20 / 143
酒と肴と、領主と親父
20品目・会いたくない奴、久しぶりな奴(タラバ焼きと北寄バター、本ししゃも焼き)
しおりを挟む
うちの店で使っている食器、その大半は大通りにある某食器の卸売りメーカーから仕入れている。
そのメーカーのカタログをどうにか引っ張りだし、急いでロッホユー男爵用の江戸切子をはじめとしたガラス製品を発注したところまでは良かったのだが。
「う~む、支払いは魔力払いだけでは足りないよなぁ、まあ、それは仕方がないか」
事務室に置いてある金庫から大量の銀貨を取り出し、それを袋に詰めてカウンターに置いておく。
後でファックスで発注を終らせたら、その用紙の上に袋を置いておけば納品と同時に支払いは完了する。
それにしても、一晩で20万メレルの仕入れをするなど考えてもいなかった。
まあ、貸し切り宴会があった時と同じようなものだと納得して、明日の露店分の仕入れもついでに終わらせた後、宿に戻ってゆっくりと体を休めることにした。
………
……
…
――翌朝
朝一番で届いた食材をばらし、昼の露店用の仕込みを始める。
今日はホタテとイカ、エビは使わない。
代わりに仕入れたのが『タラバ蟹の脚付き抱き身』と『生干しシシャモ』、そして『北寄貝』。
まあ、生干しシシャモはバットに並べなおすだけ、タラバガニは抱き身部分と脚をばらし、脚の部分だけ使う。
足の裏側の殻を薄く削ぐように切り落としてバットに並べるだけだから手間もなにもない。
北寄貝はホタテと同じように殻から外して水洗いし、身の部分を二つに割って中に詰まっている茶色い内臓部分を水洗いしつつ取り除く。
また、北寄貝は砂地に住む貝なので、しっかりと塩もみし水洗いすることで砂を落とすことができる。この手間を省くと焼いた後でも砂が残っているので、そうならないように丁寧に砂を落としておく。
あとは一人前ずつ殻に戻してバットに並べて、あとは冷凍。
「さて、ジュースは届いているから、いつものように冷やしておくか」
瓶ラムネ、ジュース、コーラは定番で人気商品だけど。
今日はちょっと、変わり種のものも冷やしておく。
まあ、これは大人用なので、常連の冒険者にでも売ってやることにするか。
「しっかし、こっちの世界に来て一か月は経ったよなぁ……随分と馴染んだな」
こっちの世界の常識や風習もかなり理解して来た。
まあ、いってもまだ二つ目の町だし、いい加減に越境庵を開きたいところなのだが。
予想外にいい場所が見つからない。
それこそ、食堂が併設していない宿の一階で、臨時食堂として開けさせてもらうっていうのもありだよなぁ……。
まあ、急いで戻って露店の場所にいかないと、うちのお嬢さんたちに怒られそうだよなぁ。
〇 〇 〇 〇 〇
――中央広場
いつものように昼前に露店の場所に向かうと、すでにシャットとマリアンが待っていた。
「おお、今日は早いなぁ」
「今日は朝から宿が騒がしかったのですよ」
「なんでも、視察に出ていた辺境伯が戻って来る日らしくてですね、朝一で付近の街道沿いの森の魔物退治で大勢の冒険者達が向かったのですわ。私たちも危なく駆り出されるところでしたの」
「辺境伯……ああ、アードベック辺境伯だったか。そうか、あっちの町での視察も終わったのか」
まあ、俺としては食器が返ってきたら万々歳ってところだ。
少ししか話していなかったけれど、話の判るいい領主っていうイメージだったからな。
どこかの市長とは大違いだ。
そんなことを考えていても仕方がないので、とっとと炭火を起こして今日の露店の準備を始める。
いつものようにサンプルを二人分用意し、その作り方も説明。
「……うぇ、蜘蛛の脚だにゃ」
「それは蜘蛛じゃねーから、海の生き物だからな、蟹って見たことないか?」
焼きあがったタラバガニの脚を見て、シャットがウヘェっていう顔をして見せた。
うん、蜘蛛の脚っていうが、こんなに巨大な蜘蛛がいるのかよ。
「蟹って、見たことも聞いたこともないにゃ」
「私は見たことだけはありますけれど。これは蟹の子供なのですね?」
「いや、成体の脚だが?」
「え? 蟹ってあれですよね、この足の長さが大体12ミールの巨大な海洋系の魔物ですよね?」
「こっちの大陸の蟹って、そんなにでかいのかよ。ちょっと食ってみたいところだな……って、シャット、これはその蟹のようなものだから、試しに食べて見ろって、このレモンを好みで絞って掛けてみると、酸味がいいアクセントになるからな」
そう説明すると、ようやくシャットも覚悟を決めたらしい。
くし形に切ったレモンを蟹脚の身に絞ってから、目を閉じて一気にかぶりついた。
――カプッ……モッシャモッシャ
一口食べて少しして、シャットが目を開けて頭を傾げる。
「本当だ、蜘蛛じゃないにゃ?」
「だから蟹だっていっているだろうが。ほら、こっちはこの前食べたシシャモで、これは北寄のバター焼きだ。ホタテとは別の貝だけど、こっちも味があってうまいぞ」
「本当です! ホタテは身の甘さが溜まらなかったのですが、こちらはまさに海の幸、プリプリしていて、それでじゅわっと甘いのですね」
「そうだろうそうだろう……」
よし、二人とも旨そうに食べているので、周りに集まって来た常連たちが今か今かとせかし始めたじゃないか。
「それじゃあ、露店を始めますか……と、シャット、このクーラーボックスに入っている小さな瓶はジュースじゃないので、子供には売るなよ?」
「んんん、このビアタンに青い蓋が付いているやつにゃ?」
「そう、それはカップ酒っていってな、酒なんだよ……って、おいおい、いきなり開けようとするなって」
酒と聞いた瞬間、シャットがアルミ蓋の部分を捻る素振りを見せる。
「ん、これは味見しないのにゃ?」
「今からのんだら仕事にならんぞ。ということで、賄い飯のときに一本付けてやるから、我慢しろって」
「了解にゃ」
さて、それじゃあ俺も炭焼き台の前に戻って、海鮮焼きでも始めますか。
………
……
…
――ガラガラガラガラ
無事に領都ウーガ・トダールに到着したアードベック辺境伯は、馬車の窓からノンビリと外を眺めている。
今回の視察旅行は、辺境伯にとっては実に有意義であった。
南方の領地へ向かい、そこからぐるりと輪を描くように途中の町を中継。
そして一旦ウーガ・トダールに戻ってから、最後に北方へと向かった。
問題があったと言えば、ベルランドの市長を務めるダイス・ルフトハーケンの陳情ぐらい。
それも実に下らない、それでいて彼の性格が良く見えるような陳情であった。
『アードベック辺境伯さまをおもてなしするためのパーティー料理を用意する筈でしたが、雇っていた流れの料理人が調味料を盗んで逃亡してしまったのです』
という、領地経営にほとんど関係のない陳情を始めたのである。
しかも、その翌日にダイスの案内で町の中を散策していると、旅の途中で嗅いだことのある匂いが流れてきたのである。
それは一件の肉串屋から流れてきていたので、ちょうど小腹が減っていたのでダイスと共にその店に寄ってみた。
そこで食べた肉串のタレ、それは紛れもなく私が領都を出て二日後に出会った、旅の料理人の作ってくれた『焼き鳥丼』のタレそのものであった。
『こ、これはあの腐れ料理人の味じゃないか!! これをどうやって手に入れたのだ?』
『ええっと……いくらあっしとダイスさんの仲でも、これを教えることはできませんって』
『ううむ……そ、そうか……しかしなぁ……』
そんなやりとりをしていたのだが、それは辺境伯にとってはどうでもいい。
もしもこのタレを齎したのが流れの料理人だったとしたら、ダイスの話している腐れ料理人というのは彼の事になる。
そう考えて、アードベック辺境伯はダイスに事の真相を問いだそうと考えた。
『ダイス君、つかぬ事を訪ねるが。この肉串のタレというのが、先日の晩餐会で聞いた『流れの料理人が盗んでいったタレ』というのかね?』
『そ、その通りでございます……確か、ユウヤとかいう料理人でして、辺境伯の晩餐会に必要なタレを盗んでですね』
『ちょっと待ったぁ。このタレはユウヤさんが勉強のために置いていったんだけれど。そもそもタレを作ったのはユウヤさんだし、露店の免許が取り消されたんでこの街を出ていったって冒険者から聞いたこともあったぞ』
途中から、肉串やの主人がユウヤという料理人をかばい始める。
その瞬間から、ダイスの挙動もおかしくなってきた。
『い、いや、それは間違いであろう……うむ、このタレを開発したのはユウヤだが、いや、だか……』
『まあ、その話は今はいいでしょう。では、美味しかったですよ、また立ち寄らせてもらいますから』
そう告げて、アードベック辺境伯は店を出る。
そしてダイス市長の提出した領地経営の報告書をはじめ、様々な決算書類、実務記録などを同行していた執務官と共にチェック。
やや数値が合わない部分については執務官がダイスに直接指摘していたので、アードベックは特に問題とはしない。
無事に視察を終えた後は、アードベックは領都へと戻るだけであったのだが、今度はダイスが領都の視察を行いたいと提案したため、領都へ同行することを許可したのである。
――時間・戻る
「それにしても、いい街です。人々が皆、笑顔じゃないですか」
「世辞はいい。私は貴族の務めを果たしているだけだからな。ダイスももっと研鑽し、民の事を第一に考えられるような政務を行うように心がけてくれればいい」
ダイスの目的は、自分の貴族階級を市長から上にあげること。
今の彼の貴族階級は、荘園領主であるロッホユー男爵よりも下。
市長とは言うものの、実際は荘園準男爵であり、貴族階級としては最下層に位置する。
それをどうにか男爵にまで上げたいがため、視察という名目でアードベックに同行しては、彼のごますりを行っているだけである。
「はっ、このダイス、いつかはアードベッグ辺境伯の片腕と呼ばれるほどに出世して見せますぞ」
「まあ、できる事だけをコツコツと。余計な欲をかくことがないように……と、なんだこの薫りは?」
ダイスと語り合っている最中、馬車の中に香ばしい香りが流れて来る。
それはちょうど領都中央広場に差し掛かった時。
おりしも、ユウヤの露店で焼いている『北寄のバター焼き』の香りや、タラバガニ、シシャモといった海産物が隅で炙られている匂いである。
「おお、そこで露店が開いているようですな。では、ちっょと馬車を止めて頂けますか? この私が直接、購入してまいりましょう」
そう告げると、ダイスは馬車を止めてから露店へと走っていく。
そして海鮮焼きを買おうと露店の店主に話しかけようとした時……。
「き、貴様はあの露店の料理人か、どうしてこんなところで露店を開いているのだ、貴様がいなくなったおかげて、この私はアードベッグ辺境伯に恥をかくことになったのだ、どうしてくれる!!」
「んんん? ああ、誰かと思ったら、あっちの辺境都市の市長さんか。俺がいなくなったところで、どうしてあんたが恥をかくことになるんだ?」
いつものようにのんびりと応答するユウヤだが。
この態度がダイスの怒りの炎に、さらに燃料を投下した。
「う、煩いっ、貴族に対する不敬罪だ、兵士たちよ、この男を捕らえよ!! この男は犯罪者だ!!」
そう叫ぶダイスに、アードベックの馬車を護衛していた騎士たちが慌てて駆けつけると、ユウヤの露店に向かって盾を構えて抜刀する。
「……はぁ。なんだか面倒くさいことになったようですが、これってどういうことでしょうかねぇ」
ユウヤの前に回って身構えるシャットとマリアンだが、ユウヤは兵士たちの後ろから笑顔で歩いてくるアードベッグ辺境伯に向かって、静かにそう問いかけていた。
そのメーカーのカタログをどうにか引っ張りだし、急いでロッホユー男爵用の江戸切子をはじめとしたガラス製品を発注したところまでは良かったのだが。
「う~む、支払いは魔力払いだけでは足りないよなぁ、まあ、それは仕方がないか」
事務室に置いてある金庫から大量の銀貨を取り出し、それを袋に詰めてカウンターに置いておく。
後でファックスで発注を終らせたら、その用紙の上に袋を置いておけば納品と同時に支払いは完了する。
それにしても、一晩で20万メレルの仕入れをするなど考えてもいなかった。
まあ、貸し切り宴会があった時と同じようなものだと納得して、明日の露店分の仕入れもついでに終わらせた後、宿に戻ってゆっくりと体を休めることにした。
………
……
…
――翌朝
朝一番で届いた食材をばらし、昼の露店用の仕込みを始める。
今日はホタテとイカ、エビは使わない。
代わりに仕入れたのが『タラバ蟹の脚付き抱き身』と『生干しシシャモ』、そして『北寄貝』。
まあ、生干しシシャモはバットに並べなおすだけ、タラバガニは抱き身部分と脚をばらし、脚の部分だけ使う。
足の裏側の殻を薄く削ぐように切り落としてバットに並べるだけだから手間もなにもない。
北寄貝はホタテと同じように殻から外して水洗いし、身の部分を二つに割って中に詰まっている茶色い内臓部分を水洗いしつつ取り除く。
また、北寄貝は砂地に住む貝なので、しっかりと塩もみし水洗いすることで砂を落とすことができる。この手間を省くと焼いた後でも砂が残っているので、そうならないように丁寧に砂を落としておく。
あとは一人前ずつ殻に戻してバットに並べて、あとは冷凍。
「さて、ジュースは届いているから、いつものように冷やしておくか」
瓶ラムネ、ジュース、コーラは定番で人気商品だけど。
今日はちょっと、変わり種のものも冷やしておく。
まあ、これは大人用なので、常連の冒険者にでも売ってやることにするか。
「しっかし、こっちの世界に来て一か月は経ったよなぁ……随分と馴染んだな」
こっちの世界の常識や風習もかなり理解して来た。
まあ、いってもまだ二つ目の町だし、いい加減に越境庵を開きたいところなのだが。
予想外にいい場所が見つからない。
それこそ、食堂が併設していない宿の一階で、臨時食堂として開けさせてもらうっていうのもありだよなぁ……。
まあ、急いで戻って露店の場所にいかないと、うちのお嬢さんたちに怒られそうだよなぁ。
〇 〇 〇 〇 〇
――中央広場
いつものように昼前に露店の場所に向かうと、すでにシャットとマリアンが待っていた。
「おお、今日は早いなぁ」
「今日は朝から宿が騒がしかったのですよ」
「なんでも、視察に出ていた辺境伯が戻って来る日らしくてですね、朝一で付近の街道沿いの森の魔物退治で大勢の冒険者達が向かったのですわ。私たちも危なく駆り出されるところでしたの」
「辺境伯……ああ、アードベック辺境伯だったか。そうか、あっちの町での視察も終わったのか」
まあ、俺としては食器が返ってきたら万々歳ってところだ。
少ししか話していなかったけれど、話の判るいい領主っていうイメージだったからな。
どこかの市長とは大違いだ。
そんなことを考えていても仕方がないので、とっとと炭火を起こして今日の露店の準備を始める。
いつものようにサンプルを二人分用意し、その作り方も説明。
「……うぇ、蜘蛛の脚だにゃ」
「それは蜘蛛じゃねーから、海の生き物だからな、蟹って見たことないか?」
焼きあがったタラバガニの脚を見て、シャットがウヘェっていう顔をして見せた。
うん、蜘蛛の脚っていうが、こんなに巨大な蜘蛛がいるのかよ。
「蟹って、見たことも聞いたこともないにゃ」
「私は見たことだけはありますけれど。これは蟹の子供なのですね?」
「いや、成体の脚だが?」
「え? 蟹ってあれですよね、この足の長さが大体12ミールの巨大な海洋系の魔物ですよね?」
「こっちの大陸の蟹って、そんなにでかいのかよ。ちょっと食ってみたいところだな……って、シャット、これはその蟹のようなものだから、試しに食べて見ろって、このレモンを好みで絞って掛けてみると、酸味がいいアクセントになるからな」
そう説明すると、ようやくシャットも覚悟を決めたらしい。
くし形に切ったレモンを蟹脚の身に絞ってから、目を閉じて一気にかぶりついた。
――カプッ……モッシャモッシャ
一口食べて少しして、シャットが目を開けて頭を傾げる。
「本当だ、蜘蛛じゃないにゃ?」
「だから蟹だっていっているだろうが。ほら、こっちはこの前食べたシシャモで、これは北寄のバター焼きだ。ホタテとは別の貝だけど、こっちも味があってうまいぞ」
「本当です! ホタテは身の甘さが溜まらなかったのですが、こちらはまさに海の幸、プリプリしていて、それでじゅわっと甘いのですね」
「そうだろうそうだろう……」
よし、二人とも旨そうに食べているので、周りに集まって来た常連たちが今か今かとせかし始めたじゃないか。
「それじゃあ、露店を始めますか……と、シャット、このクーラーボックスに入っている小さな瓶はジュースじゃないので、子供には売るなよ?」
「んんん、このビアタンに青い蓋が付いているやつにゃ?」
「そう、それはカップ酒っていってな、酒なんだよ……って、おいおい、いきなり開けようとするなって」
酒と聞いた瞬間、シャットがアルミ蓋の部分を捻る素振りを見せる。
「ん、これは味見しないのにゃ?」
「今からのんだら仕事にならんぞ。ということで、賄い飯のときに一本付けてやるから、我慢しろって」
「了解にゃ」
さて、それじゃあ俺も炭焼き台の前に戻って、海鮮焼きでも始めますか。
………
……
…
――ガラガラガラガラ
無事に領都ウーガ・トダールに到着したアードベック辺境伯は、馬車の窓からノンビリと外を眺めている。
今回の視察旅行は、辺境伯にとっては実に有意義であった。
南方の領地へ向かい、そこからぐるりと輪を描くように途中の町を中継。
そして一旦ウーガ・トダールに戻ってから、最後に北方へと向かった。
問題があったと言えば、ベルランドの市長を務めるダイス・ルフトハーケンの陳情ぐらい。
それも実に下らない、それでいて彼の性格が良く見えるような陳情であった。
『アードベック辺境伯さまをおもてなしするためのパーティー料理を用意する筈でしたが、雇っていた流れの料理人が調味料を盗んで逃亡してしまったのです』
という、領地経営にほとんど関係のない陳情を始めたのである。
しかも、その翌日にダイスの案内で町の中を散策していると、旅の途中で嗅いだことのある匂いが流れてきたのである。
それは一件の肉串屋から流れてきていたので、ちょうど小腹が減っていたのでダイスと共にその店に寄ってみた。
そこで食べた肉串のタレ、それは紛れもなく私が領都を出て二日後に出会った、旅の料理人の作ってくれた『焼き鳥丼』のタレそのものであった。
『こ、これはあの腐れ料理人の味じゃないか!! これをどうやって手に入れたのだ?』
『ええっと……いくらあっしとダイスさんの仲でも、これを教えることはできませんって』
『ううむ……そ、そうか……しかしなぁ……』
そんなやりとりをしていたのだが、それは辺境伯にとってはどうでもいい。
もしもこのタレを齎したのが流れの料理人だったとしたら、ダイスの話している腐れ料理人というのは彼の事になる。
そう考えて、アードベック辺境伯はダイスに事の真相を問いだそうと考えた。
『ダイス君、つかぬ事を訪ねるが。この肉串のタレというのが、先日の晩餐会で聞いた『流れの料理人が盗んでいったタレ』というのかね?』
『そ、その通りでございます……確か、ユウヤとかいう料理人でして、辺境伯の晩餐会に必要なタレを盗んでですね』
『ちょっと待ったぁ。このタレはユウヤさんが勉強のために置いていったんだけれど。そもそもタレを作ったのはユウヤさんだし、露店の免許が取り消されたんでこの街を出ていったって冒険者から聞いたこともあったぞ』
途中から、肉串やの主人がユウヤという料理人をかばい始める。
その瞬間から、ダイスの挙動もおかしくなってきた。
『い、いや、それは間違いであろう……うむ、このタレを開発したのはユウヤだが、いや、だか……』
『まあ、その話は今はいいでしょう。では、美味しかったですよ、また立ち寄らせてもらいますから』
そう告げて、アードベック辺境伯は店を出る。
そしてダイス市長の提出した領地経営の報告書をはじめ、様々な決算書類、実務記録などを同行していた執務官と共にチェック。
やや数値が合わない部分については執務官がダイスに直接指摘していたので、アードベックは特に問題とはしない。
無事に視察を終えた後は、アードベックは領都へと戻るだけであったのだが、今度はダイスが領都の視察を行いたいと提案したため、領都へ同行することを許可したのである。
――時間・戻る
「それにしても、いい街です。人々が皆、笑顔じゃないですか」
「世辞はいい。私は貴族の務めを果たしているだけだからな。ダイスももっと研鑽し、民の事を第一に考えられるような政務を行うように心がけてくれればいい」
ダイスの目的は、自分の貴族階級を市長から上にあげること。
今の彼の貴族階級は、荘園領主であるロッホユー男爵よりも下。
市長とは言うものの、実際は荘園準男爵であり、貴族階級としては最下層に位置する。
それをどうにか男爵にまで上げたいがため、視察という名目でアードベックに同行しては、彼のごますりを行っているだけである。
「はっ、このダイス、いつかはアードベッグ辺境伯の片腕と呼ばれるほどに出世して見せますぞ」
「まあ、できる事だけをコツコツと。余計な欲をかくことがないように……と、なんだこの薫りは?」
ダイスと語り合っている最中、馬車の中に香ばしい香りが流れて来る。
それはちょうど領都中央広場に差し掛かった時。
おりしも、ユウヤの露店で焼いている『北寄のバター焼き』の香りや、タラバガニ、シシャモといった海産物が隅で炙られている匂いである。
「おお、そこで露店が開いているようですな。では、ちっょと馬車を止めて頂けますか? この私が直接、購入してまいりましょう」
そう告げると、ダイスは馬車を止めてから露店へと走っていく。
そして海鮮焼きを買おうと露店の店主に話しかけようとした時……。
「き、貴様はあの露店の料理人か、どうしてこんなところで露店を開いているのだ、貴様がいなくなったおかげて、この私はアードベッグ辺境伯に恥をかくことになったのだ、どうしてくれる!!」
「んんん? ああ、誰かと思ったら、あっちの辺境都市の市長さんか。俺がいなくなったところで、どうしてあんたが恥をかくことになるんだ?」
いつものようにのんびりと応答するユウヤだが。
この態度がダイスの怒りの炎に、さらに燃料を投下した。
「う、煩いっ、貴族に対する不敬罪だ、兵士たちよ、この男を捕らえよ!! この男は犯罪者だ!!」
そう叫ぶダイスに、アードベックの馬車を護衛していた騎士たちが慌てて駆けつけると、ユウヤの露店に向かって盾を構えて抜刀する。
「……はぁ。なんだか面倒くさいことになったようですが、これってどういうことでしょうかねぇ」
ユウヤの前に回って身構えるシャットとマリアンだが、ユウヤは兵士たちの後ろから笑顔で歩いてくるアードベッグ辺境伯に向かって、静かにそう問いかけていた。
270
あなたにおすすめの小説
異世界に転移したら、孤児院でごはん係になりました
雪月夜狐
ファンタジー
ある日突然、異世界に転移してしまったユウ。
気がつけば、そこは辺境にある小さな孤児院だった。
剣も魔法も使えないユウにできるのは、
子供たちのごはんを作り、洗濯をして、寝かしつけをすることだけ。
……のはずが、なぜか料理や家事といった
日常のことだけが、やたらとうまくいく。
無口な男の子、甘えん坊の女の子、元気いっぱいな年長組。
個性豊かな子供たちに囲まれて、
ユウは孤児院の「ごはん係」として、毎日を過ごしていく。
やがて、かつてこの孤児院で育った冒険者や商人たちも顔を出し、
孤児院は少しずつ、人が集まる場所になっていく。
戦わない、争わない。
ただ、ごはんを作って、今日をちゃんと暮らすだけ。
ほんわか天然な世話係と子供たちの日常を描く、
やさしい異世界孤児院ファンタジー。
異世界で姪が勇者になったけれど、俺はのんびり料理屋を開く
夕日(夕日凪)
ファンタジー
突然姉が亡くなり、その遺児である姪の『椛音』を男手一つで育てていた元料理人の『翔』。
椛音が十六歳になった時。二人は異世界に召喚されて…!?
椛音は勇者として異世界を飛び回ることになり、椛音のおまけとして召喚された翔は憧れていた料理人の夢を異世界で叶えることに。
デスクレイフィッシュ、大猪、オボロアナグマ──。
姪が旅先から持ち込む数々の食材(モンスター)を使った店を、翔は異世界で開店する。
翔の料理を食べると不思議と力が湧くようで、いろいろな人物が店を来訪するように──。
※表紙は小鶴先生に描いていただきました!
家ごと異世界転移〜異世界来ちゃったけど快適に暮らします〜
奥野細道
ファンタジー
都内の2LDKマンションで暮らす30代独身の会社員、田中健太はある夜突然家ごと広大な森と異世界の空が広がるファンタジー世界へと転移してしまう。
パニックに陥りながらも、彼は自身の平凡なマンションが異世界においてとんでもないチート能力を発揮することを発見する。冷蔵庫は地球上のあらゆる食材を無限に生成し、最高の鮮度を保つ「無限の食料庫」となり、リビングのテレビは異世界の情報をリアルタイムで受信・翻訳する「異世界情報端末」として機能。さらに、お風呂の湯はどんな傷も癒す「万能治癒の湯」となり、ベランダは瞬時に植物を成長させる「魔力活性化菜園」に。
健太はこれらの能力を駆使して、食料や情報を確保し、異世界の人たちを助けながら安全な拠点を築いていく。
借金まみれの錬金術師、趣味で作ったポーションがダンジョンで飛ぶように売れる~探索者の間で【伝説のエリクサー】として話題に~
わんた
ファンタジー
「今日中に出ていけ! 半年も家賃を滞納してるんだぞ!」
現代日本にダンジョンとスキルが存在する世界。
渋谷で錬金術師として働いていた裕真は、研究に没頭しすぎて店舗の家賃を払えず、ついに追い出されるハメになった。
私物と素材だけが残された彼に残された選択肢は――“現地販売”の行商スタイル!
「マスター、売ればいいんですよ。死にかけの探索者に、定価よりちょっと高めで」
提案したのは、裕真が自作した人工精霊・ユミだ。
家事万能、事務仕事完璧、なのにちょっとだけ辛辣だが、裕真にとっては何物にも代えがたい家族でありパートナーでもある。
裕真はギルドの後ろ盾、そして常識すらないけれど、素材とスキルとユミがいればきっと大丈夫。
錬金術のスキルだけで社会の荒波を乗り切る。
主人公無双×のんびり錬金スローライフ!
中年オジが異世界で第二の人生をクラフトしてみた
Mr.Six
ファンタジー
仕事に疲れ、酒に溺れた主人公……。フラフラとした足取りで橋を進むと足を滑らしてしまい、川にそのままドボン。気が付くとそこは、ゲームのように広大な大地が広がる世界だった。
訳も分からなかったが、視界に現れたゲームのようなステータス画面、そして、クエストと書かれた文章……。
「夢かもしれないし、有給消化だとおもって、この世界を楽しむか!」
そう開き直り、この世界を探求することに――
出来損ない貴族の三男は、謎スキル【サブスク】で世界最強へと成り上がる〜今日も僕は、無能を演じながら能力を徴収する〜
シマセイ
ファンタジー
実力至上主義の貴族家に転生したものの、何の才能も持たない三男のルキウスは、「出来損ない」として優秀な兄たちから虐げられる日々を送っていた。
起死回生を願った五歳の「スキルの儀」で彼が授かったのは、【サブスクリプション】という誰も聞いたことのない謎のスキル。
その結果、彼の立場はさらに悪化。完全な「クズ」の烙印を押され、家族から存在しない者として扱われるようになってしまう。
絶望の淵で彼に寄り添うのは、心優しき専属メイドただ一人。
役立たずと蔑まれたこの謎のスキルが、やがて少年の運命を、そして世界を静かに揺るがしていくことを、まだ誰も知らない。
玲子さんは自重しない~これもある種の異世界転生~
やみのよからす
ファンタジー
病院で病死したはずの月島玲子二十五歳大学研究職。目を覚ますと、そこに広がるは広大な森林原野、後ろに控えるは赤いドラゴン(ニヤニヤ)、そんな自分は十歳の体に(材料が足りませんでした?!)。
時は、自分が死んでからなんと三千万年。舞台は太陽系から離れて二百二十五光年の一惑星。新しく作られた超科学なミラクルボディーに生前の記憶を再生され、地球で言うところの中世後半くらいの王国で生きていくことになりました。
べつに、言ってはいけないこと、やってはいけないことは決まっていません。ドラゴンからは、好きに生きて良いよとお墨付き。実現するのは、はたは理想の社会かデストピアか?。
月島玲子、自重はしません!。…とは思いつつ、小市民な私では、そんな世界でも暮らしていく内に周囲にいろいろ絆されていくわけで。スーパー玲子の明日はどっちだ?
カクヨムにて一週間ほど先行投稿しています。
書き溜めは100話越えてます…
外れスキル持ちの天才錬金術師 神獣に気に入られたのでレア素材探しの旅に出かけます
蒼井美紗
ファンタジー
旧題:外れスキルだと思っていた素材変質は、レア素材を量産させる神スキルでした〜錬金術師の俺、幻の治癒薬を作り出します〜
誰もが二十歳までにスキルを発現する世界で、エリクが手に入れたのは「素材変質」というスキルだった。
スキル一覧にも載っていないレアスキルに喜んだのも束の間、それはどんな素材も劣化させてしまう外れスキルだと気づく。
そのスキルによって働いていた錬金工房をクビになり、生活費を稼ぐために仕方なく冒険者になったエリクは、街の外で採取前の素材に触れたことでスキルの真価に気づいた。
「素材変質スキル」とは、採取前の素材に触れると、その素材をより良いものに変化させるというものだったのだ。
スキルの真の力に気づいたエリクは、その力によって激レア素材も手に入れられるようになり、冒険者として、さらに錬金術師としても頭角を表していく。
また、エリクのスキルを気に入った存在が仲間になり――。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる