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第2部 - 第3章 勤労令嬢と王子様
第27話 戦の支度
しおりを挟む「王太子がな、そなたに褒美をやりたいと言っておる。しかし、自分が言い出すのは格好がつかぬと、わしに泣きついてきおったのだ」
国王が可笑しそうに言ったので、ジリアンにはその真意が分かってしまった。
「けれど、それは……」
素直には頷けない。アレンとアルバーン公爵家との婚姻は、この国の未来にとって必要なことだ。だから彼は決意したし、ジリアンもそれが正しいと思っている。
「ふむ。そなたら二人の考えもわかる。今更勝手な話だと、わしも思うよ」
国王は、ソファの背もたれに身を預けて天井を仰いだ。つられて、ジリアンも天井を見る。
天井には、ロゼットと呼ばれる文様が描かれている。放射状に伸びる太陽の光を模した文様で、バラの花によく似た形だ。その中央に初代シェリンガム王、8枚の花弁には4本の剣と4人の魔法騎士が、それぞれの家紋を背景に描かれている。『建国の志を忘れることなかれ』という戒めのために、この文様は代々国王の執務室の天井に描かれてきた。
「そなたが決めよ」
「私が、ですか?」
「そうじゃ。義務を果たさんとする気持ちもわかる。だが、ほんの少しだけでも、自分の気持ちに素直になってもよいのではないかと、わしは思うぞ」
もう一度、天井を見た。
魔法騎士団の始祖である、4人の偉大な魔法騎士。ハロルド・アルバーン、アンガス・ウォーベック、ヘイデン・チェンバース、そしてドーラ・マクリーン。その子孫である4つの家門の紋章に描かれている花には、それぞれ意味がある。
アルバーン公爵家にはエーデルワイス──謙虚、誠実。
ウォーベック侯爵家にはスミレ──高潔な勇気。
チェンバース公爵家にはゼラニウム──真の友情。
そして、マクリーン侯爵家にはカスミソウ──永遠の愛。
これらが建国の志であり、王家と4つの家門の間で交わした誓約であり、ジリアンたち貴族が常に持つべき基本的な理念でもある。
「ジリアン。わしは国王であり、同時に息子の父でもある。……そなたらの幸せを、願っておるよ」
* * *
「わしがしてやれるのは、ここまでじゃな」
ジリアンが退室した後、執務室に訪ねてきたマクリーン侯爵に国王は空のグラスを差し出した。侯爵が受け取ると、そこに手ずから酒を注ぐ。
この二人は戦場でのクセが抜けず、こうして酒を酌み交わすことがあるのだ。
「悪かったとは思っておるよ」
国王がグラスの中の琥珀色の酒を一気に呷った。それに倣って侯爵も一杯目の酒を空け、互いのグラスに酒を注ぎ合う。
「そもそも、アレンにも無理な婚約をさせるつもりはなかった」
「お気持ちは、よく分かります」
国王がそれを望んでいなかったことは、侯爵にはよく分かっていた。先代王の時代に戦争が終結し、それと時を同じくして王位に就いた。人がより幸せになれる新しい時代をと誰よりも願っているのが、この国王なのだから。
「だからといって、王太子が間違っているわけでもない」
「はい。多くの人の幸せのために、誰かが犠牲になることもやむを得ぬことです。それが平和のためならば、なおさら」
侯爵の言葉に、国王が頷く。
「あとは、二人が覚悟を決められるかどうか、じゃ」
「覚悟……」
「自らの幸せを優先することにより発生する、不利益。それらは彼ら自身の手で補填せねばならん」
アレンがアルバーン公爵家に入ることで得られるはずだったものを、失うことになるのだ。ならば他の方法を見つけなければならない。他でもない、二人の手で。
「そして、苦難の道を越えていかねばならん」
侯爵は目を閉じて愛しい我が子のことを思った。
ジリアンは時代を変える──既に変えたと言ってもいい──魔法使いだ。彼女の望みとは関係なく、これからもあらゆる苦難に立ち向かわなければならないだろう。そして、アレンと結ばれれば、その道はさらに険しくなる。
「二人とも、自分に課せられた義務をよく理解しておる。それらを飲み込んだ上で、それを超えた決断ができるか。……それは二人次第じゃな」
「そう、ですね……」
侯爵の煮え切らない返事に、国王が笑った。
「そなたには、いろいろと耳の痛い話であったかな?」
「おやめください。昔の話です」
「ふふふ。もう、30年近く前の話か」
「……」
無言で返した侯爵に、国王は笑みを深くした。
「……そうじゃな。覚悟などいらぬか」
国王がポツリと言った。
「ははは。これは、そんな大層で複雑な話でもなさそうだのう」
くくくと喉を鳴らして笑う国王に、侯爵は苦い表情を浮かべた。
「そなたは複雑な気持ちであろうが、できれば背中を押してやってほしい」
「……」
これにも、侯爵は沈黙で返した。ジリアンが誰かと結婚することを想像すると、どうしても気分が悪くなる。それに、国王の『背を押してやれ』は、つまり、侯爵自身のことを娘に話して聞かせろという意味だ。
「なあ、クリフォード」
「……はい」
国王の呼びかけに、今度は顔を上げた。
「賭けようか?」
ニヤリと笑った国王に、侯爵は眉間のシワを深くした。
「……賭けになりませんよ」
* * *
アレンの誕生日を祝う宴が開かれたのは、さらにその5日後のことだった。この宴の最後にアレンとアルバーン公爵家の令嬢との婚約が発表されると、王太子から秘密裏に手紙が送られてきた。
つまり、それが期限ということだ。
「お嬢様、本当にこのドレスでよろしいのですか?」
午後から支度を始めたジリアンが選んだのは、モスグリーンの地味なドレスだった。
「いいのよ。今夜は脇役だもの」
オリヴィアが複雑な表情を浮かべている。立場上、欠席するわけにはいかない。数日後には勲章の授与式も予定されているので、王室との不仲を噂されようものなら、それこそアレンに迷惑がかかってしまう。であれば、地味なドレスで目立たぬように振る舞うのがいいだろうとジリアンは考えたわけだが、オリヴィアはそれが気に入らないらしい。
──コンコン。
「はい」
控えめなノックに、オリヴィアが対応した。トレヴァーだった。
「お嬢様。お支度の前にと、旦那様がお呼びです」
「すぐ行くわ」
ジリアンは慌てて侯爵の書斎に向かった。同じ屋敷の中で暮らしていても、急な呼び出しをされることは珍しい。
トレヴァーはそのままオリヴィアに用事があるようで、書斎にはノアだけが付き添うことになった。
「……一つよろしいですか?」
その道すがら、ノアが言った。必要がなければ黙って護衛をするだけの人なので、これも珍しいことだ。
「どうしたの?」
「……私は、お嬢様の幸せを願っています」
ノアの真っ直ぐな言葉に、ジリアンは足を止めてその顔を見上げた。いつも通り、無表情ながら優しさを滲ませる瞳でジリアンを見つめている。
「私は、今のままでも幸せよ?」
ジリアンが言うと、ノアがギュッと眉を寄せた。さらに言葉を重ねようとして、できずに口を閉ざした護衛騎士に、ジリアンは心の中で謝った。そして、
「ありがとう」
それだけ言って、ジリアンは再び侯爵の書斎に向けて歩き出した。ノアも数歩遅れてついてくる。再び二人の間に沈黙が落ちた。普段であれば、この沈黙すらも心地よく感じるのに、今はとても気まずい。
彼の言いたいことも、その気持もよくわかる。それでも、ジリアンは決意を変えるつもりがないのだ。
「お父様、失礼します」
書斎に入ると、侯爵は剣を磨いているところだった。
「入れ」
「はい」
普段は書斎の壁に飾られているその剣は、先代国王から賜ったもので、実際に戦場で使っていたものだと教えてもらったことがある。
「……ジリアン。君に話しておくことがある」
「はい」
(知っているんだわ、お父様は)
国王から提案された、褒美のことを。だから、その話をするために呼ばれたのだと、すぐに分かった。
「私と、妻のことだ」
だが、切り出されたのは予想外の話題だった。
「ご病気で亡くなられた?」
「そうだ」
侯爵が壁に視線を向ける。そこには、ブロンドの美しい女性の肖像画が飾られている。侯爵が戦場にいる間に子を生み、そして病死した夫人だ。
「私が求婚した時、彼女は私ではない男の婚約者だった」
「え」
思わず声を上げたジリアンに、侯爵は一つ頷いた。
「意外か?」
「……はい」
つまり、侯爵は婚約者のいる女性を、略奪したということだ。
「あまり褒められたことではないからな」
「そう、ですね」
まさか侯爵にそんな一面があったとは思わず、ジリアンは驚きのあまり曖昧な返事しかできない。
「私はどうしても彼女と結婚したかった。戦功を盾にして、当時王太子だった国王陛下に頭を下げたのだ」
国王も驚いただろう。英雄とはいえ真面目一辺倒のクリフォード・マクリーンが、まさか略奪愛の許しを請うとは思いもしなかったはずだ。
「陛下も、今の君と同じように驚いていた」
(やっぱり)
「その時、陛下に問われた。『覚悟はあるのか』と」
侯爵が剣を磨いていた手を、ようやく止めた。キラリと光を反射する刀身を見つめる。
「私は、こう答えた」
スッと剣先をジリアンに向けた侯爵が、不敵に笑った。
「『私はクリフォード・マクリーン。愛を望むことに大層な覚悟など必要でしょうか。必要だと言うならば、剣を手に戦うだけです』と」
マクリーン侯爵家の家紋に描かれている花はカスミソウ。意味は、永遠の愛。始祖のドーラ・マクリーンも愛に対して深い情を持っていた、という逸話がいくつも残されている。
「陛下は笑っていたな、確か。……『それでこそマクリーンだ』と」
切っ先をジリアンに向けたまま、侯爵が鋭い瞳でジリアンを見つめている。
「君は、どうだ?」
彼は問うているのだ。
何かに対する覚悟ではない。
ジリアン自身の望みのために、戦うか否かを。
「私は……」
溢れそうになる涙を、ジリアンは懸命に堪えた。
(泣いてはいけない。私は、ジリアン・マクリーンだから)
英雄クリフォード・マクリーンに選ばれた、その後継者。
(……そうよ。私が、選ばれた)
その理由を、敢えて侯爵に尋ねたことはない。その必要がなかったから。
(私が私だから。お父様は私の全てを受け入れてくれて、そして私が選ばれた)
娘だからという甘さなど一つもなく、厳しい篩にかけられて後継者に選ばれた。優れた魔法を持っていた、それだけをもって選ばれたわけでもないのだ。
だからこそ、侯爵は問うている。
次代のマクリーンとして、この戦いに挑むか否かを。
「……私は、戦います」
絞り出すように言った。口に出してしまえば、簡単なことだったと気付いた。
「私は、アレンを愛しています。彼と生きていきたい」
侯爵が頷いた。
「よく言った」
侯爵の微笑みには、ほんの少しの寂しさが混ざっていた。しかし、ジリアンがそれに気づくことはなかった。だが、それでいいと、侯爵は満足気に頷いたのだった。
「オリヴィア!」
ジリアンは寝室に駆け戻った。寝室では、オリヴィアと他のメイドたちが慌ただしく動いていた。その様子に勢いを削がれて、ジリアンは首を傾げる。
「何をしているの?」
「何をって、お支度ですよ!」
「誰の?」
「お嬢様のお支度に決まっているでしょう!」
言いながら、オリヴィアはジリアンの手を引いた。化粧台の前に座らせて、髪を整え始める。化粧台には、先程とは打って変わって華やかなアクセサリーが所狭しと並んでいた。
「さあ、お嬢様。私たちに、おっしゃることがあるでしょう?」
オリヴィアが涙ぐんでいる。そして、さあ言えと言わんばかりの勢いで、鏡越しにジリアンに迫る。他のメイドたちも同じようにジリアンを見つめている。
「お願い。……私を、いちばんのレディにしてちょうだい」
ジリアンが言うと、オリヴィアがふんっと鼻から息を吐いた。
「お任せください!」
マクリーン侯爵邸で、戦の支度が始まった──。
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