渇いていたのだ。薄めに入れられた紅茶は程よい温度で。ジリアンの喉を、じんわりと温めてくれた。
「……あなたは?」
問いかけると、やはり女性はにこりと笑った。
「私はオリヴィアと申します。お嬢様の侍女を務めます」
「侍女?」
「お嬢様の身の回りのお世話は、私が主にさせていただきます」
「でも、どうしてですか?」
「どうして、とは?」
「……私なんかのために」
こんなに大勢のメイドがいる。しかも侍女という人までついてくれるということに、ジリアンは戸惑いを隠せない。
「私なんか、ではありませんよ」
「でも」
「旦那様から、お嬢様に誠心誠意お仕えするようにと命じられております」
「そう、なんですね」
命令ならば仕方がないのだろう、とジリアンはとりあえず納得することにした。納得はしたが、やはり頭から疑問符は抜けない。
「とりあえず、お支度をしましょう」
「支度?」
「旦那様が、アフタヌーン・ティーをご一緒されます」
「アフタヌーン・ティー……?」
「はい。そろそろお支度を始めませんと、遅れてしまいますわ」
この時になって、ようやくジリアンは気づいた。時間はすでに午後に差し掛かっているということに。
「申し訳ありません!」
ジリアンは、慌ててベッドから飛び降りた。
「お嬢様!?」
床に頭をつける勢いで謝罪するジリアンに、メイドたちが驚いている。
「寝坊してしまいました」
(しかられるわ……)
ジリアンは頭を下げたまま、叱責の言葉を待った。
「……旦那様が、起こさないようにおっしゃったのですよ」
「でも」
「お嬢様」
呼ばれて、おずおずとオリヴィアの顔を見上げるジリアン。
怒っているだろうと思った。
しかし、オリヴィアは怒ってなどいなかった。相変わらず、優しく微笑んでいる。
「ここには、お嬢様を叱る者などいませんよ」
オリヴィアが、ジリアンの背を優しく撫でる。
(どうして、こんなに優しくしてもらえるの?)
浴室に案内されて全身を洗われる間も、ジリアンは不思議で仕方がなかった。
何人ものメイドが代わる代わるバケツいっぱいの湯を運んできては、浴槽に足していく。ジリアンの身体は垢だらけだったので、浴槽の湯は2度も入れ替える必要があった。
それにもかかわらず、メイドたちは嫌な顔一つせずに働いていた。
「申し訳ありません」
謝るジリアンに、悲しそうな顔をするだけで。
「大丈夫ですよ」
「お湯はたっぷりありますから」
「石鹸は刺激が強いですから、使わない方がいいですね」
「ローズマリー水をたっぷり用意してありますから、ゆっくり洗い流しましょうね」
入浴の後は、着替え。清潔な綿のシュミーズと軽やかなチュールのペチコートの上に、爽やかなブルーのワンピースを着せてもらった。靴は軽い素材の室内履き。
「急いで仕立てたので大したものではありませんが、今日はこちらで我慢していただけますか?」
(大したものではない!?)
ジリアンは目を見開いた。下着もワンピースも、ジリアンの目には高級品に見える。
「明日には仕立て屋がきますから」
「は、はいぃ」
ジリアンは蚊の鳴くような声で返事をすることしかできなかった。
(汚したらしかられちゃう)
オリヴィアは誰も叱らないとは言ってくれたが、そんなはずはないのだ。
──役立たずは、ただの穀潰し。
──働かなければ、生きている価値がない。
──失敗したら、叩かれる。
それがジリアンにとっての、世界のルールなのだから。
「座れ」
広い広い屋敷の中を案内されて、たどり着いたのは温室だった。
そこに、あの人が優雅に座っていた。
クリフォード・マクリーン侯爵だ。
ルズベリー王国最強の魔法騎士であり、最強の魔法騎士団を率いる英雄。戦争中は、新聞でその名を見ない日はなかった程の人だ。
「あの、私は……」
こんな場所で、こんな立派な人と向かい合ってお茶を飲むような身分の者ではない。田舎の貧乏男爵の妾の子。取り柄は、少しばかり家の仕事ができるくらい。綺麗な服を着せてもらっても隠しようがないほど、手も足も顔も髪も薄汚れている。
どこからどう見ても、ただの使用人だ。
「ふぅ」
侯爵が息を吐いた。
(しかられる!)
そう思ったが、叱られることはなかった。
──ふわり。
侯爵が黙ったままジリアンを抱き上げたのだ。そして彼の向かいの席にジリアンを座らせると、そのまま元の席に戻っていった。
侯爵と向かい合ったジリアンは、ただ肩を縮こまらせて顔を俯けることしかできなかった。
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