この世界のどこかで息をする私たちは

茉白いと

文字の大きさ
11 / 25
第3章

しおりを挟む
「もしもし」
『あ、萩野ちゃん? よかった、返事ないから心配してて。帰れてる?』
「すみません、はい、帰れて──」

 そのタイミングでホームに電車がやってくる音が響き渡り、それはもちろん、電話の向こうにいる高津先輩も届いてしまった。スマホ越しの息遣いは変わった。

『あれ、もしかしてまだ外?』

 心配してくれているような口調。高津先輩は本当に優しい。そしてあたたかい。
 だから後ろめたくなる。私は、ただ毎日死にたいと思って生きているということが。そんな生き方をしていることが恥ずかしいようで、でもどうしようもできない。

「ちょっと買い物を思い出して。ちょうど今から帰るところなんです」
『そうだったんだ、なんなら買い物付き合ったのに。こんな夜遅いと家族の人とか心配するだろうし』

 心配なんてしないんですよ。そう口をついて出てしまいそうになったのは、ここに来るまでに見た争いの光景が流れたからだろうか。あの二人は、私のことを心配なんてしない。そんなことはしない。二人にとっての心配の対象は百合子だけだ。実の娘である、あの子だけ。
 そんな卑屈な思いがどろどろと溢れてしまいそうになる。
 でもさ、と陽だまりのような声が聞こえたのは、そんなときだった。スマホ越しの声が恥じらいを感じるように、遠慮がちにささやく。

『本心を言うと、何より俺が心配なんだ。しかも俺とバイバイしたあとになにかあったらって思ったら、気が気じゃない。俺がさっきまでいたのにって思うだろうし、だから萩野ちゃんには無事に家に着いていてほしいんだ。守ってあげられない範囲と時間にいると心配だから』

 ああ、心が痛い。そんな優しくしてもらえるような人間ではないのに。

『まっすぐ家に帰ってね。なんならこのまま電話繋いでおいてもいいし』

 いえ、となんとか声を絞り出す。大丈夫です、電車もうくるので。家も近いので。カスカスな声が悟られないように、なんとか、なんとか声を出す。
 家に着いたら連絡してね。そう言われ、何度かうなずいた。画面越しの私など見えるわけがないのに、それでも声にならなかった。最後、ありがとうございます、と言った私の電話を高津先輩は切らなかった。萩野ちゃんから切って、と。そう言われ、なくなく切った。

「いい彼氏じゃん」

 最初から終わりまで聞いていた柊くんは、空をぼんやりと見上げるように顔を上げていた。いつだったか、こんな風に顔を上げたことがある。いや、あれは今日ではなかったか。

「彼氏じゃないよ。でも、なんでこんなことになってるんだろうね」

 優しさが怖くて、それでいてちょっぴり負担になってしまう。お願いだからそんなに優しくしないでと言っても、きっと高津先輩は愛を与えようとしてくれるのだろう。

「電車、乗らねえの?」

 立ち上がった柊くんが、到着した電車に乗ろうとし、私に振り返った。その彼に首を横に振る。これじゃないの、と苦笑が浮かぶ。

「私、反対側の電車だから」
「え、でも今」

 電話で私が言っていたことを気にしているのだろう。もう電話がきたからと、そう相手に伝えたことを、信じてくれているのだろう。高津先輩のように。
 じっと私を見た柊くんは、そのまま電車に乗り込もうとし、しかしぐるりと方向を変えベンチに戻ってきた。

「柊くん、どうしたの。電車が」
「いい。あんたの電車が来るまで待つよ」
「でも、これ逃したらまたかなり待つことに……」

 都心部であれば夜であっても十分おきにくるのだろう。けれど、ここは都心から離れた田舎だ。平気で三十分、一時間、待たなければいけない。
 にも関わらず、彼は断固として立ち上がろうとはしなかった。

「いいんだよ。もう決めたことだから」

 プシューと電車の扉が閉まる音がなり、柊くんをホームに残していってしまう。小さくなる電車を眺めながら、柊くんへと視線を戻す。

「ほんとうに、よかったの?」
「別に。終電でもないんだし。適当に乗って帰るから心配すんな。それより、向こうに嘘ついてる方が心配になる」
「ああ、それは」
「電話、切りたがってるように見えたし。そんなの見たら、じゃあ、とか言えないだろ」

 しんと静まり返ったホームには私と彼が二人。もう次の電車も、ここから飛びだつのは私と彼だけかもしれない。

「彼氏じゃないのかよ、今の」
「違うよ、さっきも言ったけど」

 夜風が心地いい。髪が顔にかかり右耳の上でおさえる。
 高津先輩の告白を受ければ、きっと先輩のことを彼氏だと言えるのだろう。
 けれど、それを拒んでいるのは私で、自分がどうしたいのかも分からない。

「なんで私、今嘘ついたんだろ。なんで、ここに座ってるんだろ」

 わからないことが多い。自分のことなのに、自分の気持ちに責任が持てない。
 無条件に愛されることが怖い。帰る家がないということが悲しい。私のせいで誰かが辛い思いをするのは耐えられない。

「正解がわからなくなったの。何を選べばいいのかわからないだけ」

 今まで溜め込んできたものを吐き出すように「何が正解なのかな」と言った私に柊くんはずっと空を見上げていた。それから、静かにこう言った。

「で、その正解は、誰の基準の正解なの?」

 星が控えめに瞬いていた。隣から聞こえたのは、誰の基準の正解なのかということ。

「俺から見たあんたは、他人の正解をそのまま反映させようとしてる気がする。だから、誰の正解に合わせればいいかわからなくて、余計にこんがらがってるんじゃねえの」

 今日は満月だ。とてもきれいなまんまる。

「それに、あんたが選択しようとしてるものは、ほんとうに正解なのか?」

 きっと、柊くんは見抜いている。私が死のうとしていることに。

「自分じゃない人間の声をもっと聞いた方がいい。俺から見れば、あんたは自分で自分を苦しめてるだけな気がする。それが最悪な場所に繋がっている気がする。まあ、全部気がするだけど」

 あまりにも静かな夜で、柊くんの声だけがやけに聞こえてしまって、それが逆に怖いと思ってしまった。
 何も言わなくとも、柊くんには全て伝わってしまようで、言葉一つ口にするのも憚られた。
 代わりに空を見上げたこの世界を照らしているのは、無数の星々と、その星の何倍も大きな月。そして、人工的な人の明かり。
 ああ、私は月になれなくとも良かった。小さな小さな、見えるか見えないかぐらいの星でいいから、家族だと言ってもらいたかったのかもしれない。
 好きになってもらわなくいいから。そんな立派なものを望んだりはしないから、せめて星のように、そこにいることだけを認めてくれたら──そうじゃないと、母に会わせる顔がなかった。
 母もこんな未来を望んでいなかったはずだ。実の妹に、娘が嫌われているなんてこと考えたくなかったはずだ。
 だからこそ、咲子さんと歩み寄りたかった。

「やっぱり、生きてくって難しいね」
「だからイージーモードだったらつまらねえだろって」
「……そうだよね」

 でも、やっぱり欲を言ってしまっていいのなら、もう少しだけ簡単にしてもらえたら、なんて。そう思ってしまう私はわがままなんだろうか。

「まあ、その電話の相手とは一度向き合ってみてもいいんじゃねえの。話し合いも必要だろ」

 他人との向き合い方は、他人の話を愛想よく聞くという術だけだった。いざ自分の思いを伝えるとなると、口にすべき言葉が見つからない。
 自分なんて殺していけばいいと思っていた。人とのトラブルなく過ごしていければいいとさえ思っていたのに。

「向き合い方なんて忘れちゃったよ」

 逃げていただけだった。向き合うという戦場から、逃げていただけ。

「あんた、人間らしくなると、すっげえ面倒な奴なんだな」
「そうだよ、嫌われない術でも教えてよ」
「知らねえ。なるようになんだろ」
「すごい曖昧」
「俺にちゃんとしたアドバイスを求めんな」

 鼻で笑うものだから、つられて同じようなことをしてしまう。

「なんか、柊くんって強いよね」
「なんだよ、それ」

 いろいろと考えるものはたくさんある。
 でも、まずは向き合えるものから、もう向き合ってみるしかないのかもしれない。
 高津先輩の関係をまずは清算する。
 高津先輩。優しいあの人に真実を伝えたら、その優しさは持続されるものだろうか。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

俺は陰キャだったはずなのに……なぜか学園内でモテ期が到来した件

こうたろ
青春
友人も恋人も居ないボッチ学生だった山田拓海が何故かモテだしてしまう。 ・学園一の美人で、男女問わず憧れの的。 ・陸上部のエースで、明るく活発なスポーツ女子。 ・物静かで儚げな美術部員。 ・アメリカから来た金髪碧眼でハイテンションな留学生。 ・幼稚園から中学まで毎朝一緒に登校していた幼馴染。 拓海の生活はどうなるのか!?

むっつり金持ち高校生、巨乳美少女たちに囲まれて学園ハーレム

ピコサイクス
青春
顔は普通、性格も地味。 けれど実は金持ちな高校一年生――俺、朝倉健斗。 学校では埋もれキャラのはずなのに、なぜか周りは巨乳美女ばかり!? 大学生の家庭教師、年上メイド、同級生ギャルに清楚系美少女……。 真面目な御曹司を演じつつ、内心はむっつりスケベ。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

キャバ嬢(ハイスペック)との同棲が、僕の高校生活を色々と変えていく。

たかなしポン太
青春
   僕のアパートの前で、巨乳美人のお姉さんが倒れていた。  助けたそのお姉さんは一流大卒だが内定取り消しとなり、就職浪人中のキャバ嬢だった。  でもまさかそのお姉さんと、同棲することになるとは…。 「今日のパンツってどんなんだっけ? ああ、これか。」 「ちょっと、確認しなくていいですから!」 「これ、可愛いでしょ? 色違いでピンクもあるんだけどね。綿なんだけど生地がサラサラで、この上の部分のリボンが」 「もういいです! いいですから、パンツの説明は!」    天然高学歴キャバ嬢と、心優しいDT高校生。  異色の2人が繰り広げる、水色パンツから始まる日常系ラブコメディー! ※小説家になろうとカクヨムにも同時掲載中です。 ※本作品はフィクションであり、実在の人物や団体、製品とは一切関係ありません。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ヤンデレ美少女転校生と共に体育倉庫に閉じ込められ、大問題になりましたが『結婚しています!』で乗り切った嘘のような本当の話

桜井正宗
青春
 ――結婚しています!  それは二人だけの秘密。  高校二年の遙と遥は結婚した。  近年法律が変わり、高校生(十六歳)からでも結婚できるようになっていた。だから、問題はなかった。  キッカケは、体育倉庫に閉じ込められた事件から始まった。校長先生に問い詰められ、とっさに誤魔化した。二人は退学の危機を乗り越える為に本当に結婚することにした。  ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。 *結婚要素あり *ヤンデレ要素あり

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

処理中です...