この世界のどこかで息をする私たちは

茉白いと

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第3章

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 電話が切れた音が虚しく響いていた。
 名前を知られていたことの驚きがまだ広がっていた。
 この人は間違えてかけているわけではない。私のことを知っているのだ。
 あなたのことだと、それだけを叫んで電話が切れてしまった。
 電話をかけている人には今、何が起こっているのだろう。何が今、あの人をあんなにも緊迫した様子にさせるのだろう。
 手元のスマホが小さく振動し、メッセージに表示されていたのは高津先輩からのものだった。

【家に着いたよ連絡をずっと待ってたんだけど、待ちきれなくて連絡した。どう? 平気?】

 現状を知らない高津先輩からの何気ない連絡。
 こんなとき、どう返せばいいかわからない。

【遅くなってすみません。無事に着き──】

 そこまで打って、全ての文面を消した。
 返したい言葉も、届けたい言葉も、何もなかった。
 私はまた、死ぬタイミングを逃してしまった。
 あの電話は私が死にたい時、必ず止めに入ってくる。
 どうして止めるのだろう。どうして私に死ぬなと訴えるのだろう。
 何もわからない。
 見上げた空には無数の星が瞬いている。
 どうして、季節は終わってしまうのだろう。どうして夏は永遠と続いてはくれないのだろう。
 ベンチに項垂れるようにして座る。
 こんな人生を生きている意味がほんとうにあるのだろうか。

「おい、また会うって運命かよ」

 柊くんと会うのは、決まって予期しない時で相場が決まっている。

「……柊くん」

 どうして、あの電話も、柊くんとも、こんなタイミングなのだろう。
 死にたいと思ってる時に、どうして私の元に現れるのだろう。

「いや、突っ込めよ。運命を気安く使うなって。こんな場所でこんなボケしてるんだから突っ込んでもらわないとはずいんだけど」
「ああ、ごめんね。そっか。運命はちょっと重すぎるよ」

 はは、と笑えば乾いた声が出ていった。笑えない。なぜか口角が震えて、上がらない。
 死ぬためだけに来たじゃないか。ここに来れば死ねると思ったのに。
 けれど、軽いのだろう。その言葉は他人から聞くととても軽い。だから言えない。誰にも言えない。言ってはいけないし、巻き込んでもいけない。私は一人で死ななければならない。

「なんで柊くん、ここに……」
「一日監禁されてたんだよ」
「か、監禁?」
「そう、検査だとか言って、捕獲されてた」

 それは、つまり悪い人たちに捕まっていたということだろうか。それにしては元気そうだ。

「デートだったんだろ。なんでそんな顔してんだ」

 どんな顔をしてるの、と聞きたかった。けれど声にはならない。代わりに曖昧な笑みだけが滲んでいく。
 死のうとしていたなんて言えない。
 柊くんは黒のセットアップコーデから、お洒落なジャージへと衣装チェンジしている。

「残念ながらデートじゃないよ」
「ふうん。つうか、行きも帰りも会うって、どんなんだよ」

 こんな偶然、ほんとうにあるのだろうかと、思ってしまう。
 学校でほとんど接点がなかったのに、さざなみ駅で、たまたまこうして会うことが、とてもたまたまだったという言葉で片付けられない。

「悩みでもあんの?」

 ホームには誰もいない。私と彼だけ。

「どうして?」
「ため息、ずっとついてるから」

 無意識でついていたそれを指摘されて、初めてため息をついていたことを知る。

「……ちょっと。いろいろ考えることが多くて」

 糸がこんがらがってしまったかのように、自分ではそれをどう解いていけばいいのか見失ってしまった。こんなことが生きている限り、続いていくのだろうか。

「珍しく嘘くさくないな。俺が言ってたこと気にしてんのか」

 たしかに気にはしていた。言われたことを何度か思い出したりもした。
 だからって真に受けて落ち込んでいるわけではない。

「まあ、……疲れたって感じかな」

 もうぜんぶを置いて逃げてしまいたくなる。自分がいる環境から思いっきり走って逃げてしまいたい。けれどできない。ずっと、それができない。

「だから辛気臭い顔してんだな」
「そんな顔してる?」
「面白いぐらいに」
「……面白くないよ」
「だろうな」

 それでも笑われてしまう。その笑みは、嫌味なものではなくて、嫌な感じがしない。

「まあ、でも今の方が人間味あっていいと思うけど。変に優等生ぶったりもしてないし」
「柊くんにも優等生に見えてるんだ」
「自分でそう演じてるだろ」

 演じてるわけではなかった。生きていくにはそれが楽だと思ったから、そうしていただけ。でも、それが演じていたということなのだろうか。だとしたら何も言えない。

「なんだろうねえ……生きてくってなんでこんな難しいのかなあ」
「何かあったのか」
「……なんでもないよ、なんでも。ただ、難しいなあって思っただけ」

 ただ息を吸って、吐いて、笑って、怒って、泣いて。そんなことが、いつから自然とできなくなってしまったのだろう。いつから私はロボットになってしまったのだろう。

「人生イージーモードだったらつまらねえだろ」
「そんな理由で問答無用に難しくさせられてるの?」
「知らねえけど」
「適当だなあ」
「でも、難しいなら、攻略するしかねえだろ。ゲームオーバーになったわけじゃないんだし」
「……そのゲームオーバーって、自分で決めてもいいと思う?」

 生温い風が私の頬を撫でていく。ぴたりと動きを止めた柊くんは、真意をたしかめるような目つきで私を見た。

「それは、あんたが死のうとしてたことに関係してんのか」

 私は黙って柊くんの目を見続けた。何かを発することもなく、動くこともなく、ただ静かにその瞳を捉え続けた。
 何も言わない私に、柊くんは天井を仰ぐようにして息をつく。

「どうだろうな、いいのかもしれねえ、自分のゲームだし。でも──」

 それは、今まで聞いた柊くんの声とは、全く別の、か細い音だった。

「それを見逃せるかって言ったら無理だろうな。それなら、回復ポーションでも使って復活させてやる。俺がゲームオーバーなんてさせないと思う」

 その答えが、なんだか柊くんらしい。きっと、私が言いたかった真意を、柊くんはきちんと見抜いてくれたのだろう。見抜いてくれて、死なせないと言ってくれたのかもしれない。

「柊くんってチーム戦は向いてなさそうだね」
「なんでだよ」
「個人戦の方が強そう。何かを守らないといけない状況だと柊くんは弱そうだから」
「弱そうってなんだよ、戦うか」
「やだよ、私ボロ負け確定だから。柊くん、絶対手加減してくれないでしょ」
「当たり前だろ、勝負なんだから」

 きっと、子供に対してもこのスタンスなんだろうなあと思うと容易に想像ができた。

「まあ、何かを守るとか、俺の柄じゃないからな。それで言うんだったら個人戦一択」
「そうだね、柊くんのキャラじゃない」
「それもそれであんたに言われると腹立つな」

 電車がホームに流れ着いてくるアナウンスが流れる。黄色い線の内側に、とホーム全体に響いていた。なに、と答えた彼に、電話で聞いた言葉を口にする。

「柊くんは、すごく空気が読める人だよね」
「なんだよ急に」
「いや。ちょっと柊くんのこと、みくびってたのかも」

 よくいる不良少年なのだと思っていた。校則を他校に比べ緩いと評判だけれど、だからって金髪にしてくるような生徒はなかなかいない。やはり人の目というものがある。それに注意だってされるはずだ。
 なのに彼にだけ金髪が許されているというのは、やはり学校側も彼のことを怖いと思っているのだろうか。

「だって意外と真面目だし、人の話をそもそも否定したりしないよね。自分が自分がって前に出たりすることもない。女の子たちに好かれる理由がわかるよ」

 顔がいいから。喧嘩に強いから。単純にそれだけだと思っていた。けれど、違うらしい。人との心の距離が適切で、それは簡単にできるものではない。

「そんなこと言うならあんただって同じだろ」
「え?」
「今はちゃんと、人間に見える」
「人間だよ、私は」
「でも、人間じゃないように見えた。嘘くさいから。一年の時から」

 唐突に去年の話をされて瞬きを繰り返した。
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