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第1部 - 第2章 勤労令嬢と魔法学院
第23話 黒い陰
ある夜。
今日の説教──相変わらずジリアンには心あたりがないし、なにが悪いのかもよく分かっていない──が終わった頃を見計らって、執事のトレヴァーが居間にやってきた。その手には束ねた書類と厚手のカシミヤ・ショール。
「夜は冷えます。どうぞ」
「ありがとう」
膝の上にかけると身体が冷えていたのか、少しほっとした。徐々に秋が深まってきているのだ。
さて。
こうしてジリアンと侯爵が二人で過ごしている時間に来たということは、仕事の話ではない。ジリアンにも関係のある話だ。
「モニカ・オニール嬢の調査報告がまとまりました」
あの魔法戦術実習の授業後、ジリアンが頼んでいた調査だ。何かがあるような気がしてならなかったのだ。
「非常に、臭います」
トレヴァーの表情が険しい。
「臭い?」
「順を追って報告させていただきます」
「お願いね」
(あの黒い陰……)
男爵への恐怖心が見せた幻か、とも思ったが。
(それでは説明できない、違和感があったのよね)
それを伝えたところ、侯爵がトレヴァーに調査を命じてくれたのだ。
「まず、ジリアンお嬢様が男爵家を出た後の、彼らの動向です」
「確か、あのお金を使って首都に家を買ったのよね?」
「その通りです」
「思い切った選択だが、悪くはないな。あの男爵、かなりずる賢いようだ」
侯爵がニヤリと笑った。決して褒めているわけではない。
「分かっていたら、いっそ消しておいたのにな」
常にこういうことを考えているのだ。恐ろしい。
「やめてくださいね」
「どうしてだ? 消してしまえば、全て解決だ」
「マクリーン侯爵が殺人罪で捕まるのは困ります。方々にご迷惑がかかりますから。戦時中ではないので、暗殺だって簡単には黙認されませんよ」
「ふむ」
とりあえず納得してくれたようだが、頭の中では暗殺計画を練っているだろうことをジリアンは知っている。が、ここはあえて無視するしかない。
「続けてちょうだい」
「はい。侯爵閣下のおっしゃるとおり、あのタイミングで首都に移ったことは大正解でした。戦後の混乱にまぎれて、うまく社交界に食い込むことができたようです。結果、彼は一つの事業を成功させています」
「事業?」
「魔大陸との貿易業です」
魔大陸とは、講和条約を結んだことでさかんな交易が行われるようになった。そこへ、社交界の伝手を使って参入したらしい。
「何を取引しているの?」
「紅茶です。ルズベリーの紅茶は、あちらでも人気が高いようですね」
「なるほど」
「逆に、魔大陸からは果物を仕入れているようです」
「果物?」
「はい」
「あんなに遠くから仕入れて、こっちで流通させられるの?」
「乾燥させた状態で輸入しているようです」
「ああ、なるほど」
「首都で乾燥果物を紅茶に入れる飲み方を流行させたのは、どうやらオニール男爵のようですね」
「なかなかのやり手だな」
これには、侯爵も唸っている。オニール男爵には商売の才能があったらしい。
「やり手でもありますが、かなり派手なことでも有名なようです」
「派手?」
「ええ。社交期には、茶会に夜会に舞踏会。主催行事もかなり多いようですね」
「すごいのね。モニカ嬢も? あ、彼女はデビュー前ね」
「いえ。デビュー前ではありますが、男爵家が主催する茶会にはよく参加しているようです。あえてデビュー前の子女を招待して、催事を開くこともあるようですね」
「ほんとに、やり手なのね」
「ええ」
ここまで聞いて、ジリアンは首を傾げた。
「どうした、ジリアン」
「オニール男爵が、こんなに有能だなんて思いませんでした」
「根拠は?」
「家の仕事は私に任せてばかりで何もしていませんでした。家計の細かい計算も私がしていたくらいです。それに、領地にいる頃は常に貧乏でしたから。正直、驚いています」
「変わりすぎだと?」
「はい。首都に出たからといって、どうしてこんなに成功できたのか……」
その疑問には、トレヴァーが一枚の書類を指差した。
「お嬢様のおっしゃるとおり、この成功には裏がありそうです」
「これは?」
「男爵の晩餐会の参加者リストです」
侯爵が、その顔ぶれをざっと見てから顔をしかめた。
「これはこれは、貴族派の面々が勢揃いだな」
「貴族派?」
「貴族の中でも王室に敵対する派閥のことだ」
「そんな派閥が?」
「戦争が終わって、平和な証拠だな」
侯爵が2枚目のリストにも目を通している。トレヴァーがわざわざ二人がいるところに報告に来たのは、こういうわけだったのだ。
「どうやら、裏で糸を引いている人物がいますね」
「なるほど。さしずめ、男爵は身代わりか」
「成功しているとはいえ、実際には有象無象の一人でしかない男爵です。都合が良かったのでしょうね。実際、王室はこの動きに気づいていない」
「その通りだ。明日にでも国王陛下に報告する。報告書の写しを……」
「準備してございます」
「さすがだな」
「恐縮です」
(もともと、王宮に勤めていた人を定年退職後に引き抜いてきたらしいとは聞いていたけど……)
トレヴァーは執事とは名ばかりの優秀な文官のようだ。
「それで、モニカ嬢の魔法については?」
「首都に入ってから、優秀な家庭教師をつけたようです」
「家庭教師?」
次にトレヴァーが取り出したのは、ある人物の経歴書だった。ところが、その書類には空白が多い。
「ハワード・キーツ。現在は王立魔法学院で助教を務めている人物です」
「出自は?」
「北部の出身で、テニソン伯爵の推薦で王立魔法騎士団に入団。戦後すぐに退役して、オニール男爵家の専属家庭教師になっています。それ以外の詳細は不明。人伝に聞こうとしましたが、そもそも彼と親しい人物が見つかりませんでした。出身とされる村でも」
テニソン伯爵といえば、北部の名武将だ。
「それが、どうして学院の助教に?」
「これも、テニソン伯爵の推薦です」
「ジリアン、ハワード・キーツに会ったことは?」
「ありません。確か、『魔法医療学』の助教でしたよね?」
「はい」
「『魔法医療学』は第2学年からの科目です」
「そうか」
「テニソン伯爵は、貴族派ですか?」
「いや。中立のはずだ。ただ、伯爵本人が既に高齢で、領地に引きこもっている。後継者がいないという話を聞いたな」
「うーん。臭いますね」
「臭うな」
ジリアンと侯爵は、二人して頷いた。
「これは、かなり詳細な調査を進める必要があるな。……ジリアン」
「はい」
「学院内の調査は君に任せる。いいな」
「はい!」
「……大丈夫か?」
「何がですか?」
侯爵の顔が、少しばかり歪む。これは、心からジリアンを心配しているときの顔だ。
「モニカ嬢と関わり合いになるのは嫌だろう?」
「問題ありません」
明るく言ったジリアンだったが、内心は違った。
モニカ嬢の顔が男爵のそれと重なって恐怖心を感じるということを、侯爵には言えずにいるのだ。
(こんなことで、心配はかけられないわ)
「ならば、いい。任せたぞ」
「はい」
「それから……」
トレヴァーが書類を片付けるのを眺めていると、侯爵がずいと前のめりになった。
「間もなく、拝謁の儀式だが、準備は進んでいるのか?」
この問いには、ジリアンの肩がビクリと震えた。
「もちろんです、お父様」
「嘘です。宝石もお花も、そろそろ決めていただかなければ間に合いません」
「トレヴァー!」
ジリアンは裏切り者の執事を睨みつけたが、どこ吹く風といった様子で退室してしまった。
「ジリアン」
「……はい」
「拝謁の儀式が重要な行事なのはわかっているだろう?」
「はい、まあ。でも、それは貴族令嬢の話で……」
「君も貴族の令嬢ではなかったかな?」
「そうですけど」
「学院のことや、後継者としての準備に時間をかけたいのは分かる」
そう。ジリアンには社交界に出て華々しく立ち回ることよりも、重要なことが山積みなのだ。
「確かに、君の立場であれば社交界はさほど重要ではない」
マクリーン侯爵家は伝統的な武家だ。国王の信頼も厚い。その地位は社交活動などで左右されるものではないのだ。
「だが、君は女の子だ」
「でも……」
侯爵がジリアンの手をとった。
「社交界は権力争いばかりではない。なんといっても、女性にとっては……結婚相手を見定めるために必要な場だ」
『結婚相手』という言葉を発する際の侯爵の顔は、これまでジリアンが見たどんな顔よりも苦しそうだった。どうしてそんな表情をするのか、いまいちピンと来なかったが、侯爵がジリアンの結婚について真剣に考えていることだけは分かった。
(結婚、か……)
思わず、ジリアンも考え込む。
いずれは考えなければならない問題だが、ずっと先のことだと思っていたのだ。
「結婚が必ずしも幸せとは言わない。だが、君の幸せのために社交界でも人と付き合っていくのは必要だ。それに……」
今度は、下から覗き込むように侯爵がジリアンを見つめた。
少し下がった眉と、緩く上がった口角。まるで捨てられた子犬のような顔に、ジリアンは目眩を覚えた。
「美しい娘を自慢したいという私の気持ちを、汲んでくれるだろ?」
最近の侯爵は、こういう言い方をするのだ。しかも絶妙なタイミングで。自覚があるのかないのか、ジリアンにはこれに抗う術がない。
「はい、お父様」
「よろしい」
しかし、ジリアンには侯爵に話せていないことが、もう一つあった。
早急に対応しなければならない頭の痛い問題が、他にもあるのだ。
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