愛の証明

月岡夜宵

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13◇誤り◇

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 逸る気持ちで駆けた俺は、今馬車に乗って御者を急かしている。貴族としてはマナー違反だが。

 エルメス……お前の本音が聞きたい。俺はもどかしい気分で堪らないよ。もし、お前が俺の押し付けた気持ちを抱えて悩んでいるんだと想うと……耐えられない。今すぐ、遮二無二しゃにむに、その重りを壊したくてしょうがない。

 お前を悩ます為に、俺はあの告白をしたわけじゃない。例え、信じてもらえなくても……俺は、なんとしてでもエルメスを老人ルンガの影から開放する!

 束縛したくて伝えた気持ちじゃない。
 返して欲しくて与えた気持ちじゃない。

 だから、必要以上にお前に傷ついて欲しくない。

 
 俺という死を、引きずらないで居てくれと、俺は願うばかりだった。


 そして馬車は、俺が老人として生活していた小さな家へとたどり着く。郊外に来たことと、既に時刻が夜になったことで、人気は無く、周囲は閑散としていた。
 御者に待っているよう指示を出して、俺は緊張するまま中へと一歩を踏み出した。


 案の定、そこにエルメスは居た。だが彼は俺が部屋に入っても反応を見せなかった。意外に思い、近づけば――眠っているようだった。

 息せき切って駆けつけた俺としては少々出鼻を挫かれる思いがしたが、彼がここに留まっていてくれたことに安堵した。もし、老人ルンガを探してあても無くさ迷っていたらと思うとぞっとする。

 あどけない顔で眠るエルメス。頬には、泣いたのか、涙腺が残っていた。俺は見ていられず、そっとその線を指でなぞった。

 時、だった。

「ルンガさ、ま……?」

 寝ぼけ眼で俺の方を見るエルメス。どこからどうみても寝起きの彼に、俺は掛ける言葉が見つからない。

 ど、どど、どうしよう。
 あんなに怒られたのに、触れている手前、対処に困った。固まった体のせいで逃げようが無い。

 だがエルメスは予想外の行動に出た。

「ああ、ルンガ様の手だ……。温かい。もう、どこにも行ったりしないでくださいね?」

 え?

「信じ切れなくてごめんなさい。でも、僕はあなたが――」

 俺の手を取り、頬に当てる彼は、まるで幼子のように頼りなさげだった。無垢な顔をして、あやされるのを受け入れるように、エルメスは俺の手に触れている。

 理由は分からない。しかし、この小奇麗な手をあの節くれだった手と〝同じ〟だとエルメスは匂わす。

「あなただけが、必要なんです」

 強く、エルメスは言い切った。
 だが混乱する俺は現状が読めない。エルメスはどうしたというんだ? 急に俺をあの老人だと認めて……一体、なにがどうなって??

「ルンガ様は――ッ!?」
「?」
「な、なな、なんでお前がここに!?」

 事態を、ようやっと俺は理解した。どうやらエルメスは寝ぼけていたらしい。そして覚醒した今、俺を忌々しげに睨んでくる。けれど、おかしな話、俺はもう、その拒絶する目が怖くなくなってしまった。理由はどうあれ、彼は……俺を老人のルンガと間違えた。理由は結局のところ、手、なのだろう。

 だから俺は、そっと彼の反対側の頬へ触れた。彼の持つ、傷に。俺の持ちうる全ての感情が伝わることを、祈りながら。
 
 かつて彼は言った。

『手って思うより色んな感情を伝えるんですよ?』、と。

 窓から差し込む淡い月明かりだけが、この部屋を照らす。輪郭だけが切り取られる世界で、エルメスは目を丸くしていた。そこに見えるのは驚愕。

「ど、して? なんで……お前とあの方の感情の波がそっくりなんだ……?」

 穏やかな慈愛を。
 緩やかな憐憫を。
 極めつけに、まろやかな情愛を。

 手にそれらの感情を込めて、エルメスへと向けた。
 目を丸くして俺を見るエルメスは固まったまま動く気配が無い。

 俺は囁くように彼に告げた。

「もう俺があのルンガだったと言うつもりはない。だけど代わりに聞いて欲しい。俺は……お前にルンガの残した言葉を伝えに来た」
「ルンガ様の……言葉?」
「そうだ。じゃ、いくぞ」

 俺は嘘を吐いた。これは残された言葉でもなんでもない。エルメスに向けた、最後のメッセージ。

『言葉が、足りなくて悪かった。そのせいでお前には酷い誤解をさせた。今でもすまないと思ってる。だからきちんとお前に話させてくれ』

 頭の中を整理しながら、エルメスへ向けて伝えたかった言葉を、悔い無きように口にする。

『お前との生活は、ただただ楽しかった。着実に老いが迫る中で、焦りも不安もあったが、それらをお前と居る間だけは忘れることが出来た。感謝してることは上げればきりがない。だが……俺がお前に言いたかったことは、別れ際のことに他ならない。俺はあの時、お前へ醜い感情をぶつけたことを深く後悔した。あれは老いぼれの儚い希望を消化させることだけが目的だったのだ。だというのに、お前はあれを引きずっているのではないだろうか。優しいお前は、俺の溜め込んでいた感情を捨て去れないのではないか? それに気付いてからというもの、俺はお前を解放せねばならない気持ちでいっぱいになった。だから言葉に託す。偏屈なじじいのこと、それから、お前に最後にした酷い仕打ちは、後生だから忘れてくれ。さよなら、エルメス。もう二度と俺を探さないように』

 そらんじるように告げていた俺が、目を開けると、そこには予想外の光景があった。

 エルメスは、号泣していた。歯を食いしばって、喪失した痛みに耐える様に、男泣きしている。その姿に、少々の罪悪感を覚えた。

「そんなのってない。……あの方は、ルンガ様はもう二度と僕に探すなと言ったのか!? 本当か!?」
「ああ、本当だよ」
「嘘だ……。そんなの認めないッ! だから無かったことになんかさせない! たとえ、それがルンガ様の願いでも!! 大体、そんな他人行儀な別れ、認めるもんか」
「エルメス、ちゃんと話を、」

 その時、月明かりが強くなって、エルメスの目が涙に光ったように見えた。そこには必死に痛みに耐えようとする青年の姿があった。俺は二の句が告げなくなった。

「そもそもどんな手品を使ったんだ! お前みたいなお坊ちゃまとあの方の抱く感情が同じはずが無い! なのにお前は……僕に哀れみとも愛情とも似つかない感情を与えようとした。何故だ!?」 

 エルメスには何か特殊な能力でも備わっているのだろうか? 普通、そこまで的確に人の感情を判断することが出来ないから、判断基準にさえなりはしないと思うのに。だというのにエルメスは手から伝わった感情に執着する。

 すると黙ったままの俺に苛立つように、手を握ってきた。俺は内心焦った。エルメスに全てを見透かされてしまいそうで。

 鋭い眼光で睨みつけられる。俺はたちまち後ずさる。今の俺の心情は逃げたい気持ちしかなかった。エルメスを、初めて怖いと感じた。こんなの聞いてない。っていうか知らない。エルメスは読心術の心得でもあるのか!?

 後ろに下がった俺を追いかけるようにエルメスが近づく。それに反応して俺はさらに下がったら、壁際に追い込まれた。逃げ場が無くなったことに焦る。

「焦ってる、のは分かる。でもなんで焦るんだ?」
「き、気のせいだろ」
「なにかやましいことがある反応だ」
「……」
「図星だな?」

 墓穴を掘らないように黙ったら、余計に勘ぐられた。しかもそれが当たっている。
 エルメスの謎の能力に俺は翻弄され始めていた。今すぐ手を振りほどきたいが、力の差がある。老人の介護を日々していた逞しい彼と自分ではその差は歴然だ。

 くそ、魔女よりタチが悪い!

 「答えてくれ。お前は……どうやってルンガ様から言葉を貰った?」

 いえるかよ。あの恥ずかしい言葉は全部俺の本音だなんて。口が裂けたって喋るつもりはない。

「頑固だね。是が非でも喋らないってわけか」

 呆れたようにエルメスは言う。彼は髪をかきあげると、一度目を閉じた。それから、さっきまでの追及が嘘のように、彼は凪いだ声を出した。


「ルンガ様は……無事なのか?」
「……じゃない」

 俺の答えに心底不思議そうな顔をするエルメス。

 無事、なわけあるか。こんなに何度も求められて、平気なわけない。目を逸らし続けた答えに目がいってしまいそうで、俺は困惑した。

「嬉しい? 変だな、お前から妙な感情が伝わってきた」

 そんな余計なもんまで知れるのかよ! 便利すぎだな、おい。

「はぁ。調子が狂う」
「それはこっちもな」
「は?」
「あ」

 ついうっかり軽口を返してしまった。

「僕は……やっぱりお前に騙されているんじゃないか? 言いくるめようとしてる気がする。お前、ルンガ様と結託してるだろう?」
「してねぇよ!」

 結託どころか、本人だから!

 しょうがなく、俺は自分から話しかけた。このままじゃ埒があかない。

「お前は、もうあいつから解放されていいんだぞ? あの爺さんのことはきっぱり忘れていいんだよ」
「忘れろって、そんな無茶な。大体、第三者のお前には関係ないだろう!? 伝言役だかなんだか知らないが、余計なお世話だ」

 だから、無関係じゃねーんだよ。

「物分りの悪い奴だなぁ! いいから、あの日々のことなんか捨てちまえよ!」
「捨てられないから……捨てられないから、僕だって途方に暮れているんだよ。お前みたいなのに分かるわけもないだろうけどな」
「だったらなんだよ。お前さ、後生大事に爺さんからの好きって気持ちを抱えて生きるわけ? 馬鹿なんじゃねーの?」
「な……!! お前、そんなことまで知ってるのか!?」

 知ってるどころか、した・・張本人だけどな。現在進行形でその後始末におわれてるけど。

「あっちがさよならって言ってんだ。いい加減、分かれ」
「分かるわけないだろう!?」
「ちっ、面倒な男だなぁ」
「悪かったな、面倒で」

 どうしよう。やり取りがどこまでも平行線なんだけど。
 いっそここで俺が老人に変身できたらこいつは……信じてくれるだろうか。あ、でもこいつのことだから、泣いて喜んで、別れの話なんて無視して世話を焼いてきそうだ。

 つくづくなんで告白なんかしちまったんだろう。俺の方こそ最期まで後生大事にしまっておけよ。
 馬鹿だな、俺。
 
 そうだ、エルメスの言う通りだ。俺にはこいつを諦めさせる権限なんかない。あくまで伝言役に過ぎない。そしてそれを伝えた俺は用済み。用は済んだんだ。あとはこいつが……たとえ一生大事にしようが、知ったことか。面影を探し続けようが、それはこいつの自由だ。俺がでしゃばることじゃない。

 だって、俺の方は……――想うだけでよかった恋なのだ。けして叶うことの無い想い。そして俺はそれを消化させる為だけにエルメスへと伝えた。

 だから、俺の老いた恋は終わっている。決着がついているのだ。今更それをどうこうしようとする方が間違っているのではないか?

 あいつを解放したいと思った。けれど、こいつはそのままでいいと言う。ならば――。

「分かったよ。もう俺は何も言わない。あばよ、エルメス」
「逃げるのか!?」
「人聞き悪いこと言うんじゃねーよ。用が済んだから、帰るの」
「帰るって……どこへ?」
「そりゃ家だよ」
「待てよ。まだ話は終わってない。ルンガ様は、彼は無事なのか!?」
「だーかーら! 無事じゃねぇよ! もうとっくに死んでるの! お前だって知ってるだろ!」
「だがしかし、それでは辻褄が合わない。どう聞いても後から知った様な口ぶりだったじゃないか」
「はいはい。じゃー俺の嘘ってことでいいですよ。とにかく手を離してくれ」

 いい加減強く握られすぎて、痺れてきた。こいつ、意外に馬鹿力なのか?

「お前は……本当にルンガ様なのか?」

 そう、俺こそあの老爺ルンガだ。でも、きっとお前は言うだろう。やっぱり違う、と。あの方とやらと違う事を、お前は受け入れられないだろう? お前はそういうまっすぐなところがあるから。

「さぁね?」
「はぐらかすな」

 さすがに人型嘘発見器とまではいかないらしい。まぁ、俺が答えを誤魔化したせいも多分にあるのかもしれないが。

「ふ、ふふ……僕も焼きが回ったか? お前のことをルンガ様と重ねてしまった」

 重ねる程、似ている部分は外見にはない。それでも、俺をあれと重ねられるか。単にエルメスが疲れてきたのか、はたまた俺に誘導された結果か?

「正直……ルンガ様に若かりし頃があったと聞いてもあまりピンとこない。あの人は……あの姿で完成しているようだったから」

 まぁ、魔女の呪いのせいで普通じゃない年のとり方をしていたしな。今の俺との関連性を見いだせなくても不思議じゃない。

「正直に言うと悩み始めた。もしかしたら、という可能性を捨てきれない。お前が、あの方の残した言葉を語っている時、ルンガ様の面影とお前の声が合わさっても不思議と変には感じなかった。どころか、まるでルンガ様本人に労わられ、たしなめられているような気さえしたんだ」

 エルメスは、うっすらと笑った。


「なぁ、一つ、聞いてもいいか?」

 俺にはどうしても確かめなきゃならないことがある。

「なんだい?」
「お前は――なんで老人あいつをそんなにも求めるんだ?」
「今更な質問だね」
「いいから、答えろよ」

 ずっと引っかかっていたことを口にした。言葉にすればあっけないもので、返答はすぐに返って来た。

「僕が、あの方を求めていたのは恋情からだ」

 今確かに、「恋情」とエルメスは言ったのか?

「その反応、手をみるまでもない。驚いてるんだな」
「だって、そんなまさか」
「そのまさか、だよ。幾つ離れてるかも分からない、偏屈なお爺さんに僕は本気で恋焦がれた。それが世間でいう所の異常なものだと知りながら。本気であの方に惚れていた。でも……結末は予想外のものだったけれど。あんなに早く逝ってしまうなんて……思ってもみなかった。ましてや、僕に好きだと言って姿をくらますなんて、ね」

 微かに笑ったエルメス。その表情が儚く見えたのは、俺の気のせいだろうか。
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