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第2部 - 第3章 勤労令嬢と王子様
第28話 恋の結末
しおりを挟むジリアンが最終的に選んだのは、今年の誕生日に誂えたドレスだった。夜空を映したような藍色のサテンに、星を思わせる宝石が散りばめられている。落ち着いた色合いながら、三段に重なったフラウンスが歩く度にフワリと舞って華やかな印象を与えるドレスだ。
アクセサリーは、アレンから贈られたサファイアのネックレスを選んだ。巻毛に挿した髪飾りは、庭に咲いていたバラだ。侯爵の手によって氷魔法がかけられたそれは、シャンデリアの光を浴びてキラキラと輝いている。
侯爵にエスコートされて入場したジリアンの姿に、誰もが息を飲んだ。オリヴィアとメイドたちの仕事は、完璧だ。
「……綺麗だ」
侯爵が小さな声で言った。
「ありがとうございます。……もし、この戦いに負けたら」
ジリアンが顔を覗き込むと、侯爵は複雑な表情をしていた。負けるはずがないと思っているが、負けても構わないとでも言いたげだった。
「慰めてくださいね」
「ああ。トレヴァーには、良い酒を準備するように言ってある」
「それは、楽しみです」
アレンの姿を見つけて、ジリアンは意を決して侯爵の腕を離した。
「行ってきます」
「ああ」
そっと背に触れた温もりに、最後の勇気をもらった。
ジリアンの姿を見つけたアレンが、目を見開いている。彼と楽しげに話していた令嬢がその表情に気付いて、同じようにジリアンの方を見た。彼女が、アルバーン公爵の令嬢だろう。
他にも多くの令嬢がアレンの周りには集まっていた。彼が王子であることが大々的に発表されたのが数日前のことで、その誕生日を祝うための宴なのだから人が集まるのは当然のことだ。
だが、ジリアンにとっては全く面白くない状況だ。
ジリアンは、ゆったりと歩きながら集まっていた令嬢たちの顔を一人一人順に見た。すると、一人、また一人とアレンの側から離れていく。
(ノアを真似てみたけど、けっこう効果があるのね)
学院で男子学生たちを睨みつける護衛騎士に首を傾げたものだったが、どうやら本当に効果があるらしいと、ジリアンはようやく理解したのだった。
「ごきげんよう」
最後まで残っていたアルバーン公爵の令嬢に声をかけると、彼女はビクリと肩を揺らした。
「ごきげんよう。……殿下、私はこれで。また、後ほど」
淑やかにお辞儀をして、令嬢も離れていった。だが、他の令嬢と同じようにアレンとジリアンの様子をチラチラと見ながら、その話し声を聞き漏らさぬようにと、聞き耳を立てている。
「ごきげんよう、アレン王子殿下」
ジリアンが礼をとると、アレンもお辞儀を返した。
何かを言おうとしたようだが、その唇はモゾモゾと動いただけで、結局言葉を紡ぐことはなかった。誰よりも美しく着飾り、他の令嬢たちを牽制しながら登場したジリアンに戸惑っているのだろう。
「お誕生日をお迎えになられたこと、心からお祝い申し上げます」
「痛み入ります」
ジリアンは礼儀正しく祝いの言葉を述べ、アレンもまた礼儀正しくそれに答えた。その距離感に、ジリアンの心臓がギュッと締め付けられる。
(怯えるな! 私はジリアン・マクリーン。勇気を出すのよ!)
「今夜は、殿下にお伝えしたいことがございます」
ジリアンはギュッと両手を握って、そして開いた。そっとスカートの裾をつまんで持ち上げ、深く膝を折る。そのまま床に跪いて右手を胸に当て、アレンの顔を見上げた。
金の瞳が、驚きで見開かれる。
「殿下をお慕いしています。どうか、私と結婚してください」
沈黙が落ちた。衣擦れ一つ聞こえてこない。まるで時が止まったようだった。
何もかもが前代未聞。女性が男性に跪いてプロポーズすることも。しかも、貴族の令嬢が王子に対して、だ。さらに言えば、これから婚約を発表しようとしている男性に思いを告げることも、完全なマナー違反だ。
だが、誰にも咎めることなど出来るはずがない。
今、跪いて王子に愛を請うているのは『月を動かした英雄』だ。その背中からは、並々ならぬ気配が立ち上っている。
『まるで戦場で剣を振るっている戦女神のようでした』と、誰もがうっとりと語ることになる。そんな物語のような場面に水を差すことなど、常人にできることではない。
「……ジリアン」
「はい」
ジリアンは相変わらず金の瞳を見つめたままで返事をした。今度こそ、決して逸らさないと言いたげな様子に、アレンは泣き笑いを浮かべた。
「立ってくれ」
「その前に、お返事を……」
「君が立つのが先だ」
アレンは、手を引いて半ば無理やりジリアンを立たせた。
「まず、俺が臆病だったせいで泣かせたことを謝らせてくれ」
「あなたが謝ることではありません」
首を横に振ったジリアンに、それでもアレンは頭を下げた。
「それに、先に言わせてしまった」
言いながら、今度はアレンが跪いた。胸のポケットから何かを取り出す。
「それは……」
あの、ピンクダイヤモンドの指輪だった。
「ジリアン・マクリーン嬢。あなたを愛しています。どうか、私と結婚してください」
アレンが驚きに固まるジリアンの左手をとった。そして、わずかに震える手で手袋を外し、その薬指に触れる。
「返事を」
今度こそ涙が溢れるのを抑えられなかった。それは、心の奥底から溢れ出した喜びだ。
「はい……!」
スルリと指輪がはめられる。驚くほどにサイズがぴったりで。それを見たアレンが、嬉しそうに微笑んだ。
すぐに立ち上がったアレンはジリアンを抱きしめて。ジリアンもたまらずに、その首に腕を回してぎゅっと抱きついたのだった。
恋人たちの熱い抱擁に女性たちからは悲鳴が上がり、会場に騒めきが戻ってくる。
「まさか、同じことを考えてるとは思わなかった」
今度こそ誰にも聞こえないように、ひっそりとアレンが言った。
「同じこと?」
「ここでプロポーズするつもりだったんだ、俺も」
ジリアンは驚いてアレンを見た。国王と王太子からの褒美のことを、彼は知らないはずだ。
「情けない話なんだけどな。やっぱりジリアンのことを諦められなかったんだよ」
ジリアンを抱きしめながら言った言葉は、少し震えていた。
「傷つけたことも、ちゃんと謝りたかった……。いや、俺はとにかく、こうしてジリアンを抱きしめたかった」
その言葉に、ジリアンもアレンの首に回した手に力をこめた。
「だから、兄上を説得し続けた。ついさっき、ようやく折れてくださったんだ。『ジリアン嬢が同じ気持ちなら、そうすればいい』って。だから、今夜、言おうと……」
思わずこみ上げそうになった笑いを抑えるのに、ジリアンは必死になった。
(王太子殿下……。なかなか、いい性格をしていらっしゃるわ)
チラリと会場に視線をやれば、ずいぶんと楽しそうに見物している王太子がいた。その周囲にも令嬢が集まっていて、そういえば王太子も未婚だったと思い出した。ついでに、余計なことまで思い出してしまう。
「……それにしては、令嬢たちと楽しそうに話していたようだけど?」
「うん。ジリアンが嫉妬してくれればいいって思ってた」
「なにそれ、酷い」
「そうだな。……どんな手を使ってでも、ジリアンを手に入れたかったんだ」
ざわざわと騒がしい会場の中で、一人の男性が手を打った。
アルバーン公爵、その人だ。
公爵は隣に控えていた侍従からワインのグラスを受け取ると、乾杯を促すようにそれを掲げた。隣にいた令嬢も、やれやれといった様子でそれに倣う。
(彼女、知っていたのね……)
アレンも気付いたのだろう。苦笑いを浮かべた。
会場のそこかしこでワイングラスが配られている。周到に用意されていたらしい。二人もワイングラスを受け取った。
「どうやら、王太子殿下の手のひらの上で転がされていたみたいね、私たち」
「最悪の気分だ」
「本当に?」
「……嘘。最高の気分だ」
アレンが心の底から嬉しそうに笑ったので、ジリアンも笑顔で応えた。
アルバーン公爵がワイングラスを高々と掲げて。
「若い二人に」
そして、飲み干した。
「おめでとうございます。お二人の結婚式が、楽しみですな」
それを皮切りに、広間には拍手喝采が湧き起こったのだった。
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