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第3部 - 第2章 勤労令嬢と死者の国
第21話 瞳の奥
しおりを挟む(ハワード・キーツは、まだ全ての手を明かしていない)
ディズリー伯爵家から逃げおおせた時、確かに別の精霊の魔法を使っていた。『死者たちの女王』以外にも契約している精霊がいるのだ。また、それ以上に奥の手を持っているかもしれない。
ジリアンは、剣を握る手に力を込めた。
(それでも、負けられない……!)
その時だ。
空を覆う暗雲が濃くなり、周囲が暗闇に包まれた。
(なに……?)
海の底からゾワゾワと立ち上ってきた気配に、ジリアンの背筋がビリビリと震える。
「ジリアン、今の君に似合いの最期を準備したよ」
ハワードが妖しく笑うと同時に、──海が弾けた!
「ジリアン!」
予期せぬ攻撃に備えて、アレンの風魔法がジリアンと騎士たちを覆う。その風の膜の向こうに、巨大な山が見えた。じゅうじゅうと海の水分を蒸発させながら、山が盛り上がっていく。
「あれは……!」
一対の、真っ赤に燃える瞳がギョロリとジリアンを睨みつけた。あれは山などではない。
「!?」
はじめは巨人に見えた。だが、その腿から下は巨大な蛇がとぐろを巻く形でうごめき、背には翼が、肩からは無数の蛇の頭が生えている。
「『怒りの精霊』だよ」
その名には覚えがあった。
魔大陸の創世神話に登場する、暴虐の神だ。
「……君たちの目的は知らないが、それほど余裕はないと見える。私も同じだ。これ以上、君のために割く魔力はない」
ハワードがジリアンを見つめて、ニヤリと笑った。
「これで終わらせよう」
それが合図だった。
『怒りの精霊』が大きく口を開く。その喉の奥に、灼熱のマグマが見えた。
「来る!」
叫ぶと同時に、ジリアンは水魔法を練り上げた。前面に水の壁を築く。
──ゴォォォォォ!!!!!!
水の壁は一気に蒸発。同時に蛇の頭がジリアンに襲いかかった。
「くっ!」
無数の牙を剣で弾く。その牙の先から溢れ出た液体がジリアンのマントに触れると、ジュワッと音を立てて布地が溶けた。
「毒!?」
遅かった。
ジリアンの視界の端で、騎士の一人が倒れるのが見えた。彼の全身の皮膚が紫色に染まっている。
「下がって!」
他の騎士に命じると当時にハワードの両手がうごめくのを見て、ジリアンはとっさに駆け出していた。毒で死んだ騎士の骸に、『死者たちの女王』の魔力が覆いかぶさろうとしている。
「やめて!」
(間に合わない!)
そう思った瞬間、騎士の身体が燃え上がった。あっという間に炭と灰になった骸が、僅かな残滓だけを残して消える。
『怒りの精霊』の炎ではない。──ノアだ。
「お嬢様!」
ノアがジリアンの身体を抱えあげて、後方に下がった。彼らを守るように、他の騎士が前面に出て水と氷の壁を築く。
「ノア、どうして……!」
「あのままでは、奴に操られる。……この場で死んだ者は、同じように燃やします」
「でも……!」
それでは、ここで何もかもが消えてしまう。その骸を故郷に帰すことすらできない。
「皆、覚悟してここに来ました。あなたも、覚悟を決めてください」
「覚悟?」
「願いのために、全てを捧げる覚悟です」
護衛騎士の、たくましい肩の向こうに、炎の渦が走るのが見えた。
「願い?」
「はい。……あなたの願いが、我らの願いです」
ノアが立ち上がると、マクリーン騎士団を象徴する青のマントが熱風に煽られた。その向こうでは雪の代わりに灰燼が舞い、死の臭いが漂ってくる。
「我らが血路を開きます」
ジリアンが止める間もなかった。ノアと3人の騎士たちが、飛び出していく。
「ノア!」
後方のアレンが築いた風の防護壁を超えていく。一人の身体が燃え上がった瞬間、ジリアンも弾かれたように駆け出していた。
(今を逃せば終わる……!)
ここで彼女が負けることは、世界の終わりを意味する。
ジリアンの身体がふわりと浮かび上がった。アレンの風魔法だ。同時にジリアンは自分の胸の中心に集中した。そして全ての魔力を剣先に集中させる。
一人、燃え尽きた。
一人、毒で倒れた。
「お嬢様!」
ノアが叫ぶと同時に、足元の風の床を蹴った。1歩、2歩、3歩、見えない床を蹴って前に進む。
『怒りの精霊』の炎がノアの左半身を焼いた。それでも、ジリアンは足を止めなかった。
(全てを、捧げる……!)
その覚悟でここまで来たのだ。自分も、彼らも。
4歩目に蹴ったのは、ノアの肩だった。
彼の風魔法がジリアンの背を押す。目に映る景色がブワリと後ろへ走り抜けて、一気に間合いが詰まる。『怒りの精霊』の頭部は目の前だ。
「くっ!!!!」
身体に当たる風圧に歯を食いしばる。
(押し負けるな!)
『怒りの精霊』の喉から灼熱の炎が放たれるが、その熱は剣先に集めた氷魔法で相殺して。
炎の渦の中を、まっすぐに飛んだ!
──ザシュッ!!!!
ジリアンの剣が、『怒りの精霊』の額に突き刺さる。
──ぎゃぁぁぁぁあぁ!!!
耳を劈く雄叫びに身体がビリビリと震えても、ジリアンは剣から手を離さなかった。そのまま、その巨体に魔力を流し込む。渾身の力で練り上げた氷魔法が、額から首へ、そして全身に走る。
──ピキッ、ピキッ、ピキィッ……!
ややあって、『怒りの精霊』の巨体が凍りついた。
巨大な氷の塊となった身体が、水しぶきを上げながら海に落下する。海面にぶつかると粉々に砕け散り、そして津波を起こしながら海の底へと沈んでいった。
海岸に降り立ったジリアンは、荒くなった呼吸を整えながらハワードに向き直った。
「……次は、あなたよ」
ジリアンに睨みつけられて、それでもハワードはニヤリと笑った。
「私はね、ジリアン。君の力を見くびっていたわけではないよ」
そのセリフを最後まで聞くことはしなかった。風魔法を練り上げて、一気にハワードに肉薄する。
「……私が契約している精霊が他にもいると、君は知っているだろう?」
ジリアンはハッとしたが、遅かった。剣先が何かに捉えられて、身動きが取れなくなる。
「何!?」
とっさに剣から手を離してハワードから距離をとるが、今度はジリアンの身体が何かに包まれた。風魔法と似た感触に包まれる。
「『大気の精霊』の魔法だよ。君たちの風魔法ほどの力はないがね。ほんの一時、君の剣を防ぎ、君を捕らえるくらいのことはできる」
ジリアンは風魔法を練り上げて、自分の周囲の大気を切り裂いた。ハワードの言う通り、一時足止めされたに過ぎない。同じように剣を捕えていた大気を切り裂く。
「こんなもの……!」
再び攻撃に移ろうとしたジリアンが見たのは、まっすぐジリアンを指差すハワードだった。
「一瞬だけでも、君を足止めできれば十分だよ」
ハワードの指の先で何かが光った。黒い、火花だ。
パチパチと音が聞こえたのは一瞬のことだった。
次の瞬間には、ジリアンの眼前に黒い炎の塊が迫っていた。
「……っ!」
死を覚悟した。
──ボォォ……!
刹那、黒い炎に焼かれたのは、──ジリアンではなかった。
「ノアっ!」
ジリアンが叫ぶと同時に、大きな身体が傾いだ。
「ノア! ノア!!」
その身体を受け止めると同時に、炭化した四肢がボロリと崩れる。ジリアンは、必死にノアを抱きとめた。
「ノアッ!」
ジリアンの叫びに、ノアがわずかに微笑む。
「ご無事……です、か……?」
かすれた空気が喉を通っただけの、かろうじて聞き取れるほどの小さな声だった。
「わ、私は、無事、だけど……っ!」
ジリアンの瞳から涙があふれる。もう手の施しようがない事は明らかだ。
「行って、ください」
「でも!」
「お嬢、様」
ノアの身体が僅かに動いた。唯一残されていた右手の人差し指が彼女の頬に触れて、震える指で涙を拭う。
「……私の小さなお嬢様」
優しくジリアンの頬をなでていた指が、ボロリと崩れる。灰燼となった身体が、サラサラと風にのって運ばれていく。
「お仕えできて、幸せでした」
それが最期の言葉で、そこには何も残らなかった。
ジリアンの胸の中にすら、何も。怒りも悲しみも、何もかもが溶けるように消え去って。
その痕を埋めるように、ジリアンの瞳の奥に熱が灯る。
彼女の中に眠っていた何かが、目を覚ました──。
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