【完結】勤労令嬢、街へ行く〜令嬢なのに下働きさせられていた私を養女にしてくれた侯爵様が溺愛してくれるので、国いちばんのレディを目指します〜

鈴木 桜

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第2部 - 第2章 勤労令嬢と社交界

第16話 気づき

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 行くあてもなく走ったジリアンがたどり着いたのは、バラ園だった。ところどころにランタンが置いてあって、美しく咲き誇るバラの花を淡く照らしている。
 走っていた足をゆるめて、トボトボとバラ園の中を歩いた。

(なんで、こんなところにまで来るのよ……)

 わざわざジリアンの仕事の様子を見に来たのだ。

(上手くやれてると思ってたのに……)

 そうではないと言われているようで。

(それに、婚約者のことだって。結局、何も話してくれないじゃない)

 胸元のリングをギュッと握りしめると、涙が溢れた。

(顔も見たくないなんて……、思ってもないくせに……!)

 自分が怒っているのか悲しいのか、もう分からない。

(ぐちゃぐちゃだわ)

「ジリアン」

 振り返ると、心配顔のテオバルトが立っていた。少し息が弾んでいるので、慌てて追いかけてきてくれたのだろう。アレンの姿はない。テオバルトだけだ。

「すみません」
「どうして謝るの?」
「追いかけてきたのがではなくて」
「そんなの……」
「だったら、私の顔を見てそんなに悲しい顔をしないでください」

 言われて初めて、ジリアンは自分がどんな顔をしているのか自覚した。

「ごめんなさい」
「いいのですよ……。分かっていたことです」

 言いながら、テオバルトがジリアンの手を引いた。バラのアーチをくぐった先のベンチに腰掛ける。テオバルトはジリアンの前にひざまずいて、その顔を覗き込んだ。

「泣かないでください」

 ハンカチで優しく拭われても、ジリアンの涙は止まらなかった。

「……どうして泣いているのですか?」
「わからない」
「どうして、あんなことを言ったのですか?」
「あんなこと?」
「顔も見たくないだなんて」
「だって……」
「あなたらしくありませんよ」

 その言葉に、さらに涙が溢れ出した。自分の気持ちが、全く制御できない。

「わからないの……!」
「なるほど。それは、困りましたね」

 テオバルトは改めてジリアンの手を握った。相変わらずジリアンの肩が震える様子を見て、テオバルトの眉が下がる。

「……私には分かりますよ。あなたの気持ちが」
「え?」

 パッと顔を上げたジリアン。見開かれた藍色の瞳から涙がはじけて、ランタンの光を反射してきらめいた。その眩しさに、テオバルトは思わず目を細める。

「……私には、よく分かります」

 俯いてしまったテオバルトの顔を、今度はジリアンが覗き込む。

「テオバルト?」

 その肩が揺れたのは一瞬のことだった。すぐに顔を上げて、いつも通り優しく、そして甘く微笑む。

「恋ですよ」

 思わぬ言葉に、ジリアンは固まった。

「こ、恋?」
「ええ。恋です」
「それって、どういうこと?」


「あなたが、に恋をしている、ということです」


 テオバルトがあまりにもハッキリと言うものだから、ジリアンは口と目を開いて呆然とするしかない。次いで、その顔がみるみるうちに真っ赤に染まった。

「そ、そんな……!」

(あり得ない!)

「あり得ないと思っているでしょう?」

 胸の内を読まれて、ジリアンの心臓がバクバクと音を立てる。

「だって!」
「だって?」
「私達、友達で……」
「それが?」
「え?」
「友達に恋をしないと、誰が決めたのです?」
「それは……」

 ジリアンは二の句が告げなくなって口をモゴモゴと動かした。落ち着きをなくした両手は握ったり離したり、指を動かしたりと忙しない。

がどこかの令嬢と婚約をしたと聞いて腹を立てた」

 テオバルトの人差し指が、ジリアンの胸を指す。

「自分のことを、特別だと言っていたのに」

 指された胸には、ピンクダイヤモンドの指輪。

が他の誰かの特別になることが、許せない」

 テオバルトの言葉が一つずつ、ジリアンの胸を刺す。

「それなのに、折に触れて自分の前に現れる。その理由を尋ねても答えてくれず、苛立ちばかりが募る」

 刺された胸は、今にも弾けてしまいそうで。

「……あなたは、彼に恋をしているのですよ」

 ついに、ジリアンは両手で顔を覆った。手のひらに触れた頬が熱い。

「私が、アレンに恋をしている……?」
「ええ」

 ジリアンは、パッと視界が晴れるような思いだった。
 自分の気持ちが制御できず、無性に腹が立って苛立って、時に締め付けられるように胸が痛んだ。その気持ちの正体に、ようやく気付いたのだ。

(これが、恋……?)

「なんで……」
「人を好きになるのに、理由が必要ですか?」

 テオバルトは苦笑いを浮かべながら、ジリアンの隣に腰掛けた。

「恋は思案のほか。そういうものです」

 ジリアンは、そのまま頭を抱えてしまった。

「不毛だわ」
「不毛?」
「だって、アレンはアルバーン公爵家のご令嬢と婚約するのよ?」
「だから?」
「え?」

 驚いて顔を上げたジリアンに、テオバルトは相変わらず苦笑いを浮かべたままだ。

「それを、の口から聞いたのですか?」
「……聞いてない」
「だいたい、婚約そんなことがあなたの恋路に何の関係があるというのです?」
「そんなことって……」

 テオバルトが改めてジリアンの手を握る。いつもとは違う、友達にするような仕草でその甲をポンポンと叩いた。

「あなたらしくありませんよ。ジリアン・マクリーン」
「私、らしい?」
「実力と強い意志だけで、マクリーン侯爵家の後継者にまで上り詰めたのでしょう?」
「それとこれとは、違うわ」
「同じですよ。に恋をしているのは、ジリアン・マクリーンあなただ」

 翡翠の瞳が、情けなく涙をにじませるジリアンの瞳を覗き込む。

「思いを伝えてもないのに、諦めるのですか? それでは、英雄の娘としてあまりにも情けないのでは?」

 テオバルの言いたいことは、十分に伝わった。
 ジリアンは涙を拭いてから、きゅっと唇を引き締めた。

「うん。そうね。あなたの言うとおりだわ」

 そのままの勢いで立ち上がったジリアン。両手をぎゅっと握りしめると、勇気が湧いてきた。

「ありがとう」

 振り返ったジリアンの笑顔に、今度はテオバルトの胸が締め付けられるように傷んだことなど、彼女は知らない。

「行ってくるわ」
「ええ。応援しています」

 軽く手を振ったテオバルトに一つ頷いてから、ジリアンはバラのアーチの向こうを見た。
 そこには、こちらを見つめるアレンの姿があった。

「アレン」

 小さな声でジリアンが呼ぶと、空色の瞳が煌めいたのがわかった。




「ソフィー?」




 アレンの方へ一歩踏み出そうとしたジリアンを呼んだのは、ここにはいないはずの人物の声だった。

「ミスター・ディズリー?」

 バラの花壇の陰から、スチュアート・ディズリーが顔を出す。慌ててテオバルトの方を見れば、小さく頷いた。ここでも『秘密と誓約の精霊エレル』の魔法を使っていたのだ。話を聞かれたわけではない。
 アーチの向こうからは、アレンが慌てた様子でこちらに走り寄ってくる。

「今夜は、いらっしゃらないかと思っていました」
「良くない噂を聞いたものですから」
「良くない噂、ですか?」

 ソフィーは、ニコリと笑って小首を傾げた。

「あなたが、他の男と親しくしていると」
「でも、それは……」
「男の嫉妬は醜いですか?」

 スチュアートが苦笑いを浮かべながらソフィーの頬を撫でる。それを見たテオバルトが、そっとソフィーの腰を抱いて引き寄せた。さらにアレンがソフィーとスチュアートの間に割って入る。

(どうしてここに? テオバルトがいるところに現れるだなんて、何を考えているの?)

 スチュアート、つまりハワード・キーツの目的のためにテオバルトに近づいている最中に割り込んでくるとは。何か思惑があるに違いない。

「こんばんは。マルコシアス侯爵閣下。こうしてご挨拶するのは初めてですね」
「ええ。よろしくお願いします」

 スチュアートがにこやかに握手を求めて、テオバルトも快くそれに応えた。

「そちらは?」
「トラヴィス・グウィンだ。ソフィー嬢とは、故郷にいる頃からの知り合いで」

 トラヴィスと名乗ったアレンが、スチュアートと握手を交わす。

(そういう設定だったのね)

「へえ。では、彼女の子供時代を知っている?」
「もちろん」
「聞かせてもらいたいですね。彼女が、どれほど可愛らしい女の子だったのか」
「もちろん」

 スチュアートの言葉にトラヴィスがニコリと笑って頷いた。

 沈黙が落ちる。

(これって、つまり、どういう状況なの……?)

 ソフィー・シェリダンを演じるジリアン、トラヴィス・グウィンに変装したアレン、ソフィーとトラヴィスの正体を知るテオバルト。そして、スチュアート・ディズリーに成りすましているハワード・キーツ。

 設定上は、ソフィーをめぐって三人の恋敵が睨み合っていることになる。つまり、修羅場である。

 頭の中を絶えず回転させていなければ、この状況にはついていけそうにない。それはアレンもテオバルトも同じだろう。

「ふふふふ」

 沈黙を破ったのは、スチュアートの笑い声だった。口元に手を当てて俯いて、肩を震わせている。

滑稽こっけいだなぁ」

 顔を上げたスチュアートのとび色の瞳が、ドロリと鈍く光った。

「実に滑稽だよ。そうだろ? ……ジリアン・マクリーン」
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